第十七話 見えない不幸
◇◇◇
"よう、調子良さそうだな"
そんないつもの文句と共に飄々と現れた灰色の男は、いつも通り格好良かった。
隻腕ながらもはっきりとした力強さを感じる立ち姿は、確かなトッププレイヤーの貫禄があったし、そんな強者たる存在に認められている事が嬉しく思えたし、そんな男と友人である自分が――――サクリファクトというキャラクターと、それを操作する俺自身が、誇らしかった。
その後の戦いもそうだ。惚れ惚れした。
序盤こそ道化師のスキルに手玉に取られていた物の、そこからの怒涛の攻勢は……それはもう熾烈を極め、目にも留まらぬという言葉がぴったりで。
剣を振るかと思わせ、手放すその奇襲から……身を焦がす事も厭わない捨て身の攻撃。
持ちうる全てを使った、全身全霊の殺意の連撃。工夫をこらしたトリッキーかつ効果的な行動の数々。
その一つ一つが明らかな決死の一撃で、この場を覆う灰越しに広く見渡す俺ですら、時折状況を把握しきれない程の瞬撃の連続だった。
一拍遅れで起きた事を理解した際には、息を呑み、そしてそれは感嘆となって吐き出された。
万全でない体の何たるものか。俺の友達は、先輩は、最強だ。
そんな歴然たる事実を、再認識させられた。
「……流石【死灰】。カッコいいぜ、マグリョウさん」
「――――終幕だぜ、死の輪をくぐれ……クソピエロ」
そんな激しい戦いの果て、思わず漏れた俺の独り言とほぼ同時。
とうとう命を奪う決戦の突きが『ジサツシマス』の横っ腹に吸い込まれる…………かと思った、そんな時だった。
「――――っ!!」
「ひぇ~…………ん?」
不意にマグリョウさんがその腕をブレさせて、剣は虚空へ突き刺さる。
……なんだ? 何が起こった?
また道化師のスキルかと浮かんだ考えは、俺と同じく困惑顔なジサツシマスの態度で否定される。
何だ? マグリョウさんの身に、一体何が起きたのだろう。
灰のオーラが、俺の眼前で揺らめいている。
「あれぇ? ボク今、結構ピンチだった気がするんだけど……?」
「…………て、てめぇ……」
「ん?」
「…………前」
「……へ?」
「前……隠せよ」
「え? 前? …………ああ…………いやぁんっ」
そう言って顔を背けるマグリョウさん。
そんな彼と相対するニンジャな女は……服をはだけさせ、胸部を大胆に露出させていた。
なるほど。ジサツシマスの服がはだけていたから、咄嗟の休戦とした訳か。
確かに身だしなみは大切だもんな。
殺し合いをする前に、まずは身なりを正さないといけないよな。
なるほどね。
いやいやいやいや、おかしいだろ。全然 "なるほど" じゃないわ。
今って決闘の最中だろ? 服装とかどうでもいいだろ。
このタイミングで、何を気にしてるんだ。全く意味がわからないぞ。
俺の知り得ぬ大きな理由でもあるのだろうか……リビハのシステム的な何かとか。
「……予備の防具とか、羽織るものとか……あるんだろ、クソ女」
「意外と紳士なんだね? 殺し合いの真っ只中だと言うのにさ」
「……良いから着ろよ。つーか、隠せよ」
「んふふ、そんな事言いながら、実は興味が――――あ」
そう口にするマグリョウさんは、これでもかと言うくらい視線をそらしている。
それはもう大げさなくらい。顔どころか、すっかり後ろを向いてしまっているぞ。
……どうしてそこまでするんだ、先輩。
「もしかして死灰って…………んふふ」
「もう服着たか?…………って、な、何してやがる!」
「んふ……ちら、ちらっ」
「な……っ!? や、やめろよ! 女の子が、そんな……っ!」
「あ~、今見たでしょぉ? 死灰のえっち~」
「み、みてねぇよ! 殺すぞ! 死ね! 死なす!」
そんな対応を受けたジサツシマスは、胸を腕で寄せながら……見せつけるようにしてマグリョウさんへとにじりよる。
その姿は、肝心な部分は見えていないにしても……二つのささやかな膨らみがあらわになっていて、中学生くらいだったら顔を染めてしまうのも仕方ない、と言った所だ。
逆を言えば、その程度。モザイクのいらない、雑誌のグラビア程度。
思春期の男子が興奮する程度で、大の大人が恥ずかしがるものではない。
…………だと言うのに。
俺の友人、マグリョウさんは……目に見えて狼狽し、焦った声で大慌てだ。
「ほらほら~、ちらりちらり」
「や、やめろっ! 寄るんじゃねぇ!! それ以上こっちに来たら、ぶち殺すぞ!」
「そうして殺して、ボクの死体をじっくり見るの? あられもない姿のままに、動かなくなったボクの体を視姦するのかな?」
「み、み、見るわけねぇだろ! いいから服をちゃんと着ろよてめぇ!」
……なんだこれは。
元々薄く、そして面積の狭い服装だった『ジサツシマス』が戦いの中でことさらに肌を露出させ、ギリギリ健全と言える程度の所まで見えている姿のままに、マグリョウさんへと近寄っていて。
更に今では腰を覆う布を指でつまみ上げ、太ももからその上らへんを自分で見せつけるようにたくしあげている。
それを受けたマグリョウさんは、視線を必死に逸しながらも、ずりずり後ろへ下がり続けるばかり。
