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国虎の楽隠居への野望・十七ヶ国版  作者: カバタ山
四章 遠州細川家の再興
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山田家の選択

「無茶しやがって……」


 三日後、無事楠目城を落としたという報告を受け急いで駆けつけると、そこには疲労困憊した木沢家の面々 (除:木沢 浮泛)並びに杉原 石見守達がいた。こんな状態となるなら援軍を出しておけば良かったと思ったりもしたが、俺も俺で杉之坊 照算や阿弥陀院 大弐達突入組と共に残りの香宗我部家の支城を接収していたという事情がある。ただ、「接収」という言葉通り戦闘らしい戦闘はなく、城まで出向き降伏を受け入れるという作業であったのでこちらは楽なものであったが……。


 こう考えるのは、城を落とした結果こそ素晴らしいが、この力を全て使い果たした姿は戦として考えれば減点とも言えるからである。武道における「残心」ができていなかった。急いで駆けつけた俺達に余力が十分残っていたから事無きを得たが、例えば長宗我部のような第三者が漁夫の利を狙って攻め込んでくる、もしくは本拠地が落とされた事で山田氏の残党がブチ切れて襲いかかってくるという可能性がある。石見守のようなベテランならその辺りに気付きそうなものだが……上手くいかないものだな。


 それだけこの度の楠目城攻めは予想以上に激戦であったと言う。それはそうだ。敵が兵の動員をする前に襲い掛かったとは言え、仮にも山田氏の本拠地である。丘陵に築かれ、三つの曲輪で構成された堅固な城だ。そこら辺の砦とは違い、勢いだけで落とせはしない。ましてや本拠地である以上は普段から詰めている守備兵の数も多い。火器を使用して門を破壊したとしてもそれだけで勝利が決まる訳ではない相手と言えよう。


 しかもだ。雪ヶ峰(ゆきがみね)城を筆頭とした周辺の支城からの援軍を警戒しながらの戦いである。背後から攻めかかられないよう、兵を残し動きを牽制する必要があった。充分な準備も無しに無理に援軍に駆けつければ逆撃を受ける、と敵側に思わせる布陣を残しておく。結果、攻めに使える兵の数が減り、犠牲も多く出たという。相政の土佐入りに同行してくれた木沢家郎党の約半数が命を落とした。


 電撃作戦で本拠地を落とすという構想自体は良いと思うが、功を焦るあまり死傷者を増やすのは好みではない。しかも遊兵 (戦闘に参加できない兵)まで出している。これなら無理をせず支城から落とせば良かったのではないかと思うほどだ。


 ……そうか。逃げた中城城主の討伐が名目だったな。なら、犠牲前提となるが、やり方自体は間違っていないと言える。役目をしっかりと果たした以上は相政を褒めるべきだな。相政なりに考えて出した成果なのだから、今回は余計な事を言うのは止めておこう。


「相政、よく攻め落とした。見事だぞ。皆をしっかりと労ってやれよ。褒美として禄を増やす。数日体を休めた後には残りの支城も落とすから次も頼むぞ」


「ははっ!」


 相政の顔を見たが、晴れやかな表情をしているのかと思いきや、そうではなかった。いつも通りの通る声にも力が入ってなかったように感じる。仕方なかったとは言え、犠牲前提の作戦を決行した事を後悔しているような態度だ。亡くなった命は帰ってこないが、もし今回の経験が相政の成長に繋がるのなら、郎党達も少しは浮かばれるのではないか。そんな気がした。


「……さてと山田殿お待たせしました。何か言う事があれば仰ってください」


 楠目城攻略に参加した将に休息を取るようにと下がらせ、楠目城城主、いや土佐山田家の当主である山田 元義殿と相対する。彼は落城前に城からの脱出を試みたが、あえなく捕まった。中城の時とは違い、逃亡者を逃さないように厳重な警戒態勢を敷いたのが功を奏したそうだ。必要な措置とは言え、これも城攻略の負担の一つになったのだと思う。


 その分、二度と同じ過ちは犯さないと今度は中城城主も逃さなかった。しかし、中城城主は捕縛後も抵抗が激しく大人しくならなかったので、その場で殺したと報告を受ける。俺自身としては中城城主への拘りもなく、香宗我部からも以前と変わらず助命嘆願は出ていなかったという事もあり、それで終了。呆気ないものだ。一応死体は確認したが、ほぼ事務的な作業であった。その後は身包みを剥いで雑兵の死体と共に焼くという雑な扱いである。


 それはさて置き、今目の前にいる山田殿は、捕まって観念したというよりは不貞腐れているという方が正しい。城から逃亡をした割には命乞いを一切しないのは何故だろうか? と考えていると、俺相手と言うよりは、知らない誰かに言っているかのように話し出す。


