03話 瀰漫のゾンビウイルス
学校から出た隼人は、不思議な市内を目の当たりにした。
昼間なのに、車が道を走っておらず、人影も見当たらない。
路肩に停められた車や、動かないゾンビの姿はあって、学校で読んだ記録が事実であることを確信できた。
――神聖魔法なら、治療は出来る。但し、ゾンビに成る前に限るが。
魔素を用いるゾンビウイルスは、神聖魔法で魔素に働きかければ除去できる。
だがゾンビは既に死んでおり、ウイルスを除去しても、死体に戻るだけだ。
感染から死亡までは、噛まれてウイルスを送り込まれた程度にもよる。
1回噛まれた程度なら、一日から二日。
何度も噛まれた場合は、数時間から十数時間。
「ゾンビ化前なら治せるが、一生監禁されそうな気がしなくもない」
政府が隼人の存在を知った場合、伊豆大島あたりに監禁して、延々とゾンビ治療係を強いてくるかもしれない。
異世界ブラック帝国から追放されて、日本ブラック政府に監禁されるのは、はたして状況の改善と言えるのだろうか。
美少女限定でお医者さんごっこをする話であれば、少し悩まなくもない。
だが中年男性を相手に、「はい上着を捲って下さいね」とは、言いたくない。
医者とは、聖人君子ではないだろうか。
そんな失礼なことを妄想しつつ、隼人は自分の売り込みを止めておこうと、固く心に誓った。
――まずはスーパーに寄って、何か探すか。
略奪が横行したと記録されており、食料品が残っている可能性は皆無に近い。
残っているのは、スーパーにゾンビがぎゅうぎゅう詰めだった場合くらいだ。
そのような場所にある食品を口にするのは躊躇われるが、残っているのが缶詰であれば、頑張って食べられるかもしれない。
幸いにして空間収納の中身は無事なので、食料や水には余裕がある。
空間収納には、帝国軍の1000人が1ヵ月行軍できる食料や水を入れており、残りは3分の1ほどになっていた。
水桶、塩袋。
ライ麦パン、チーズ、乾燥肉、乾燥果物が入った木箱。
槍100本、弓300張、弓掛300個、矢筒300個、矢4000本。
4人用テント260セット、毛布1040枚。
オイルランプ1040個、植物油(ランプ1日8時間の使用で残り10日分)
そして異世界での隼人の私物。
もしも「お前は一体何と戦っている」と問われたら、「魔王軍です」と言い返す所存である。
だが手持ちの物資には、飴もチョコも無い。
――あの頃、槍と交換すると言われたら、何本か横流しをしたかな。
戦場故、何本か無くなっても、戦闘で消費したのだろうと見なされた。
中世レベルの国家の軍隊など、どんぶり勘定である。
周囲には静寂が広がっており、ゾンビも歩いていなかった。
だが騒げばゾンビを引き寄せるので、隼人は足音を消して静かに歩んだ。
やがて、スーパーの入り口が見えてくる。
車をぶつけて壊したのか、シャッターは破られていた。
「世紀末だなぁ」
隼人はスーパーの入り口に立ち、深呼吸する。
スーパーの中は、薄暗く荒らされた跡が広がっていた。
隼人は槍を握りしめ、静かに内部へと足を踏み入れた。
――ゾンビが潜んでいるようだな。
薄暗い通路を進む、数体のゾンビが商品棚の間をうろついているのが見えた。
隼人はその場に立ち止まり、店内を見渡して、新たな戦場を確認した。
棚の間にいるゾンビの数を把握し、邪魔になる棚の位置を頭に入れる。
――4体か。
槍の握りを確かめながら、隼人はゾンビとの間合いを計った。
そして息を止め、次の瞬間には駆け出していた。
振り上げた槍を素早く振り下ろして、一体目のゾンビを叩き潰す。
ズガンッと、派手な音が店内に響いた。
その音に反応した複数のゾンビが、一斉に呻り声を上げ、迫ってくる。
隼人はバックステップを踏んで槍を構え直し、次々と槍を振う。
槍が空気を裂く音と、頭蓋を砕く衝撃音が、静寂を引き裂いた。
――狭いな。
槍を振るうには、空間が狭すぎた。
隼人は棚にぶつけないよう、上から槍を振り下ろす形で、ゾンビを叩いていく。
3年前であれば、攻撃を躊躇ったかもしれない。
だが異世界で培った知識と戦闘経験は、人の原形を保つゾンビを容赦なく打ち砕いていった。
最後のゾンビを倒すと、スーパーには再び静寂が戻っていった。
「ゾンビが居たなら、何か残っていないかな」
槍を収納した隼人は、手持ちのオイルランプで薄暗い店内を照らしながら、棚やカウンターを覗き込んでいった。
棚は綺麗に空っぽで、何も残っていないことは一目瞭然だった。
食品のみならず、割り箸や紙皿、調理器具、ラップなども見当たらない。
辛うじて見つかったのは、僅かに残った掃除用具だけだった。
掃除用具は食べられないし、さほど消耗もしない。
持ち帰る優先順位を考えた結果、略奪者が持ち帰らなかった物なのだろう。
――俺は持ち帰れるが、何かの役に立つかなぁ。
隼人は悩みつつ、異世界では目にしなかった掃除用具を空間収納に入れた。
ほかの商品は、何も見当たらなかった。
――家に帰るか。
呟いた隼人は、踵を返して外に出た。
そしてゾンビがいたスーパーの中よりもマシな空気を吸い込み、吐き出した。
地球は大変なことになっているが、隼人も大変だった。
異世界召喚された人間で生きているのは、隼人だけだ。
地球の助けは無く、自力で生き延びた。
だからといって地球にも自助を求めるのは薄情だが、「ぼく日本製のゾンビウイルス除去薬になる!」とは思えない。
「どうしたものかな」
異世界から送還された初日であり、今後の方針など決まっていない。
そして両親は居ないだろうと思いつつも、一先ず自宅を目指すことにした。
家に両親が居たら、事情は話すつもりだ。異世界転移で力を得たからといって、自分の子供を売り渡したりはしないだろう。
居ないのであれば、仕方がない。
「避難所に居るとしても、合流はなぁ」
隼人は悩みながら、放置された車両の間を抜けて、自宅へと辿り着いた。
三年ぶりに見た自宅は、記憶にある姿のままではなかった。
玄関の鍵は掛かっていたが、窓ガラスが割られており、侵入された形跡がある。
隼人がスーパーに侵入した天罰だろうか。
もっとも時系列的には、自宅に入られたほうが先だが。
「ただいま」
3年前に所持していた家の鍵を空間収納から取り出して、隼人は家に入った。
1階を歩いてみると、あからさまに荒らされた痕がある。
冷蔵庫はドアが開きっぱなしで、調味料なども根こそぎ持ち去られている。
幸いだったのは、ゾンビ化した両親が家に居なかったことだ。
隼人は三年ぶりに自室へ戻り、やや荒らされていた部屋を眺めた。
「食べ物なんて、無いんだけどなぁ」
子供の部屋を荒らすのは、止めてほしいものである。
だが自分自身もスーパーで行った生存権の行使だと納得して、隼人は自室にあった私物を回収していった。
そして漫画に手を伸ばしながら、ふと考える。
「俺の漫画、無くなっているんだが」
どうやら家捜しした生存者が、一部を持っていったらしい。
渋い表情を浮かべた隼人は、自分のベッドを丸ごと収納して、家を出た。