第九話 ツシマ
□■□ Re:behind 首都 裏通り □■□
あれから、マグリョウさんとは一度別れる事になった。
カニャニャックさんと話したい事があると言っていた彼は、それはもう晴れやかな……マグリョウさんらしからぬ、だけどそれでいて凄く彼らしい純粋な感情表現に満ちた顔つきで。
きっと今日の出来事を、誰かに言いたくて仕方ないのだろう。
今頃あの顔で『この【死灰】に、初めて友達が出来たんだぜ』とか、言っているのかな。
カニャニャックさんの持つ【ドクターママ】という二つ名が、マグリョウさんの母親のようだと言う部分から来ていると聞いた時は半信半疑だったけど、今ならそれも すとん、と納得出来てしまうぜ。
確かにあの顔は、良い事があったのをお母さんに報告する子供のような、そんな顔だったから。
それにしても、二つ名…………二つ名か。
Re:behindでの様々な生き方に応じて、誰かにそう呼ばれる事で勝手に付けられる、あだ名であり称号であり特殊能力でもある存在。
それはリビハの運営による、24時間体勢の検閲装置によって『どれほどそう呼ばれているか』を調査され、いつしか運営によって自然と付けられる物らしい。
…………あのリスドラゴン戦の、ゲーム内外での生配信。
それによって、俺の顔もある程度売れただろう。
別に、望む所ではなかったけど。
もしかすると、それによって俺にも二つ名が付いているのかもしれないな。
殆ど全てがマスクデータのこの世界では、どこでどうやって確認するのかわからないから…………今度カニャニャックさん辺りに聞いてみよう。
「――あいたっ!」
「おわっ」
そんな事を考えながら歩いていたら、誰かとぶつかってしまった。
当たりどころが悪かったらしく、その相手はダメージを負ってすらいるようだ。申し訳ないことをしてしまった。
「……あ~、すいません。ぼーっとしてました」
「いえ、こちらこそ~……あれっ?」
……小さいキャラクターだ。帽子を目深に被って、少し長目の黒い髪の毛に黒い瞳な、俺と同じ色合いの風体。
顔は随分整った、まるで少女のようにすら見える可愛らしいものだけど…………。
そんな可愛げのある部分をさっぱりかき消してしまうほどに、声が低い。
筋骨隆々の教官ウルヴさんや、その辺のハゲマッチョよりもよっぽど野太い。
そのアンバランスさは、中々のものだぞ。コイツ、キャラクタークリエイトが死ぬほど下手だな。
「あれ? もしかして……サクリファクトさんですか?」
「えっ…………はぁ……まぁ、そうっすけど…………」
「わ~! 凄い! ボク、貴方のファンなんですっ!!」
「…………えぇ? ファン? この俺の?」
◇◇◇
「すごかったです、シマリスのドラゴンが襲ってきたあの日の、全部っ!」
「ああ……そ、そうっすか……」
「ありとあらゆる物を使う巧妙な作戦も、それを【竜殺しの七人】たちに納得させる言葉も! すごかったなぁ……」
「そんな、あんまり言われると逆に…………」
「……それと、綺麗で激しい、印象に深く残る……死に様」
照れから外していた視線を、はっと戻して見つめてしまう。
……何だ? 今の悪寒。
コイツが "死に様" と口にした、その声は……声の低さや内容なんかが気にならないくらいの、心を揺り動かす響きだった気がした。
「有名な方々も沢山いましたけど、ボクはあなたが一番だったって、そう思うんです!」
「…………は、はぁ……」
「良かったら、腰を落ち着かせてお話出来ませんか? お金はボクが出しますよっ!」
「え、はぁ」
「そこのお店はどうですか? 最近話題の『砂海トビウオ』の料理がとっても美味しいんですよ!」
「まぁ、いいっすけど……奢りは申し訳ないっすよ」
随分とぐいぐい来る奴だ。軽やかな語り口と低い声が、絶望的に合ってない。
だけどなんだか…………こうして思いっきり求められるのは初めてだから、ついつい乗ってしまった。