「ふんっ。儂が茶や猿楽に現を抜かしていたからこうなったとでも言いたいのだろう。言っておくが武芸で腹は膨れない。公家趣味と言われようと山田家の発展のためには必要だというのがどうして理解できない」


「…………」


 驚いた。世が世なら一流の営業マンになっていたかもしれないと素直に思う。まるで商売人のような考えをしている。……と同時に、金勘定を嫌がる武士には受け入れられ難い考えと言えよう。


 しかし、元現代人である俺なら分かる。こうした公家趣味はこの時代では営業の武器となる。例えば千利休(せんのりきゅう)古田 織部(ふるたおりべ)といった人物が茶人として天下人である豊臣 秀吉に目を掛けられたのは有名な話だ。


 良い物を作れば勝手に商人が買い求めにやってくるなどあり得ない。市場への新規参入並びに商圏拡大には何らかの仕掛けが必要となる。俺の場合は食料買い取りという名目で商人を集めたり、値引き販売や根来寺との付き合いで取引を増やしていったが、山田殿は茶や猿楽等を通じてそれを行なおうとしているのだろう。やり方は違えど根底にある考えは同じと言える。


 今の態度はそうした考えを誰にも理解されずに拗らせてしまったという辺りか。気持ちは何となく分かる。細川 益氏様も似たような所があった。俺が写本を喜んでいるといつも嬉しそうな顔をしていたのを覚えているし、一緒に食事をした時には家臣の愚痴を何度も聞かされた。土佐は公家の五摂家の一つである一条家がある地だというのに公家文化が浸透する事もなく、尚武の心が根強く残っているのが原因だろう。教養人的な性格を持つ者には窮屈に感じるのだと思う。


「それで儂を殺すのか? 好きにすれば良い」


「それを殺すなんてとんでもない」


「……何か言ったか?」


「いえ。土佐の山猿とは出来が違うと思いまして……」


「なっ……何を言ってるんだお主は?」


「そのままの意味ですよ。山田殿が一〇〇人の首を取るより重要な事をしていたと私には分かります。山猿にはそれが理解できなかっただけでしょう」


「お主は本気でそれを言っているのか?」


 そこからは堰を切ったように諫言する家臣への愚痴が始まる。自身が後ろ手に縄で縛られているのを忘れているかのような状態であった。気付いた俺が急いで縄を解き急場凌ぎの食料と酒を渡すと、我が意を得たとばかりに益々加速する。


 感情が昂ぶっていたからか、話が前後したり同じ内容を何度も話すという事もあったのはご愛嬌だ。だが、俺が聞く限り山田殿の話は「どうして家臣から文句が出るのか理解できない」の一言であった。勿論、内容は彼の主観のみとなるので実際には違っている点もあるとは思うので、話を割り引くのは前提である。


 この戦国時代は基本的に食料が足りておらず、多くの民が飢えに苦しんでいる。特に土佐は平地が少なく食料の生産量は少ない。だが、山田家の領地は土佐第二の穀倉地帯という事もあり、生活に困り飢えるような者は出ていなかった。当然、重税を課したり強制労働をさせるという馬鹿な真似はしていない。これだけでも充分な成果と言って良い。


 その上で少しずつではあるが町を整備し、職人や商家を保護育成していたと言う。特に鎌倉時代後期より続く五郎左衛門吉光派の刀鍛治の職人の育成には力を入れていた。刃物は戦の際の武器になるのは当然として、生活に欠かせない物である。


 確かに公家趣味に傾倒するのは武士としては外聞が悪い。それは認める。しかし、それに傾倒するあまり借金を重ねるという訳ではない。むしろ海部刀や備前長船刀のようにこの地での刀を有名にしたかったのではないかという意図が窺える。家臣がそれを理解できないというのはちょっとどうかしていると本気で思ってしまった。


 ……俺も人の事は言えないか。奈半利で利益を出しても、本家の家臣にはそれを理解されなかったという経験をしているから似たようなものではあるな。


 止せば良いのに、こういう時、どうしても俺の悪いクセが出てしまう。


「今この場でこういう事を言うのは変ですが、安芸家に降りませんか? 山田殿の活動を全面支援しますよ。いや、むしろ安芸家なら山田殿は無くてはならない将となるでしょう」


「はぁ? お主は気でも触れたのか?」


「私は本気ですよ。どうせなら堺で茶を学んでください。生活面も含めて費用は全額安芸家で負担致します。そして土佐で茶樹を育てましょう。山田殿全面監修の元に土佐茶を売り出し、堺をあっと言わせるんですよ。心が躍りますね。あっ、勿論当初の目的通り、堺の商人と茶を通じて仲良くなり、刃物の営業をされても大丈夫です。職人の保護育成は安芸家でもしっかりと行ないますので御安心ください」