その顔は羞恥に染まっていて、真っ赤な顔で口にするのは…… "いやらしい格好をやめろ" と言う、なんとも情けないフレーズだ。
もう一度言う。なんだこれは。
孤高の軽戦士、【死灰】のマグリョウ。
極悪非道のPK、【殺界】のジサツシマス。
誰もが認めるトップクラスの戦闘職な二人の間で行われるこのやり取りは……間抜けで逆セクハラな、酷くふざけたこの状況は……一体なんなんだよ。
「――くっ! 『はやぶさ』ぁっ!」
「……おやや?」
「――――死に晒せ、変態女っ!」
「……ばぁ」
「うわぁっ!」
……速度を上昇させるスキルで回り込み、変なものが見えない背後から剣を振りかぶったマグリョウさんは――――くるりと振り向いた彼女を目にして、顔を背けてへろへろの斬撃を放つ。
何という戦法だ。扇情的な姿を童貞に見せつける事により、戦意をそぐ新時代の画期的戦術。
このサクリファクトの目を持ってして……その本質は見極めきれない、斬新すぎる戦い方だ。新しい風を感じるぜ。
……嘘だ。新しい風とか全然感じないわ。
気にせず斬っちゃえばいいだけだろ。何してんだよ先輩。
「お、おま――ふざけんな! 真面目にやりやがれ!!」
「ボクは真面目やよ~? 死灰が勝手に恥ずかしがるんでしょう?」
「お、女の子がそんな……は、は、肌を見せてるんじゃねぇよっ!!」
「……キミ、いくつなの?」
不本意だけど……ジサツシマスと、同意見だ。
マグリョウさんは、ちょっとおかしい。
◇◇◇
「ほらほら~苦無が飛ぶよ~」
「……くっ!」
「見ないと避けられないんじゃないかな~?」
「……クソが……っ! 恥じらいってもんはねぇのかよ! 淫乱女!」
戦局は一変した。
灰と塵が舞う自分のエリアで優位に立っていたマグリョウさんは、今や全身ボロボロで。
死灰に紛れるマグリョウさんを見失っていたはずのジサツシマスは、『接触防止バリア』ならぬ『視認防止バリア』を手にして、やりたい放題だ。
そのそもそもの原因が "マグリョウさんが尋常ならざる恥ずかしがり屋" だってのは、なんとも言い難い所だけど…………こうなった過程はどうあれど、まずい事態である事に変わりはない。
「そのまま顔を背けていても、ボクの命は消せないよ?」
「……クソッ! クールなやり方じゃないが、仕方ねぇ……『コール・アイテム』」
「わぁ、大盤振る舞いだねぇ」
ストレージ内のアイテムを喚び出すスペルをマグリョウさんが唱えると、3つのポーションが出現する。
あれは……瓶にうっすら描かれたマークからして、カニャニャックさんお手製の爆発ポーションだろう。
見えないならば、と……声が聞こえる方面をまるごと焼き払う手のようだ。
「――それはちょっと困るから~……えい、えいっ」
「……チッ」
しかしそんな起死回生の一手は、ジサツシマスの投げた黒鉄の飛び道具で撃ち落とされる。
あれは……なんだ? 星のような形の薄い物で、爆発ポーションが壁に縫い付けられているぞ。黒いヒトデのような謎の物体だ。
「――――シュリケン、って言うんやよ。可愛いでしょ?」
「……随分狙いが正確だな。道化師の的当ては、失敗するモンだろうが」
「んふふ……今のはニンジャのお仕事。ピエロの仕事はこっちかな――――『競争』『にらめっこ』」
「な……っ!?」
灰にまみれた空間の中で、ジサツシマスから顔を背けていたマグリョウさんの首が……ぐりん、と勢いよく動く。
今の遊びは――『にらめっこ』。きっと強制で視線を合わせる物なのだろう。
程よく冷めはじめていたマグリョウさんの顔が、みるみる内に赤くなる。
どんだけ恥ずかしいんだよ。なんだか俺まで赤面してしまいそうだ。
「笑うと負けやよ? 負ければ視線は外せるかもね。敗者に "罰" は、あるけれど」
「……う、あ……っ」
「んふふ、真っ赤っ赤だねぇ……んふ」
そうして顔を向き合わせながら、硬直するマグリョウさんに肉薄し……ぴたりと体をくっつける。
そのまま壁に押し付けて、正面から抱きしめる格好になった二人の上には……壁にくっついた爆発ポーションだ。
「……ボクは殺界。不運の象徴。道を歩けばつまずくし、椅子に座れば壊れて尻もち。木陰を通れば、毛虫が落ちる」
「は、離しやがれっ! ふしだらだぞ!」
「壁に実った爆弾は、ボクに向かって……落ちてくる」
「――――ッ!?」
言うが早いか、爆発ポーションが三つまとめて落下する。
それはまるで吸い寄せられるようにジサツシマスに向かって行って――――背の低い彼女が、背の高いマグリョウさんの影に隠れれば、爆発は彼の背中で受け止められた。
明らかなダメージ、俺なら死んでる大爆発。
決着が迫る……そんな予感がする。
◇◇◇
正直な所、予想外だ。
隻腕ながらに、マグリョウさんは最強な男だったんだから。
順当に行けば、確実な勝利が待っていた筈だったのだから。
それもこれも、アイツが齎す不運のせいだ。
"マグリョウさんは、女の子のあられもない姿が苦手" とかいう、偶然にも程がある展開のせいなんだ。
そんな不測の事態ですらも、【殺界】が引き寄せたアンラッキーなのだろうか。
…………不運、か。
そもそもの話、運に見放されているのは、アイツの――――ジサツシマスの筈だろう?
