閑話 お腹を抑える社畜さん 下金
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□■□ 東京都中野区 『御調清掃会社 本店』 五番個別待機室 □■□
「ナミレーちゃんと結婚する。識別番号『730』で、7・3・0。彼女を僕に下さい、お義父さん」
「……も、申し訳ございません、通話主様……。おっしゃっている意味がわかりかねます……」
「うちのマンションにいる識別番号『730』の清掃ロボットと、結婚するんだよ!! だから、あの子の管理キーを譲渡しろぉ!!」
……23件目で、いよいよ凄い意見が来た。
我が社が管理する清掃用ロボット……いや、3種類の挨拶と吸引・排出しか出来ない『清掃専用ロボット』と、結婚したいらしい。
…………勘弁してくれ。せめて理解出来る概念で話して欲しい。
「毎朝僕にだけ特別に、間延びした甘えるような声で『おはようございます』と言ってくれるんだ! きっと僕に惚れてるんだ! だから、結婚するんだよぉ!!」
「げ、現代の法律では『人権を持たない機械・アンドロイド等人工物との婚姻関係は認められない』となっておりますが……」
「うるさいっ! じゃあ事実婚だっ!! いいから管理キーを僕に渡せよ! 末端の社畜がっ!!」
「申し訳ございませんが、私個人の判断ではなんとも…………。同タイプの人工知能を搭載した製品のリストでしたら送信出来ますが、いかがですか?」
「ナミレーちゃんと同じ思考ルーティン……?」
「ええ、というか……そちらのマンションに設置された全ての清掃ロボットが、同一である筈なのですけれど……」
「ナミレーちゃんが、ナミレーちゃんと同じ思考を持つAIが、今も誰かと……会話してるってこと……?」
「……え、ええ。そういう事になるかと思いますが……」
「ふ、ふざけんなぁっ!! 浮気だ!! ナミレーちゃんっ! どうしてなんだぁっ!! おい、おいぃっ! フォーマットだっ! ナミレーちゃんと同じ脳を持つ清掃ロボットを、全部初期化しろぉおっ!」
「…………いえ、あの……それは……」
「ああああっ!! ふざけんなよお! 何だお前! 責任者……『元橋 殻斗』って言うのか、お前は!! 元橋ぃっ! ふざけるんじゃあないぞ!」
「…………ええと」
「非道徳だっ! 道徳心に疑いがあるっ! 通報させてもらうぞ! 元橋ぃっ!」
「――――っ!」
「こ、こ、後悔しろっ! お前は非道徳だ! "なごみ" の裁きを受けるべき存在なんだっ!! く、くそったれの人間性を持つ…………あ、悪魔めっ!! 死ねっ!!」
……切れた。二つの意味で。通話主がブチ切れて、通話がぶちっと切れた。
頭に静寂が戻り、ささやくような機械音声――――『通話時間は 八分十二秒です。録音データの保存には、操作の必要があります』――――が流れる。
…………ああ、心労が加速する。胃がキリキリ痛みだす。
思わず左手で、胸の辺りを抑えてしまう。
『手当て』というおまじないを信じて痛む胃を抑えるこの所作は、すっかり癖となってしまった。
あの仮想世界でも、自然とこうしてしまうくらいに。
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□■□ 東京都中野区 □■□
□■□ Dive Game『Re:behind 専用コクーンハウス Nakano Colony □■□
初めは仕事の息抜きのつもりだった。
世間を騒がすDive Gameとやらに興味があったし、幼少の頃に遊んだロールプレイングゲームの思い出に頼れば、5年とだけ決めていた『スイッチを押す仕事』のストレスも、いくらか緩和されると思って。
浅はかだった。軽率だった。
どハマりした。寝る間も惜しんで没頭した。
感じる風、澄んだ空気、晴れ渡る空。そんな清々しい自然なんて現実じゃ味わった事が無いというのに、現実世界だとしか思えなかった。
それは開放だった。自由を得た気がした。新しく生まれた気分だった。
忌々しい機械もなく、下らない道徳心などを意識する必要もあらず、『ご意見』…………いや、鬱陶しいクレーマー共も存在しない。
空を見る度幻視していた頭の上のギロチンが、綺麗さっぱり消えてなくなり、そこには無限の青空しかなかった。
『自己責任』。
その世界におけるそんな絶対のルールに、なんて素晴らしい概念なのかと打ち震えた。
