29話 意趣返し
隼人は、菜月を隠した家から出た。
そして住宅街を迂回しながら、正面門側に移動する。
正面門を覗き込める位置を探すと、生け垣で囲われた家があった。
家に塀は無くて、代わりに低木を密集させて塀代わりにしている。
――そこで良いな。
隼人は姿勢を低くして生け垣に身を隠しながら、前方を覗き込んだ。
正面門前には、相変わらず高級なSUVが1台停車している。
門前には、首筋に大きな入れ墨をした男と、若そうな男だけが立っている。
高校と物資を取引していた集団のリーダーの鬼瓦と、昨年卒業した男の中学時代の同級生であった逸平。
3回目の取引で目撃して、菜月から聞いた男達だ。
――あと二人は、車内か。
残る二人は、隼人が知らない男達だ。
隼人が最初に聞き耳を立てたところによると、鬼瓦と順平が教師を誘き寄せて、残る二人は始末する役目だ。
そのため二人は、車内で待機しているのかもしれない。
門の横に伸びるバリケードには、ゾンビに噛まれた男子生徒が横たわっている。
その男子生徒は左足首に付けられた手錠で、バリケードに繋がれていた。
隼人が聞き耳を立てると、鬼瓦達の声が聞こえてくる。
「黒原が起きたみたいですね」
まるでお湯を注いだカップ麵が出来るかのような、気楽な声がした。
逸平が見下ろす先では、黒原と呼ばれた男子生徒が、僅かに手を動かした。
「寮の生徒も起きてくるな」
「はい、鬼瓦さん。生徒が起きたら、記憶で教員寮に向かうと思いますので、そっちも片付きますね」
「奇襲できなかった教師は、いくらか持ち堪えるだろう。削っておきたかったが、出てこなかったな」
「長くなると、ちょっと面倒ですね」
悪辣な会話に対して、隼人は冷静に聞き入った。
正義感に基づく怒りなどは、別に湧かない。
生物が生きるために食料を獲得するのは、自然な行為だと思うからだ。
食料生産が困難になった状況で、自分達が生存するために食料を得られる場所を獲得する行為は、理解不可能ではない。
――むしろ、当然なんだよな。
人間は、自分達と子孫の生存率を高めるために、群れを作る。
国家とは、人間が作る最大規模の群れだ。
現在は日本という群れが機能しておらず、より小さな群れが各々機能している。
今回の件は、鬼瓦達の群れが、霧丘農業高校という別の群れに戦争を仕掛けた。群れの規模を大きくすれば国家間戦争であり、人類はわりと行っている。
本件に関して、隼人の群れは「我々の取引相手を攻撃したことは、誠に遺憾」という立場になるだろうか。
これを見逃せば、隼人という国家の利益が今後も害される。
国家の代表は、自分は反撃するという態度で居ないと、国際社会で舐められる。国家のイデオロギー、政治的な観念や思想の問題であろうか。
――自分の行動に、適当な理由を付けただけだが。
そんな風に思いながら、隼人は前方の車を眺めた。
相手の車は、第二次世界大戦で連合軍に広く使われた、オフロード性能が高く、頑丈なフレームを持つ四輪駆動車の新型車だ。
装甲は一般仕様だが、走行性能と耐久性に優れているのは疑いない。
普通の車ですらヒグマの攻撃を防ぎ、逃げ出すことが出来る。隼人が襲っても、同様に逃げられる恐れがあった。
――顔を隠して、炎でいくか。
顔を隠すのは、教員棟から望遠鏡で見ている可能性に思い至ったからだ。
空間収納の個人空間には、隼人用のプレートアーマーが入っている。
そのうち頭部用のグレートヘルムだけ、顔に装着する形で取り出した。
意を決した隼人は、小さく息を吸い込み、吐き出す。
決意と共に民家から路上に移動して、音を最小限に抑えながら、道路を駆ける。その姿は、獲物を狙う猛獣のように静かで、鋭かった。
身体が風を切り、グイグイと大地を突き進んでいく。
そして車の真横で、ハイオクガソリン満載の桶を空間収納から幾つも放り出し、ジャンプして車の真上に跳び乗った。
「なんっ!」
