第6話 神戸六甲山(その3)
県名と県庁所在地の名が違うのは佐幕派の証だと、物の本で読んだことがある。
確かに兵庫県庁は神戸市で、その中心が三の宮駅で隣に神戸、更に兵庫とある。
六甲山が海に迫り、海岸との間に出来た神戸の街並みは、今もハイカラである。
8月17日日曜午後6時半、藤原は三宮駅から京町筋を経て、ポートサイドホテルへ入った。屋上に灯台がある老舗のホテルだが、六甲山と港を愛でるには最高の場所である。
間口の広いエントランスから奥にロビーがあり、ゆったりとしたカウンターが続く。照明も程好い加減で、従業員も常連の藤原に阿るでもなく、外連味のない接し方である。
ボーイに手を上げて奥へ向かうと、パーティー区画の一角に「英研同窓会様」とある。
ほのぼのとしたぼんぼり風スタンドに、小ぶりのテーブルが置かれ、その傍らにホテルマンと見間違うような黒服の鈴木が立っていた。
「ああ鈴木さん、ようおかえり」
藤原は相手が誰でも、たいてい「さん」付けで呼ぶ。
それが若い頃からの接し方である。
「どうも、ロンドンでは失礼しました」
「いやこっちこそ。円高、ほんまでしたな」
「ええ、でもまだ上がりまっせ。それはともかく、今日はほんと急ですいません」
「いやこの時期、海外からの客も少ないし、どうせ暇やねん」
実際藤原は笛吹けど踊らずというか、後手を踏んだ円高対策に頭を悩ましていた。後顧に憂いを残したまま会社を去ることなどできず、半期決算を前に多忙な日々を送っていた。
「そうですか、それなら良かった。実は先月同期の女連中が子育て卒業旅行とか言うて、ロンドンへ来ましてね。その時、なんか新居雅絵にも連絡がつくとか言うので、そんなら同窓会でもやろかって、なったんです――」
久しぶりに神戸へ帰ったせいか、鈴木は語尾の「す」が上がる言葉遣い。
懐かしいとは言え、中年男が使うのは聞きたくもなかった。
「どうせおまはんのことやから、なんか魂胆があるんやろ」
「ご明察――」
「なんやそれ……」
「実は彼女のことで、ちょっとお願いやらお話がありまして」
「なんやて、彼女の会社のこと?」
(なんてことや。行方知れずの雅絵が、この俺に願い事とは)
「いや、そんな恐い顔せんといて下さい。元はと言えば、私から……」
「なんやて、君から彼女に頼んだのか――」
事と次第に依っては帰ろうかと、頭に血が昇った。藤原が仕事に情実を交えるのを嫌うのは、鈴木も知っているはず。そう思うと我慢がならない。そのまま思いが顔に出ていた。
「まあ、ちょっとこちらへおいで下さい」
鈴木は手馴れたものである。
まともに返事も聞かず、藤原をロビー横の喫茶室へ誘った。
「本当はですね、上田君の話が発端で……」
「上田……、上田って、うちの上田かいな」
鈴木から意外な名前が出て藤原は訝しんだ。
だがこれが思ってもみない展開になろうとは、幼馴染への好で逆に気が立っている藤原には、考えもつかないことだった。
(第7話へつづく)
次の第7話、明日に続きます。
よろしくお願いします。船木