14話 霧丘農業高校
隼人が運んできた物資を並べ終わると、大森が空いている椅子に座り、隼人にも身振りで着席を促した。
それに応じて隼人が着席すると、大森は厳かに口を開いた。
「君が知りたいガソリンの入手方法は、帰り際に小林先生と相談してくれ」
「分かりました」
大森が職員室に居る小林のほうに視線を投げると、小林が右手を挙げた。
隼人が応じると、大森が頷く。
「さて、うちと取引関係になった熊倉君に、うちの現状を話しておこうと思う」
「はい」
職員室には、小林を含めて何人かの教師がいる。
だが内緒話ではないのか、大森は気にせずに話し始めた。
「まずは基本的なことだが、霧丘農業高校は、ゾンビの発生前までは全校生徒が450人ほどで、生徒の約7割が寮暮らしだった。寮生が多いのは、飼育している牛や農作物の世話をするために、自宅からの通学では大変だからだ」
隼人は前回来たときに、自分は霧丘高校を卒業したと伝えた。
霧丘高校は普通科で、隼人は農業高校について詳しくないと推察できる。
そのため大森は、基本的なことから話したのだろう。
実際に隼人は、寮生活や寮生活となる理由などは、知らなかった。そして話を聞いて、霧丘農業高校の現状について、朧気に想像が出来た。
――生徒が多いのは、寮があって、元々住んでいたからかな。
ゾンビが発生して、生徒が自宅から学校に避難してきたのであれば、同居している家族の姿が見当たらないのは不自然だ。
だが元から生徒だけで暮らしていたのなら、生徒だけで居ても不思議はない。
ゾンビが発生しても、その時点で家屋が壊れて住めなくなったり、電気・ガス・水道が停止したりはしない。
家屋が無事で、電気・ガス・水道が使えて、ある程度の食料があったのなら、人々は現状を維持しようと図るだろう。
実際に文明崩壊は、ゾンビが発生してから2年後だ。
想像を始めた隼人の様子を見ながら、大森は話を続ける。
「ゾンビが発生して、次第に燃料の供給が途絶え、流通が滞っていったが、うちは行政から水や食料の支援を得られず、自給自足を求められた。だが避難者も行政が指定した避難先に行ったので、なんとか成り立った」
「なるほど」
「ここでは食料を自給自足できる。すると生徒の保護者は、どうするかね?」
「食べ物を与えられる環境を用意できないなら、子供を引き取らないでしょうね」
まるで教師のような話し振りの大森に対して、隼人は生徒のように応じた。
隼人の回答は及第点だったのか、大森は頷いてみせた。
「農業高校に通う生徒の親には、一次産業の従事者も多い。寮から自宅に帰った生徒も、もちろん居た」
「確かに農業高校に進学するなら、家族が農業に関わっているでしょうね。ここに通っていた中学の同級生も、家に田んぼがありました」
実家が農業をしていれば、農業高校で得るよりも多くの食料が手に入る。
人間は米だけでは生きていけないが、米を作った上で、畑で野菜を育てている人と交換すれば足りる。
そして実家も、農業高校に通っている子供という労働力を欲したはずだ。
ゾンビが増えていく環境で、どれだけ維持できるのかは不明だが、寮から自宅に帰る判断をするタイミングは有ったのだろう。
「教師にも、家族のために帰る者がいた。今は教師と生徒で、200人ほどが暮らしている」
霧丘農業高校の現状は、その延長線上にあるらしくあった。
一息吐いた大森は、静かに話を続けた。
「霧丘農業高校は、外部からの避難者を一切受け入れない方針だ」
大森の言葉には、断固たる決意が感じられた。
隼人は眉を上げて驚いたが、静かに頷いて先を促した。
「ここで生産できる食料は、現在生活している教師と生徒200人の消費量と釣り合っている。受け入れるとバランスが崩れて、全体が餓える」
大森と教師陣は、生徒に農業を教えるプロだ。
食料の生産量と消費量は、事細かに計算できるに決まっている。
食料を切り詰めれば健康を害するし、病気になっても治療できない。
天候次第で不作になることも有り得る。
集団を維持している人間が、様々なことを考慮した上で「現状が限界だ」と断言するのならば、そのとおりなのだろうと隼人は解した。
「それに食料不足になれば、外へ調達に行かなければならなくなる。教師が生徒にそんなことはさせられない」
教師が生徒に危険なことをさせられないのは、法と倫理に基づく常識だ。
教師は、学校にいる生徒に対して監護責任や安全配慮義務があり、倫理的にも当然だとされる。
教員免許状を取得するまでに教育を受けるし、採用後も研修を受ける。
