石竜子少女2
木崎川の話を聞いた。
それは、俺が、殆ど当てずっぽうのように考えた、土着神に似た、でも似ていない。近しいものだった。
やはり、話は過去に遡る。
ここ、竪ら別市は元々、自然が豊かな地域だったらしい。俺からしてみれば、どこを見ても、どう振り返っても緑一色な、畑と、田んぼと、森林が行儀良く、不一致に並んでいるこの景色は、どこからどう見ても自然が豊かなのだが、どうやら昔はそれ以上だったみたいだ。これ以上とは、と、少し考えて、考えられそうにない事だと悟り、続きを聞いた。
竪ら別市の中心、今は、私立の大きな図書館がある場所には、大きな湖があった。
そして、時代背景は昔。大昔、100年も昔、彼女の母親の、おばあちゃんの、お姉ちゃんの、ひいおじいちゃんすら遡る程の昔の出来事だ。今以上に神や、仏が身近にあった時代だ。
そこを、その場所を、神として崇め、農業や、将来を確約しようと、心の拠り所にしていたのだ。その場所は、名前は、
水蛇神社。
なんとありきたりな名前なのだろう。
まぁ、背景として、山や自然に囲まれ、水があれば、様々な動物が生息している。その中には熊だって居ただろうし、猪も居ただろう。勿論、蛇だって。
彼女の話と、俺の知識から、蛇は水を司るものであると、知っているし、彼女にしてみれば体感している。
そんな訳で、蛇が存在している山と、湖と掛け合わせた水蛇信教があったのだ。
だが、時代は移り行き、変わっていくものである。決して、不変的なものではない。それは神とて変わりない。
土地の開拓が進み、別の地の人々が移り住み始め、大きく、人為的に変わり始めていた。それは勿論、神とてして崇めるものが居なくなったのもそうだが、それ以外に、自然として、誰が悪い訳ではない自然災害としてもそれは変化していた。
それは地震であったり、台風であったり。様々だ。
大きな湖でしかないその場所は、変わり行く環境の変化について行けず、水がなくなり、生き物がいなくなり、水が土に変わっていった。
そして、信仰する対象が、水では無くなっていった。
「そして、結果的に、私達一族・・・いえ、正確には私が依代となって、石竜子様への、過去の罪滅ぼしをしているの」
「石竜子・・・トカゲ? なんで、蛇を信仰してるのに、手足が生えてきてるんだ?」
「さぁね。でも、私が考えるに、干上がった水では、体が石みたいに乾燥して、その乾燥から逃げる為に手足が生えたんじゃないかって、思ってる」
「へぇえ」
「・・・何そのつまらない反応。私が折角、恥ずかしい、隠しておきたい事を話したのに」
「つまらないって言われても・・・」
つまらない以外の言葉では言い表せないだろう。
よく分からない、過去の話を引き合いに出されて、よく分からないまま体を犠牲にして、現在ぼっち高校生生活を余儀なくされている、その事に対して、つまらない以外の反応は示せない。まぁ、柊個人としてはお近づきになれたから、それだけじゃないんだけど。
まぁ、でも、実際はなっているものだから仕方がない。
彼女が、木崎川が隠しておきたい事を話してくれたのなら、こちらとしても、話したくない、隠しておきたい事を話さないと割に合わないだろう。
初めて見る、季節外れの彼女のコートに、隠すように身を包んでいる木崎川の愛おしい、恥ずかしそうな表情を見ながら、やはり、咳払いを一つ入れ、話し始める。
「実は俺、その手の話は信じない事にしているんだ」
一瞬で、彼女の恥ずかしそうな表情が一変し、眉を顰めた。
「信じないって、今、実際に、確実に、その手の話が事実として見えてると思うけど」
「あ、ああ、そういう話じゃないんだ。えっと、そうだな」
話してみる、と勢いづいたのは良いものの、いざ話すとなったらどうにも、どうにか、心苦しい、恥ずかしいものがある。
まぁ、だけど、だが、それは俺が思っている以上に、彼女が感じている感情なのだろう。中学2年の頃に書き示したノートを、再度開くような、そんな感情を抱きながら一つ、質問をする。
「木崎川さん、質問だ」
「なんでしょうか」
