②
「夢で私は、人を殺しているんです」
そう話すと、女性は少しだけ険しい顔をした。
「随分大変な事情を持ってるみたいね。あなたの顔が死を告げられたみたいな、そんな沈んだ表情になるのも理解できたわ」
その言葉を聞いて、私はそんな表情をしていたのかと思った。
でも、それよりも。彼女の言い方では私の話したことをまるで全て信じて言ってくれているようだった。
「でも、その、信じてくれるんですか? こんな、こんな嘘みたいな話。自分で話しておいてこんなこと言うのもどうかと思うんですけど、普通の人からしたら作り話みたいな話なんですよ」
どうしても不安でならなかった。今まで、何も証明せずに話だけで信じてくれた人は一人もいなかった。私が予知夢で見た出来事を話して、実際に起こるまでは。
本当に私が予知夢を見ていると気づいた人達は、最初の頃はすごいすごいと褒めてくれた。予言者? 預言者? みたいとか、魔法使いみたいだと。神様みたいだと。皆が褒めるから、私もその時は調子にのっていた。自分は人とは違う特別な存在なんだと。これはとてもすごいことなんだと。
だけどそれも続くと、いつしか周りに気味悪がられるようになっていった。それにみんなみたいな、おかしな不思議な夢を見たことない私は、みんなの話について行けなかった。みんなが羨ましいとさえ思うようになった。
不安になってきた私は両親に相談して、治すことができないか、いろいろ行ってみたりもした。病院やお寺や神社。でも、どれも全く効果はみられなかった。
これは治らない。そう、確信した。
だから、夢のことはもう誰にも話さなくなった。
知っているのは両親だけ。それでも知ってくれて、理解してくれている人がいるだけで、今は充分だった。
「もちろん信じるわ」
その言葉には躊躇いも嘘も見えなかった。確かな自信があった。今日初めて会った人の言葉を、信憑性のないおかしな話をすぐに信じられるなんて。
「あなたが嘘を吐いているようには見えないから。だって本当のことなんでしょう?」
私は頷いた。嬉しかった。本当に。言葉では表せないくらいに。
気づくと涙が頬を伝って手元に落ちていた。次から次へととめどなく溢れてくる。止まらなかった。止め方がわからなかった。
私がハンカチを取り出すよりも先に、目の前に座る女性が「使って」と言って、黒猫と蝶々の描かれた綺麗なハンカチを差し出してくれた。
「落ち着くまで、涙を流していいのよ。無理して止めなくてもいいの」
ハンカチを無言で受け取った私は、その言葉に更に涙が溢れ、止まるころには預かったハンカチはすっかり濡れていた。
「紅茶、入れなおすわね」
「ありがとうございます」
カップを見ると、いつの間にか中身は空っぽになっていた。気づかぬうちに飲み干してしまっていたらしい。
「カモミールティーよ。どうぞ」
「ありがとうございます」
テーブルに置かれた新しいお茶に口を付ける。
「カモミールにはリラックスできる効能があるのよ。少し落ち着いた?」
「はい」
「思い出したくないことだと思うけど、いくつか質問に答えてほしいのだけど、大丈夫かしら?」
その声は私を気使う優しさが見えた気がした。
「もしもどうしても話したくなければ、言わなくてもいいわよ」
私は首を縦にふり頷いた。大丈夫。言えることは言える限り話そう。ここまで話したのだから。
「あなたは恨んでる人や、恨まれている人はいる?」
「いえ。今のところ恨んでる人もいないですし、恨まれるようなことをした覚えもないです」
「予知夢はどのくらいの頻度で見るの?」
「二週間に一回だったり、一か月に一回だったり。バラバラです」
「予知夢を見た後、実際に起こるのはどのくらい後?」
「それも二週間だったり、一か月だったり。でも最大で二か月後です」
「今はその夢を見てから、どのくらい経っているの?」
「一か月くらいです」
「夢を見てから一か月の間で、何か変わったことはある?」
「いいえ。特には」
いくつかの質問に答えていく。
予知夢のことを全て話すことによって安心したのか、尋ねられることには躊躇うことなく話すことができた。
答え終わると、女性は口元に手をあて少し考える素振りをした後に私の方に優しい表情を向けて言った。
「答えてくれてありがとう」
彼女の聞き方や尋ね方には、全てを最初から信じてくれている上での話に思えた。それも相俟って迷うことなく話せたのもあるのかもしれない。
質問が終わったら、どんなことを言われるのだろうと思っていた。だけど、アドバイスなどの解決策ではなかった。
「あなたの悩みが少しでも解決するように“おまじない”をかけましょうか。少しの間だけ目を瞑って」
どんなことをするんだろうかと少し不安ながら、私は言われた通りに両目を瞑った。
「“あなたは私の前では絶対に人を殺さない”」
前髪の上から額に手が当たった気がした。僅かに撫でるように触れた気がした。
終わった後に両目を開けると、目の前のソファーに座って微笑みかけている美女が見えた。
「今のは何ですか?」
「ちょっとしたおまじないよ。細かい方が効果は強いの」
「そうだったんですか」
「なんてね。今のは冗談よ。でも細かく言った方が叶うような気がするでしょ。気持ちの入れようよ」
その後にもう一杯お茶をいただいた。
「そういえばお金! おいくらですか?」
危うくお金を払わずに帰ってしまうところだった。
「お金は今はいいわ。お悩みが解決してから、もらうことにしているの」
「え。でも、解決しなかったら」
つまりは払わなくていいということになる。それはすなわち、私が殺人犯になっているということでもあるけど。
「大丈夫。必ず解決する。そう信じておいて」
その言葉に少し勇気づけられて、私は『魔女の屋舎』を後にした。
とても不思議な人だった。不思議な、出会いだった。
いつも通りに朝起きて、朝食を食べながら映っているテレビを見る。今日のニュースはここ最近ずっと騒いでいる通り魔事件だった。
「怖いわねえ」
お母さんはニュースを見て他人事のようにつぶやく。
私じゃないよね。私じゃない。私じゃない。私はまだ殺してない。
あの夢を見てからというもの、殺人事件なんかのニュースを見聞きするたびに自分のことのように気になってしまうになった。落ち着くように自分に言い聞かせる。自分ではないんだとも。何よりも、殺害場所が夢で見たのとは違う。大丈夫。まだ大丈夫。私は殺人犯じゃない。
このままではダメな気がする。精神的にも。早急になんとかしなければ。事態が起きる前に。
でも、起きないように手を打つことなんてできるのだろうか。今まで夢で見たことは全て起きている。例外なく。
起きないように試みたこともある。しかし、どれもうまくいった試しはなく、夢は実際に起きている。
私は人を殺してしまうんだろうか。避けられない運命なのだろうか。私はどうしたらいい?
人は殺される時には恐怖する。それはきっと本能だ。本能で死を畏怖している。
でも、殺す側はどうなのだろうか。人は人を殺す時に恐怖するだろうか。恐怖するならば、何に対して恐怖するのだろう。
人殺しは悪いことだと知っている。いや、教えられて育っている。それもそうだ。命を奪ってしまえばそれまでだ。
だから殺すことを恐怖するのだろうか。
違う。もっち違う何か。私はそれを恐れている。
私は殺したくない。人を殺したくない。人殺しにはなりたくない。
でも、夢には抗えない。今まで見た夢は例に漏れることなく、全ての出来事が起こっている。全て夢の通りになった。予知夢にならなかった夢などない。