どうしてマグリョウさんが不幸な目にあう。結果的に良い事が起きているアイツの、どこが不運だ。何が殺界だ。
賽の目に嫌われるのはあの女の役目だってのに、こんな二つ名……これじゃあ詐欺だ。
…………アイツの不運は、ジサツシマスの不幸な事は、この場のどこにあったのだろう。
マグリョウさんが来た事か? そんな彼が、隻腕ながらに戦えた事か?
それとも、ああ――――この場自体が、そうなのか。
不運のピースが散らかっていて、まだ目に見えてない可能性。
体が痺れて倒れる俺の、頭はきちんと回る事。マグリョウさんと俺が友人である事。俺を取り巻くこの状況。
…………考えよう。
ヤツが運の女神に嫌われる凶星ならば、必ずどうにかなるはずだ。
それを信じて、探り出せ。サクリファクト。
◇◇◇
「『死灰』」
そんな短い思考の末の思いつき……先輩であり友人である彼の二つ名を、試しに小さく呟いてみる。
やっぱりだ。
僅かながらもはっきりと、灰のオーラを視認出来た。
――――ヒントはあった。
マグリョウさんとダンジョンに行く前……首都で彼の二つ名を口にした時、灰のオーラが浮かんだ気がした。
ダンジョンでの一幕もそう。
俺がソレを口にしたから、灰のオーラが呼び出され……マグリョウさんが、灰色に染まって見辛くなった俺にナイフを当てる事故が起こったんだ。
ついさっきですらそうだった。
俺が【死灰】と口にした時、その都度俺は彼と同じ色に染まってたんだ。
何故そうなのかはわからない。
わからないけど、とにかく俺には……マグリョウさんと同じ『灰のオーラを身に纏い、認識阻害が発生する』という二つ名スキルが確かにある事を、理解する。
マグリョウさんと同じ灰色。ピクニック帰りで、持ったままの荷物。
僅かに効果は薄れた物の、まるで自由には動けない、麻痺毒に蝕まれた体。
全てが弾けて混じり合い、ほんのり色づく一つの策となる。
…………ジサツシマスの不運のピースは、ここに揃った。
俺はローグで "ならず者"。ついでに策を弄する小細工の男。
運気を待つなんてお上品な事はせず、ヤツの不運をこの手で引きずり出してやる。
後はソレを――――整えた策を、友達に……。
マグリョウさんだけに、伝えるだけだ。
◇◇◇
「……ハァ……ッ…………ク、ソが……」
「んふふ、残念だねぇ。片腕ながらに色々したのに、結局何も出来ず終いでさ」
「…………る、せぇ……」
「キミが消耗しきるまで逃げようと思ってたのに、気づけば勝手に隙だらけになるんだもの。今日の死灰の運勢は、とっても大凶だったねぇ」
「…………」
「マグリョウさんっ!!」
「……なん……だ?」
「俺は【死灰】の友達で…………痺れて何も出来ずにいるのが、くやしい!」
[[ Pick up!! ]]
・マグリョウさんとダンジョンに行く前……首都で彼の二つ名を口にした時、灰のオーラが浮かんだ気がした。
→→→「第五話 よちよち歩きのウサギちゃん」の終盤。サクリファクトが【死灰】と口にした時に灰のオーラを見ていた所。
・ダンジョンでの一幕もそう。
→→→「第七話 TK」の中盤~終盤。サクリファクトが【死灰】と口にし、その後マグリョウが「何故かわからないけど、サクリファクトが見えづらかった~」と発言した所。
・ついさっきですらそうだった。
→→→この「第十七話」前半の「流石【死灰】。カッコいいぜ~」から、 "灰のオーラが、俺の眼前で揺らめいている" という描写。
サクリファクトが『死灰』と口に出した時、灰のオーラが出ていました。