怪しげな、詐欺師でも見るような目つきで、彼女はこちらに顔を向ける。そんな、目で見つめられちゃったら、俺・・・と、脱線を修正する。
「この世界・・・は、少し行き過ぎだけど、この地域の主観は誰だろう」
「主観って・・・主観?」
「うん、主観。主観とも、主役とも、語り手とも言えるかな」
俺達を、彼女達を、個人として、個々として確認し、実在すると確証付けるのは誰であるのか、そんな国語のテストみたいな話。まぁ、出題者が俺なところで、作者の考えを求めなさいに似た、無知、無謀、意地悪に似た話であるのだが。
だが、彼女は意外にも、国語的に、才能があるようだった。この場合は、俺に対しての理解、が正しいのだろうが。まぁ、それはそれで嬉しい限りである。
「・・・人間ってこと?」
「うん、そう。正解だ。だから、少し、考えを広げると、この世界は俺達人間を中心に回っているんだ」
「それはイヤに横暴な・・・」
「この世界には語り手も、ナレーションもいないのだから、勝手に回らせても良いじゃないか。んでもって、数は正義だよ」
「・・・ねぇ、柊くんの言いたい事がわからないんだけど。それが私のこれに関係するの?」
「関係する。むしろ、答えそのものだよ」
そう、答えそのものなのだ。
俺は、そんな怪異とか、妖怪とか、怪物とか、幽霊とか、神様だとかは信じない。信用しないし、実在しないと考えている。だってそれらは全て、
「全てが全て、人間の意識が勝手に作り上げた妄想なんだから」
説明が悪いのか、話の繋がりが感じられないのか、飛躍しすぎているのか。恐らくその全部だろう。呆気としている彼女にわかるように、自慰行為に似た、柊の独り語りを辞め、真摯に話をする。
「知能があり、知識を蓄え、知性があるのは人間の専売特許だ。専売特許で、誰にも、他の生物、一つとしてそれは成し得ない高等なものだ。話すことも、語ることも、思いを馳せることも、明日を願うことも、昨日を悔い病むことも、それは人間の特許だ。言うなれば、それらは人間だけに与えられた特殊能力とも言える」
少し移動し、薄暗い教室の中で、黒板に向き合う。白いチョークを手に取って、一つの瞳と、1人の人間を描く。
「多分、聞いた事があると思うけど、僕達が僕達として存在している証明は、個人では出来ない。それは必ず、他人の確認が必要だ」
「存在の証明・・・」
「まぁ、でも、それは、それそのものとしては関係しないけど、今の事には当て嵌まる」
「・・・柊くんの言う、『その手の話』は誰かが、この場合は私達が確認して、認識して、存在すると確定しないと存在しないから、って事?」
「うん、そう言う事だね。シュレディンガーの猫的なね。居るかわからない。見ないとわからない。見ないとわからないなら、それは居ない事への証明にもなる」
「でも、私の石竜子様は、今、実際に、実在し、体感している訳だけど・・・」
「だから、その認識を改めれば良いんだ」
彼女が、まぁ、彼か、彼女か、彼等かは分からないが、まぁ、クラスの反応を見るに、大体全員なのだろう。
「認識を改めれば良いって、つまりは?」
「話は簡単。石竜子様を信じる人間が居なくなれば良いんだ。幾ら神様だとか言っても、元を正せば人間の思い込みの心だ。偶像だ。だから俺はその手の話は信じないことにしている。信じなければ、居ない事への証明だからね」
黒板に書いていた、中心に描いた彼女の周りの目を、斜線で全て消す。話は手っ取り早い。知るものが居なくなれば、知っているそのものが無くなるって話だ。
「・・・でもそれって無理難題じゃない?」
まぁ、それも真実である。
彼女の話が終わり、俺の話も終わり、彼女の変異も終わった。
周期的に訪れるらしいそれは、もう、この地域では馴れたものらしく、鏡や、姿が映るものの前に立たなければ、彼女の石竜子っぽさは映し出されず、ただの少しの熱っぽさと、気だるげな症状で終わるもので、それは担任の教師すら知っている事だった。
その後、何事もないように解散し、日を跨ぎ、火曜日になった現在。