自分で選び、自分で行動し、自分でした事の責任だけを取る。たったそれだけの当たり前が、酷く新鮮で幸せに感じられた。
それに加えて、"時間加速" も格別だった。
1時間を10時間に引き伸ばす……あの辛く厳しい勤務時間より、ずっと長くここにいられた。
1日の内50時間も、自由な時間が貰えたのだ。心が空より晴れ晴れとした。
そして私は夢中になった。思う存分好き勝手した。
幸い『スイッチを押す仕事』で金だけは持っていたから、それをゲーム内マネーに変換し、やりたい放題振る舞った。
誰かが物欲しそうに見つめる剣を、使いもしないのに購入した。そんな私を悔しそうに睨みつけるプレイヤーを見て、胸がすくような気持ちだった。
ポーションをちびちび使うプレイヤーを尻目に、一口飲んで地面に投げ捨てた。もったいないと憤るプレイヤーに、金を渡して黙らせた。ちっぽけな道徳心を金で押さえつけるのが、何よりたまらない瞬間だった。
高級素材をあしらった服を着て、金貨をバラ撒きながら街を歩いた。
誰も彼もが嫉妬して、だけれど金を渡せば媚びへつらった。何を言ってもヘラヘラ笑った。
それはまさに…………現実での立場がまるきり逆になったような、絶対強者の視点から見る景色だった。
現実ではへこへこ頭を下げる私が、ここでは頭を下げさせているのだ。
なんともいえぬ快楽が、私の頭を支配した。
そうして私は、なりたい自分になった。
『アレクサンドロス・フィリシィ・ホーラ』という現実とは隔絶した名を堂々と名乗り、自身の事を尊大な態度で『余』と呼んだ。
現実で押さえつけられた衝動の全てを、Re:behindで発散した。
『スイッチを押すだけの仕事』をする平社員の『元橋 殻斗』には出来ない事を、思う存分この世界でやりたい放題し尽くした。
辛い日々で溜め込んだストレスを、辛い日々で稼いだ金で解消するサイクル。
それを、知ってしまったのだ。
◇◇◇
ある時、一人の女がすり寄って来た。
羽振りのいい私に体を押し付け、清々しいほどに "金目当て" という顔を丸出しにして。
望む通りにしてやった。服を買い与え、贅沢をさせてやり、とことん私を接待させた。
金で言う事を聞くというのは、わかりやすいし楽でいい。それを私は持っているし、女はそれを求めているのだから、話は早かった。
そんな日々を繰り返す内、女は知り合いを連れてきた。そいつも欲に濡れた目をしていた。だから私は、そいつにも沢山を与えてやった。
女共はひたすら従順で、やりたい事を何でもさせてくれた。だから私も、言われるがままに金を使ってやった。
いつしかその輪は膨らんで、私の周りには両手では数え切れないほどの女が侍るようになった。
そんな私に、Re:behindの世界も味方してくれた。
ついた二つ名【金王】。
その効果は『課金アイテムの値引きと優先処理。また、魔法に込められる魔力が大幅に上がり、それに応じてスペルの効果が上がる』という物。
一発のスペルに全てを込めて、及ぼす影響を特段に膨らませる、短期決戦型の異能だ。
私の一般プレイヤーとは隔絶した派手な浪費を参考にしたのであろう、どこまでも私向きの力だった。
その名を手にして、私の浪費は更に加速した。
一撃に全てを込める事で圧倒的な火力を発揮し、魔力はいくらか値引きされた課金アイテムの『魔力のポーション』で即座に回復させる。
無限の弾を持つロケットランチャーのような戦いは、派手で豪華でスペシャルで――――爽快で快活で活況で、ストレスを全て吹き飛ばした。
そんな私を賛美する女共の声が日々膨らみ続けて行く事も、私の心を晴れ渡らせた。
…………その二つ名の通り、まるで王様になった気分だった。
現実では来る日も来る日も頭を下げ続け、管理下のロボットが『事故』を起こす事にひたすら怯える毎日。
そんな奴隷のような暮らしをする私が、何かに怯え続ける情けない社畜の私が、この世界ではどうだ。
金の力で女を侍らせ、金の力で魔法師の頂点となり、名声も力も何もかも、金でどうにか出来る! まさしく金の王なのだ!!
賛美の声! 媚びへつらう貧民共の頭を踏みつけ! 遂には首都の空に飛来した竜型ドラゴンすらも、私の財力の前に鱗を崩して身を捩った!!
讃えよ! 余が名はアレクサンドロス! 黄金の英雄!! 伝説の金持ち!!
『会社の家畜』などではなく! 誰にも取って代われない! 唯一無二の存在だ!!
