10話 霧丘農業高校への接触
屋根から降りた隼人は、軍事物資の中にある塩袋を1つ取り出した。
「農業高校は農作物を育てられるが、塩は用意できないだろうからな」
人間に必要な塩分は1日に0.5から1.5グラムとされており、間を取って1グラムとするなら、300人の集団では1日あたり300グラムが必要になる。
塩分は野菜や果物からは十分に摂取できないので、農業高校では入手できない。であれば隼人が提供する物資の一つとして、価値がある。
――異世界の糧食は怪しすぎるが、塩は差が無いし、賞味期限も無い。
そんな風に思いながら、隼人は塩袋を開けて中を確認した。
すると中には、地球と同じ塩が詰まっていた。
地球と異世界は異なる惑星だが、超文明が転移装置を設置して繋げたのならば、惑星環境が似ていても不思議はない。
元から似ているところを繋げたのか、わざわざ作ったのだろう。
目的は知る由も無いが、環境実験とかであれば、地球人も行っている。
それ故なのか、塩は同じ物だった。
隼人は交渉に使うつもりで、塩袋をリュックサックに入れた。
塩袋を詰め終えると、リュックサックを担ぐ。
そして農業高校に向かって、ゆっくりと歩き始めた。
――バリケードは、文明崩壊までに頑張って作ったのかな。
農業高校の敷地は、建設当初からと思わしき壁でグルリと囲まれていた。
それは農業高校で飼育している牛などを逃がさないためだろう。
それに木材を足して高さを増し、補強金属で連結させて、高いバリケードを作成したようだった。
「ここまでしっかりしていれば、ゾンビの侵入は防げそうだな」
隼人の力であれば壊せそうだが、普通の人間ほどの力しかなく、ろくに道具も使えないゾンビでは、突破は難しそうだ。
正面門前で助走を付けた隼人は、脇にある塀に跳び乗った。
そして敷地内を見渡したところ、校内を歩く2人組の女子と目が合った。
霧丘農業高校のものらしき制服を着ており、年齢も高校生くらいに見える。
そして突然現れた隼人に、目を見開いて驚いていた。
――霧農の生徒だろうな。
自宅に留まれない場合、母校に避難するのは、さほど不思議な話ではない。
ここの生徒ならば、農業高校に水と食料があることは、分かっている。
それに生徒が避難すれば、学校側も保護せざるを得ないだろう。
納得した隼人とは真逆に、2人は混乱を来していた。
塀の高さは3メートル近くあるので、そこに跳び乗る人間は、想定外のはずだ。いきなり学校の塀を乗り越えてきた不審者が、現在の隼人である。
ただし世界はゾンビに溢れており、単なる泥棒だとも思わないはずだ。
逃げ込んできた避難者というのが、順当な思考であろう。
もっとも隼人は、避難者ではない。
「すまないが、交渉をしたい。ここを管理しているのは先生かな。呼んできてもらいたいんだが」
隼人が呼びかけると、二人は顔を見合わせた。
そしてロングの髪の女子が、ボブカットの小柄な女子に指示を出す。
「未亜ちゃん、先生を呼んできて」
コクコクと頷いた小柄なほうの女子が、慌てて校舎のほうに走って行った。
それを見送った隼人が塀から飛び降りると、残ったほうはビクッと身体を震わせたが、逃げたりはしなかった。
勇敢だと感心した隼人は、怯えさせないよう補足する。
「塀に乗っていたら目立って、ゾンビが寄ってくるかもしれないと思った。脅かしてしまって、すまんな」
「そ、そうですね」
残ったロングの女子は、自分自身を落ち着かせるように、隼人の説明に納得してみせた。
「交渉って、何ですか?」
「ん、まあ良いか」
女子高生が、車のバッテリー交換の技術を持っているはずがない。
そのため彼女に話したところで、隼人が望む知識は得られない。
だが彼女は責任感なのか、不審者を監視するためなのか、この場に残っている。
教師が到着するまで沈黙して待つのは気まずいし、知られたところで困る話でもないので、隼人は説明することにした。
「車のバッテリー交換を教えてもらおうと思って来た。教えてもらう代わりに、物資を渡そうと思っている。だから、その交渉だ」
「車のバッテリーですか?」
「そうだ。市内の物資が、そろそろ無くなってきた。どこか安定して水が手に入るところに行くために車を動かしたいが、バッテリーが上がって動かない」
動機を詳しく話したところ、ようやく彼女は落ち着きを見せた。
そして隼人の言葉に関心を向ける。
「安定して水が手に入る場所って、例えばどこですか?」
「それは、川の上流がある山のほうかな」
具体的な場所までは決めていない隼人は、適当に言った。
すると彼女は、やや呆れた瞳を浮かべた。
「上流の水でも、細菌とか寄生虫がいて、飲めませんよ」
「ぐっ、そうなのか?」
