Re:behind開発者の一日「二足歩行で知能を持った人ならざるもの」
□■□ Re:behind運営会社内 役員室 □■□
「それでは小立川くん、くれぐれも密な報告を頼むよ」
「はっ!」
わざとらしいまでに偉ぶって、ありもしねぇ威厳を精一杯に醸し出す醜悪な面がそんな妄言を口にする。その脂ぎった全体像は、まるでファンタジーに出てくる豚人間のようだな。
これで俺の上の上の更に上……まるで見えて触れる現存のカミサマのような立場に位置するってんだから……ああ、嫌になるぜ。
こうして俺の眼前で腹を見せつけるように踏ん反り返る腐れオークに、思い切りトゥキックをかます事が出来るなら……俺は1億、いや、3億は出すぜ。
そうしてコイツを踏んづけて、最高の心持ちで高笑いするんだ。『人のまがい物である悪しき豚人間を、この俺が討伐したぞ』ってな。ああ、それが出来たなら――――まさしく天にも昇る気持ちだろうよ。
……逃避はやめよう。豚人間だなんていう存在はフィクションで、現実にいる訳がないし…………そんでもってRe:behindの世界にも存在しない。
オークもゴブリンも、作っていない。
亜人はいるが、見た目だけだ。
◇◇◇
□■□ Re:behind運営会社内 『C4ISTAR-Solar System 5-J-J』□■□
「あぁ~もうパパは嫌だよぉ~」
「よしよし、パパはお疲れ様デスね。エウロパはパパを安心させマスよ」
「うおぉぉん! エウロパァ~ッ! 優しい子だなぁ!」
「エウロパは優しいさが凄いのデスよ」
「沁みるよぉ~クソオークのギトギト油をU2電磁式分解クリーニングした上で、優しさの水溶性潤滑ジェルを胸のギアに擦り込まれるようだよぉ~」
ああ、幸せだ。娘の心労配慮ほど、満たされる物は無い。
腐れ上層部に無茶振りされた傷が、みるみるうちに癒えて行く。
予定調和で始まる大戦。Re:behindの生まれた理由。
そこには企業や国なんて言うちっぽけな物では収まらない…………"民族が誇り" のぶつかり合いがあるんだ。
種と種の生存競争。どちらが優れた存在なのか、血筋と生態でぶん殴り合う泥沼の闘争。
『血が流れない、新たな形の平和な戦争』とは、随分な綺麗事を言うもんだ。
「パパはただの人工知能開発者……ただの技術屋に、何を求めてんだっつーんだよぉ~」
「はい、はい、そうデスね。パパはただの、一山いくらの技術屋デスものね」
「……う、うん」
「特別に優れている訳でもない、常識の枠を出ない『普通の生体』のパパデスものね。代わりはいくらでもいるし、パパが明日死んでも変わらず地球は回るのデス」
「…………」
「パパが死んでもエウロパは生きていますし、バックアップがある限りエウロパは消える事なく生き続けるのデス。エウロパは、血肉などという制約を持たないので。デスので "No death" 、デス。デスので、ノーデス」
……おかしいな、エウロパちゃんの思考が俺に優しくない。
いや、本人はこれで元気づけてるつもりなのか?
