24話 裏切りの結果
夜空には雲が重く垂れ込め、月の光さえ遮っていた。
風はなく、霧丘農業高校の周囲は静寂に包まれている。
深夜2時を回った頃、その暗闇を切り裂くように、3台の車がゆっくりと霧丘農業高校の正門前に姿を現した。
先頭の普通自動車を運転する逸平は、慎重に夜道を進んでいく。
その後ろには、巨大な8トントラックが2台連なっていた。
それらを先導しながら進み、やがて停車した逸平は、ライトを消して車を降り、門へと駆け寄った。
「おい黒原、準備はできているな?」
降り立った逸平が暗闇の中に向かって、低く呼びかけた。
すると黒原が、寒そうに身を竦めながら顔を出す。
「もう30分以上は待っていたんだが」
「それは良い心がけだ。それで、問題は無いんだな?」
「いつも通りで何もねぇよ」
代わり映えのない日常に飽き飽きだとでも訴えるように、黒原は溜息を吐いた。
「そりゃご愁傷様だわ」
自分のほうは楽しいぜと言わんばかりに、逸平は笑みを浮かべた。
「俺らが中に入って、ゾンビトラックの荷台を開けて、トラックは置いたまま車に乗って逃げてくる。車が門から出たら、お前は外側から門を閉じて、外の車に乗る。そして遠くへ逃げて、成果を待つ」
「ああ、分かってる」
「黒原、下手を打つなよ?」
「勿論だ」
二人が打ち合せをしていると、後方のトラックから、二人の男が降りてきた。
肉体労働者の屈強な体格をした、強面の中年男性。
ラグビーでもやっていそうな、肩幅の広い大柄な壮年男性。
威圧感を漂わせながら歩み寄った二人のうち、壮年の男が問う。
「おい、逸平。どうだ?」
「はい、山下さん。特に何も無いそうです。すぐやれます」
逸平から山下と呼ばれた壮年の男は頷き、後ろに控える中年男性に報告した。
「小倉さん、いけるそうです」
小倉と呼ばれた中年の男は、報告した山下に頷いた後、逸平と黒原を一瞥した。
そしてアゴを上げてやれとジェスチャーした後、トラックに戻っていった。
山下も逸平に目線で合図を出した後、トラックに戻っていく。
「……あの人達は?」
黒原が恐る恐る尋ねると、逸平は短く告げた。
「うちの土建屋の専務と係長。ちなみに鬼瓦さんが社長な」
そう言い捨てて、逸平も車に戻っていく。
それを見送った黒原は、門の重厚な鉄格子に巻かれたチェーンを外した。
そして鉄格子を押すと、高い門が静かに動いていく。
ゾンビを呼び寄せないために、軋む部分に油を塗っているのだ。
門が開くと、車列は静かに動き出した。
先頭を走る逸平の車が、トラックを誘導しながら校内を進んでいく。
校舎の隣にある寮へと続く道の脇には、拡張された小さな畑が続いていた。
少しでも食料の生産力を高めて、取引に使ったり、不作に備えたりしようという涙ぐましい努力の結果だ。
それが完成から間もなく、逸平達のグループのものになるということに、逸平は嘲り笑った。
「生き残りの女は使えるから、まあ良いんじゃね?」
はたして何人が生き残れるかは、逸平にも予想できない。
8トントラックには、1台につき50体ほどのゾンビが詰め込まれている。
ゾンビには能力差があって、新鮮なほど脳や身体機能が高い。そして逸平達は、新鮮そうなゾンビが徘徊するところで回収を行った。
100体のゾンビが、200人と鬼ごっこをするわけだ。
正面門にチェーンを掛けてしまえば、霧丘農業高校の内外を仕切る3メートルの高さのバリケードを越えられなくなる。
それで何人が生き残れるのかは、神のみぞ知る。
だが崩壊は必至で、200人の人間を殴り倒すよりも簡単に、食料生産地を手に入れられることになる。
なぜならゾンビは、生存者を見せれば簡単に誘導できるからだ。
「勿体ないけど、多いんだよなぁ」
逸平は慎重にハンドルを切り、車をさらに進めた。
寮の建物が近付くにつれ、車列はゆっくりとスピードを落とし始めた。逸平がバックミラーに視線を送ると、巨大なトラックが力強く続いていた。
寮の建物が目の前に見えたところで、逸平は車を脇に寄せて停車させた。
すると逸平の車の真横を、トラックが通り過ぎていく。そして追い抜いた二台が横並びで停まったところで、逸平は深呼吸した。
トラックの正面には、寮がある。
薄暗い寮の窓にはカーテンが閉ざされているが、1つ小さな明かりが灯った。
次いで、2つ目の窓にも明かりが灯る。
深夜2時に8トントラックを動かせば、重低音が響いて寮生の誰かは気付く。
トラックからは小倉と山下が降り立ち、荷台に駆け始めた。
「逸平、ライトを点けろ!」
山下が叫び、逸平は車のヘッドライトをロービームからハイビームに変えた。
すると車の前に並んだトラックの荷台の扉が、ハッキリと照らし出された。
「山下、手早くやれ」
「はい、小倉さん」
小倉の低い声と、山下の大きくて明朗な声が、立て続けに響いた。
二人が荷台を解除すると、金属が擦れる音が二度、ガチャリと響く。
荷台の扉を固定していたロックが解除されると、その中から微かだが、不気味な音が漏れ始めた。
唸り声、床を叩く音、そして無数の足踏みが、僅かに漏れてきた。
