精霊・クゥ
―――炎の闘士・カオスの遺跡を守護する、大きな風車がシンボルの村、〈エレ・ブランカ〉。
自然と共に生き、平和に暮らすその村の西方に、何とも似合いがたい真っ黒い戦艦が浮かんでいた。
その船体には、薔薇を纏う黒き剣が深く刻まれていた。
その中では、兵士たちはただ作業をこなしていた。
ただ一人―――中央に腰を据えている男を除いては。
「―――ネオ様」
一人の兵士が、中央の男に話しかける。男はゆっくりと、その兵士に顔を向けた。
「状況は?」
「ハッ。未だに異常はありません」
「カオスの遺跡は?」
「変わりありません」
「そうか。作業を続けたまえ」
男がそう言うと、兵士は元の位置に戻る。
他の兵士たちも、必要なこと以外は何も話さず、ただ作業を行っている。
すると、男がすっと椅子から立ち上がり、数歩前に出た。
そして、右腕を前に出し、何かを掴むように拳を握る。
まるで、先に見据えているものを手に入れるかのように。
「ようやく会えるな―――カオスよ」
その小さな言葉は、他の者の耳には届かず、ただ静かに消えていった。
その手首にある金色の腕輪の黒き石が、不気味な光を放っていた。
✤
「ただいまー」
アレンは、そっと家の扉を開ける。何かこそこそするような、そんな様子で。
まぁ、ある意味こそこそしてはいるのだが。
だが、家の中からは返事がなかった。
父・ランディは家を空けているようだった。
「父さん、出かけているのか」
アレンはホッと息を吐くと、そのまま階段を上がり、自分の部屋に入る。
そして、机に荷物を置き、そのチャックを開ける。
「ぶっはー!」
すると、その中からものすごい勢いで何かが飛び出してきた。
「あーきっつ!お前、荷物多すぎ!」
「しょーがないだろ!大体、この中に生き物入れる予定なかったんだから!」
空中で飛び回るそれは、白いイタチのような姿。
胴体は白く、瞳は黄金色。そして首には碧色の数珠。
目の前にいるそれは、この世界に数多く存在している精霊だった。
それも、ただの精霊ではない。
本来、自然界の中で生まれるはずの精霊の中で、唯一 この世界の神より生まれし精霊の王・〈星天精霊〉。
そう。今目の前にいるこの奇妙な白いイタチは、そのうちの一人である、〈大地と刹那〉を司る、クゥなのだ。
とは言っても、伝説ではその姿まで記録されていなかったので、出逢った時、すぐにクゥとは気づかなかったが。
・・・それに、白いイタチというのはなかなかパンチがありすぎる。
クゥと出会ったのは、つい先刻。この〈エレ・ブランカ〉が代々守り続けてきた東の森にある遺跡の中だった。
その遺跡とは、かつてこの世界を異界の闇から救った英雄、〈古代の十二闘士〉の一人である、炎の闘士・カオスの遺跡だ。
その遺跡が好きなアレンが、いつも通り遺跡に入ると、今まで見たことの無かった地下の部屋へと続く階段が現れ、その地下の部屋にあった水晶玉の中に、クゥは封印されていたらしい。
そしてそれが、つい先ほど目覚めた、ということらしいのだ。
そして、そのままクゥはこうして家まで一緒に来たというわけなのだが―――。
「ここがお前の部屋か~。せまいな」
「一言余計だな!」
部屋をきょろきょろしながら言うクゥに突っ込む。
だがよほど興味があるのか、クゥはその言葉を無視して部屋中を見回した。
「そんなに珍しいか?」
「珍しいっつーか、久しぶりだからな。この目でいろいろ見るのは」
「久しぶり・・・」
そういえば、クゥはかの〈聖魔大戦〉を終えた後、眠りについたと言われている。
それがいつ頃なのか定かではないが、少なくとも、千年単位の昔話だとされている。
つまり、クゥは千年単位で眠りに就いていたという事だ。
「なぁ、クゥはずっと眠ってたんだよな?」
「ん?ああ。さっきまでずーっとな」
「それが何で目覚たんだよ?」
アレンのその問いに、クゥは瞳を伏せる。
その一瞬の間に、クゥの周りの空気が変わる。
「・・・お前が現れた、からだよ」
「え?」
「なんでもねーよ」
小さく呟かれた言葉に首を傾げるが、クゥが他のものに夢中になったので、何も言わなかった。
「お?これは・・・」
すると、クゥは机の上にある一冊の本に目を向けた。
「これって・・・」
「ん?ああ、〈始祖の聖典〉だよ」
「〈始祖の聖典〉?これが・・・」
「知ってるのか?」
