02話 異世界からの帰還
隼人が目を開けると、目の前には見覚えのある風景が広がっていた。
そこは召喚された当時に在学していた高校だった。
「ここは、俺の教室か?」
隼人は、周囲を見渡しながら呟いた。
教室自体には見覚えがあるが、既に3年が経っている。
当然生徒は入れ替わっており、隼人の机が残っているはずもない。
昼間だが、人の姿はまったく見当たらず、静寂が教室を支配していた。
「土日なのかなぁ」
土日だったことは、むしろ幸いだったかもしれない。
もしも平日で、いきなり教室に中世ヨーロッパ風の礼服を着た男が出現したら、生徒達はビックリ仰天するだろう。
もっとも男子生徒の何割かは、内心で大喜びするかもしれないが。
――ちょっと期待に応えてしまいたくなるな。
注目を集めた隼人が『異世界で勇者様を探しています。どなたか来て下さい』と宣言すれば、ガタッと立ち上がる猛者が居るかもしれない。
もっとも実態は、日本の飲食業界にも匹敵するブラック企業であったが。
さらに言えば、自分自身では異世界転移などできないが。
そんな妄想をした隼人は、空間収納に入れていた3年前の制服に着替えた。
異世界の服装のままでは不審者だが、制服であれば生徒だと思われる。
真っ先に通報される不審者から、ひとまず話は聞いてもらえる状態になった。
「3年間のことは、どう説明しようかなぁ」
異世界に召喚されていましたと説明しても、相手は困るだろう。
そんな風に思って溜息を吐いた隼人は、今後を悩みながら廊下に出た。
建物は見慣れた校舎で、そのことには安堵する。
だが無人の校舎には、不安が募った。
その時、遠くから不気味なうめき声が聞こえてきた。
――何だ?
明らかに普通ではない声に、隼人は警戒心を抱いた。
土日の昼間の学校で、おかしな声を上げる人間は、まず居ない。
宿直の教師が体調不良でも起こしたのか、不審者でも入り込んだのか。
そういえば自分も不審者だったと思い出しながら、隼人は音のほうに向かった。
教師なら話が出来るし、ヒグマ並の身体能力なので不審者に負ける不安も無い。隼人が廊下の角を曲がると、そこにはゾンビが立っていた。
「うおっ!?」
隼人が相手をゾンビと判別したのは、異世界にはゾンビが居たからだ。
ゾンビは魔素で活動するので、人間を食わなくても良い。だが、ウイルスを感染させたいので、人間に噛み付いてくる。
そしてウイルスに感染すると、やがて死亡してゾンビに成る。
ゾンビは、最初は脳が腐っていないのか、酔っ払った人間くらいには賢い。
武器を使い、ドアを開け、隠れ潜み、奇襲してくる。
だが隼人が遭遇したゾンビは、ゾンビ化してから相当の時間が経っているのか、愚直にうめき声を上げた。
そして獲物の姿に目を見開き、大口を開ける。
「せっかく異世界から帰ったのになぁ」
また戦いかと思いながらも、隼人の身体が自然と動いた。
空間から引き抜いた槍が、流星の如き軌跡を描く。
瞬く間に頭部を破壊されたゾンビは、そのまま倒れていった。
「……はあっ」
倒れたゾンビを見下ろした隼人は、肩を上下させて、深い溜息を吐いた。
そして槍を収納しないまま、職員室へと歩き出した。
遭遇したゾンビは、ゾンビ化から数ヵ月は経っていた。
そんなものが徘徊していれば、普通は誰かが通報しているはずだ。
ノコノコと歩いているなら、数ヵ月単位で国が対応できていないことになる。
「職員室に行けば、情報が得られるかな」
流石に通い慣れただけあって、職員室の場所くらいは覚えている。
隼人が職員室に辿り着くと、鍵は開いていたが、人気はまったく無かった。
テレビがあったのでリモコンを押したが、テレビは付かなかった。
――電池切れとかじゃないよな。
テレビ側の電源も直接押してみたが、やはり付く気配は無い。
テレビから情報を得ることを諦めた隼人は、職員室を見渡した。
すると奥の一画に机の島が作られており、ホワイトボードが並んでいる。
そちらに向かうと、ホワイトボードには霧丘市役所災害対策本部、警察、消防、教育委員会、避難所などの連絡先が書かれていた。
そして組織名称の横には、×が付けられていた。
「連絡が付かなくなったということかな?」
勝手な想像だが、それは合っているように思えた。