声からして男だろうけど……マグリョウさんと言い、最近男にばっかりモテてるな。
嬉しいような、そうでもないような…………。
「大丈夫やよ。臨時収入が、あったから。んふふ」
…………そう言っていたずらっ子のように笑うコイツは……。
男とは思えないほどの、色気があって……。
はっ、いかん、いかんぞ。
男にばっかりモテてるからって、頭がおかしくなってる気がする。
俺が好きなのは、女の子だ。
手をつなぎたいのも、甘い言葉を囁きたいのも、肌を重ね合わせたいのも…………女の子。
どれだけ顔が可愛くたって、声が低くて性別は男。
変な目で見るなよ、俺。
「――――んふふ」
「ん?」
「あ、何でもないですよっ」
◇◇◇
□■□ 首都 大通り沿いの料理店『ペールナチュール』店内 □■□
「ええっ、あの【死灰】とですか!?」
「ああ、うん。あんまり大きい声で言うなよ」
首都の有名料理店『ペールナチュール』の一席で、会ったばかりの奴――――プレイヤーネームは『ツシマ』と言うらしいが――――そんなコイツと二人きりで食事会だ。
割とお高いお店であるから、ある程度名の売れたプレイヤーしかいないここは、ちょっとばかり居心地が悪い。
そんな俺とは打って変わって、ただの茶色いローブに武器も見えないという大した装備でもないツシマは…………随分と堂々たる振る舞いだ。
……何でだろう? 性格なのかな。リアルで金持ちとか、そういう事でもあるかもしれない。
「凄いですね! あの【死灰】と一緒にダンジョンに行っただなんて!」
「そんな大したもんじゃないって。誘われただけだし」
「それが凄いんですよ~。あの人って、誰とも馴れ合わない事で有名ですし。ボクが目にした時も、それはもうゾクゾクするような殺気を放っていたんですよ」
「へぇ……」
「あれはきっと、何かを殺す事だけが生き甲斐の、頭のおかしい奴だってみんな言ってますよ。血も涙もない、仮想空間下で殺しを楽しむサイコパスだって」
…………確かに、その認識は正しいのかもしれない。
マグリョウさんの評判ってのは、どこで見たってそんな感じだ。
虫を引き裂くことが何より好きで、とにかく何かの命が消える瞬間に興奮してて、それは自分がダンジョンの罠でそうなる時も例外じゃない…………なんて言われて、とんでもない異常者だって評判だ。
実際俺もリスドラゴンの時までは、そんな風に思っていたし。
だけど、今は違う。彼に持つ印象は、まるきり違うんだ。
マグリョウさんは、頼れる先輩で、気の合う仲間で……それなりに大事な、俺の友達で、良いやつなんだ。
「気のいい人だよ。面倒見もいいし、よく笑うし…………気遣いも出来るしさ」
「ええ~? 信じられないですよ~」
「……知らないから、変な想像をしちまうだけだ。俺は知ってる。あの人は、いい人だ。勝手な事言うなよな」
「…………ご、ごめんなさい」
「別に、いいけど……本当は凄くいい人だからさ。それだけは覚えておいてくれよ」
「……はぁい……ごめんなさぁい」
◇◇◇
『砂海トビウオ』という謎の生き物の煮物が運ばれ、それを二人で分け合って食べる。
透明の煮汁に浸った様々な野菜と白身の切り身は、トマトっぽい酸味と植物油っぽい物、そして塩胡椒だけで味付けされたシンプルな料理だ。
それが盛られた木の皿の周りには、オーロラのような光を放つ羽のような物がぐるりと一周――――10枚くらい乗せられて。
これが『砂海トビウオ』がトビウオたる所以の、羽のようなヒレ部分なのかな? まるでガラス製のナイフのような鋭さだ。綺麗だし、貰っていこうかな。
「美味いな、このトビウオの煮付け」
「 "アクア・パッツァ" やよ。煮付けって……んふふ」
「そんなオシャレな名前なのか。煮付けでいいだろ、煮付けで」
「んふふふ」
コイツの低い声で含み笑いをすると、どうしたってオカマのような不気味さがある。