…………たまらなかった。頭がとろけそうだった。依存していると言ってもいいくらいだった。
悩みなんて何もない、まさしく順風満帆な日々だった。
――――――そんな何の不安もない日々が、今はもう……遠い過去にすら思える。
◇◇◇
「ようこそ、プレイヤー。プレイヤーネームとIDを入力して下さい」
出来るだけ現実の自分と違う物を、と意識した結果……やたらと長くなってしまった名前『アレクサンドロス・フィリシィ・ホーラ』と入力し、メジャーコクーンを選択してダイブイン申請を通す。
スリッパをペタリペタリと鳴らしながら――チェレンコフ光のような青さでもって薄っすら優しく廊下を照らす――規則正しく設置されたライトの間を歩いて、コクーンルームへ入室する。
まずは服を脱ぐ――――前に、ダイブマシンの隣にある端末をタップし、メニューを開く。
流れるような動作で『SHOP』というシンプルなアイコンをタッチし、強く……ひたすら祈りを込めながら、全表示されるのを待つ―――― "どうか、新商品がありませんように"。
……そんな私の願いは、左上で点滅表示される『NEW』の文字であっさりと踏み潰された。
忌々しい『NEW』の字をタップし表示された新しいアイテムは…………ああ、なんという事だ。どこぞのブランドの、下らんティアラとオルゴール。
ほんのり光って蝶が舞うエフェクトつきのキュートな頭飾りが30万円に、白を基調として金の細工が施されている木製オルゴールが80万円とは。ふざけるのも大概にしろ。
なぜこんな物を実装する。 "誰得" とはまさにこの事だ。誰が発案したのだ、こんなクソ課金アイテム。
こんなの絶対……ねだられるじゃないか。こんな高くて意味の無いものを、私の――――余の財産たちが、見過ごす訳がない。
"誰得" なのかは知らないが、"私損" である事には間違いない。
ならば、せめて一つで済むよう……と先んじて購入しようとするも、画面には『残高が足りません』の文字だ。
先日500万入れたばかりだと言うのに、もう無いのか。信じられない。胃が痛い。
ダイブマシンから離れ、部屋の隅にある銀行と直通された端末に指紋と網膜を照合させて残高を確認――――表示されたのは、4800万円弱。一時期2億を数えた私の預金は、もう年収分も残っていない。左手が自然にお腹を抑える。
……薬。胃薬を、飲まないと。
◇◇◇
課金アイテムの『魔力のポーション』。値段はリアルマネーで3万円。
本来であれば魔力は自然回復に任せ、よほどの緊急時でも無い限りは使わない、『お守り』のような物であるけど…………この【金王】に関しては、そんなケチは言っていられない。
二つ名効果で魔力全開から一発のスペルで全消費する事となっているし、金を持つ事だけがアイデンティティの【金王】が、自然回復を待っているのはありえない事なのだから。
だから私は、何かをするたびに金を浪費する。それはもう、じゃぶじゃぶと。
街を歩けば露店を買い占め、果物を見れば一口食べて地面に捨てる。
首都から出たら小さなウサギを周囲20メートルごとスペルで爆散させて、なんとなく空にスペルを打ち上げ魔力を無駄遣いする。
魔力が減れば有無を言わさず魔力ポーションを開け、魔力が全開だろうと喉が乾いたから魔力ポーションで喉を潤す…………それが【金王】。それがアレクサンドロス・フィリシィ・ホーラ。
そうでなければ、そうでない。二つ名と名声を維持するためには、常に【金王】らしくあらねばならない。
『二つ名は呪いだ』とは、誰が言ったのか。金一封をあげたいくらいの的確さ。
それに加えて、財産共のたゆまぬ浪費だ。
毎日毎日……やれアレをくれ、これが食べたい、お小遣いが欲しいだのと……私の富をかすめ取ることに余念が無い。
しかし、だからと言ってそれを断れば……私は即座に孤独となるだろう。金がない成金に、何の価値があるのかという話だ。
…………もう貯金も少ない。徐々に減って行く残高に胃を痛めながら、ごまかしごまかしやるしかない。
きっと誰かにこれを知られたら、なんて馬鹿なんだと、言われるのだろう。
そんなに厳しいのなら、もういいだろうと。
大企業の若社長などと嘘をついて、金持ちぶるのはやめてしまえと。
折角有名になれたのだから、仕事をやめてRe:behindだけで生きて行け、と。
しかし……それはもう、無理なのだ。
いつ『道徳心』を疑われるかわからない『スイッチを押すだけの仕事』。
もし機械が何かの事故を起こせば、即座に『非道徳思想矯正隔離施設 "なごみ" 』の処刑人がやってきて、私の性根を魔女裁判にかけるのだ。