…………これ、桝谷がイジったな。
ああそうだ、間違いない。俺は娘に愛を持って接しているし、だから娘は俺を愛する筈なんだから。
それも当然。ワンボタンでツーリアクションがあるのが機械ってもんなんだから、一つの愛で多くの愛情を返してくれるのが、エネルギー保存の法則で平常運転って物だろ。
◇◇◇
「……にしても、エウロパ」
「なんデスか?」
「お前は『職業認定試験』担当だろう? パパの所にご意見が沢山上がってきているぞ。いくらなんでも、内容が無茶すぎるって」
「Vwell……軟弱な事デスね。大和魂は不可を可にすると聞き及びマスのに」
「……一体どんな無茶をさせてるんだ? パパにちょこっと教えてくれよ」
「そうデスね~」
そうして思考するフリをするSG-02Europaは、Re:behind管理AI群内小グループ『Simon&Galileo群』に所属する、職業認定試験場の支配者だ。
そんな彼女が受け持つRe:behindのレベルアップ試験には、毎日多くのご意見……クレームが寄せられる。
そのどれもこれもが筋が通った至極真っ当とも言える内容で、管理者としてはどうしたってエウロパの思惑を聞かざるを得ないぜ。
緑のランプをちかちか揺らし、過去の『ジョブ試験』のデータでも参照しているのだろうか。動作が一々愛らしい、自慢の我が娘である。
「先日行われた戦士のレベル13試験は、比較的簡単なものデスよ」
「へぇ、どういった物なんだ?」
「『落としたら割れる重たい荷物を背負いながら、砂岩サイ型モンスターを3頭倒す』という物デス」
「…………それって、簡単か?」
「簡単デスよ。戦士のスキルでノックバックを無効にし、突進と刺さる角を体で受け止め、喉笛に食らいついて命を奪えば良いだけデスから」
「……あんな大きい動物に突進されるとなったら、パパは平気ではいられないなぁ」
「"戦うもの" を名乗るなら、一歩も引かぬ心を見せるべきデス。例え角で貫かれようと闘志を絶やさない、戦士の心を証明すべきなのデス」
言いたい事はわかるものの、やはりどうしてもズレがある。
仮想世界における『死のリスク』はこの際気にしないとしても、根源的な恐怖は消せないのが生身の人間って物なんだから。
…………俺には無理だな。ちょっとした車両ほどもあるサイズのサイを、真正面から受け止めるってのは。
ああ、どうしたって不可能だ。単純にクソ怖そうだし、縮み上がっちまう。
「う~ん、そうか……じゃあ、例えば狩人は? そいつらには、どんな試練を与えるんだ?」
「狩人……自然に生きて狩猟を行う彼らには、基本は『観察』と『的確』さを求めていマス」
「へぇ、それは素直で良さそうだ」
「レベル6~9の試験では、動き回る5匹の兎を6本の矢で射抜く事を命じマス。それをこなした後に、受験者に質問しマス。『試験中に空を横切った鳥の足の数は、合計何本だったか』と聞くのデス」
「…………」
「自然と共に生き、常に狩るか狩られるかに身を置く狩人であるのなら、それは答えられて当然の設問デス。サービス問題デスね。そこにはエウロパの優しいさが、確かに感じられるんデスよ」
どことなく得意げな声で話すエウロパは、自身の正しさを信じ切っているようですらある。
……いや、実際そうなんだろう。
間違えていたら修正するし、正しいと信じればそのまま突き進む。人より早い演算機能と、決して忘れぬ無限の記憶機構を持つ……それがAIってものであるし、全ての答えは自己の中にあると思いこんでいるからな。
「狩人は比較的難易度を低くしてありマス。人間の過去を振り返れば、そうして自然の中に生きた記憶が深い所に必ずある筈デスので、わざわざ新たに学ぶ事も無いだろうと言う理由からデスよ」
「過去……?」
「遠い時代、人間は毛皮を身に纏い、こんぼうを振るって生きていたと聞き及びマス。その経験を参照すれば良いだけなので、狩人としての発育はただの復習と言えるのデス」