そもそも教職を目指したのであれば、理想や信念もあったのだろう。
教育と研修を受けた教師達が、集団で秩序を保った状態であるならば、ゾンビがはびこる環境に行けと言うことを躊躇うのは自然なことだ。
「先生達に行けとも言えない。そのままでは確実に飢え死にする状況なら、流石に迷うが、計画的に食料を生産すれば避けられるのであれば、そちらを選ぶ」
「それは当然の考えだと思います」
だから避難希望者を受け入れないのならば、それは極めて妥当な考えだと隼人は納得した。
隼人が理解する様子を見て、大森の口調は冷静に戻った。
「例外を作ると、際限がなくなる。教師や生徒の家族でも受け入れない」
「生徒の保護者も、受け入れていないのですね?」
「そうだ。保護者が来たら、持てる分の食料を渡して、生徒を引き取ってもらう。生徒を残すというのであれば、それは現状と変わらないので受け入れるが」
持てる分の食料を渡すのは、それを生徒が生産していることと、食い扶持が減ることが理由だろう。
食料は貴重だが、生徒を引き取りに来た保護者に食料を渡すことについては、隼人も違和感を持たなかった。
「……保護者がゾンビを引き連れていた場合は、門を開けない。迎えに来る時は、安全にやってもらいたいものだ」
過去には、ゾンビに追われながら学校に辿り着いた保護者が居たのかもしれない。
ゾンビに追われながら「早く子供を出して」と言われた場合、引き渡す教師も、引き渡される生徒も、困るだろう。
それに門を開けて、ゾンビが中に入ってきたら、学校中が大騒動である。
「さて、霧農の現状について説明しよう。我々が、何を作っているのか。つまり、熊倉君が物資を調達してくれた時に、我々が交換できるものの説明だ」
「なるほど、そういうことでしたか」
これまでの大森の説明について、隼人は完全に腑に落ちた。
つまり大森は、市内から湿布薬、サボーター、電子計測器、塩などを運んできた隼人に対して、「避難の受け入れは出来ないが、バッテリー交換の技術以外にも取引は可能だ」と伝えたかったらしい。
「霧農には広大な農場があり、季節に応じた農作物を生産している。例えば、水田では米を、野菜園では様々な野菜を育てている。果樹園ではリンゴやミカンなどを収穫し、きのこ園ではシイタケも育てている」
「この状況で、凄いですね」
ゾンビがはびこる世界で、様々な野菜や果樹を食べるのは、途方もなく贅沢だ。
隼人も異世界の糧食を持つが、農業高校が育てる作物とは、比べるべくもない。
そして農業高校が生産できる物は、それだけではなかった。
「霧農では牛も飼っていて、生乳を得られる。それをチーズやバターにしている」
「牛は、今も飼えているんですか?」
「敷地内には、飼料圃もある。それに牛の糞は肥料にできる。我々は、そういうことは専門だ」
「恐れ入りました」
隼人は、バッテリー交換の知識を求めて農業高校を尋ねた。
だがゾンビがはびこる世界において、農業高校で得るべき知識は、もしかするとバッテリー交換ではなかったのかもしれない。
そんなことを今更ながらに思い始めた。
「グラウンドは運動場として使っていたが、ゾンビが現れた後、周辺の土を運んで農地に変えた。それで生産量も増やしている」
「……学校のすぐ傍の田んぼからなら、可能か」
実際にやったというのだから、上手く出来たのだろう。
安全を優先しつつも、必要なことは行うらしいと、隼人は霧丘農業高校に対する認識を改めた。
「霧農の敷地内には川の水を引き込んでいて、農作物の生産には充分足りている。井戸水もあって、飲料水には困らない」
「天然の川から引っ張っているのは強いですね」
「それと太陽光発電があって、一定の電力も確保している。井戸水を汲み上げるのは電気ポンプだが、温室栽培や冷蔵保存も出来ている」
「文明、保てていますね」
「最低限だがね。実際、消耗品は足りていない」
「なるほど」
隼人はドラッグストアから回収した物資を想像して、納得した。
ティッシュペーパーやトイレットペーパーが無いと、困るだろう。
育毛・発毛剤などは諦めれば良いとして、生理用品なども必要に違いない。
隼人が消耗品を持ってきた場合、野菜や果物との交換は、喜んで行ってくれそうに思えた。
「敷地を覆うフェンスを補強したバリケードの資材は、生産物と交換で手に入れた物だ。いくつかのグループとは、今も取引している」
「理解しました」
何かを調達して、植物の種などと交換してもらうのは、有りかもしれない。
そんな風に隼人は考えた。
























