世界最後の日の過ごし方 〜彼と過ごす最後の一日〜
今日、世界が終わるんだそうだ。
彗星が地球に直撃して。そんなのいきなり言われても困る。
でも、ゴネても仕方がないので彼に連絡した。
<今日世界が終わるんだって>
<…らしいな。どうする?>
少し躊躇った。
でも…
<…一緒にいたい>
<いいよ。おいで>
ラグのない返信。
…私は、彼が最後の瞬間を一緒に過ごしてもよいと思う女なのか。
そう思ってほっとして、一人暮らしの彼の元へ向かう準備を始めた。
…夫?夫はもうずっと愛人というか恋人の家で暮らしてて子どももいる。多分今も、その人と一緒にいるだろう。
…私たちは、ちょっと色々なしがらみで離婚できないだけだから。
少しだけお洒落をして、冷蔵庫の食料品をバッグに詰める。そして自転車に乗って、彼のマンションに到着した。
念のためエレベーターは使わず階段を登る。万一閉じ込められたら怖すぎる。
ピンポーンと鳴らすと、彼が顔を出した。
「いらっしゃい」
黒縁メガネの、真面目そうで穏やかそうな人。
それが私の彼…不倫相手だ。
もっとも私はこの人しか好きじゃないし、真面目に恋愛しているつもりなのだけれど。
多分この人も、私のことを真面目に好きでいてくれているのだと…思う……。
頷いてスルリと部屋に入った。
彼はフリーのライターだ。
何を書いているのか詳しくは知らない。でも、家にいることが多い。
彼の顔を見たらなんだか胸が詰まって、ぎゅっと抱きついた。彼が優しく抱きしめ返してくれて、身体から力が抜ける。
「好き…」
他に言うことは色々あった筈なのだけれど、出てきたのはそんな言葉だった。
彼の腕に力がこもった。
「僕も好きだよ」
躊躇いのない返事に安心して、身体を擦り寄せる。腕の力が更に強くなった。
うん。多分やっぱりきっと、愛されてる。
「……………する?」
熱のこもった低い声に、コクリと頷いた。
一息ついて、ぎゅっと抱きしめ合う。
熱い素肌の感触が心地いい。
夫とは、もう何年も前からしていない。
私にはこの彼だけ。
…私と夫は、お互いの不倫を認め合っている。家の都合で、書類上は離婚できないから。
これでも結婚した当初は、お互い努力したのだ。何かの縁で夫婦になったのだから、ちゃんと一緒に暮らしていこうと。
けれど数年して夫に好きな人ができて、私も夫のことをそういう意味では好きにはなれなくて。
やがて私にも好きな人ができた。
もう夫婦としては暮らせない。
そう思ったけれど、離婚もできなかった。私たちはお互い旧家の出で、家の都合で結婚したから。私たちの戸籍上の結びつきを解消することは、互いの親族から到底認めてもらえそうになかったから。
互いの家の影響力を知っていたので、逆らってまで離婚する気にはなれなかった。
けれど私たちも、できる限りは幸せになりたかった。だから話し合って、いくつか約束を交わした。
一つ、お互いの不倫相手を訴えないこと。
一つ、夫と不倫相手との間にできた子が、夫の子どもとしての財産を受け取ること。
これは、私と夫との間に子はいなかったから当然だ。
一つ、困ったことがあったら相談すること。
私たちは、別に険悪な訳ではないのだ。こんな話がざっくばらんにできてしまうくらいには仲がいい。
ただ…夫婦としては、上手くいかなかっただけなのだ…。
一つ目の取り決めもあって、私たちはお互いの相手と面識がある。
挨拶をしたのだ。
「この状況に納得してますよ」って。
夫の相手は、小さくて庇護欲をかき立てられそうな女性だった。もしかしたら、そういう振りをしているだけかもしれないけれど、そこは私が踏み込むことじゃない。
だから「可愛らしい方ですね」と言うに留めた。
夫は私の相手に会って「真面目そうな男だな」と呟いていた。
これでも一応夫婦なので、何か思うところはあったのかもしれない。けれどそれ以上は何も言わなかった。
夫も思っていたのだろう。相手を見定めるなんていうのは、自分のやるべきことではないと。
騙されて傷つくのも、時には仕方がない。そんなのは、その時になってみなければわからないことなのだから。
だから私たちは、お互いの相手をただ認め合った。
そんな訳で、私たちは夫や妻に内緒でこっそり不倫しているカップルとは少し事情が違う。
でも、どれだけ好きでもその相手とは結婚できないのだけれど。
とまぁ、そんなことは今さらどうでも良くて。
運動したらお腹が空いた。
「ごはん食べない?」
彼が笑った。
「あと一回してから」
珍しいこともあるものだ。
彼が何度もしたがるなんて。
でも嫌ではないので、ごはんは少し先延ばしになった。
家から食材を持ってきてよかった。
彼の家の冷蔵庫は、ほぼ空だった。
「何にもないね」
「ビールなら入ってるよ」
…そういうことじゃないけどまぁいい。
どうせビールも飲むし。
持ってきた肉や野菜でごはんを作る。
彼は私の作る料理を、いつもとても美味しそうに食べてくれるから、作り甲斐がある。
お昼は彼の好きなもやし炒めにした。
もやしがうちの冷蔵庫に入っててよかった。これが最後の食事になるかもしれないから。
「君の作るもやし炒めが、世界で一番好きだ」
しみじみと呟かれて「そこまでか」って思ったけど、もちろん悪い気はしない。ちょっと照れつつコクリと頷いて、私も食べた。
だって愛情入れてるもの
そんな陳腐なセリフは、流石に口には出せなかった。
食べ終わってリビングでいちゃいちゃしていたら、いつの間にかまたそういう流れになっていた。
人間、命の危機が迫るとしたくなるというのは、本当らしい。
いつもより激しく求められて、私も思わずいつもはしないようなことをしてしまった。
…何をしたかは内緒だ。
それが終わって。「汗が気持ち悪いね」って一緒にお風呂に入ることになって。案の定、お風呂の中でもまたしてしまった。
一度タガが外れると、中々元には戻らないらしい。
お風呂から上がってなんとなく寝室に行って、そこでもまたしてしまった。
本当にどうしちゃったんだって思うけど、世界最後の日にあれこれ考えてもしょうがない。
彼はしたいし私もしたい。
しちゃいけない理由も特にない。
なら、しよう。
そうなるのは仕方がない。
ふと、夫のことが頭に浮かんだ。
夫も今頃は、あの人や子どもたちと一緒に過ごしているのだろうか。
そうだといいな、と思った。
別に生まれ変わっても二度と夫婦になりたくなんてないけれど。今度こそはちゃんと好きな人と結婚したいけれど。
でも、もしまた夫に巡り合ったら、友達くらいにはなりたい。もしくは兄妹。
それくらいの関係が、私たちにはちょうどいい。
彼の手が、そんなことを考えていた私の頬に伸びた。
「何、よそ見?」
少し怒っているような、嫉妬しているような顔。
嬉しくなる。
「全然。私はあなたが大好き」
笑顔で答えると、彼が嬉しそうな顔で照れた。
「うん…僕も君が大好きだ」
引き寄せられて、いちゃいちゃして、更にもう一度した。
その後もいちゃいちゃしたりちょっと何かつまんだり、またエッチしたりして、彼との行為に夢中になっている間に外が真っ白く光ったと思ったら意識が消えた。
私が最後に覚えているのは、彼の肌の感触と、優しい笑顔。