第十二話 オトメ・オン・ザ・ビーチ 下
□■□ 首都東 海岸地帯 □■□
「……海、か」
「…………」
「あんまり見たい物じゃないんだけどな、この景色」
白い砂浜、青い海。
心を躍らせる鮮やかな色彩を、苦々しげに見つめるサクリファクト。
……あの日、リスドラゴンと戦った日。
その最後の最後にサクリファクトに降り掛かった、大きな災い。
『聖女の反則ヒールで、頭が破裂して死ぬ』と言う、衝撃的にも程がある結末。
首都にあった『聖女の広場』が、別の名前で呼ばれるようになったとある事件。『血の噴水』『赤百合の園』……それらを経由した後に定着した『元・聖女の広場』と言う呼称。
様々な物を工夫もせずにそのままの言葉で表現する雑なRe:behindプレイヤーであると言うのに、あの広場だけはきちんとした固有名詞で呼んでしまうほど印象深い……そんな出来事。
誰も彼もが心酔し、人間嫌いのマグリョウですら認めていた【聖女】のチイカが、初めて狂気を露出させて暴走し手当たり次第にPKをした時は……その広場にいる殆どのプレイヤーが頭を破裂させられた。
聞く所によれば、その時の被害者の多くはその日以降ダイブする事をやめてしまったらしい。
それほどまでの凄惨な死に方で、残酷なまでに抗いようの無い絶望だったのだから、それも仕方がない。
この男、サクリファクトは眼の前で――――マグリョウのストーカー スーゴ・レイナの死に様を見せつけられ、その後に自分も同じくして死んだ。
きっと、多分……レイナが頭を弾けるのを見たから自身に起こった事をはっきりと理解していて、だからこそトラウマとなっているのかな。
何も知らないままにふわっと死んでいれば、そこまで恐怖はなかったかもしれない。
はっきり『ヒールで頭が弾けたのを見てから、自分もヒールで等しく死んだ』とわかってしまっているから、忘れられないんだ。
何も知らなければ、ここまでの恐怖もなかっただろうに。
◇◇◇
そんな私の今日の目的――――するべき事は、唯一つ。
この男のトラウマを解消する事と、スピカに惚れさせる事、二つを合わせて、一つの目的。
『ロラロニーちゃんの為に』。彼女を守る私の役目。
トラウマを消すのは、サクリファクトを心配して涙を浮かべる、そんな優しい彼女の憂いを取り除く為。
スピカに惚れさせるのは、それによって彼女へ向かっているであろうこの男の恋心を私に向けさせ彼女を守る為。
ロラロニーちゃんは何の心配もなくこの世界を楽しむべきであるし、付き合う相手はもっと素敵な男の人を選ぶべきなんだもん。
だから可愛い魔法少女の献身で、この男のトラウマを消すのだ。
あの子に近づく悪い虫は、私が演じる『スピカ』という虫取り網で根こそぎ処分しちゃおう。
全部が全部、彼女の為。
なんとなく……この男が苦しんでいるのを見たくないっていう、そんな自分の気持ちもある気がするけれど……。
ううん、それは気のせいだ。私はコイツが気に入らないんだから。
今回ばかりはまるごとロラロニーちゃんの為。
絶対そうだよ。間違いないんだから。
「……で、何するんだよ」
「……ん」
「な、なんだよ。ひっぱるなよ……そっちは海だぞ? 濡れちゃうぞ」
「…………」
とりあえず、ここがどんな場所でそこにどんな感情があったとしても……結局の所ここにいるのは、一人の男と一人の女だ。
男女が一人ずついて、青い海があるのなら……やることは一つきり。
「…………」
「なんだ……? って、冷てぇ。やめろよ、何で水かけるんだよ」
「……え~い」
「やめろっての! 風邪ひくだろ!」
ぱちゃり、と水をかける。まるで映画のワンシーン。
本当は王子様みたいな素敵な人としたいけど、今日ばっかりはこの男で我慢しよう。
「……反撃」
「いや、俺は……しないけど」
「……えい」
「うわっ! しょっぺぇ! 口に入ったぞ!」
「……報復?」
「……いや、やらねぇよ。俺が水かけたら、スピカが濡れちゃうだろ」
「…………」
「もういいだろ、あんまりやってると手がふやけちゃうぞ」
……なにこいつ。
こういう状況での水のかけっことか、そういうのを知らないのかな?