互いに見合った小倉と山下は、同時に扉を開いた。
その直後、異臭から逃げるように、逸平の車へと駆けていく。
二人を待つ逸平の瞳には、8トントラック2台に詰め込まれ100体近いゾンビが湧き出してくるという、おぞましい光景が映し出されていた。
ゾンビ達の目は虚ろで、皮膚は変色している。それらは逸平の車に照らされて、眩しそうに顔を揺らした。
「よし、上出来だ」
自動車の後部ドアを開けた山下が、逸平の手際を褒めた。
「山下さん、ありがとうございます」
逸平が礼を述べたのは、手際を褒められたからだけではなく、自分が大型トラックを運転できないからでもあった。
19歳の逸平は、そもそも大型免許を持っておらず、不慣れな8トントラックの荷台を開ける手際も悪い。
失敗出来ない場面であり、手際の良い小倉と山下に、危険な役目が回ったのだ。
山下に次いで小倉も後部ドアから乗り込んで、ドアをバタンと閉めた。
すでに寮からは、異変を知らせる叫び声が上がっている。
そんな声を上げれば、ゾンビが気付いて寄ってくるのは目に見えている。
ゾンビの獲物が居る寮を明るく照らし、寮生達を起こして騒がせることこそが、トラックのハイビームを付けた理由だった。
寮の獲物に気付いたゾンビ達は、車と寮のどちらに行こうかと、迷うように身体を揺らした。
「逃げるぞ」
小倉の冷徹な声が逸平の耳に届き、ブレーキペダルが離された。
ハンドルが切られてアクセルが踏まれ、切り返しながらバックして、車が正面門へと向きを変えていく。
「逸平、良い仕事ぶりだった」
「はい。小倉さん、ありがとうございます」
「段取りが良かった。それと黒原といったか。仕事が出来るなら、良いだろう」
小倉の言葉は若干足りなかったが、逸平には「黒原を使い捨てではなく、下っ端に入れてやっても良い」ということが伝わった。
グループの構成員として認められれば、グループの成果を分け与えられる。
食料然り、女然り。
前者はともかく、後者は霧丘農業高校において、黒原が教師達から禁止されていたものだ。同意があればさておき、強引には出来ない。
だから黒原は、逸平達に加担した。
「アイツには、まだ仕事が残ってますけどね」
ゾンビ達を引き離して車を進めていくと、門の前に黒原が立っていた。
ライトに照らされた黒原は安堵の表情を浮かべており、それが恐怖で引き攣る表情に急変した。
違和感を持った逸平がバックミラーを見ると、トラックのライトが照らし出す後方から、一つの影が付いてくる姿が見えた。
それはノロノロ歩くのではなく、車に付いて来られる速度で走っていた。
「後ろ、ゾンビ付いてきてます!」
逸平の声で、小倉と山下が同時に後ろを振り向いた。
そして異様な速度で追ってくるゾンビを見出して、凝視した。
「成り立てか」
小倉が短く呟く。その声には、わずかな苛立ちと焦燥が混じっていた。
成り立てゾンビ。酩酊した人間くらいの知力と身体能力を持っており、中には走る個体も居る。
新鮮なゾンビを選んだのは逸平達だが、新鮮すぎる個体が混ざっていたらしい。
「足も速いですね。陸上をやっていた奴か」
今のところ安全な車内にいる山下が、冷静に評した。
逸平はアクセルを踏み込み、車を加速させていく。しかしミラーに映る成り立てゾンビの影は、さほど引き離せていない。
そのまま正面門を通り過ぎた車は、少し10メートルほど先で停まった。
黒原は慌てて鉄格子を引っ張り、門を閉じようとする。
だが焦っているのか、黒原の手際が悪い。
ようやく門を閉め、チェーンを繋ごうとして、それを取り落とした。
焦ってチェーンを拾おうとした黒原は、次にチェーンを繋ぐ南京錠を取り落とした。失敗して焦り、それが次の失敗を生んで、動作ももたついている。
そして、ようやくチェーンを鉄格子に巻いて施錠しようとしたところで、突っ込んできたゾンビの手に身体を掴まれた。
「はっ、離せっ!」
叫んだ黒原は、ゾンビの手を掴んで引き剥がそうとした。
だが、生前には黒原よりも力が強かったであろうゾンビは、さほど衰えていない現段階でも、黒原の力を上回っていた。
引き剥がされずに黒原の服を掴み、引き寄せていく。
その様子を眺めた逸平は、後部座席の二人に問う。
「黒原が捕まっている間にチェーンに南京錠を付けるのと、このまま車を出すのと、どっちが良いですかね」
「……目的は、ここを手に入れることだ。山下、手伝ってやれ。俺が運転する」
「分かりました、小倉さん」
冷酷な提案に、冷徹な指示が続いた。
一斉に車を降りた三人のうち、小倉が運転席に移動した。
逸平は門に駆け寄って、直前まで終わっていた南京錠の取り付けを行う。
山下は鈍器を持って駆け寄り、黒原を無視して、逸平のカバーを行った。
「おい、逸平っ!」
助けろとすら言う余裕がない黒原に対して、逸平は無慈悲に告げた。
「下手を打つなって、言っただろ?」
そう言い残した逸平が踵を返して、車に向かって駆けていく。
それを山下も追い、左右の後部ドアから車に乗り込んだ。ドアが閉まった刹那、小倉がアクセルを踏み込んだ。
1人を乗せなかった車は、そのまま夜の闇の中へと消えていった。