第5話 技術屋のせめぎ合い(その3)
もの造りの初手は、何事もコピーから始まる。とかく技術情報の漏洩は嫌われる。
だが実際にものを見て、それを単にコピーするだけでは、ものにならないのが常。
黒船が来て、百年も経たない内に戦艦大和を造った技術は、最早コピーではない。
実は矢部次長、自動車運搬船用のラッシングベルトを事前に調べていた。この手のものを作るメーカー、まだ日本に3社ほどしかない。それを彼は調べ上げていたのだった。
(藤原専務がNAJOCを訪問する)
その情報を村上部長に聞いた矢部は、あらゆる伝手を使って調べた。
あくまで矢部の上司は村上であり、彼の命令は絶対だった。
ある意味、上田の真の敵は矢部ではなかった。藤原を頂点とする技術部の人間関係は、中途採用の集団だけに歪な関係になっていた。
10月8日火曜の午後、藤原は夜のフライトでロンドンへ戻るべく、部屋で荷造りをしていた。そこへ日本から国際電話が入った。
「もしもし……」
「あっ専務、矢部です。技術部の矢部です」
「ああ、矢部さん」
「すみません、今よろしいですか?」
「ああ、良いですよ。こっちのファックス、読んでもらえましたか?」
「はい、ありがとうございます。前から自動車運搬船のラッシングベルトを、ものにしたいと思っておりましたので、本当にありがとうございます。これで製品化できます」
(こいつ、ほんまかいな……)
特段、藤原は部下を依怙贔屓する意識はない。
ただおべんちゃらと、嘘を言う人間は嫌いだった。例えそれで会社が幾ら儲けようが、その人間を評価することはない。その点、義兄の社長とは相容れないものがあった。
「ああそう……、それで」
「ええ実は、ベルトのサンプルが手に入れらないかと思いまして、この件NAJOCの方へ申し入れてもよしいでしょうか?」
「ああGood ideaですね。私から電話しときますから、ファックス入れて下さい」
「はい、分かりました。この件、秘書の方に御願いしてもよろしいでしょうか」
「ああ結構です。安岡君に頼んでください」
電話を切った藤原は、自分の判断が間違っていなかったと安堵した。
矢部は指示した内容を検討して、直ちに連絡してきたのである。
(それに比べて上田は何も言ってこん。何かと全部仕切ろうとするのはあかん)
ベルトを矢部に任せるという藤原の判断は、この時決定的なものになった。
その日、矢部は家に帰らなかった。
上田には文句を言ったが、やはり専務指示である。思いつきで電話して「Good idea」と言われた。これで上田を出し抜けると思った。
NAJOCの標準はドイツのDIN仕様。
これをJISに置換え、フックの強度計算をした。
日本で作る為に実物を手に入れる。典型的な製品のコピー手法を目論んでいた。
明け方、矢部は仕様書を仕上げた。これで同じものが国内で作れると確信した。
(上田に勝てる――)
そう思うと力が漲り、雄叫びを上げんばかりだった。
ただ原価や製造については、軽慮浅謀のままである。
(第6話へつづく)
第6話へ入り、舞台は神戸から韓国へ移ります。
今後とも、よろしくお願いいたします。 船木