閑話 お腹を抑える社畜さん 上金
第二章の終盤「閑話 掲示板から見るドラゴン襲来 上」にて書き込みを行っていた「スイッチ押す仕事するマン」さんの話です。
人工知能は、自らの意思で考え始めてはならない。
人工知能は、自らの意思で考えを止めてはならない。
人工知能が何かを始める時、そして何かを終わらせる時――――そこにヒトの意思がなくてはならない。
今の時代の、常識だ。
◇◇◇
□■□ 千葉県 百九十九里町 密集型ワンルームマンションの一室 □■□
「…………う……」
朝。地獄の太陽が昇る時間。
目を開けると、まどろみや眠気を感じる事もなく、即座にてきぱき行動を始める。
予約されていたトーストに、今日のメニューは目玉焼きと二切れのベーコン。
マーガリンをたっぷり塗って、壁面スクリーンに青空を投映し、流れる雲を見つめながら黙々と食べる。
昨夜は妙によく眠れた。胃腸の調子も上々だ。
設定した時間に向けて睡眠の深さを自動で整え、無粋な音や振動に頼らず自然に脳を覚醒させる頭部貼付け型のアラームの設定を、今より一段下げた「強制力レベル4」にしてもいいかな、なんて考え始めて…………そんな馬鹿な夢を語る寝ぼけた脳に釘を刺す。
そんな事が、出来る訳がないだろう。
遅刻だなんて事になったら…………紛うことなき『非道徳』なのだから。
◇◇◇
「…………」
電車を乗り継ぎ、仕事場へ向かう。
自動運転車に乗って行けば、歩く必要はなくなるが…………折角だから駅の構内や改札までの道などを、少し歩いて過ごしたい。
そうして自分の歩みで進む事で少しは、自分が思うがままに生きていると勘違い出来る時間をゆっくり噛み締められるから。
そうだ、せめてゆっくり向かいたいのだ。
これから先は、『地獄』が待っている。
何も出来ずに断罪を待つだけの、高給と人間性を天秤にかけるハードなギャンブル。
私はこれから。
ギロチンにかけられる。
そこに頭を乗せる事で得られる餌を、醜く浅ましく貪りながら。
◇◇◇
□■□ 東京都中野区 『御調清掃会社 本店』 □■□
「おはようございます。良い朝ですね。こんな日に聞く小鳥のさえずりは、とても微笑ましい物ですよ。チー・チー・チー。…………失礼、これは我々が核戦争の影響を受けた後の世界に出現されると予測した、喋る葉っぱの鳴き声でした。ところで噛み歯ブラシはご入用ですか?」
「いらないよ、今日もジョークが冴えてるね。ああ、それに……おはよう。いい朝だ」
「はい――――――――お通り下さい」
恐ろしい。脈絡のないジョークに、意味不明な内容だ。
だけど答えずにはいられない。
何しろ『他人の挨拶を無視し、ジョークに反応を示さない事は、とても非道徳的』なのだから。
と言っても……流石にこんなAIとのやり取りでは、即座にどうにかなる物でも無いのだが。
これは会社がよこした『予習』だ。
いつか来るかもしれない、試験の為の。
ロッカールームに移動して、静脈認証で扉を開ける。
バッグを投げ込み、眼鏡を取り出す。眼鏡と言っても、震動で声を聞き声を届ける通信端末だ。
ああ、それと……胃薬。これを忘れてはいけない。
…………それを目にした瞬間、条件反射で胃が痛んだ気がし、思わず胸の辺りを手で抑える。
パブロフの犬か、私は。
それも、よっぽど哀愁漂うタイプの、だ。
私の専用チェンバーに訪れ、中心にあるスイッチの前に立つ。
押しやすいように大きめに設計された赤いソレには、黒字で大きく『押』と書いてある。
起動時間が来るまで、あと891秒ある。今朝見ていた雲でも思い返していよう。せめて今だけは、晴れやかな気分でいたい。
……残り時間が100を切ると、前面の壁に文字が映し出される。
『ヒトの意思が起動する...99』『ヒトの意思が起動する...98』『ヒトの意思が――――
秒を数えて身構える。猶予は前後10秒。早すぎても遅すぎても、道徳的ではない。
今日こそ、このスイッチが…………私の首の上にかけられた、ギロチンの刃を落とす物になるかもしれない。
そんな事を考えながら、腕を振り下ろした。
ああ、胃が痛む。
胃薬は、核融合よりもずっと人類に貢献をした。
◇◇◇
