第3話 オスロへ(その3)
ヒィースローからオスロへ空路約2時間余り。だが時差の1時間が加わる。
日本から英国までの疲れが取れないまま、深夜の移動はきついものである。
だが藤原はベルグからの話で道が開けたこともあり、苦にはならなかった。
ノルウエーのオスロは北欧最古の首都である。南北に百キロ近く走るフィヨルドの北端にあり、北緯六十度辺りに位置している。
針葉樹の森に囲まれ、なだらか丘陵地帯に広がる街並は北欧ならでは。バイキングのお国柄、ロマンに溢れた人々が造ったのであろう、住む者に安らぎを与える街である。
もうすっかり日の暮れたオスロ空港へ、藤原の乗った365便は滑り込んでいった。
ヒィスローから電話を掛けたベルグは、突然の電話を喜んでくれた。事情を話すと、彼は驚くべきことを聞かせてくれた。
ベルグ曰く、なんとNAJOCの主席工務監督は、藤原と旧知の間柄であると言うのである。
その名は Mr.H.Orsen。それは十年程前、オスロの船主がロンドンのコンサルと、トルコで貨物船を建造した。そのコンサルと藤原は懇意で、日本製機器の調達を任せてくれた。その際、オルセンは船主側の監督であった。
思わぬ幸運に恵まれた藤原は、何度もベルグに礼を言って、翌日彼と会うことにした。
10月6日日曜の朝、藤原は糊のきいた固めのベッドシーツに違和感を覚えながら、目を醒ました。土曜の夜、オスロへ入りホテルへチェックインしたのは、11時過ぎだった。
ベッドに入っても寝つけず、シャワーを浴びたら目が醒めてしまった。
それでも少しまどろんだが、気がつけば朝になっていた。
起き上がって厚手のカーテンを開けると、まだ明けやらぬ窓の外に針葉樹の森、ロンドンとはまるで違う風景がそこにあった。
古風な把手をして窓を開くと、シンと軋むような外気が入り込んでくる。その冷たさの向こうで、部屋の灯りを受けた木々の濃い緑が鈍く光っていた。
その清々しさに藤原は、身も心も再生されるような思いで、起抜けのけだるさはすっかりどこかへ消えていた。
(さて、勝負はこれからだ……)
と思うと、久しぶりの充実感を味わう藤原だった。
(つづく)
第4話、明日以降の掲載となります。
よろしくお願いします。 船木