何でこんなに顔つきと声がズレてるんだ? 言いづらい所だし、凄く気になる所でもある。
「それで――――【死灰】はどうしてサクリファクトさんとダンジョンに?」
「あ~……えっと…………」
「言いづらいですか?」
「いや、そういう訳じゃないけど…………俺が、あの……『癒やしのスペルで有名な竜殺し』に殺されたのは、知ってるか?」
「ああ、【聖――――」
「ストップ」
ふぅ、と呼吸を整える。
マグリョウさんの思いやりは嬉しかったけど…………。
結局の所、余計にトラウマが膨らんだ気がしなくもないんだ。そう何度も聞きたい名ではない。
「『その女』に殺された俺は、その名を聞くだけで震え上がる体にさせられたんだ。だから、その名を言うのは勘弁してくれ」
「……PTSDですか?」
「そんなもん、なのかな」
「それはまた……ええ~っと、何て言ったらいいか……」
「まぁ、そういう訳でそのトラウマを解消しようと、マグリョウさん的には色々考えがあったみたいでさ。ダンジョンで死の恐怖を乗り越えて、俺を元気付けようとしてくれたんだ。ありがたい事だよな、本当にさ」
「…………へぇ~……」
マグリョウさんは、あんまり喋って欲しくないかもしれないけど。だけど多分、こういうのを広めて行く事は、彼にとって良い事なんだ。
こういう話を知って貰う事で、きっとマグリョウさんへの印象は変わって行く。
そうすれば、俺以外の気の合う奴と出会う機会も増えるはずだ。
いつ俺がいなくなってもいいように、マグリョウさんの友達を増やす努力をしておくのは、きっと良い事だ。
「そういう人なんだよ。不器用だけど、人の為を思ってしたり…………リスドラゴンの時だって、リスクを背負って助けに来てくれた訳だしさ」
「……そう、ですねぇ…………」
そんな俺の言葉を聞いたツシマは、トビウオをつつく手も止めて考え込むように下を向く。
そうだ、これで良いんだ。
まずは一人ずつ、マグリョウさんに持つ印象を変えて貰って――――。
「なぜ?」
「えっ」
ぞくっとした。冷たい目。抜け落ちた表情。だけれど甘く痺れるような声色。
その声はさっきまでと違う……高くて少しハスキーな、女の子の声だ。
なんだ? コイツ。
雰囲気が、急に…………。
「んっ…………こほん! あ~あ~、ごめんなさい、声が裏返っちゃいました」
「あ、ああ……そう……か?」
「それで……何故ですか? サクリファクトさんは、何でダイブインするんですか? そんなに怖い思いをしてまで、このRe:behindにダイブし続けるのは…………一体どうして?」
「…………」
「サクリファクトさん?」
「……わからない。何でダイブしてるのか」
「えぇ? でもでも、そんなに辛い思いをしているのに、自分の意思でRe:behindにダイブしてるんですよね?」
「……まぁ、そうだけど」
「わざわざコクーンハウスを訪れて、安くも無いお金を払って、面倒な手順でコクーンに入って――――リスに食べられ行く恐ろしさを、誰かに頭を吹き飛ばされる怖さを…………それらを貴方に与えたこの世界に……どうして自ら訪れるんですか?」
…………。
どうして、か。
そんなの……。
俺が聞きたいくらいだ。
アイツの呼び名に慄いて、アイツの影に怯えて。
街や狩場でたまに目にする、アイツの使った癒やしのスペルの光を見る度、ぶるぶる震えて。
そんな毎日を過ごすばかりなのに、どうしてダイブするんだろう。
何がしたいんだろうな。
「それは、俺にも……わからないよ」
「……そうですか」
◇◇◇
「良かったら、今から少しだけ狩りにでも行きませんか?」
「何だよ、いきなり」
「サクリファクトさんのカッコ良いところ、見てみたいな~って!」
「……男同士で、気持ち悪い事言うなよ」