鬼瓦が異音で振り返った瞬間、隼人は車の真上に居た。
車の上で、さらにガソリン満載の桶を放り出す。
身体は動き続けており、跳び乗った勢いを殺さないまま真上からジャンプして、道路に飛び降りた。
さらにガソリン満載の桶を放り出しながら民家に駆けて、塀の上に跳び乗った。
振り返った隼人は、両手に着火済みのオイルランプを取り出す。
揮発油の臭気が、周囲の空気を一変させていく。
「……止めっ」
「止めるわけがない」
隼人は、両手に持ったオイルランプを投げながら、塀の内側に落ちていった。
その動きを見た鬼瓦と逸平は、慌てて地面に伏せる。
刹那、車を中心に、家一件分にも匹敵する巨大な炎が膨れ上がった。
同時にドゴオオオンッと、巨大な爆音と爆風が発生して、正面門の周囲を根こそぎ薙ぎ払っていく。
隼人が隠れた民家の塀にも爆風は激突して、塀から上空へと突き抜けていく。
直撃を受けた車は何度も横転しながら、派手に吹っ飛んでいった。
身体を起こした隼人は、塀の上に跳び乗り、周囲を見渡した。
正面門は、地獄絵図に変わり果てていた。ガソリンと焼け焦げた金属の匂いが、辺りに強く漂っている。
――鬼瓦と逸平はどこだ。
二人が地面に伏せたのは、確認している。
しっかりと伏せれば、爆風が身体の上を流れて行くだろう。
隼人が逸平のほうを見ると、そこには爆風で転がった逸平と、手錠で足首を繋がれた黒原が、密着状態になっていた。
逸平は、黒原に噛まれている。
「ぎゃああっ、てめえ黒原、ふざけんなあっ!」
逸平は黒原を引き剥がそうと足掻くが、寝転がった状態で力を出せない。
一方で黒原は成り立てで、ウイルスに操られるまま、全力で噛み付いている。
その歯が逸平の右腕に食い込んでいるのを見て、隼人は片付いたと見なした。
次の瞬間、バンッと、空気を裂く鋭い音が響き渡った。
轟いた銃声に、隼人の耳が一瞬だけ鈍くなる。
続いて、左腕に鈍い衝撃が走った。
塀の内側に飛び降りた隼人は、身を隠しながら、左腕に目を向けた。
服の布地が裂け、赤い染みがジワジワと広がっている。
異世界で見慣れた、自分の血だった。
――鎧、全身に身に付けるべきだったか。
弾丸は、肉に食い込んでいる。
身体から弾丸を取り除かないままに傷を塞ぐことは出来ない。
隼人は右手にランプを取り出して、それを塀から投げた。
すると再び、バンッと銃声が鳴り響く。
「てめえ、出て来いっ!」
塀を挟んだ道路側から、鬼瓦の怒声が響いた。
この状況で、誰が出ていくだろうか。
鬼瓦の言動に対して馬鹿めと思いつつ、隼人は対応を考える。
「何しやがった!」
左腕に痛みは走るが、動きに支障はない。
ひとまず傷口を塞ぎ、解決してから再び傷口を開いて、銃弾を出す手がある。
――あるいは塞がず、速攻で片付けてしまうか。
そう判断した隼人は、瞬時に全身を金属板で覆うプレートアーマーを纏った。
鎧の金属はスプリング鋼で、軽量ながら高い防御性能を持つ。
革の層には衝撃吸収性に優れた魔物素材が惜しみなく使われており、金属板には腱や靭帯が薄く挟み込まれている。
自身の鎧を纏った隼人は、塀の端に向かってランプを投げ付けた。そしてランプが塀にぶつかった瞬間に、塀を跳び越えた。
鬼瓦は、音が鳴ったほうに向けていた銃口を慌てて引き戻す。
直後、三発目の銃声が鳴り響き、鎧に命中した銃弾が易々と弾かれた。
対する隼人は、何も持たない手を振るった。その動きに合わせて、虚空から槍が現れる。
鬼瓦の瞳が、驚きで大きく見開かれた。
「何っ」
穂先が鬼瓦の右手を激しく打ち据えて、銃を弾き飛ばす。放物線を描いた銃は、地面に落ちて、転がっていく。
穂先の動きは止まらず、滑らかな曲線を描いて、鬼瓦の喉元に突きつけられた。
鬼瓦は、全てが理解不可能だという、驚愕の表情を浮かべていた。
「なんだ、お前は」
「アステリア帝国軍、魔王強襲増強大隊、クマクラ特務大尉」
煌めく穂先が、鬼瓦の喉元を鋭く貫いた。