15話 星野菜月
2回目の物資を引き渡した隼人は、小林からガソリンの入手方法を教わった後、校舎から出た。
――持ってきたの、有効期限切れの湿布とかだけどなぁ。
隼人的には、大した物は持ってきていない認識だ。
それにもかかわらず、1回目は塩と引き替えにバッテリーについて教わり、2回目は薬局の余り物と引き替えにガソリンの入手について教わった。
隼人は貰いすぎの気もしたが、相手が物事を教える教師で、隼人が若いために、教師が生徒に教える感覚があるのかもしれない。
そんな風に考えながら校門のほうへ歩いて行くと、前方に見覚えのあるロングの髪の少女の姿が見えた。
「こんにちは、3日振りですね」
「そうだな。それにしても、奇遇だな」
前回は学校に来たとき、今回は帰るときだが、2回とも少女に会っている。
2回の訪問で、2回とも同じ生徒に合う確率は、はたして如何ほどか。
宝くじでは何等になるのかと妄想が脳裏を過ぎる中、少女が隼人に尋ねた。
「交渉は、上手くいきましたか?」
「ああ、順調だ。車は動かせるようになりそうだ。まだ課題はあるが……」
市内でバッテリーを探して、ガソリンを獲得するための道具なども探さなければならない。
だが、最終的にはなんとかなるだろうという認識である。
市内には沢山の車が放置されており、食べられないバッテリーも残っているはずなので、失敗しても再挑戦できる。
ガソリンスタンドの地下タンクからガソリンを抜くためのホースだって、どこかにはあるだろう。
地下タンクにガソリンが残っているのかについては、従業員がゾンビ化して、警察が回収し切れずに残った場所がどこかにはあると考えている。
「車が直ったら行く場所、決まりました?」
「いや、とりあえず川の上流が駄目ということだけは、理解している。その件に関しては、助かった」
「湧き水でも、駄目なところがありますから、注意してくださいね。ネットが繋がっていたら、どこが良いか調べられますけど……」
あいにくと1年ほど前に文明崩壊しており、電気も通っていないので、サーバに繋がらない。
スマホを充電しても、ネットの情報にアクセスできず、ダウンロード済みのアプリゲームくらいしか使えない。
「ちなみに水質が大丈夫なところで、覚えている場所ってあるか?」
「北海道の羊蹄山は、1日8トンの湧き水が出て、飲めると聞きました」
少女は考え込む素振りを見せた後、思い浮かんだ名所を口にした。
なお霧丘市は、本州にある。
海を隔てた遠い地を思い浮かべた隼人は、海の底にある青函トンネルを思い浮かべた。
「本州と北海道を繋ぐ青函トンネルって、車で通れたっけ?」
「駄目だったと思いますよ」
「すまん。せめて本州で頼む」
車で行ければ不可能ではないが、行けなければ不可能だ。
「それに北海道は寒そうだし、エアコンが無いと、どこで暮らすか悩むよなぁ」
「寒くても、暑くても、嫌ですよね」
「そうだな。それに教頭の大森先生から、避難者の受け入れは出来ないが、物資の交換は出来ると言われた。野菜とか果物の種を交換してもらったら、育てる場所も考えないといけな……」
隼人が話している間、少女の表情が一変していった。
目に冷たい光が宿り、顔が硬直して、それを見た隼人は口を噤んだ。
少女の雰囲気が変わったことに気付いた隼人は、自分の発言のどこが原因だったのだろうかと考えた。
おそらく「教頭の大森先生から、避難者の受け入れは出来ないが、物資の交換は出来ると言われた」であろう。
物資の交換については、それが目的だと前回説明しており、今更である。
であれば、避難者の受け入れ拒否しか考えられない。
――前回、管理されることがつらいという話に賛同していたな。
大森の方針は、『全体への食料供給を滞らせずに、集団を維持する』という点で、理に適っている。
少なくとも、第三者である隼人が聞けば、理に適っていると思う。
だが家族の受け入れを拒否される当事者であれば、どうだろうか。
方針を伝えられただけならば、あまり実感がないかもしれない。
だが実体験を伴えば、つらいという気持ちになるだろう。
――俺自身には、当て嵌めて考えられないが。
