石竜子少女
例えば、それが普通だとしたら、柊香奈太は今までの自分を疑わないといけないし、そもそもの問題として、神隠しみたいに意地悪で、普通では見れないものとして存在している事象に悪態を吐かないといけない訳である。楽しそうな事を何故、嫌味みたいに隠していたのか、と。
が、しかしである。
そんな筈はない。普通な訳がない。柊の普通を普通として仮定して良いわけではないのだ。個人的観測的な意見で。
そんな感じな訳で、柊は、同年代にしては、男にしてみては幾分か綺麗な手で、ボロボロに朽ちた彼女の脱皮殻に触れる。朽ち木のように少し触れただけでも崩れてしまうそれは、彼女の、柊の主観から見た木崎川の心のように思ってしまう。
何故、柊は、俺は、そんな彼女の脱皮殻を愛おしそうに触り、その触っている姿を、嫌悪の視線で見られなければいけないのか、順を追って説明しないといけない。本音を言えば、説明してほしいのは俺なのだが、まぁ、そんなことは言っていられないだろう。弁明したいし。俺は美少女に嫌悪の視線で見られることに興奮を覚える変態ではないのだ。
時間は1週間ほど前に遡り、俺が通っている高校の説明になる。
私立公里巳建学園と言えば、県の中でも5本の指に入るほどの進学校で、様々な事業、教育、イベントに力を入れているイケイケな高校である。そこに通う生徒は、将来を確約された、人生と言う名の敷かれたレールに沿って進む人間であり、まぁ、機関車と言っても過言ではないだろう。有機生物なので、環境的には悪いのが弱点である。
そんな優等生街道まっしぐらな学校である。であるが故に、そこに通う生徒は様々な人間が存在する。
中学生ながら様々な賞を受賞し、既に芸能界デビューしている奴や・・・まぁ、今は関係ないか。
そんな環境に置かせてくれた両親に多大な感謝をしつつ、人生において、分岐点となった彼女の説明に移る。
彼女の名前は木崎川さん。
うん、まぁ、うん。木崎川さんである。もちろん皆さん知ってるわよね? 的な感じで教師も、彼女もそれだけしか説明してなかったので、俺が、彼女に対する内面的に、知り得た情報はそれだけである。他には殆どを窓際の自席で読書に愛しむ文学少女、と言った所か。容姿はナイフを思わせるような鋭さと、刃物に映る輝き的な美しさがある美女なので、見ている分には滋養強壮効果がある彼女である。
入学し、初日の自己紹介でそんな説明なのだ。
はなからそんな物だと、そう言う物だと言っていた彼女の説明通りに、彼女を避けるようにして俺達の学園生活は回っていくのだろう。
・・・と、俺以外の人間は思っていたことだろう。残念ながら。
生憎と、この俺、柊香奈太は普通ではなく、寧ろ変な方である。天才的な変な人ではなく、夜道に出会ったら即110番するような変態の方に近しいので、そこまで胸を張って言えるものではないが、まぁ、それは中学卒業し、高校入学と同時にこの地域に引っ越してきたので、無知が故で許してくれないか、と口に出さずとも懇願し、お願いし、無理強いをする人間であった。
そして、俺は男であった。
そりゃ、彼女と比べたらどんな男も道草以下の、側溝で元気に逞しく、悪臭に飲まれて成長する雑草の如きですよ。でも、だからと言って挑まないのは漢が廃るでしょ? 的なサムシングで声を掛けた訳だ。
「どうも初めまして木崎川さん。俺は柊香奈太。フレンドリーにかなちゃんとでも呼んでも良いんだぜ?」
と。
まぁ、今思えば、もう少し良い言い方があったよね? と、夜、寝る前に思い出して枕に顔を埋めながら悶えるものだったと、実体験を元に反省しているのだが。
まぁ、結果は惨敗だ。
無視はされなかった。無視はされなかったが、至って普通な表情で「ごめんなさい、仲良くなれないです」と、断られ、席を立ってしまった。その後のクラス会には彼女は参加しなかったし、なんなら俺も周りのヒソヒソ声に過敏に反応してしまって、二次会には参加できなかったのだ。そんなに? と、当時の俺は悲しんだ。まぁ、今思えば多少は理解できるが、それでも多少だ。料理に使う隠し味ほどでしか同意はできない。
そこから俺の独りぼっち生活に拍車が掛かった。いや、拍車は掛かってないけどね。
初日、彼女に絡みに行ったのがタブーだったのか、クラス会に参加した時のヒソヒソ感は二日目でより一層増幅し、もう、内緒話どころの話ではなく、井戸端会議的な、世間話的な、感じで広まっているらしく、なぜか、心なしか、俺の周りの席は数センチほど、遠くなっている気がしている。気がしているだけなら、まぁ、気にしない方向で進めていきたいのだが、生憎と、俺の席はクラスのど真ん中だった訳である。一度、教卓の前に立って、発表した時に、それは気のせいでは無くなったのだ。磁力が発生しているのかな? と、時代の最先端なプロジェクターの光に照らされながら発表している時に思ってしまったのだ。何なら声に出していたまである。
ああ、やっちまったな、と土着神的な、その土地由来のアレなのな。と。何と無く、うっすらと理解してきた。
であるとしたら、ボッチ同士仲良くやりましょうや、とお昼休み、小さくかわいいお弁当を取り出した彼女の席に近付いたのが二日目。まぁ、案の定、