きゃっきゃうふふと男女が浜辺で遊ぶシーンを、見たことがないのかな?
…………つまんない男。ノリも悪いし。どうして私が濡れる事を嫌うのかわからないし。
っていうかリビハで風邪はひかないでしょ。
「……ん」
「今度はなんだよ、砂を寄せ集めたりして……」
「砂山」
「何の意味があるんだ? それ」
仕方ないから水遊びはやめにして、白い砂で遊ぶ事にしよう。
山を作って、トンネルを掘るのだ。
そうして砂の穴の中で手が触れ合い、お互い頬を染めたりして――――うん、よくあるシチュエーションだ。青春っぽいし、とってもロマンティック。
「……洞穴」
「穴を掘るのか? おい、崩れちゃいそうだぞ」
「細心」
「やばいって、もう形が……あ、そうだ」
「……?」
「さっき拾ったこの流木で掘ろうぜ。手よりはずっと掘りやすいし」
「…………」
「――ほら! 開通だ! こういうのは、道具を使うのが良いんだよ」
「…………」
本当、なにこいつ。
私はどうしてもトンネルが掘りたかった訳じゃなくて、ふとした触れ合いでドキドキしちゃうシチュエーションがしたかっただけなのに。
棒を使って穴を開通させてドヤ顔とか……空気読めてなすぎるでしょ。最悪な男だ。
どうして私が砂の中で木の枝を掴まなくっちゃいけないの? なんなのこれ。枝とロマンスは無理がある。
「……それで、次はなんだよ?」
「…………」
「あれ? 寝ちゃったのか?」
「…………」
寝てる訳がない。俯いて考えているのだ。
特にこれといったプランも立てていなかったから、サクリファクトといい思い出を作って海岸のトラウマを失くす手段が、すでに全く思いつかない。どうしよう。
「なぁ、眠いんだろ? 目も半分閉じてるしさ。もう帰るか?」
「…………」
何でそんなに寝てるか聞いてくるのかと思ったら……この男、私のジト目を眠気から来てるものだと思ってるみたい。
馬鹿じゃないの? こういうキャラ付けだって、わかるでしょ、普通。
わかった上で、そういうキャラとして対応するでしょ、普通。変なやつめ。
◇◇◇
……ふぅ。もう仕方がない。
ここは私の得意スペル『冬空』で、自らロマンチックを喚び出すしかないよ。
本当はここぞと言う時にしか使わないスペシャリテな物だけど、今こそその時だと……そう言えなくもないから。
「大犬・子犬・馭者・麒麟。
星空・天象…………『冬空』」
両手の人差し指を指揮棒のように振るい、空に星を浮かべ並べる。
絶対防御の守護スペルは、空でちかちか瞬きながら辺りをファンタジーに変えてくれるのだ。
これを見て何も感じない人なんていない。マグリョウだって影で褒めていたと、カニャニャックが教えてくれた。
……あの【死灰】のお墨付きすらある物なんだから。
「……お~」
「ん」
「なんだ? 座れって?」
「肯定」
そんな星空を見上げながら、二人きりの隣同士で浜辺に座る。
誰もいない砂浜で、きらきら瞬く星を見て……まるでフィクションの中のよう。
こんな素敵なシチュエーションで、胸をきゅんとさせない人なんている訳がない。
「星だな~」
「…………」
平気な顔をして間抜けな事を言っているけど、この男だって絶対ドキドキしているはずだ。
だって私が――このスピカが、こんなに近くに座っているのだから。
誰もが羨むこんな状況、ドキドキしていないと許されない。
…………してるのかな? ぼへ~っと口を開けて空を見てるけど……ドキドキしてるの?
足をだらりと投げ出すサクリファクトの姿からは、ロマンスの気配がカケラも伝わって来ない。
「良い感じだな~……妖精みたいにふわふわ動いててさ」
そりゃあ、見てもらう為に星を出したんだから、それを見るのは当然だけど……。
隣に座った私に一瞥もくれず、空を見上げるこの男……。
皆のアイドル・スピカちゃんが隣にいるというのにいつも通りの態度で……なんとなく、不愉快だ。
私のお尻の下にある、砂で汚れないようにする為の薄く伸ばした光球は、この男には――出してあげない。
何か、気に入らないから。
「……あれは、何て言う星座の、何て言う星なんだ?」
「何処?」
「ほら、あのアレだよ――――右から二つ目」
「……っ!」
そう言いながら、私の顔に頬を寄せて星をさし示すサクリファクト。
……近い。肌が触れる寸前だ。
この【天球】スピカに、なんたる狼藉。
私の従者が見たら、決闘申請がひっきりなしに飛んでくるに違いないよ。
「…………馭者、カペラ」
「へぇ、綺麗だな。一番光っててさ」
……星をさす手をおろしても、元の位置には戻ろうとしない。
いや、少しは離れたけれど……やっぱり近い。
何なの? このスピカに近寄りたいの? やっぱり私に惚れてるの?
