35話 警察署前にて
隼人は、二つのベッドの間で目を覚ました。
二つとは、隼人自身のセミダブルベッドと、結依のシングルベッドの間だ。
探索で結依達を怖がらせた結果、報復で床に寝かされた……わけではない。
隼人のベッドと結依のベッドを横並びでくっつけて、三人で寝ただけだ。
――菜月の寮から、ベッドを持ち出せなかったからな。
昨日は署内で怖がらせすぎた結果、どうしても寝られないと菜月に言われて、一緒に寝ることになった。
菜月には異世界産の毛布を使わせており、カシミヤ的な高級品でフカフカだが、昨日まで白骨死体が寝ていた床で寝ろと言うのは酷であろう。
結依が対抗して自分のベッドをくっつけたのは、先を越されないための行動か、それとも結依自身も怖かったからか。
結依は賢いので、先に隼人と会って関係を構築したアドバンテージを失うことは避けるだろうと隼人は考える。
負けず嫌いで意地を張ったり、対抗したりと子供っぽいので、菜月に負けまいという意思も働いたのだろう。
ゾンビ化しかけた経験もあるので、ゾンビが怖いのも当然かもしれない。
かくして隼人の左右には、結依と菜月が居る。
「おはよ」
「ああ、おはよう」
隼人と目が合った結依は、頰を僅かに赤く染めて、照れた表情を浮かべた。
普段からそういう態度であればと一瞬思わなくもなかったが、結依には結依の持ち味があると思い直して、隼人は喉から出掛かった言葉を呑み込んだ。
「ここで数日過ごすか?」
「今日、出発」
「了解」
ゾンビ警察署で過ごすのは、あまり好きではないらしい。
結依がキッパリと拒否の意思を示したので、隼人は素直に頷いた。
それから三人で朝食を摂り、事前に作っておいた昼食を空間収納から取り出し、ランチボックスに移す。
それらの作業を終えると、隼人達は警察署の建物から外に出た。
――今日は、どこに行こうか。
結依がウイルスに感染していたことを知る者達が居る霧丘市からは離れており、菜月の自衛手段である拳銃を手に入れて、最終的な目的地は定まっていない。
隼人は悩みつつ、正面の駐車場に置いた車に目を向ける。
すると車の傍に、人影があった。
「人間?」
人影は中年男性で、背筋を伸ばして立っており、ゾンビには見えなかった。
恰好は、上着が長袖シャツの袖を軽く捲り、下はジーンズにスニーカー。
日焼けした肌と引き締まった顔つきで、ダンディな中年という印象を受けた。
中年男性は、傍に自転車を停車させており、前カゴには荷物がぎっしり詰まった旅行鞄を乗せている。
隼人に気付いた中年男性が、穏やかな笑みを浮かべながら声をかけてきた。
「やあ。おはよう、青年達。この車は、君達の物かい?」
中年男性は、まさにダンディな挨拶をしてきた。
なお車に関しては、文明崩壊以前は、霧丘市の金持ちの所有物であった。
だがダンディは、そんな事を聞いているのではないだろう。
現状における運用者が誰かと問われれば、隼人になる。
「ええ、私が運転しています」
隼人の返答に、男性の目が少し興味深げに輝いた。
「ガソリンを手に入れられるのかい?」
「それを聞いて、どうされたいのですか?」
警戒心を隠さない声で隼人が尋ねると、ダンディは爽やかに笑った。
「おっと、失礼。私は桜井春樹という」
「熊倉隼人です」
「私は、この町の人間で、物資を集めながら暮らしているんだよ。地元民だから、どこに何があるのかは熟知している」
そう言って、桜井は旅行鞄を乗せた自転車の前カゴを軽く叩いてみせた。
「君達が車を動かせるのなら、組んでみないか?」
「組む?」
「そうだ。車を使えるなら、効率的に物資を集められる」
桜井が持ち掛けた話は、それほど不当には思えなかった。
当面の食料はあるが、欲しいものが無いわけではない。
隼人が一人であれば、一時的に協力しただろう。
現在の懸念は、結依と菜月の身の安全だ。
「あなたに仲間は、どれくらいおられますか」
「私は天然温泉ホテルを拠点としている人間の一人だ。そこは少し特殊でね。各自が宿泊費として一部の物資を渡す代わりに、水や温泉と施設の利用権を得られる」
「宿泊代を現金ではなく、物資にしている感じですか」
「そうだよ。だから仲間で考えれば、私と娘の二人だね」
「ふむ」
隼人が桜井の言葉に返答しようとした、その時だった。
遠方から、バイクのエンジン音が聞こえてきた。
隼人が顔を向けると、6台のバイクがゾロゾロと連なって走ってくる。
人数は、10人。
年齢層は、青年から壮年に至るまで幅広い。
全員がいかつい面構えをしており、金属バットや鉄パイプ、バールなどの鈍器を所持していた。
先頭を進むのは、リーゼントの男だった。
派手に盛り上げられた髪型が目を引くが、その表情には余裕の笑みと粗暴さが滲んでいる。その後ろには、金髪やロン毛の男達が続いている。
