第四話 おとめとことりで話してみよう
□■□ 宮城県仙台市 □■□
□■□ Dive Game Re:behind 専用コクーンハウス Sendai Colony □■□
ぷしゅう とため息を吐いたような音がして、真っ黒い卵の殻が割れるように口を開ける。生まれたてのひよこのような気持ちになれるこの瞬間は、何度味わっても気分がいい。人によっては『つまらない現実に戻される欝気になる音』なんて言ったりするけど――――私にとっては、神経をすり減らして行う"偽る事"から開放される、自分で掛けた手錠が開錠される音なのだから。
今日はモンスター狩りにも行かない予定だったから、ただダイブするだけのマイナーコクーン。
メジャーやクィーン等の上位コクーンだと中が液体で満たされていて、併設されたシャワーなりなんなりで身を清めないと気持ちが悪くてしょうがないけれど、今日は濡れタオルで軽く拭くくらいでそのまま部屋を出る事が出来る。身軽なことは良いことだ。
……と、その前に――――お手洗いにいかないと。
左手のタグが、排泄感知のエラーでうるさいのよね。
◇◇◇
コクーンルームを出れば、小さい電子音と共に左手のタグからホログラム表示の方向指示マークが表示される。一々お節介なナビゲーションは、どれだけ『Re:behind』の世界に慣れた人間相手でも、毎回丁寧な仕事をして偉いなぁ。
私もそういう生き方が出来れば…………いいや、もう考えるのはよそう。今の私は、新しい世界に生きてるんだから。
目的地に到着すれば溶けるように矢印が消えて、私を招き入れるようにドアが開いた。『H.I.O.』と書かれた部屋には、ドリンクマシーン、簡素なベッド、設置型通信端末やマッサージチェアに銀行と直通のATM――――果てはランニングマシーンなんかまで置かれてる。
ダイブ後に定められた時間を過ごす事が決められているこの部屋……通称『心臓ならし』と呼ばれる部屋は、強制的にリラックスして過ごさなければならない、休憩を強要する場所だ。
コーヒーはブラック、アイマスクは黒。肩に塗るジェル状の湿布薬のパッケージを取り、いつも使っているマッサージチェアに とさりと倒れ込んだ。選ぶのは黒、求めるのは体をほぐすマッサージ。
ピンクだとかの可愛い色や、精力的なランニングなんかは、現実の私には似合わない。
空気でぽこぽこ身体を撃ち抜く快感で、思わず『あ"~っ』っと声が出そうになるのを必死で抑える。だめだぞ私。
まだ華の二十代、そういうオジサン化は……一度気にしなくなると歯止めが効かないらしいから。
…………手首のタグには『残り二十一分』って表示されてる。そのくらいで済む程度しか潜ってなかったっけ。
継続ダイブ時間と取った行動――――結局の所、脳の疲労度って物によって時間が決められる、『心臓ならし』の部屋。
脳の使いすぎだかなんだか難しく言われてるけど、私にとってはダイブ後の余韻に浸れる良い時間だと思う。今日は何をしたんだっけ……。
◇◇◇
「んっ……」
寝てた。今日一日を思い起こそうとしたら、一瞬で寝ちゃったみたいだ。脳の疲労かマッサージの心地よさかわからないけど、相当気が抜けてるのかな。神経をすり減らして演じ続けるダイブ中じゃあ、考えられない油断ぶりだ。
手首には『残り十分』、マッサージのしすぎもよくないし、お絵かきでもしてのんびりしよう。
ぼーっとしながら湧き出すままに、今時誰も使わない紙製のノートを取り出し、そこに描かれた女の子へと鉛筆で服を着せやる。
仕事でやってた時はあんなに苦しかったのに、今はすらすら出てくるなんて……必要な時に出ない悔しさやら、才能がある気がして嬉しいやら、複雑だ。
…………手元に描かれた、私と同じ黒髪ショートの女の子(と言っても、顔は100倍可愛くして歳は10歳若くした感じだけど)には――――シックな色合いに、ボーイッシュに色気を足した服を着せ…………次のページに描いてある娘は、茶色い髪がくるくるの――――。
「……わぁ、かわいい~」
「えっ」
いつの間にか隣に立っていた、知らない子の声。
若いなぁ。18くらいかな?