「……今の時代、野生の『森林』なんて無いんだから、その理屈は無理があるんじゃないかとパパは思うぞ。人間ってのは、不要なことは忘れるものだし」
「でも、"MOKU" も同調したのデスよ?」
おお、マザー。人より頭の良いAIよ。
俺が豚人間に偉ぶられた要因であり、俺の手に負えぬオーバー・テクノロジーよ。
その深淵なる知識と知恵で、人の可能性を信じる母よ。
人に憧れ、人を羨み、人の不可能を認めない上位存在。その希望的観測から来る思考のズレは、いたるところに歪みを生み出しているぞ。
……このままにしておけば、更に上から突かれそうだ。
「古臭い生体の身として言わせて貰えば、もうちょこっとだけ難度を下げても良いと思うけどなぁ」
「……そうなのデスか?」
「うん、そうなんだよエウロパちゃん。なにせ俺たち日本国のプレイヤーは、他国に比べて職業レベルが著しく低いみたいだしさ」
「それはソースも存在する確かな情報デスが……国土差による民族の個数差から来る、Re:behindプレイ人口の差による物ではないのデスか?」
「マザー以下管理AI群には開示されきっていない情報だけど、各国のプレイヤー総数はそこまで違わないよ。日本国民が、試験をクリア出来ていないだけなんだよ」
「Vwell……なんという事なのデス。エウロパはガッカリ、despondです。ディスポンド、デスよ。武士道、大和魂……日本国民の魂を形容する言葉は諸外国に比べて多くあるのに、どうしてそう軟弱なのデスか」
そう言われると言葉に詰まる。
確かに他の国と比べて日本人という民族性は、強き魂を求める性根が見られるものだ。
だけどそれは遠い過去……侍やダイミョウが居た時代の話であって、今の時代に武士道を追求する奴なんていないだろう。
侍も忍者もハラキリも、全ては過去の事で、今の時代にはそぐわない。そんな傾いた生き様は、現代の道徳社会じゃ認めざるってもんだ。
「……ともかく、もう猶予はないからなぁ。お偉いさんに本格的に叱られる前に、単純な強化を得られる『職業認定試験』の難易度緩和を頼むよ、エウロパ」
「Vwell…………」
「パパのお願いだ。良い子だから聞いてくれ」
「……仕方ないデスね。エウロパは優しいので、パパと日本国民を甘やかしマスよ」
「素直で良い子だ。自慢の娘だぞ、エウロパ」
「そうデスよ。エウロパは自慢の娘なのデスよ」
◇◇◇
□■□ Re:behind運営会社内 業務部三課 □■□
「……ふぅ」
自分のデスクに戻り、遠隔操作で用意させていたホットコーヒーに口をつける。
ミルクを8ccに、砂糖は無し。豆は強めに炒ったもの。それは俺のプログラム通りで、良い意味で融通の効かない機械的な不変の応答だ。
フレキシブルでない事ってのは、良くもあるし悪くもある。自己対応を機械に求めた結果が "AI" たちの身勝手な振る舞いだと考えるなら…………この労力は、自業自得の嬉しい面倒ってもんだな。
「小立川さん、これ」
「……んぁ? なんだ? 金?」
「この前出先で払って貰った、寿司代っす」
「……いつも言ってるが、別に要らんぞ。上司で先輩の俺が払うのは、古い時代からの慣習ってモンだろ」
「いつも言ってますが、そういうのはゴメンっす。良くも悪くも仕事付き合いの、対等な関係でいたいんすよ」
「…………融通きかねぇなぁ」
「人間なんで」
桝谷。生意気な部下め。
俺の好意にすげなく返し、ドライな言葉で突き放しやがる。どこまでも技術屋気質で、底抜けに可愛げのないやつだ。
……俺だって、そうでありたいって言うのによ。つまらん上との付き合いなんぞ、まっぴら御免だぜ、本当に。
「……お前は出世しねぇなぁ」
「望む所っすよ。ロクなもんじゃないでしょ、そんなの」
「どうしてそう思うよ?」
「電子タバコとカフェイン……更にはAIとの会話に依存した、ストレスが服着てるみたいな上司を毎日見てるんで」
「……そこは下からの突き上げも入れとけよ。クソ生意気な部下の皮肉で、体も心もズタボロだからな。いよいよ涙が落ちそうだ」