「あの、1人で食べたいからどっか行ってもらえますか?」と、琴のような綺麗な声色で言われてしまったら、まぁ一言「そこをどうにか・・・」と、食い下がる事しかできない。
「・・・そ」
と、一言言われ、席を立たれたのだが。立つ鳥跡を濁さずとはよく言ったもので、彼女が立った後の席には良い匂いが残っていた。まぁ、彼女は鳥ではないので、ことわざ云々はどうでも良いだろう。
悪いことしちゃったなぁ、と思いながら自席に戻り、近くの出来上がったグループに「あはは、嫌われちゃったかな?」と、言いながら弁当の蓋を開けた。・・・思い返すと結構やばいね、俺。まぁ、そんな俺だから今になった訳だから、良いのか。悪いのか。
そんな出来事が週末まで繰り広げられた。二日目のアレで、木崎川さんの食事の場所が教室ではなく、外のベンチであったり、広場だったり、変わっていった。まぁ、変わった原因は、毎回場所を突き止めて声を掛けていたのが原因だけど。いや、1人は寂しいじゃん? で、クラス内にもう1人、ボッチがいたら声を掛けるじゃん? 磁石のSとMがくっつき合うように、当然の摂理だと思うんだけど、と言った時の彼女のヤバい人を見る目は今でも忘れられません。
でもって、やっとこさ週末の金曜日、お昼休みの空き教室で、彼女が柊くんと喋らなくていいなら、別に・・・との、了承が出たので、今までの積年の恨み辛みを発散するようにマシンガントークで彼女に捲し立てる。
「でさ、その時、そいつが何言ったと思う? 『それは青いな』って空を仰ぎ見ながら言ったんだぜ? 何だそりゃって思うよな」
「・・・それは青いわね」
と、彼女も窓から空を見ながら言っていたので、そりゃ何だって思いました。
「君は・・・柊くんは私の事を知らないの?」
食べ終わったのか、木崎川さんは箸を置き、そう聞いてきた。
「うーん、知らないと言えば知らないかな。知ってる事と言えば君の苗字と、アスパラガスが好きな事と、意外と優しい所くらいだな」
「え、きも」
「え、ひど・・・」
人間とは、喉から発せられた音の振動を鼓膜で受け取り、脳味噌で理解するものなので、多少なりともラグというか、タイムラグがある筈なのだが、この時の彼女は世界記録を狙えるほどレスポンスが速かった。それに対しての俺の反応は日本とブラジルくらいのラグがあっただろう。
「そういう事じゃなくて、私の家とか、って話なんだけど」
「家とかって言われても・・・そんな会って1週間も経たずにご家族に紹介って、些か気が早すぎるじゃありませんかね・・・?」
「・・・」
しっかりと軽蔑の視線を向けられたので咳払いを一つ挟み、食べ終わったお弁当に手を合わせ、口を開く。
「全く知らないね。うん。実は、高校入学と同時にここに引っ越してきたからね。まぁ、何と無くは? 普通じゃないんだろうなぁ、てのは周りの反応で何と無く理解出来るけど、詳しくは分からないね」
「・・・そう。なら、改めて言うけど私に関わらない方が良いわ。それは私以前に、貴方にとっても・・・」
そんな彼女の言葉を俺はその時遮った。今思えばカッコつけずに最後まで話を聞けばこんなことにはならなかった訳である。
「でも、俺が君に興味があって話し掛けたんだから、家とか前後関係とかはどうでも良いよ。まぁ、ね? その、婚約者が居るとかなら話は別だけど・・・もしかして?」
「え、ええ。もちろんいるわ」
「なら、問題ないな。部活動とかって参加する気はないのか?」
「いるって話を聞いてなかったのかしら・・・」
ブツブツと文句を言いながら、視線を下に向ける木崎川さん。その頬は赤く染まっていた。それは恥ずかしくてなのか、それとも怒りの感情からか・・・おそらく後者だろうなぁ、と思いながら
「別に俺はメンタリストとかではないけど、さっきの言葉は嘘だろうなぁってのは分かるよ」
「そ、そう」
と、これが一昨日の話。そこから土日を挟み、あぁ、携帯の番号聞くの忘れたなぁ、暇だなぁ、と悶々としながら過ごし月曜を迎え今日に至る。あれだね、あの、月曜、つまり今日は祝日っぽくて休みだったんだね。そこそこの人数の同学校の生徒が居たから・・・と、思ってみたが背格好からして先輩だろう。祝日まで登校、ご苦労様です。まぁ、俺もだけどね。
そんな訳で祝日、授業もないし帰るかなぁ、と思いながら下駄箱で靴を履き替え、自分のクラスに入る。やはり誰も生徒は居ない。勿論木崎川さんの姿も。誰か一個人の情報をネットで検索するのは気が引けると言うか、そこまで良い気持ちのするものでもないので、彼女から何か言ってくれると良いなぁ、でもそれはそれでデリカシーがないのかなぁ、と思いながら十分ほど自席で「うぅ〜ん? うぅ〜ん」と唸りながら席を立つ。
一応の休みであるが、先輩達が登校しているのだ。保健室とか体育館とかは空いてるだろう。多分そのノリで図書室も空いてるだろう、と考え、折角の学校なのだし、有意義に過ごそうか、と同じ棟の三階に向かうことにした。
その道中、金曜日、木崎川さんと一緒に昼食をとった空き教室の前を通るので、ついでにいるかもなー? と、希望を含ませながらガラガラと遠慮なく扉を開けた。
瞬間、空気が変わった。
ほら、霊感がある人なら分かると思う、あ、絶対霊障に合うわ絶対、的な空気感になったのだ。霊感が無い人はお化け屋敷とかに入った時とか?