「まぁ、どんなもんくらいは・・・ちょっと見せろ」
クゥはそう言うと、食いつくようにその本に身体を向けた。
しかし、身体が小さいせいで、本の中に身体を埋めるような形になっている。
「ぶっ!」
その恰好がおかしくて、アレンはつい噴き出してしまう。
その声が聞こえたのか、クゥは物っ凄く不機嫌そうな表情を浮かべた。
「おい!いま笑ったか!?」
「だって、恰好がさ・・・!」
「お前・・・!」
眉をぴくぴくさせると、クゥは小さな人差し指を立てた。
するとその瞬間、赤紫色の不思議な文字がクゥの身体を纏った。
「―――〈重力の楔〉」
クゥが何かを唱える。
―――その瞬間、部屋の中に置いてあった本、ペンなどが空中に浮き始めた。
「な、なんだ!?」
空中に浮かんでいる物を見つめながら、アレンは目を見開く。
それも、ただ浮かんでいるだけではない。空中であっちこっちに、まるで生き物のように浮かんでいる。
「これは、一体・・・」
「〈魔法〉だよ」
「魔法・・・これが・・・!」
始めて見るこの世界の〈奇跡〉に、アレンは驚く。
あらゆる自然現象や法則を実現、または利用する―――それが〈魔法〉だ。
「すげぇ・・・ってか何してんだよ!」
「お前が笑うからだろ!ほれほれ~!」
そう言って、クゥは指をくるくると回す。
すると、それに合わせるかのように浮いている物もくるくると回り始めた。
それも、狭い部屋の中でだ。
「あああ!ちょ、待った、ストップ!ごめん、謝るから!」
アレンが手を合わせながら謝る。
「ま、いいだろ」
そう言って、クゥは手を下ろす。
すると、クゥを纏う不思議な文字も消えた。
瞬間、浮いている物が一斉に落下してきた。
「うわあああ!」
大量の物が一斉に落ちてきたせいで、アレンは埋もれてしまった。
床一面に物が散らばり、その間からアレンの手がピクピクと動く。
そして、勢いをつけてその間から顔を上げた。
「はぁ、はぁ・・・何すんだよ!?」
「俺をバカにするからこうなるんだ」
「ったく・・・!」
何とか這い上がり、辺りを見回す。
これを片付けるのは、なかなか骨が折れそうだ。
✤
「―――はぁ、やっと片付いたー」
最後の本を棚に戻し、一息つく。
クゥの魔法のお蔭で、部屋の中はぐちゃぐちゃになった。
今しがた片付け終わったが、案の定クゥはずっと〈始祖の聖典〉を読み漁っていた。
「ったく、少しは手伝ってくれよなー」
「元はと言えば、お前が俺をバカにするからだろ!」
尻尾を揺らしながら言うクゥ。
それを見て、再び息を吐く。
「なぁアレン。この本なんだけど・・・」
「え?」
「この本、いつ頃に書かれたものなのか、分からないんだよな?」
クゥは本を閉じ、表紙を指しながら言う。
「ああ。〈始祖の聖典〉に関しては解明されてないことの方が多いんだ。
著者も不明だし・・・でも、原本の状態や使われている文字から、世界最古の本じゃないかって言われてる」
「世界最古の本・・・」
表紙を見つめ、何かを考えるようにするクゥ。
「ていうかクゥ。お前精霊なんだから、お前の方が詳しいんじゃないのかよ?」
「少なくともこれは、俺が眠りに就く前にはなかった。
いや、そもそも本自体が、俺が眠りに就く前には存在していなかった。
だけど、この内容は・・・」
「どうかしたのか?」
「・・・いや、別に。・・・これは写本なんだよな?」
「ああ。原本は〈アルタイル王国〉の王都・〈レヴェル〉にあるんだ。
と言っても、国王の許可がないと、閲覧はできないけど」
「ふーん・・・」
「それがなにか・・・」
「いや、何でもねぇ」
クゥはそう言うと、今度は本棚に行き、先程片付けた本に目を向けた。
「ていうか何で、自分が眠りに就いた後にできた本の事知ってるんだよ?」
先ほどの言葉だと、〈始祖の聖典〉はクゥが眠りに就いた後にできた本という事になる。
だが、クゥは〈始祖の聖典〉の存在は知っていた。
すると、クゥが「ああ、」と前置きして口を開く。
「俺たちにはこの世界の情報が蓄積されているから、ある程度の事なら知ってるぞ。もちろん、眠りに就く前の俺の記憶もしっかり残っている」
「要するに、ここ最近の歴史や、一般的なことは理解してるってことか?」
「そういうこと」
「なるほどな」
アレンはそう言って、腰に手を当てる。
―――その時、ぎゅるると言う音が聞こえた。
「え?」
「たぁー、腹減ったぁー!」