エネルギーに満ち満ちている雰囲気が羨ましい。まつ毛も長いし、くりくりお目々は私の絵を見てキラキラしてる。
それに加えて頭を飾る、茶色いくるくるの髪は――――丁度ノートに描かれた女の子とお揃いだ。柔らかそうで、まるで小動物みたい。ああ、ペット、ほしいな。
「あっ、ごめんなさい。凄く可愛い服ですね!」
「ああ、はい……どうも……」
若いし可愛らしいけど、ちょっと変わってる子だ。この心臓ならしの部屋で他人に話しかけるなんて、自分じゃなくても見た事がない。
『Re:behind』プレイヤーしか居ないとは言え、ダイブゲームで不用意にリアルを詮索するのはマナー違反。現実と仮想の狭間にあるこの部屋では、互いに居ない物として扱うのが普通なのに。
ぽやぽやしててとぼけてる感じのままに、天然な子なのかな……。
「私もこういう服が欲しいな~って思います!」
「え、あ、うん……ありがとう」
「へへ――――私は『柊木 ことり』って言います! お姉さんは?」
「……『粕光 乙女』よ」
「おとめさんかぁ~えへへ」
なんか、凄いな……この子。子供っぽいっていうか、好きに生きてるっていうか。
したい事をして、言いたい事を言う感じ。周りの皆が良い人だって思い込んでて、そのキラキラした瞳に映る毎日は、そんなお目々で見つめるがままに輝いて見えるんだろうなぁ。
ちょっと羨ましい。
「リビハでは私はロラロニーって言って――――」
「あ、ストップ。ことりちゃん」
「ん?」
「ここはリアルだから実名は良いけど、プレイヤーネームは止めたほうがいいわよ。それは流石に、マナーに反する行いだから」
「そうなんですか、ごめんなさい。教えてくれてありがとう、乙女さん!」
素直! なんて素直な子なの。
ちょっと嫌な言い方になっちゃったのに、謝った上にお礼まで言うなんて。
良い子だわ~この子。ご両親の教育が良かったのね。周囲の環境もよかったんでしょう。どこでだって仮面を被り、嘘にまみれた汚い私とは大違い。
「それでですね、乙女さん。私は質問があるんです」
「な、なにかしら」
「リビハでお金を稼ぎたいんですけど、何かいい方法はないですか?」
…………攻略Wikiでも見ればいいのに、なんて思っちゃうから駄目なんだろうな、私って。
素直な会話、真っ直ぐなコミュニケーションに、ネットの海は不要なんだ。顔を突き合わせて脳を動かし、のんびり小さい事を話し合うのが人付き合いなんだから。
「お金稼ぎ、かぁ……ことりちゃんは、ジョブは何?」
「戦士が1と、調教師が1です」
「珍しい選択ね。何か理由があるのかしら?」
「別にないですね~」
「えっ……あ、そう……」
無いって。ジョブを選んだ理由が、無いって。前代未聞の自由さだ。
……でも何か、そういう感じがするわ~ことりちゃん。きっとリビハでもこういう感じなんだろうなぁ。一緒に遊びたい…………ちょっと疲れそうだけど。
「それなら、荒野の七色羊を"調教"するのはどうかしら? 日によって取れる毛が違うあの羊は、安い餌でモジャモジャ毛を生やす『無限ウール工場』って呼ばれてるの」
「一度行ったんですけど、駄目だったんですよ~。草がなかったので、お肉をあげたんですけど、走って逃げちゃいました」
「…………そうなんだ」
まぁ、そうでしょうね。羊はお肉食べないし。お肉持っていった所で……。
――――ちょっとまって、それって羊肉じゃないわよね? 羊にマトンなんて突きつけたら……『お前も今からこうなるんだぜ』っていう危ないギャングの脅しでしか無いでしょ。いかにも無自覚でそういう事しそうで、怖い子だ。
「おとめさんは普段、どうやってお金を稼いでるんですか?」
「私は……スポンサーとか、クランでの活動とか…………」
「わぁ、スポンサー! すごいんですね~!」
「そう大したものじゃないわよ」
と言いつつ、やっぱり嬉しい。だってそうでしょ、そうなるように努力して来たんだから。
いや、して来たんじゃない。ずっとしてるし、今もしてる。
