第9話 ケンチャナヨ(その3)
話のあらましはこうである。
8月末、新日本は金栄社へ手付金を送った。
李社長が藤原に直談判して、それで上手く行くと言った。
だがいつ何が出来るのか、金にしか分からないと言う李社長に、上田は声を荒立てた。
「製作を始めると言うから送金したんでしょ。それからいったい、何をやってたんですか」
「いや金社長がケンチャナヨと言うので…」
李社長のその言葉を聞いて、上田も二の句がつけない。
事ここに至ってお先真っ暗では、やはり受けたことを悔やむしかなかった
(ケンチャナヨで、ここまで窮地に追い込まれたと知れたら、いったい専務は……)
「矢部さんは、何をやっとるんですか?」
「矢部さんは設計だけね。製造は、毎日朴が金に交渉して、少しずつ……」
それを聞いて、上田の心配した通り矢部の限界は如実だった。
それだけに8月の時点で光順社に切替えておけばと、悔やむばかり。
だが上田も悔やんでばかりはおれない。
まずは金社長に会うしかない。
そう思うと李社長との話は止めて、ひとり黙考を始めた。
オリオンの事務所には矢部と朴部長、そして金社長の3人が上田の到着を待っていた。上田は金社長と初対面だが、車の中で李社長から聞いたことを今一度聞いても仕方ない。
単刀直入、自分の思った通りをぶつけた。
「金さん、ここじゃなんだから、どこかで食事でもしながら2人で話しましょう」
塞ぎ気味の彼らを尻目に、上田は久しぶりに使うハングル語で金を促した。
まず驚いたのは取り巻きの三人、矢部は目を丸くした。
だがちょっと戸惑った金は、すぐに応じた。
「ネエ――、カプシダ」
そう言って、元気良く立ち上がった。
「それじゃ矢部さん、後は2人でやります」
上田がそう言うと、言葉の分からない矢部は立ち上がって、喰って掛かった。
「どうして2人なんだ、このプロジェクトの責任者は私だぞ、勝手なことするな」
そう叫ぶ矢部に、万を持して上田が言う。
「矢部さん、何言うてるんですか。私は専務から全権を任すと一筆もらっています。文句なら専務に言うて下さい。ほな失礼――」
この時、矢部はようやく事の重大性を認識したのか顔面蒼白。
更に抗ったら、上田は委任状を出そうと思ったが、効果は覿面だった。
(サラリーマン、幾らでも代りはいる)
そう喉まで出かかったが、そこは武士の情け、言葉を飲み込んだ。
それに、しくじれば明日は我が身という不安は上田も同じだった。
上田は事務所に矢部を残して、オリオンの車でホテルへ行き、チェックインを済ますと、金社長と2人でホテルのレストランへ入った。
この日は市内中心部のホテルは満室で、汝矣島のビジネスホテル・オリンピア。
いかにも日本風のレストランへ入りビールを頼んだが、上田に何の目算もない。
だが、
(考えても仕方ない、ケンチャナヨ――や)
と、自分に言い聞かせる上田だった。
(つづく)