すると、クゥは本の上でぐったりとなる。
先ほどの音は、クゥの腹の虫の音だった。
「なぁー、なんか食いモンくれよー腹減ったよぉー」
「腹減ったって・・・お前、精霊のくせに腹なんか減るのかよ?」
「俺たち星天精霊は特別な精霊なんだー。だから、人間みたいに腹も減るし、寝るし。まぁ、別段食わなくても死ぬってことはねーけど」
「そうなのか・・・」
「でも減るもんは減るし・・・なぁ、何か食いもんー!」
「わ、分かったよ。丁度昼時だし、なんか作るよ」
アレンはそう言って、下の階に降りる。
そして、そのまま台所に立ち、調理を始める。
野菜を細かく切り、肉も切る。
そして米をとぎ、一緒に炒める。
黄金色になるまで炒め、それを二つの皿に盛りつける。
クゥがどれほど食べるのか分からなかったが、とりあえず同じ皿に盛った。
「おおー!うまそー!」
すると、いつの間に降りてきたのか、すぐ横にクゥが浮かんでいた。
「これ、ピラフか?」
「ああ。簡単なものだけど」
「食えるなら何でもいいよ」
アレンは二つの皿をテーブルに置く。
「じゃ、いただきます」
「いっただきまーす!」
クゥはそう言うと、皿に身体を埋めるように食い漁る。
顔がパンパンになるほどにそれを口に入れ、頬張る。
「ひょれしゅぎょくひゅまいなぁ(これすごくうまいな)」
「お前、飲み込んでから話せよ」
アレンはそう言うも、クゥは止まることなくピラフにかぶりつく。
よほど腹が空いていたのだろう。まぁ、何千年もの間眠っていたのだから、仕方がないが。
そして約五分後、クゥはアレンと同じだけの量を食べきっていた。
「たぁー、食った食った!」
「早いな!もう少し味わって食べろよ!数千年ぶりの食事だろ!?」
「ちゃんと味わったよ。しかしお前、男のくせに料理できるんだな」
パンパンに膨れた腹をさすりながら言うクゥ。
その様子に呆れながら、アレンはため息を吐く。
「まぁ、父さんは家にいること少ないからな。俺が家のことをするしかないんだ」
「お前の親父さんは何してるんだ?」
「世界中を旅してるんだよ。なんで旅をしているのか、理由は分からないけど」
「何だそれ。なんで知らないんだ?」
「理由を聞いても、〝世界を見たい″ってしか言わないんだ。俺はそれだけじゃないと思うんだけどな」
「ふーん・・・」
「今は帰ってきてるけど、またどこか出かけてるみたいだな。たぶん村の皆に挨拶にでも行ってるんだろうけど」
「ほぉー」
そう説明するが、クゥは興味がないのかやる気のない返事をする。
その態度に、少し眉間をピクリとさせる。
だがその時、腰にあるはずの短剣がないことに気が付く。
「あれ?短剣が・・・」
「どした?」
「腰にあった短剣がないんだ・・・もしかすると、遺跡に落としてきたのかも」
「お前、短剣なんか持ってんのか?」
「ああ、父さんから教わっててな」
取りに行くか、と椅子から立ち上がる。
すると、クゥがアレンの首元に巻き付いてくる。
「わっ、何だよ?」
「俺も行く」
「え?別についてこなくても・・・」
「いいから、ほれ」
「ほれって・・・」
そう言って、首元から離れそうにないので、アレンはそのまま家を出た。
✤
「これは・・・」
〈エレ・ブランカ〉の東の森にある、カオスの遺跡。
その遺跡に、アレンの父・ランディがいた。
そして、いま目の前にあるのは、カオスの石像。
そして、地下へと続く階段。
「この階段・・・まさか・・・」
ランディは、その階段を見つめると、静かに降りていく。
その先にあったのは、一つの扉。
だがその扉は微かに開かれていた。ランディは、その中へと入って行く。
そこに広がるのは、台座が一つ静かに置かれている部屋。
その台座には、粉々砕かれた何か。
恐らく、水晶玉のような物。その色は濁った白のようだった。
ランディは、その欠片を一つ掴むと、目の前まで持ち上げる。
「・・・間違いない・・・だとしたら」
その時、足元でカシャンという金属音が鳴った。
目を向けると、そこには一本の短剣があった。
「この短剣は・・・」
拾い上げ、それを見つめる。
それは、紛れもなくアレンの物だった。
アレンの物がここに落ちている―――それだけで、ランディは全てを悟った。
「やはり、あいつの言ったことは・・・全て・・・」
ランディはそうつぶやくと、片方の拳を強く握りしめた―――。






