19話 車の再始動
相当量のガソリンを入手した隼人は、田園地帯へと移動した。
バッテリーの交換作業を試みたいが、ゾンビの密集地帯ではやりたくない。
記憶に有る限りの田舎へと向かい、自転車を降りて草が生い茂る田んぼを歩き、その真ん中辺りで、空間収納から車を取り出した。
そして視界が開けた場所で、バッテリー、ラチェット、レンチを出す。
「本当は修理工場とか、学校の体育館とか、屋根がある場所が良いんだけど」
修理工場はゾンビが飛び出してくるかもしれないし、体育館は避難者が居るか、崩壊していればゾンビが詰まっている。
どちらも駄目だと思いながら空を見上げれば、どんよりとした雲が、重そうに浮かんでいた。
まるで、雨を降らせて身軽になりたいと言っているかのようだ。
――水が不足している避難者は嬉しいかもしれないが。
市内の生存者で多数決を取れば、降らせる希望が多数派になるはずだ。
多数決を続ければ、毎日が雨に違いない。
まさに民主主義の横暴である。
「雨水を貯めるとか、有りなのか?」
屋上にブルーシートを張り、傾斜を作って一カ所に落とし、そこにバケツを置いておく。
バケツよりも、ホームセンターで手に入れた新品の大きなゴミ箱のほうが良いかもしれない。
虫が入らないように、水だけを通す透水シートなどを上から被せれば、綺麗な雨水の獲得装置が完成である。
――湧き水が駄目なら、最悪はそれかな。
衛生管理を要することは、維持できる自信がないので、あまりやりたくない。
何もしなくて良い湧き水が、最高である。
そう思いながら、隼人はバッテリーの交換作業に入った。
まずはボンネットを開けて、古いバッテリーを外す作業に入る。
隼人はラチェットを使い、バッテリーのマイナス端子のナットを緩めて、しっかりと固定されていた端子を外した。
次いでプラスのほうも外し、バッテリーを固定しているクランプを緩める。
するとバッテリーの固定が外れて、持ち上げることが出来た。
「まあ、これくらいは流石に分かる……」
ちなみに、メモリーのバックアップ作業については、諦めた。
小林からは「走行に一時的な不具合が生じるかもしれない」と言われたが、現場猫的に、動けば「ヨシ!」ということにする。
隼人は古いバッテリーを田んぼに置くと、足元にあった新しいバッテリーの箱を開封して、バッテリーホルダーに収めた。
ピッタリとはまった後、先ほどとは反対の作業を行い、新しいバッテリーを取り付ける。固定を終えると、プラス端子のナットを手で締め、ラチェットでしっかりと固定する。
もちろん怪力で壊さないように、常識の範囲内で締めた。
マイナス端子も取り付けて、バッテリーの交換作業を終えた。
次はガソリンだが、そちらは複雑ではない。
空間収納からハイオクガソリンを満たした桶を取り出し、給油口を開けて、ホースとポンプを使って、ガソリンを注ぎ始めた。
溢れさせるわけにはいかないので、目視で適当に入りそうな量を入れる。
しばらく入れた後、給油口を閉じて、車内に乗り込んだ。
「さて、動くかな」
動かなかったら悲しいが、バッテリーやガソリンは手に入れたので、駄目なら次の車を探せば良い。
バッテリーの規格が合う車の制約はあるが、最初からやり直すより相当マシだ。
隼人はエンジンを始動させた。
すると始動音が響き、力強く動き出して、田んぼでタイヤが空回りを始めた。
「……すまん」
おかしなところで動かしたことを謝罪しつつ、隼人は車のエンジンを切った。
◇◇◇◇◇◇
直った車を収納した隼人は、結依の家に帰った。
作業が長くなり、外はすっかり暗くなっている。
玄関を開けて素早く入り、鍵を掛け、電気が付かない代わりの光源であるランプを出して、2階の結依の部屋へと向かった。
そしてドア越しに、中に隠れている結依に声を掛ける。
「帰ったぞ」
「……遅かったね」
隼人の声を聞き、相手がゾンビでも、避難所に居る家族でもないと分かった結依が返事をしてドアを開けた。
「バッテリーを探して、ホースとポンプを手に入れて、ガソリンを回収して、車を直した。今日は頑張りすぎた」
「そう。夕ご飯、用意しようか?」
「頼む」
隼人が戻って安全性の増した結依が、ランプで照らした階段を下りていく。
それに隼人も付いていき、ダイニングに移動した。
食事は、いつものライ麦パン、チーズ、乾燥肉、乾燥果物だ。
粉末ドリンクはあるが、お湯は無い。