彼女、木崎川さんは登校して居らず、いつも、絡みに行く場所は物静かな、空白になっていた。まぁ、学校生活で、おしゃべりをしている所は見た事がないので、いつも物静かなのだが。対照的に俺の席はそこそこ騒がしい。ずぅっと、無視されているので、それに反抗して1人で勝手におしゃべりをしているからだ。
まぁ、それは、昼休み、担任に彼女の話を聞きに行った帰りに、悪い方向で状況が変化するのだが。
腹の中で、おそらく消化されているであろう、ハンバーグに思いを馳せながら自教室に繋がる廊下を進み、よし、扉を開けばいつもの空間だ、頑張って友達を作るぞぉ〜、と意気込んで中に入る。
昨日とは違った異質な空気感を肌身で感じれた。と言うより、視覚で認識できた。
「そんな皆んなで見つめられちゃったら俺、照れちゃうなぁ」
おちゃらけるように、恐らくクラス全員に聞こえるように、そう話す。そうせざる負えない。何とも、この空気感は息苦しく、居心地が悪く、異質なのだから。
えへへ、と照れた仕草を見せていると、ガンっ、と穏やかではない音がクラスに響き渡った。俺と、他数十名がその音の発生源に視線を送る。
身長は、170前半と後半を行き来している俺より、頭一つ程、飛び抜けているので、もう巨人の域にいる彼は、記憶が正しければ、何時も男女数人を引き連れているクラスの中心人物。なんとか君だ。
ちなみに運動部に所属しているって話を小耳に聞いているのだが、どうにも、どうやら、その肉体は高校一年生を逸脱している程、筋骨隆々だ。ダビデ像と言っても過言ではないだろう。ダビデ像は別にマッチョではないが。
ズボンに手を突っ込み、机を蹴飛ばして立ち上がった彼との距離はそこまで遠くない。問題児は一番前の席になる、との話がある通り、彼との距離は恐らく、誰よりも近い。隣の女子より、つるんでいる友人より、今は、俺が一番近い。
俺の足元まで届く程に蹴飛ばされた机を、心の中で労わりながら、彼を見る。その視線はどうやら、間違えて蹴っちゃった、とかそんな不確かな心意気は感じられなかった。瞬間、一瞬だけ呼吸が出来なくなる。胸ぐらを掴まれ、そのまま壁に叩きつけられたのだ。なんとも暴力的な壁ドンだ。少しだけ浮かんだ、涙目で、クラスを見渡す。理解する。この場の敵は俺なのだと。
「テメェ、どんなつもりだ」
「ど、どんなつもりって言われても、こんなつもりなんだけど」
引き寄せられ、もう一度壁に叩きつけられる。胸ぐらを掴んでいる力が少しだけ増す。
「ちょ、もう少し、力を緩めてくれないかな? 別に、俺は男に言い寄られて嬉しい人間じゃないんだ」
思いっきり突き放される。
今度はぐいっ、と彼の整った顔が目の前に迫ってきた。額に血管が浮かんでいる。リアルに、ガチで、本気で怒っているようだった。
「転入生ってのは聞いてる。だが、だからと言って勝手に、いけしゃあしゃあと突っ込んでいい話ではないってのは分かるだろ」
まぁ、理解できはない話ではない。こちらの話に、素知らぬ顔で突っ込んでくるんじゃない、とかそんな話なのだろう。恐らく。
で、あれば、彼はこの場のヒーローだ。異端児である俺を、問い詰め、律し、元の日常へと戻そうとする正義の人である。本当に、ガチで涙目になっているこの状況でも確認できる。周りの彼等が、この彼に向けている視線は尊敬だ。
でも、だけど、そんなもので心を曲げられる程、人間としての強度が脆い訳ではない。
まだ目の前にある彼の顔を退かすために、彼の肩を押し、距離を置かせる。
「そんな転入生にどうこうされないといけないまで、子供みたいにほっといてるのはどこの誰だよ。知ってるか? 人を殺すのは凶器でもなんでもない、純粋な人の悪意だけだ」
そう言って、そう言うだけ言って、俺は教室を後にする。あぁ、午後の授業、これじゃあ受けられないよ。と、本気で悲しくなりながら、後ろ姿で、彼の言葉を受け止める。
「てめえに何がわかんだよッ!! 何が分かるんだよッ!!!」
クラスを、廊下まで響いた彼の言葉は、やはり、俺の心まで響いているのだろう。だって、恐らく、彼は正しいのだから。