絶対的におかしい空気感で、幾分かコントラストが落ちた教室の中。まだ昼前だと言うのに帳が降りているのかと思う程暗く、青紫色な空間の中で、彼女は居た。彼女なのか、疑問を隠せないものであったのだが。恐らく彼女なのだろう。
一目見ただけではいつもの彼女だ。いつもの木崎川さんだ。
ざっくばらんに切った長髪は、歪な長さで顔の良さを引き立て、光を吸い込むような黒髪は、彼女の肌の白さをより際立たせている。切れ目がちな彼女の瞳であるが、それをより良く見せる放置山林のように長く綺麗なまつ毛。いつもの彼女だ。いつもな彼女である。普段よりは視線は柔らかいが、目と目があったら、一瞬でキツくなった。
だが、異質な空気感はそこではない。
全開まで開かれたカーテンは、端っこでこじんまりと纏められている。まだ季節は春なので、窓側の生徒が気を利かせて春風を遮らないように、との心なのだろう。まぁ、閉める理由がないってだけだと思うが。だが、今はその理由が、俺にとって、柊香奈太にとっては良いものとは限らなかった。
窓の外から差し込む、薄暗い青紫色の太陽光が、彼女を、そして俺を鏡のように反射し、窓に映し出す。
呆気に取られている香奈太の表情と、どう考えても人とは思えない、
縦長に映る瞳孔。
可愛らしいおでこから、見える首筋、肋骨までを薄く覆っている肌色の鱗。
窓際に腰掛け、窓枠に腕を置いている彼女の、見える肘から指先まで覆う鱗と、鋭く尖った爪。
そんな異形種な彼女が反射した窓に視線が移ってしまう。そして流れるように、窓に映っていた、木崎川と柊の間。どちらかと言えば木崎川の数歩遠くの場所に置かれている脱皮殻に視線がいく。
窓に写っている、って事は映し出される実体がある筈である。だが、柊がこの教室を開けたときには、そんなものはなかった。ただ一直線に窓側で外を見つめる木崎川を見ていたから、他のものが見えなかった。そんな訳でもない。間には何もなかったのだ。
だけど、視線を外せば、机が、そして椅子が後ろ側に片付けられている、中心部。木崎川寄りにそれがあった。
一歩、二歩、と近付き、しゃがみ、それを手にとる。儚く、そして脆い、砂のように解ける抜け殻があった。
ゆっくりと柊は顔を上げ、木崎川を見る。その表情は侮蔑や、軽蔑が混じった表情と、落胆、に似たような表情を受けべていた。
「・・・やっぱり。だから関わらないでって言ったのに」
と、そんな事を呟く木崎川をさて置いて、柊はぐわっ、と立ち上がり、一歩近づく。ぐいっ、と彼女を見る。
「え、えっと・・・木崎川さんって脱皮するんだね・・・その、デリケートな話、だよね」
と、1人で納得し、本当に申し訳無さそうに言う。
柊にとってしてみれば、真剣そのものであるが、木崎川にしてみればなんのこと? である。
「・・・へ?」
思わず疑問の声を溢してしまう。
だがしかし、固まっていた、そして蟠っていた話は、健康意識を高くした患者の血流みたいに清く流れ出し、少しだけ、少しづつ一歩進み始める。
柊香奈太は少し、いや物凄く、根本がズレていて、人の話を聞かなくて、自分の意見を押し通す人物であるが、少しだけ、他の人と比べると頭一つ分ほどでしかないが、イケメンであった。目でも、心でも。
呆気に取られた表情を見せた木崎川であるが、話を理解し、納得し、なぜなのか疑問に思いながらも、1人、クスッと笑う。少しだけ、綻んだ表情で、今度は柊の目を見て、
「やっぱキモい」
今日、この日から柊香奈太の日常は、日常ではなくなり、日常になっていく事になる。まず、始まりは爬虫類系美少女、木崎川さんだ。