結依はそれらを皿に載せ、粉末の緑茶を水に溶かして、形だけでも文明崩壊以前の食卓を再現した。
「いただきます」
「どうぞ」
自分の食事は終えていたのか、結依はお茶だけを口にした……かと思いきや、隼人の皿に載った乾燥リンゴを一つ奪う。
指でつまんだ結依は、少し眺めた。
乾燥リンゴは薄くスライスされ、しっかりと乾燥されていたため、見た目は小さく縮んでいたが、表面には微かな甘みと酸味の香りが漂っていた。
そのリンゴを口に入れた結依が噛みしめると、シャキシャキとした音が静かなダイニングに響き渡った。
噛むたびに、乾燥されたリンゴの甘みと酸味が口の中に広がり、結依の顔に一瞬の満足そうな表情が浮かんだ。
「おいしいね」
結依は、子供のように無邪気な顔を浮かべて、にこやかに言った。
そして乾燥リンゴを噛みしめ、最後の一口を飲み込んだ後、軽く手を拭く。
子供っぽいのか、上品なのか、よく分からない結依に隼人は笑みを浮かべつつ、改めて成果を報告した。
「ガソリンは、かなり手に入った。集められるだけ集めたら、出発したい」
「良いけど、どこに行くの?」
「どこが良いかなぁ」
現在の日本は、発電所からの電気供給が途絶えている。
八丈島などでは供給が続いているかもしれないが、少なくとも本州や四国、九州の大半では駄目だろう。
水力発電が続くところがあるかもしれないが、水力発電所もいつか止まる。
水力発電所で電気を作るタービンは高速回転するため、摩耗あるいは損傷する。オイルや部品交換が無ければ、故障してしまう。
また発電所の制御システムの電子機器も、バッテリーや電子部品の寿命がある。
放置すれば、早ければ数ヵ月から1年、通常で1年から2年、長く保っても3年ほどで終わりだろう。
そして文明が崩壊してからは、既に1年が経っている。
「エアコンは無い」
「寒いとつらいし、暑いのも嫌かも」
「東北と九州は、駄目か」
東北の冬は寒そうで、九州の夏は暑そうだ。
寒いのは、毛布を沢山使えば凌げるかもしれないが、雪が降って外が氷点下だと、寒くて大変だろう。
暑いのは、熱中症で死亡する人が居るので、気合いで耐えろというのも難しい。
エアコン無しで過ごすなら、ほどほどの場所を選ばなければならない。
隼人は少し考えた後、思い付いた候補を挙げた。
「長野県とか、良いかなぁ」
「どうして?」
「本州の真ん中で、温泉数は北海道に次ぐ第2位。天然温泉なら、水も得られそうな気がする。源泉からお湯を引き込むポンプが電気で、止まっているのかもしれないが……」
「駄目じゃない」
長野県は夏に涼しく、冬は温暖で、農業も盛んだ。
とても良い案に思えたが、最大の売りが駄目かもしれないという致命的な欠陥があった。
隼人は温泉を断念して、北でも南でもない地域を考え直す。
「長野県の南東に隣接した山梨県は、富士山と接していて、湧き水も豊富だとか」
「でも湧き水の場所、知らないんだよね」
「知らないんだよなぁ」
日本政府は、あらかじめゾンビ発生時の最終避難地を定めておき、それを国民に周知すべきではなかっただろうか。
人が押し寄せすぎるという問題が考えられるが、逆に人が減りすぎたときは、日本が滅亡するか否かの分水嶺になりかねない。
今更となっては、後の祭りだが。
「静岡県なら、長野よりも温暖かもしれない。海で魚も釣れるかも」
「別に良いけど、魚を釣れるだけなら、ほかでも良いかも」
「日本は島国だからなぁ」
日本では、海に面していない都道府県のほうが少ない。
海に面していないのは47都道府県のうち8県で、栃木県、群馬県、埼玉県、山梨県、長野県、岐阜県、滋賀県、奈良県だ。
なお、先ほど挙った長野県と山梨県は、いずれも面していない。
「三重県とかは、どうだろう。海に面していて、気候も温暖だと思う」
三重県といえば、学校で習う日本四大公害病の『四日市ぜんそく』が有名だが、元々は山の豊富な自然に恵まれ、広く海に面し、農業・漁業が盛んな地だ。
伊賀市があって、忍者も隠れ住んでいた。
現在の隼人の身体能力であれば、伊賀忍者に歓迎されるかもしれない。
「とりあえず、挙げた4つが候補でどうだろう」
「良いよ。直ぐ行くの?」
「いや、もっとハイオクガソリンを集めておきたい。それと交換できる物資を探して、霧農に植物の種とかと交換してもらってからかな。もう少し待ってくれ」
「そっか。うん、分かった」
隼人と結依は大雑把に、最終的に目指すべき候補地を考えた。
