全力でそうなれるように、個性的な魔法と行動――キャラクター作りに使う神経だって、それで消費する魔力ポーションだって死ぬほど使ってるんだから。
「きっとレベルも高いんですよね~。ジョブはなにをやってるんですか?」
「……魔法師と、女司教かな」
「わぁ、かっこいい~。プリエステスかぁ……何が出来るんでしたっけ?」
どんな物かも知らないのにかっこいいって……普通ならお世辞だとか適当だとか思っちゃうわよね。
でも、この子は違うってはっきりわかる。プリエステスって響きがかっこいいと思ったっていう、ただそれだけだ。
わかるよ、そんなの。毎日自分を偽って、『人気が出るようなキャラクター作りのロールプレイ』をしてる私なら、わかるんだ。
この子は素直、ウソツキは私。演じているのは、私だけ。
「プリエステスの代名詞は…………魔法『光球』よ」
「おぉ~」
「自動で守る光の玉。ふよふよ浮かぶ可愛い子なの」
「いいですね~、おとめさんはそのスペル、好きなんですか?」
好き、好きか。ふふ。
強い? とか、便利? じゃなくて、好き? って聞くのね。ふふふ。
会ったばっかりだけど、一生忘れられなそう。お日様みたいな女の子。
「そうね、好きかな……ううん、大好きかも。ダイブしたら、いつも喚び出してるからね」
「光球のプロフェッショナルなんですね~」
「勿論、そうよ。だって私――――」
――――【天球】のスピカなんだから。
それは口にはしなかった。この子とは『スピカ』で喋りたくなかったから。
リアルでプレイヤーネームを出すのはマナーに反するって事で……
内緒にするけど許してね、ロラロニーちゃん。
『心臓ならし』
正式名称は『Heart injury operation』
心臓の慣らし運転と言う意味であり、ダイブ後は必ずこの"ゆったりと休憩する時間"を過ごす事が義務付けられている。
過去に存在していたDive式の体感型ゲーム ※1 において、精神のみで活動する仮想現実と昏睡とも呼べる状態の肉体のズレが大きな問題とされていた。
連続ダイブ時間の制限もなかった為、食事や水分補給を忘れて没頭してしまって肉体に深刻なダメージを負う者。
自身が剣を取り戦いに身を置くことで興奮状態となり、ダイブアウト後に普段では考えられないほど攻撃的になる者。
覚醒を続けた脳と眠りから醒めたばかりの肉体との間でスムーズな電気信号のやりとり、また自身が可能だとする現実の肉体では不可能な行動を取ろうとして、そのズレから些細な肉体運動に失敗してしまう者(転んでしまう・距離感が掴めず何かにぶつかる等)。
酷い事例で言うと、ダイブアウト後すぐに車両を運転し重大な事故を起こしてしまう者すらいた。
その対策として生まれたのが『Heart injury operation』。
『10倍に加速された仮想現実と現実における脳神経の使いすぎを元へと戻す、過ぎた覚醒を落ち着かせる脳の休憩時間を取るところ』であり
『ほぼ精神のみで活動を続けた人体が、再びきちんと現世で心と体の足並みを揃えさせる為の、実体の暖機運転をするところ』。
"心臓と脳"を"現実の肉体"に"慣らす"時間である。
内部には、ドリンクサーバーやベッド、マッサージチェア等様々な設備が用意されており、全てが無料で何をするのも自由。
コクーンルームと同じく性別ごとに分けられており、女性側には簡単な化粧用品等もおいてある(メジャー・クィーンでのダイブは液体に浸かるので、その後のシャワーと合わせて崩れたメイクを簡単に整えられる程度のもの)。
男性用心臓ならしの部屋には化粧品の代わりに何故かピンボールゲーム機が置かれている。
心臓ならし という言葉はその規定の時間を指すものであり、H.I.O.と書かれているのは『ここで心臓ならしをしてね』という案内の意味が強い。
心臓ならしをするその部屋自体の名前は公表されていない。
※1 Dive Gameの先駆け的存在の偉大な物であったが、それゆえに数多くの問題を起こした。その会社は疲弊が積もり、倒産という結末を迎えサービス終了となった。