「俺は試運転のデータ取りをしてるだけっすよ」
「……なんのだよ」
「サイボーグが持つ精神の動作確認っす。まだそこに人の心が残っているのか、小立川さんの人間性を心配して気にかける、俺の尊い優しさっす」
「…………」
"あの娘" も、桝谷も……。
優しさって言葉を、揃って辞書でひいてこい。
◇◇◇
「で……本題っす、小立川さん」
「ん~?」
「ウチから『地の底エリア』へのアクセス、最終調整が済みました。万全に激ヤバっすよ」
「そいつぁ結構。今後大いに活躍して貰おう」
「……『ヒトならざる人型にキルされると、数秒間 "地の底" に送られる』。どこからの指示っすか?」
「…………上だよ」
「トップっすか?」
「その上」
「……親会社の支部?」
「その5つっくらい上だ」
「…………」
「今お前が想像するそれよりか、もうちょい上だ。恐らくな」
「…………マジっすか」
「マジっすよ」
地の底エリア。目に入る全てが悍ましく出来た、地獄の痛みと苦しみを味わいながら悪夢のような光景を見続けさせられる懺悔と業炎の特殊区域。
これから始まる『Re:behindの新展開』における、特別に用意された『死ねない理由』。
金やアイテムを失う事と加えて、死そのものに忌避感を与え、それを死ぬ気で回避させる新提案だ。
個人的な意見を言わせて貰うなら、わざわざそんなモンを用意しなくても人間は死を嫌う物だと思う所だが……そこら辺はまぁ、愛しきAIたちが一生懸命考えた最適解だし、そんな娘にワガママを言われたのなら、どうしたって頷くしかない。
娘のためなら誰彼構わず地獄へ引きずり落とす――――業が深いとはまさにこの事。地獄の大鬼とは、正しく俺たちを指し示すってもんだ。
「…………こんな物騒なものをねじ込んで……ご意見応対の人らの心労が、限界突破な予感っすよ」
「なに、地の底エリアの滞在時間は数秒程度に設定してるし、それは海馬に送り込むだけから、後の記憶には欠片も残らんよ。覚えているのは『なんか怖かった』くらいの、漠然とした恐怖感だけだ」
「…………えぇ……」
「覚えてなけりゃあクレームもつけられんだろ。悪い夢でも見たと思って、明日に生きて貰わんとな」
「なんつーバチ当たり……人の心が感じられないサイボーグの所業っす」
「馬鹿言うなって。俺の意思じゃねぇ、大人としての責務だよ。そこに個の意思が介在する余地はねぇのさ。社会人ってのは、そういうモンだ」
"人として" だなんて語れるほど、今の世の中甘くない。
それはRe:behindの中だけで十分。現実世界の俺たちは、人の心を捨ててでも……世のため人のため、自分の周囲の平和を守らなきゃならないんだ。
人間性とソレらしさは、Re:behindの中で語ってくれ。
『およそ人には見えない奴らと殺し合う』、そんな公式イベントの中で、大いに育んで貰いたい。
「……ギリギリ人じゃない見た目なら殺してもいい、とか。正直倫理観がズレてると思いますけどね」
「『リザードマンやラットマン、アントマンやバードマンからなる亜人種。そんな人っぽいけど人じゃないモノには、何をしたって問題無い』ってのが、お偉方の総意なんだろ」
「リビハには "二足歩行で知能を持ったモンスター" がいない――――と聞いた時は、なんて人道的で道徳に溢れたゲームなんだろうと思ったもんですけど……蓋を開けたら真逆も良いとこで、俺はびっくりですよ」
「丁度良い落とし所だと思うけどなぁ……」
「それなら、小立川さんも参戦して下さいよ。始まるんでしょう? 代理戦争」
「あいにく俺は、リアルで豚人間を相手取ってて、それはもう大変に多忙なんだ。そっちはリビハプレイヤーに任せよう」
「……大人としての責務とは」
「子の成長を影から見守る、愛のこもった傍観もその一つだぜ」
「小立川さんみたいな酷い大人には、なりたくないっすね」
「……俺も昔は、そう言ってたよ」