まぁそれでも、ご馳走して貰った手前もある。会計はちらりとして見ていないが、聞こえて来た金額は7000だか8000だかの……中々の物だ。美味かったけど、一人だったら絶対来ない金額だぜ。
そんな会計を任せてしまったからには、このままサヨウナラって訳にも行かないだろう。
「そうは言っても…………俺はローグが4だぞ? そう大それた所には行けないぜ?」
「良い狩場があるんですっ! 穴場なんですよ!」
何か一々、女の子っぽいんだよな、このツシマという男。
このゲームでは性別を偽る事は出来ないし、リアルと全然違う見た目になれる訳でもないから、リアルでも大体こんな見た目なんだろうけど…………。
細い首筋やちょっと垂れ目の大きな瞳、上品な所作やコロコロ変わる表情までが、どうしたって女性的に感じてしまう。腰つきだってそんな感じだし。
男より低い作り物のような声さえなければ、もうすっかり女の子だと思う。
…………リアルでは、どんな人間なんだろうな。
まるで想像つかないぞ。
◇◇◇
□■□ 首都南 森林中部 □■□
「……って、ここかよ」
そんな訳でやってきたここは、別に目新しい場所でも何でもない所だ。
っていうか今日ここのダンジョンに来たし。
「あらら、そのお顔……嫌でしたか?」
「嫌っていうか、なんていうか。今日来たし」
「でもでも、それはダンジョンに入った話ですよね?」
「まぁ、そうだな。つーか近いぞ、離れろよ」
木々の間をちょこちょこ動きながら俺の顔を覗き込むようにして来るツシマは、とにかく距離感がおかしい。
一々触れる寸前くらいまで近寄って来るし、その度ふわりと甘い香りを振りまくんだ。
男の匂いをいい匂いだと感じてしまうとか、ひたすら気持ち悪いからやめてくれ。新しいトラウマになっちゃうぞ。
「んふふ。ごめんなさい。サクリファクトさんって、優しいな~って思って、ついつい近くに寄っちゃいました!」
「はぁ?」
「ボクが"運び屋"役しか出来ないって言ったのに、一緒に狩りに出てくれた上に、歩調も合わせてくれるでしょう? それが、嬉しいんやよ」
「……ああ、そう」
行き先は秘密と言われ、首都から20分ほど歩く間。
お互い何が出来るのかを話し合っていると、ツシマが驚くような事を言った。
『ボクは冒険者が8だから、気配の探知とストレージ容量のボーナスを活かしたポーターしか出来ないんです』だなんて、普通のパーティだったら即バイバイだぞ。
何でそんな奴が狩りに行こうとか言うんだか。
「……そもそも、冒険者だけで普段はどうしてるんだよ?」
「武器を振るのに絶対スキルが必要って事もないですし、意外となんとかなるんですよ?」
「…………その、武器とやらは?」
「じゃんっ! これです!」
そう言ってローブの下をゴソゴソやって取り出したのは……黒い、鉄の棒。
尖った棒に丸い輪っかがついたような形状だが、随分小さいし使いにくそうだ。
っていうかアレって……。
「それってさ……テントを張る時に、地面に刺して紐ひっかける奴じゃないのか?」
「あ、詳しいんですね~。まさしくそうでして……これは "ピンペグ" っていう名前なんですよ」
「ふぅん? 何でそんなモンを」
「冒険者がテントを張ると、少しの隠蔽効果と安らぎの効果があるんです。ボクらの職業の必需品ですよ!」
「だからって、武器として使うってのは…………」
「地面に刺さるなら、他のものにも刺さるんですっ! モンスターに刺す時……何かを殺す武器としては、刺して良し投げて良し、嵩張る事もなく簡単に補給が出来て、とても便利な存在なんです。
……そうして武器として使う時は、ピンペグじゃなくって違う名前で呼ぶようにしてますけど」
「へぇ、何て?」
「 "せめて苦しみが無く逝けるように" って思いを込めて――――
"苦無"と、そう呼ぶんやよ」
「ふ~ん」
顔つきに違わず、優しいんだな。
それにしても、何だかどこかで聞いた響きだ。
クナイ…………なんだっけ?