だがホワイトボードには、それが書かれた時点で必要な情報は記されていたが、発生時点の情報は書かれていなかった。
誰もが知っていることは、わざわざ書き残しておく必要などない。
隼人が机上を眺めると、そこには事態をまとめたファイルが置かれていた。
「流石、教師」
隼人は素直に感心しながら、そのファイルを開いた。
最初の日付は、隼人が異世界に召喚された3年前頃だ。
全人類の一部が、世界規模でゾンビ化していったらしい。
「……はぁ?」
どうしてそうなったと、隼人は呆気に取られた。
記録では「未知のウイルスが、大気中に広がって感染した」と推定されている。
おそらくゾンビウイルスのことだろう。
だが隼人の認識では、ゾンビウイルスはゾンビが人間を噛んで広げるものだ。
ゾンビウイルスの活動に必要な魔素が濃ければ、魔素を介した感染は起こる。
しかし世界規模というのは、異世界の常識では有り得ない話だ。
そのことを考えた隼人は、一つの可能性に思い至った。
――異世界では色々な生物が魔素を使っていたが、地球では使っていないとか。
ウイルスの活動に必要な魔素が、地球は大量に溜まっていたのかもしれない。
だから発生したウイルスが、魔素に乗って、世界規模で爆発的に広がった。
そして地球の人類は、ゾンビウイルスには免疫が無かったならば……。
『魔素で爆発的に広がったウイルスに、一部の人間が感染してゾンビ化した』
有り得なくはないと考えた隼人は、記録の続きを読んだ。
発生したゾンビによって、世界は混乱を来したようである。
成り立てゾンビは、見た目こそ普通だが、酔っ払いの動きで、会話も出来ない。
異常行動は一目瞭然だが、初期の見た目は人間であり、ゾンビを知らなければ、既に死んでいるとは分からない。
家族がゾンビ化すれば、最初は殴り倒すのではなく、噛むのを止めてと無意味に説得を試みたかもしれない。
そして噛まれた者がゾンビ化して、ゾンビは世界に広がっていく。
「銃を持つアメリカでも、ゾンビは抑えられないよなぁ」
成り立てのゾンビは、最初は脳が駄目になっていない、
そのため初期はふらつきながらも走れて、武器も使える。
民間人が銃を所持できるアメリカでは、ゾンビ側も銃をバンバン撃てたわけだ。銃で人間を倒して噛み付けば、新たなゾンビが発生する。
軍人ゾンビは、ミサイルすら撃ったかもしれない。
酔っ払い状態でも、それくらいはできる。
ファイルに綴られた記録は、隼人の想像通りに深刻だった。
・発生から半年ほどで世界から燃料を輸入できなくなった。
・電気、ガス、水道、流通、ネットなどが止まり、都市部は物不足に陥った。
・農業や漁業が停滞し、工場の操業が停止して、食料生産も困難となった。
・1年を過ぎた頃から都市部で略奪が横行して、地方に波及していった。
日本が秩序を保てたのは、発生から1年ほどだったようだ。
自衛隊からもゾンビが出て、味方に向かって機関銃を乱射するのだから、混乱は必至であろう。事態の収拾など、付くわけがない。
各地に避難所が開設されたが、発生から1年半で食料すら運べなくなった。
隼人の母校も避難所に指定されたが、周辺は無法地帯と化した。
緊急車両への燃料供給すら止まって以降は、略奪者を止める者など誰もおらず、やがて避難所も不足する物資の調達を開始した。
少なくとも隼人が住んでいた霧丘市は、そのように記録されている。
「どこかでゾンビに入られたのかな」
職員室にあったファイルの記録は、1年前で途絶えていた。
どうやら地球は、ゾンビがはびこる世界と化したようである。
概ねの状況を理解した隼人は、職員室に残されていたファイルを閉じた。
「この状況で無事なのは、島とかかなぁ」
隼人が総理大臣の立場であれば、自衛隊の精鋭と共に避難する。
ゾンビが物理的に到達できない伊豆大島や八丈島などが良いだろうか。
自衛隊に島のゾンビを排除させ、農業を行わせて、ゾンビに奪われた日本列島を奪還するのだと息巻きつつ、自分は安全地帯で悠々自適に暮らすかもしれない。
八丈島は温かく、魚も沢山釣れるだろう。
――召喚される前は、釣り動画とかも見ていたなぁ。
そんな風に思い出しながら、隼人はゾンビしか居なさそうな校舎を出た。