「結依、菜月、銃を撃つ準備をしておけ」
隼人は二人に指示を出すと、近付いてくる集団と結依達との間に立った。
やがて近くに来た男達は、バイクを停めると、ゆっくりと歩み寄ってくる。
先頭のリーゼント男が、鉄パイプを肩に担ぎながら、野太い声で告げた。
「おう、俺達は新秩序連合だ。この町の物資は、俺達が管理して分配してる」
リーゼントの男は桜井の方へ目をやり、前カゴに詰まったリュックを指さした。
「てことで、そこにある物資を寄越せ」
桜井の表情が、苦渋に染まる。
さらにリーゼントの後ろの金髪が前に出てきた。
金髪はリュックではなく、結依と菜月に視線を向ける。
「女も保護している。その二人も置いていけ」
「断る」
金髪の男の要求に対して、隼人は即答した。
そして10人に対して、「お前ら全員、殴り倒すぞ」という威圧の目で見渡して、右手の拳を握り締めて見せる。
隼人の返答と態度に、一瞬の沈黙が訪れた。
だが徒手空拳だったからか、男達は恐れ入ったりはしなかった。
「てめえ、舐めてんのか!」
リーゼント男が隼人を睨み返しながら、手に持った鉄パイプを振りかぶる。
次の瞬間、振り下ろされた鉄パイプが車のフロントガラスに叩きつけられ、ガラスが蜘蛛の巣状にひび割れた。
直後、車から甲高いアラーム音が鳴り響いた。ピーッというアラーム音は、耳をつんざくようで、周囲の空気を震わせるほどの騒音だった。
「この車、バッテリーが生きてるのか!」
男達は予想外の事態に動揺し、声を上げてざわめいた。
アラーム音が鳴れば、ゾンビを引き寄せてしまう。
リーゼントの男が舌打ちして叫んだ。
「男達を殴り倒してゾンビの餌にしろ。物資と女を奪ってさっさと去るぞ!」
刹那、男達が動き出す前に、隼人が動いた。
地面を強く踏みしめて跳躍し、リーゼントに正面から飛び掛かって、右の拳で顔面を殴り飛ばした。
ゴンッと鈍い音が響き、男の頭が大きくのけ反る。そのままの勢いで身体が宙に浮き、数メートル先の地面に叩きつけられた。
「うあっ」
短い呻き声を上げたリーゼント男は、その場で動かなくなった。
「てめえ、やりやがったな!」
金髪男が怒りの叫びを上げ、隼人に向かって金属バットを振りかぶった。
しかし、その動きよりも隼人のほうが速かった。
振り下ろされる前に懐へと飛び込み、金髪男の腹部に右拳をめり込ませる。
「げはっ」
金髪男は苦痛に顔を歪め、バットを落としながら膝から崩れ落ちた。
隼人は一瞬も動きを止めない。背後からバールを振りかざしてきた三人目の攻撃を左手で受け流すと、右拳を男の顎に叩き込んだ。
力強い一撃に、男の身体が軽く宙を舞い、地面に落ちて転がっていく。
四人目の男が襲い掛かってきたが、隼人は迫る鈍器を左手で払い除けながら、右手の拳で殴り返した。
「くそっ!」
一人の男が結依と菜月のほうへと向かおうとした瞬間、隼人が飛び掛かった。
男の襟首を背後から掴むと、引き寄せて、強烈な回し蹴りを放つ。
「がはっ」
男の腹部に隼人の足が突き刺さるように入り、身体が弓なりに折れ曲がった。
五人目は、飛翔の最高記録を樹立しながら吹き飛び、駐車場を転がっていった。
「逃げるぞ!」
残った男の一人が、そう叫んだ。
踵を返した男達は、リーゼントや金髪を放置したまま、バイクに飛び乗った。
隼人は追撃を考えたが、未だに車のアラームが鳴っている。
このままだとゾンビが集まってきて、なおさら収拾が付かなくなる。
舌打ちした隼人は、空間収納から鍵を取り出して車に乗り込み、エンジンを掛けてアラームを停止させた。
「結依、菜月、無事か」
車から降りた隼人が二人に声をかけると、二人は同時に小さく頷いた。
だが結依と菜月が、うずくまった桜井のほうに視線を向けた。
隼人が桜井を見ると、彼の苦悶の表情を浮かべながら左肘を押さえている。
――鈍器で殴られて、折れたか?
隼人1人に対して、10人同時は多かった。
単なる1対10なら余裕で勝てるが、結依と菜月を守りつつ桜井まで庇うのは、流石に荷が重い。
隼人が無言で立ち竦むと、桜井は無理に笑った。
「悪いな。ちょっと油断した」
一瞬迷った隼人は、やがて口を開いた。
「結依、菜月。車に自転車と荷を積んで、桜井さんをホテルに運ぶ」
「分かったわ」
「荷物、車に入れますね」
結依が桜井の下へ行き、菜月が転がっていた旅行鞄に向かう。
隼人は倒れた自転車を持つと、バックドアから車に積み込んだ。
最後に隼人自身も運転席に座ると、フロントガラスを壊されて前が半分見えなくなった車を動かして、駐車場を後にする。
周囲に5人ほどが動けず転がっており、ゾンビ達が近寄ってくる姿が見えた。
隼人がゾンビを排除した警察署は、また賑やかになりそうだった。
