女子高生に指摘された隼人はうめいたが、相手が農高生で、自分よりも詳しそうなことに思い至った。
「どうすれば良いんだ」
「濾過が無理なら、最初から綺麗な湧き水だと分かっている場所に行くとか」
「湧き水だと良いのか」
「水質検査で飲用可と調べられたところなら、大丈夫です」
「すごく参考になった。どうもありがとう」
「どういたしまして」
呆然としつつお礼を述べた隼人に対し、少女は心配そうな瞳を浮かべて応じた。
そして精神的な優位に立ったからか、まったく怯えを見せなくなり、気軽に尋ねてくる。
「今、どこに住んでいるんですか」
「元々の霧丘市民で、霧丘駅から3キロメートルほどの自宅」
「避難していないんですか」
「大規模コミュニティとか、管理されてつらいだろ」
コミュニティに所属している少女に言っても、共感は得られないだろう。
そのように隼人は思ったが、意外なことに少女は共感を示した。
「そうですね。つらいですね」
意外な反応に隼人が驚いたところで、遠方から先ほど走って行った少女が、後ろに教師と思わしき大人たちを連れて戻ってきた。
教師達は十人単位で小走りに近付いて来ており、鈍器も持っている。
――1人が相手なら、過剰じゃないかなぁ。
隼人は内心で呟いた。
来訪者など滅多に居ないので、大騒動となった可能性もある。
話を聞きつけたのか、生徒達もゾロゾロと集まってきた。
やがて隼人の下に辿り着いた大人達のうち、年配の男性が隼人に尋ねた。
「交渉をしたいと聞いたが?」
「はい。車のバッテリー交換を教えて頂きたくて来ました。こちらからは、塩を持ってくるとか、物資を提供できます」
隼人が担いでいるリュックサックを揺らしてみせると、年配の男性が頷いた。
「分かった。中で話を聞こう」
ここに荷物を持って来た時点で、隼人が実現可能なことは証明されている。
そして要求である車のバッテリー交換の指導も、大人が数十人居れば、誰も出来ないということはない。
交渉は、成立する可能性が高い。
年配の男性が踵を返して、校舎に向かう。
隼人は彼を追い、まだ警戒する大人達が後に続いた。
――ちなみに、ヒグマ並のパワーがあるけどな。
ヒグマは、鈍器を持った大人が10人で集まっても、おそらく勝てない。
包囲された意趣返しでヒグマ無双を思い浮かべながら、隼人は歩いていった。
隼人が案内されたのは、来客用の応接室だった。
革張りの立派なソファーと、セットであろうテーブルが置かれている。
壁には賞状が飾られており、表彰者が農林水産大臣などだった。
隼人は軽く頭を下げて、ソファーに腰を下ろした。それと向かい合う形で案内した中年男性が座り、付いてきた大人達が壁際に立った。
大人数だが、内容は交渉だ。
主要な人物が揃っていれば二度手間を省ける。
納得した隼人の様子を見てか、中年男性が口を開いた。
「私は霧丘農業高校の教頭で、大森という」
大森は、しっかりと隼人の目を見ながら話した。
丁寧語を使わないのは、隼人が若すぎるからだろう。
隼人は現在21歳だが、老け顔ではなく、隼人ほどの外見年齢の男子高校生は、農業高校にいくらでも居ると想像できる。
生徒に指導する教師をまとめる責任者が、生徒に丁寧語を使っていると、教師まで生徒に舐められかねない。
ましてゾンビがはびこる世界で、集団を指導することが求められる状況だ。
隼人は気にせず、自身も名乗った。
「熊倉隼人です。霧丘市民で、3年前に霧丘高校を卒業しました。ここに来たのは、中学時代の同級生が霧農に通っていて、色々と話を聞いていたからです」
「色々と言うと?」
「自給自足が出来る環境があると。だから誰か居ると思って、車のバッテリー交換を教えて貰おうと来てみました。塩は、こちらでは生産できないと思いまして」
そう言った隼人は、リュックサックを机の上に置き、中を開けた。
中には、空間の半分を占拠する毛織物袋があって、それを取り出して開けると、塩と思わしき白い粉が入っていた。
隼人が使用したリュックサックの容量は20リットルなので、半分は10リットルで、10キログラムほどの塩となる。
仮に農業高校が1日300グラムを消費するならば、1ヵ月分以上になる。
もっとも300人が居るとは限らないし、外で農作業をするのであれば必要な塩分量も増えるので、1ヵ月というのは勝手な想像に過ぎないが。
「凄い量だね。重くなかったのかい」
「実際にここまで来ていますから、大丈夫です」
隼人はヒグマ並の身体能力を持っており、空間収納を使っており、噛まれても治癒できるので、三重に大丈夫だ。
余裕綽々の表情を浮かべる隼人を見て、大森は深い溜息を吐き、しばらく考え込むように天井を見上げた。