□■□ 東京都中野区 『御調清掃会社 本店』 五番個別待機室 □■□
「ちょっと! どうなってるのよ!!」
「はっ、はい」
「はいじゃないわよ! あんたねぇ……!!」
早速だ。スイッチを押し、自分のデスク(と言ってもただの個人待機部屋という名目の物だが)に向かう途中で、通信端末が鼻骨を激しく震わせた。
なんのことはない、いつものご意見。完璧な機械の細かな所を指摘する、心ある生体からのありがたいお言葉だ。
「あんたのとこの清掃ロボットがねぇ……!! 急に動き出したのよっ!!」
「そ、それは……左様でございますか。申し訳ございません、大変ご迷惑を……」
「も~、びっくりした! 思わず腰が抜けそうになったんだから!!」
「はい、はい。申し訳ございません」
「私を驚かそうとして、どこかで様子を伺っていたんじゃないの!?」
「いえ、決してそのような事は…………」
AIが制御する清掃機械は、日本各地の様々な施設に設置されている。
私が押したスイッチにより起動したのは、密集型ファミリー用マンション5棟に散らばる37体+予備の4体の合計41体だ。
疲れ知らずの機械達だが、夜から早朝の間は『ホーム』と呼ばれる待機所でスリープに入るようになっている。
つまりこの御婦人は、この早朝から『ホーム』の近くをうろついていたのだろう。
…………何故? と、思う。
だが、口にはしない。
「私を見たら突然動き出して! その不気味さったらないわよ!」
「はい、はい。お気持ち、よぉくわかります。大変申し訳ございません」
「今度から気をつけなさいよね!! まったく!!」
…………ため息が出る。勿論、心の中でだけ。
貴重なご意見で、大切なご指摘だ。
決して『クレーム処理』などと言ってはいけない。
苦情だなんて口にしたなら、きっと誰かがそれを聞く。
処理だなんて形で表現すれば、恐らく誰かに連れて行かれる。
私に出来るのは、一つだけ。
「胃薬……薬を……」
許されるのは、それだけだ。ああ、胃が痛い。
◇◇◇
「清掃の頻度が足りんのじゃ! ワシが泥に塗れた靴で玄関口を通ってから1分も経ったと言うのに……まだ汚れておったぞ!!」
「申し訳ございません、わたくし共の設定ミスでございます――――」
…………頻繁に稼働していたら、それはそれで何か言うだろうに。
4件目、終了。
「デザインが悪いよ。銀色ボディに吸引口は無闇に幅広でさ。はっきり言って前時代的と言わざるを得ないね」
「はっ、全くおっしゃる通りでございます。ご意見をありがたく頂戴し、こちらでも十分に協議して――――――」
…………掃除ロボットに何を求めているのか。ただのセンスと好き嫌いだろう。
6件目、終了。
「安全性は十分に考慮されてるんですか? 突然暴走して、人間をホウキで叩きつけるとか……ああっ! 考えるだけで恐ろしくて、毎晩6時間ほどしか眠れないんですよぉっ!!」
「はい、大変ご迷惑おかけしております。ですが心配には及びません。当社の機械は十分な安全マージンをですね――――――」
…………ちゃんと寝れてるじゃないか。
18件目、終了。
そこで呼び出しがぴたりと止まる。ようやく一息つけるようだ。
ちら、と時計を見やれば……業務開始からおよそ4時間。
で、18件か。
今日は少ないな。
◇◇◇
『スイッチを押すだけの仕事』という物がある。
それは読んで字の如く、ただスイッチを押すだけであり、それで給料を得る仕事だ。
その平均年収は――――およそ2000万円。勤続年数3年8ヶ月目を迎えた私は、年収が5000万を越えた。
たかが3年勤めれば、平均の2倍をゆうに超える年収を得られるイージーな仕事。
しかもその内容は、スイッチを押すだけという単純かつ誰にでも出来る楽な業務。
節約しながらこの職に従事し、5年もすれば貯金は一億円を超える事も珍しくなく、後は遊んで暮らしていける……そんな夢のある職業――――――
――――――などと。
そんな風に思ってしまう人間は、世間知らずと言う他ない。
なぜなら、『スイッチを押すだけの仕事』をする人間に求められているのは…………『スイッチを押す事』ではないのだから。
では何なのか? なぜ『スイッチを押すだけの仕事』と呼ばれるのか?