隼人は、自分の両親を探す気が起きない。
探し回って避難所で見つかり、どちらも存命であれば、もちろん喜ばしい話だ。
だが「それじゃあ一緒に暮らしましょう」と言われると、身体能力や神聖魔法、空間収納を使えなくなって、非常に困る。
両親が餓えたり感染したりして、止むに止まれず力を使えば、日本製の治療薬兼モルモットが必至である。
わざわざ探して、自分が大変なことになることは避けたい。
隼人は大前提として、自分の命が最優先だ。
そして両親の考えについても『生物の目的は生存して子孫を残すこと』なので、「子供の隼人が生き残って、子孫を残すことは、目的に適って嬉しいだろう」と、勝手に解している。
もしも両親が「人類のために日本製の治療薬兼モルモットになりなさい」という考えであれば、それはそれで「知らんがな」となる。
したがって隼人は、会わない現状が最善だと考えており、家族と暮らせなくてつらいとは思えない。
だが転移に纏わる力を持つ隼人は、特殊な立ち位置だ。
「俺自身は霧農に所属する気はないが、教師や生徒の家族も拒む方針は、色々とトラブルが出そうだな」
「そう、ですね」
少女の返答は、苦しみながら吐き出すように発せられた。
そして隼人が、おかしいと思う間に、少女の言葉が続いた。
「中に入れてもらえなくて、目の前で死んだ人だって居ますし」
単に入れてもらえない、どころの話ではなかった。
少女は、学校の方針で家族を入れてもらえず、目の前で亡くしたのだろう。
そのように隼人は察したが、もちろん口には出さなかった。
そして、代わりの言葉を紡ぐ。
「どこかに行けたら、行きたいか?」
「行きたいですね。もう、あまり帰属意識もありませんし」
少女は少し沈黙した後、小さく呟いた。
それを聞いて、隼人は内心で溜息を吐く。
少女が出て行かないのは、世界にゾンビが溢れているからだ。もしも出ていけば、どこかに立て籠もって餓死を待つか、道中でゾンビに噛み殺される。
二人が沈黙した後、校門前には、風に揺れる木々の音が響くだけだった。
遠くに鳥のさえずりが聞こえるだけの静寂の中、隼人は背負っていたリュックサックを降ろして、その中に手を突っ込んだ。
そしてゴソゴソと手を動かした後、それを少女に差し出した。
「取引。湧き水について教えてくれた対価だ」
「重」
首を傾げつつリュックを受け取った少女は、意外な重さに驚いた。
そして中を見ると、そこには容量の5分の1ほどを占める物資が入っていた。
ヘアケア・ボディケア・スキンケア1本ずつ、歯ブラシと歯磨き粉2セット、生理用品1袋、そして肝油ドロップ1缶。
「これは?」
「一応持ってきたが、配分で揉めそうだから、今回の取引には使わなかった」
「確かに、大揉めだよね」
隼人の説明に、少女は大いに納得した。
塩なら全員の料理に使えるが、消耗品は分けられない。
肝油ドロップは180粒入りだが、ラ・フランス風味の甘味で、甘味を手に入れられない現在は貴重だ。
200人の集団なので、もらえなかった20人は、根に持つだろう。
「もらいすぎじゃないかな」
「いや。川の上流で水を飲んで、腹を壊したら、大変な目に遭った。俺の健康は、そんなに安くはない。高額取引だ」
隼人の主張に、少女が微笑んだ。
「高額取引かぁ。取引かぁ。お互いの名前も知らないけどね」
「そういえば、そうだな。熊倉隼人だ。3年前に霧丘高校を卒業した霧丘市民」
なお、目下のところ空白期間3年の無職である。
働いていなかったわけではないが、履歴書に「帝国軍」とは書けないだろう。
「星野菜月。霧農の2年生。授業は実習だけになっているけどね」
隼人が名乗ると、少女も名前を名乗った。
そして、少し赤くなった顔で訴える。
「わたし、はじめて男の人にプレゼントをもらったんだけど」
「うん?」
「これは想定外だったかも」
菜月が言葉を濁したのは、シャンプーや、歯ブラシではない物についてだろう。
「それはすまん」
氷点下だった菜月の雰囲気は持ち直しており、隼人は謝罪の言葉を口にしつつも安堵した。


