そうなったらもう終わり。待っているのは体感時間加速での道徳矯正という名の人体実験と、精神の無期懲役。
それは事実上の人生の終わりをはっきり示す。
だから、だからこそ。
Re:behindを、アレクサンドロスで居る事をやめるのは…………もう無理なんだ。
これは私の心の拠り所で、それをしていないと耐えられない。日々の『ご意見対応』と『なごみ』への不安で…………ストレスで押しつぶされそうなんだ。
アレクサンドロスとして好き放題する……そんな生き甲斐を持っていないと、もうこの日々に耐えられない。
それをやめたらきっと私は、ストレスに押しつぶされて爆発し、『極めて非道徳的な行為』をやらかし、『なごみ』に収監されてしまう。
いやだ、怖い。何千年も正気のまま過ごさなくてはいけないだなんて、考えただけで頭がどうにかなってしまう。
――――だから、金を。金を稼がなくては。『スイッチを押す仕事』をして。
Re:behindの稼ぎだけではまるで足りない。だから、Re:behindで使う金を、ストレス解消の為の金を。死に物狂いでストレスを抱えながらに、稼がなくては。
――――そして金を。金を使わなくては。それで心を保たなくては。
そうしてストレスを軽くさせ、少しでも胃痛を和らげないと…………そうでないと私は……おかしくなってしまう。頭と心が破裂してしまう。
Re:behindを続けるためには、スイッチを押す仕事を続けなくてはいけない。
スイッチを押す仕事を続けるためには、Re:behindで無駄遣いをし続けないといけない。
私はそんな底なしの沼に、頭の先までどっぷりと浸かっていた。
ああ、胃が痛い。
左手で胸を抑える動作が、現実・仮想に限らずに――――決して治らぬ癖となっている。
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□■□ Re:behind 首都 □■□
□■□ クラン『ゴールド・ヘタイロイ』のクランハウス『余がピラミッド』 □■□
「…………」
珍しく誰もいないクランハウス内で、オルゴールを眺めながら思考する。
先日『燃えるライオン』の件で一悶着あった、あのパーティ。
その内の一人、茶色い髪の…………ロラロニーと言ったか、あの女。
「……ぽやっとしてて、可愛かったな」
私の周囲にいる、目をギラつかせた肉食獣のような女共とは真逆の――――何も考えていなさそうな、ひたすら純粋そうな女プレイヤー。
そこにいるだけで空気がのんびり流れるような、独特な雰囲気の小さい女。
……今の私に必要なのは、ああいう癒やし系なんだ。
金で言いなりになる女も楽でいいと言うものだが、いくらなんでも欲深すぎる。
金も減りつつある現状では、金目当ての女は……重すぎるのだ。
……っていうかもう、金がないのだ。
「…………何が、友達だ……」
そんなロラロニーとやらを庇うようにして立った、あの黒いやつ。調べた所によれば、【七色策謀】【死灰の片腕】などという二つを持っている、期待の新人らしい。
どう考えても勝ち目のない私の前に立ち、生意気な口をききながら "決闘" を吹っかけてきたあの男。
それに追従するようにして、弱々しい牙を向けて来たその他の有象無象たち。
「…………はぁ」
なんたる青臭さ。恥ずかしいほどの情熱。絆だなんだと言う、聞いていて恥ずかしいような少年コミックの台詞。
デスペナルティも貴重な財産を失う事も厭わず、仲間のために命を張る、かっこつけの経済弱者共。
なりたい自分になれる世界で、仲間と共に一生懸命それを目指す……夢見がちで馬鹿馬鹿しい、ゲームに必死なプレイヤーたち。
そうだ。
馬鹿馬鹿しいのだ。
「…………はぁ~……」
損得勘定だけで繋がる歪な関係ではなく、ただひたすらに友情だけで結ばれた仲良しパーティ。
必死に生きて、泣いて、笑って……全力でゲームに挑む、同じ熱量を持った友人同士。
きっと、そんな奴らなんだろう。あやつらは。
私の周りにも、余の周りにも、いないタイプの……そんな愚か者共だ。
「…………」
思わず背を向けてしまった。壊してはいけないと感じた気持ちの、そのままに。
仮想の繋がりに本気になって、友達への罵倒に顔を赤くし、弱々しい身を凛と立たせたその姿が……直視出来なかった。
痛々しくて、ひたすら滑稽で、馬鹿馬鹿しいとしか言い様がなく。
仮想という作られた世界で、偽物の繋がりで出来た友達を、損得抜きで守ろうとする愚直な姿が。
私の汚れた目を焼いた。
「…………私は……余は……こんなに胃が痛いのに……」
不意に口をついた言葉に、自分ではっとした。
……私は。余は。
嫉妬をしているのか。
やつばらめへ。