「待て待て待て、お主、儂にそれをやれと申すのか?」


「ん? 何なら猿楽の一座を運営して頂いても問題ありませんよ」


「……無茶ばかり言いおって。お主は本当に武家か? 商家でもそこまで言う者は見た事がない。こうなった以上は儂自身はそれしか道がないとは言え、お主は山田家自体をどうするつもりだ? 家の取り潰しでもするのか?」


 一瞬何を言っているか見当が付かなかったが、どうやら俺の誘いは山田 元義殿個人への誘いと受け取ったようだ。俺としては山田家の領地は全て安芸家で治めるつもりだ。そのため、山田家の一族郎党及び家臣に至るまで全て面倒を見る予定であったし、山田家が一丸となって文化事業に取り組んでもらって構わなかったのだが、そこではたと気付く。


 ──そう言えば、一族や家臣から公家趣味を辞めるよう諫言されていたと。


 つまり山田殿一人が文化人になる事に納得していても、山田家の一族等はそれには納得できないという意味である。彼らには武家の道を用意する必要があった。


「そう難しい問題とは思いません。嫡男に家督を譲り山田殿が隠居されれば良いだけでしょう」


「それで済むんなら、とっくの昔に儂は当主の座を家臣に引き摺り下ろされておるわ!」


 この時代の武家の当主というのは思った以上に軽い神輿であり、家臣から「資格無し」と判断されれば結託して当主から降ろされる。畠山家は極端な例だが、有名所では甲斐武田家辺りとなる。そういった前提で今の状況を見ると……


「嫡男も家臣からの評価は似たようなものですか」


「ああっ。儂より酷いぞ。早々に家督を譲って隠居したくともそれもできん」


「次男に家督を譲ろうとすると、嫡男は廃嫡に反対して今度は家を巻き込んだお家騒動に発展する……と」


「そういう事だ」


 要するに山田 元義殿の嫡男は、現当主に不満を持つ派閥の求心力になれなかったという事になる。当主の資格無しと思われているような人物が後を引き継いでも混乱の元になるだけで、何の解決にもならないと暗に言っていた。かと言って、次男を当主に据えると違った意味で問題が発生する。余計なしがらみも無く皆が納得できる別の人物を当主として用意しなければならない……何とも勝手な話だ。


 先程山田殿が言った「家の取り潰し」という言葉が良く分かる。こう面倒ならいっその事、残りの支城は後腐れなく破壊したい衝動に駆られるが、さすがにそれをすると今度は俺自身の悪い風評が立ってしまう。


「……なら、養子ですかね。安芸家の一族である畑山家に真面目が服を着た人物がいます。政務も武芸も怠りません。彼なら納得するのではないでしょうか? 俸禄という形となりますが、山田家の一族郎党全てが生活に困らない分は出しましょう。加えて安芸家の一門衆となる訳ですから、家中で山田家の者達が下に見られる事は無いと思います」


「なるほど、安芸家の一門入りか。その辺が落とし所だな。後はその養子が山田家の一族の娘と婚姻すれば皆も納得するか。よし、領地返上の件は儂が家臣達を説得しよう。『いずれ代わりの土地を与える』という方便に口裏を合わせてくれ。空手形で構わぬ」


 ようやく納得してくれたのか「やれやれ、これで儂もようやく隠居できる」と独り言つ。山田殿の姿を見ていると、戦国時代の領主というのは現代の中間管理職とどこが違うのか分からなくなってくる。俺も同じ立場であるので笑う事ができない。


 養子の件に付いては正式には評定を経てからとなるが、まず通ると見て間違いない。安芸家から見れば山田家の乗っ取りという形となり、一門が強化される事になるからだ。養子予定の畑山 元氏もいきなりの出世となる。悪い気はしないだろう。領地が増え、家臣団が強化されて万々歳。俺も念願の鍛治衆が手に入ってニッコニコ。


 ……と言いたい所だが、実は素直に喜べない。山田家の領地を手にする事により、ついに長宗我部氏の本拠地である岡豊(おこう)城までの距離が一〇キロメートルを切る圏内へと到達する。俺の宿敵とも言える長宗我部氏。運命を掛けた対決が着実に目の前へとやって来ていると痛感した。

ブックマークと評価ポイント、誠にありがとうございました。


土佐山田での鍛治は1590年に長宗我部元親が小田原征伐からの帰国の際に相川(新潟県佐渡)の刀鍛治職を連れ帰り、土佐山田近郷に住まわせたのが始まりとも言われているますが、実際には五郎左衛門吉光派の刀鍛治が1580年までこの地で活躍していたという事です。職人がいなくなった理由は分かりませんが、長宗我部元親は自ら失くした土佐山田の産業を復興したという見方の方が正しいと思われます。

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