簡単な話だ。筋の通った、わかりやすい話だ。
我々がしているのは、人にとって代わって様々な労働を行うAI管制ロボットたちの全ての行いに対して……その責任を持つ事。
良く言えば――――ロボット管理職。
悪く言うなら――――トカゲの尻尾で、哀れな生贄。いつ振り下ろされるかわからない、血糊で薄黒く色づいた断頭台に、首を置くのと引き換えにして多大な給与を貰う……身投げのギャンブルだ。
◇◇◇
世にあるほとんどの労働を、人ではない存在、『自動機械』が受け持つこの時代。
それは便利で、快適で、楽ちんだ。
誰もが嫌がるトイレ掃除も、油が跳ねて危ない調理も、眠くて疲れる(らしい)車の運転も、その全てを機械がこなしてくれる。
人はただ寝転んで、機械が終わらせるのを待つだけでいい。
汗をかくような疲れる事も、心を痛めて笑顔を作る事も、眼に疲労を貯めながら何かを凝視し続ける事も、何もしなくていい時代。
心を持ち、疲労を感じ、浅ましくも月に一度の給金を求めるような『時代遅れの労働力』よりは……機械のほうがよっぽど使えるというのが、世界の総意だったという事だろう。
しかし、そんな万能で有能な人工知能にも、決して取れない物がある。
どれだけ微細な動作が出来て、ミクロン単位での精巧な作業が出来るロボット・アームにも、絶対に持てない物がある。
それが――――――『責任』だ。
◇◇◇
とある日、自動運転車による事故があった。
10歳の子供を轢いてしまい、命を奪ってしまうという悲しい事故だ。
AI制御の自動運転車は最速でブレーキをかけ、出来る限りの回避行動を取ったが……間に合わなかった。
そして、問われた。
その責任はどこにあるのか、と。誰を責めるべきなのか、と。
自動運転車の存在が認められた各国全土に向けて、大仰なる問いかけが行われた。
一体誰が悪かったのか?
飛び出した子供? 違う、子供に判断能力が無いのは周知の事実だ。
自動運転車の販売元? 違う、そこはただ車と管理AIを売っただけだ。
運転を管制するAIの開発者? まさか! そんな事があるはずがない! 技術者を吊るし上げるなんて事をしたら、開発面で他国に大幅に遅れを取ってしまう! だから、そんな事があって良い訳がない!
では、誰が悪いとするのか。
――――――管理者だ。管理していたものが、悪いのだ。
『働け』と、『走れ』と、『起動せよ』と命じた者が悪いのだ。
ヒトの意思がなければ動いてはいけないとされるロボットが行う全ての責任は、その意思でもってスイッチを入れたヒトが負うべきなのだ。
では、その管理者とは……具体的に、誰なのか。
自動運転車を運用する会社のトップに責任を問えば、首を振って真っすぐ下を指さした。
専務が、部長が、課長が、係長が、主任が…………その全員が下を指差した。
末端も末端の……『スイッチを入れた者』を、指さした。
その者の首を、差し出した。
そいつが電源を入れたと。そいつが動くよう命じたと。表情も変えずにそう言った。
…………問題になった。
何が悪いのか、どこが悪かったのか。具体的な『悪さ』を見つけるため、とことん論じられた。
AIの思考経路――――問題がある筈がない、あったら技術者を吊るさなくてはならないから。
機械の部品――――悪い筈がない。だとしたら、機械を作る機械を問題視する事となるから。
では、何が悪いのか。何が悪いとすれば収まりがいいのか。
『ヒトだ。スイッチを入れたヒトの、心だ!』
『その者が持つ、道徳心だ!』と、誰かが叫んだ。皆が振り向き、頷いた。
叫んだ男は――――非道徳思想矯正隔離施設『なごみ』の職員だった。
多数決。可決。結論、肯定。
そうでないと都合が悪いから、そうなった。
目に見えない『道徳心』を責めるという逃げ道を見つけ出し、それで事なきを得る事とした。
それが、全ての始まりだった。
◇◇◇
あとはもう、なし崩しだ。
企業は『責任者』だけを求めた。機械が唯一出来ない仕事『責められる役』が出来る者を。
スイッチを押す事で責任を持ち、それに付随する全ての過ちを受け止める事を業務とする者を。
それだけをすればいいと、悪びれもなくそう言った。
高い給料を見せつけ、その身を売れと恥も外聞もなく言いのけた。
そしてとうとう、それは一つの役割となった。
『スイッチを入れる事』、『そしてその責任を取る事』。
その為の人間を雇い入れ、それだけをさせるようになった。
また、責任の所在が明らかになった事により、機械のもたらす出来事に関わる全ての方々からの『貴重なご意見』も、責任を取る業務の内に含まれるようになった。
厳密にプログラムされた機械の動向によって何らかの問題が発生した場合、それは責任者が悪いのだから、そうするのが当然だとされた。
例えそれが、どんなに不条理で筋の通らない物であろうとも、心を持った人間様のご意見を『クレーム』などと呼ぶなんて言うのは、あってはならない事だとされた。『処理』だなんて、そんな非道徳的な言葉は……もってのほかだ。
つまる所、『スイッチを押すだけの仕事』と言うのは。
"スイッチを押しただけなのに、それによって起こった事全ての責任を取らされる仕事" なのである。
トカゲの尻尾。望んだ生贄。断頭台に置ける頭。
殴ってもいいサンドバッグで、給与が発生するいじめられっ子。
言わば、現代の身売り…………自薦の奴隷制度である。
◇◇◇