だけどこっちはちらりとも見ず、頬だって全然染まってない。
私はこんなに顔が熱くて…………ああ、何かがおかしい気がする。よくない流れが、すぐそこにあるような。
「……凄いよな。このスペル」
「……当然」
「魔法師? 女司教? その辺のレベルが高いってのもあるんだろうけど、やっぱりさ」
「……?」
「こういう綺麗なスペルを編み出せる、そのセンスが凄いよ。こんなに趣味の良い物を生み出せるその発想力が……俺は凄いと思うんだ」
センス。ファッションデザイナーの――――スピカではない、私。
『粕光 乙女』の持っているもの。
それを、凄い凄いと嬉しそうに褒める、この男。
「俺にはとても思いつかない、綺麗で繊細な、女の子らしくて可愛らしいものだ。スペルなんて燃費も悪くて出来る事もたかが知れてる、なんて思ってたけど……スピカのこれを見てから、スペルキャスターも悪くないなって思わされたよ」
「…………」
「こんな事言ってたら、マグリョウさんに怒られちゃうかな。『おいおい、お前は軽戦士になるんだろ?』とか言ってさ。ははは」
「…………」
何が綺麗だ。何が繊細だ。
私が演じるスピカじゃなくて、スピカの中身の乙女を褒めるのは……やめるべきだ。
水のかけっこもしないくせに、砂山の触れ合いも出来ないくせに、女の子と素敵な時間を過ごす事の出来ない唐変木のくせに。
リスドラゴンの時だって、ロラロニーちゃんに好意を寄せているようだから "ドジっ娘萌え" なのかと思ってわざとポーションを間違えてあげたのに、まるで惚れてこなかったし。
そんな私がスピカとして演じる……計算づくでした所に魅力を感じず。
私の素の行いばかりを褒めるのは……やめてほしい。
スピカを想う気持ちに対して、ひらりひらりと躱すのは――慣れっこだけど。
リアルの私を見透かして言う言葉は、どう受け止めたらいいかわからない。どうしたらいいかわからない。今の自分がどんな顔をしているかも……わからない。
『絶対防御』はスピカの特技。中身の乙女は、そんなに器用じゃないんだ。
「……スピカはさ」
「…………」
「俺が怖い思いをしたこの場所で、楽しい事をして……元気づけようとしてくれたんだろ?」
「…………」
「ありがとな。正直トラウマは消えてないけど……そうしてくれた事は、何より嬉しく思ってるよ」
気に入らない。気に入らない。本当に気に入らない。
スピカを褒めずに、私を褒めるな。
演じている所は無視して、演じていない素の部分ばっかりに、反応するな。
私はスピカで魔法少女だ。トッププレイヤーで【竜殺しの七人】で【天球】なんだ。
誰の前でも平静を保って、ジト目でへの字の無口な魔法少女を演じてきたんだ。
どんな言葉でも揺らぐことなく、私はスピカで在り続けたんだ。
そんな私が、こんな末端の初心者プレイヤーに。
何の変哲もない平凡な男に、行き当たりばっかりで自己犠牲の押し付け男に――――。
「そうしてくれるスピカがいるから、もう少し続けてみようかな、Re:behind」
「…………」
「ん?」
「……うぅ~っ」
「何だよ、どうした?」
「…………ペッ!!」
「うおっ!? 何すんだ、いきなり!」
「――ペッペッペッペッ!!」
「どうしてツバ吐いてくるんだよっ! 別に俺、変な事言ってないだろ!」
こんな男に私が、スピカが――――心を揺らされるなんて、あってはならない。ありえない。
こんなのおかしい、何かの間違い。
出て行け、私のおかしな気持ち。涎となって飛んでいけ。
「ペーーーっ!!」
「何なんだよお前は! ほんと、きったねぇなぁ!」
サクリファクト。
本当に本当に気に入らない男。
ロラロニーちゃんの恋人には…………絶対、相応しくないんだから。




