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「槿(むくげ)と桜」【前編】  作者: 船木千滉
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第6話 神戸六甲山(その1)

1985年9月22日、G5の財務大臣及び中銀総裁会議で発表されたプラザ合意、

NY Plaza Hotelで行われた会議は、日本の対米貿易黒字削減を合意したもの。

それまで\200/US$で推移していた円は、これ以後止めどなく円高に向かう。


昭和61年(1986)8月4日月曜日、藤原はソウルの金栄社宛L/Cにサインした。ラッシングベルトの注文、1隻4万5000ドルを、まずは2隻分である。


サインが乾く間、藤原はここまで来たという安堵感に浸っていた。

だが事は緒に就いたばかり。先の見えない不安感は拭えなかった。


オルセンの交換条件である最初の3万本は、この10月末に造船所へ納入せねばならない。


当初は、矢部の発案で取り寄せた10本のサンプルで、日本での製品化を目指した。大阪で金型を造りベルトの繊維を決め、春先には国産化の目途がついていた。


だが年明け早々ニュヨーク株式が暴落、円高基調となり日を追うにつれ高騰した。


 1月24日、1ドル198.0円

 2月10日、1ドル189.9円

 3月17日、1ドル174.8円


「先輩、来年は円高になりまっせ。欧米のエコノミストは1ドル百円だと……」

 ロンドンでの鈴木の言葉通り、円高は日本経済を根底から揺さぶり始めていた。


 日銀は公定歩合を引下げたが、東京株式市場は活況を続け、4月には1ドル168円。更に「円高は妥当」の米大統領コメントを受け、留まるところを知らない勢いだった。


 4月末、藤原は日本製開発の中止を決定。急ぎ韓国メーカーの調査を開始。以後矢部は、五月の連休も返上して韓国に出っ張った。その結果、ようやくL/C発行に至った。


「矢部さん、大丈夫でしょうな。私も見に行きたいが、足手まといやろから任せまっせ」


「はい専務、私が責任を持って完成させますので、どうかご安心下さい」


 直立不動で藤原の机の前に立つ矢部に、ようやく乾きあがったL/Cを渡しながら、藤原は念の為ひとこと付け加えた。


「あかんと思うたら無理しなさんな、相手は韓国や、一筋縄では行きまへんで」


「大丈夫です。オリオンの朴部長に管理させますので、まったく問題ありません」

 そう言って最敬礼の矢部を見るにつけ、その言葉と表情の奥に不安を感じた。


(なんで朴部長や……、まあ言葉も分からんのやから、彼に頼るしかないが……)

 ここは担当を上田に代えるべきかと、藤原は本気で躊躇した。


 かつて韓国の造船界が黎明期を迎える頃、藤原は上田をソウルに据えた。結局オリオン社を代理店にしたが、その間に上田は女性訛りのハングルを覚えていた。


(彼ならなんとか……、だがここは技術部の為にも、矢部を使うべきか……)

 と、思いは胸の奥に収め、藤原は矢部に命令を下した。


「それじゃ試験日が決まったら知らせて下さい。その時は私も行きますので」


「はい、ありがとうございました」

 そう言うと矢部は、肩を怒らせて退出した。


(つづく)


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