第八話 np
□■□ Re:behind 首都南 森林深部 ダンジョン入り口前 □■□
「…………ん」
ここは……?
そよぐ風と、チチチと歌う鳥の声。
ぼやける視界に見えるのは…………目一杯の緑と、二つの灰色。
草木が生い茂る森の中、色を切り抜いたように存在するダンジョンの入り口と……。
その脇にもたれ掛かるようにして座った――――【死灰】のマグリョウさんだ。
「…………起きたか」
「……マグリョウさん」
俺は……そうか。
てんとう虫の魔法を食らって、幻惑を見せられたのか。
それは今の俺にとっての、とびきりに致命的な内容で…………。
『アイツ』の微笑みと、『アイツのスペル』を幻視させられ、トラウマを表に引っ張り出されて――――――。
「……うっ……頭が…………いたい」
「…………飲めよ、水だ。微小の回復効果もある」
「……ありがとうございます」
じっと地面を見つめっぱなしで、こちらをちらりとも見ずに小瓶を投げてよこすマグリョウさん。
その声色は硬くて重い。
ああ……呆れられてしまったのだろうか。
期待した後輩が、下らない事に怯える軟弱者だということを、目の当たりにして。
◇◇◇
「……はぁ……美味い」
「…………」
「……マグリョウさん」
俺が彼の名を呼ぶと、びくっと強い反応を示す。
地面を見つめる視線は更に鋭くなって……殺意とも呼べるような黒い感情が湧き出てる。
「すいません、俺……迷惑かけて」
「…………」
「やっぱりちょっと、駄目みたいっす。すいません。色々教えようとしてくれた事は……嬉しかったです」
「…………」
「臆病者で、弱っちくてすいません。やっぱ俺、もうこのゲーム――――」
「……謝るんじゃ、ねぇよ」
震えた声。何かを堪えるような、何かに怯えるような……はっきり言ってしまえば、それはとても…………とても情けない声だった。
「お前が……っ! 謝るなよ……!」
「え……」
「俺だっ! 俺が、悪いんだ!! 全部! 全部俺が悪いんだ……っ!!」
「マ、マグリョウさん……」
「俺が悪い……俺は、なんにも出来ない……クズ野郎だ。全部が全部、俺の責任なんだよぉ……」
「…………」
「ごめん、ごめんな……サクリファクトォ……。
こんな所に連れて来て、怖い事思い出させて……。
嫌な気持ちにさせちまってぇ……。
……ふっ……うっく…………ごっ……ごめんな……」
そんなマグリョウさんの弱々しい声は、遂には湿り気すら帯び始めた。
いつも強気で自信に溢れ、研ぎ澄まされた刃物のような殺気を振りまき、誰にも出来ないダンジョン攻略を、ソロの身でありながら余裕でこなす。
トッププレイヤー、孤高の軽戦士、誰もが認める最強の男が。
――――泣いている。
◇◇◇
「わからなかったんだ」
「え?」
「どうしたら、お前のその……悪い思い出を、消す事が出来るのか。わからなかった」
「…………」
「だから、頑張って考えた。『アイツ』を殺して死体を見せても、お前は喜ぶタイプじゃねぇし…………だからと言って『アイツ』と仲良くさせるのも、俺には無理だ。俺もアイツも、そういうタイプじゃないから」
「…………」
「それなら、『アイツ』にされた事を、何でもないことだって思えたらいいかなって…………そう思ったんだ。
だからここに来た。ここで、生きたり死んだりを間近に感じて、そういう事に慣れたらいいかなって…………そうしたら、忘れられるかなって……思った」
……そうだったのか。
何で無理やり連れ出したのか、さっぱりわからなかったけど……。
マグリョウさんはマグリョウさんなりに、俺の事を考えていて。
俺の為になるように、一生懸命をしてくれていたのか。
「俺は……友達がいねぇから。
だから、こういう時どうしたらいいか……わからなくって。
だから、自分が得意なこのダンジョンで、元気になって貰おうと思って。
友達がいないから……俺にはダンジョンしかなかったから――だから、ここでっ!
俺には……ここしか、ダンジョンしかなくって……っ!」
「…………」
「……わからないんだ。誰かと仲良くする方法が。誰かを元気付けるやり方が。
やった事ないから、知らないんだ……。見当も付かないんだ。
だから、駄目なんだ。俺は、駄目なんだよ……駄目だったんだ」
外套の襟を引き上げて、顔を隠すようにして言葉を吐き出すマグリョウさん。
嘘を嫌う男だからか、その言葉はひたすら不器用で、真っ直ぐだ。
かっこつけたり見栄を張ったりなんかせず、素直で誠実で――ひたむきな言葉。
「俺は……お前と……と、と、友達になりたいって……そう思っちゃったから。
嫌な思い出をかき消して、フェンサーの戦い方を教えたりして。
そしたら一緒におしゃべりとかしながら、楽しくダンジョンで遊んだりして……。
き、気が合うって……勝手だけど、迷惑かもしれないけど……思ってたから……」
「……そうなんすか」
「でも、もう…………駄目だ。失敗したから、迷惑をかけちまったから。
ごめん、もう……余計な事は、しないから……。
だから…………ごめんな……」
灰色の壁に寄り添って、顔まですっぽり外套で隠した全身灰色の男は。
心の中まで色を失くして、また孤高に――――孤独に戻った。
その姿はまるで、皆がいる世界から、身を引いているように見えて。
このRe:behindの中で…………ダンジョンだけと共に在る、二人ぼっちのようだった。
◇◇◇
◇◇◇
まぁ、そんな事は知らんけど。
「……貸し一つ、という事で」
「…………え?」
「マグリョウさんが、ちゃんと言ってくれてたら良かったんすよ。
聖…………うっ……」
「お、おい……無理すんなって」
「せ……せ…………っ」
頭が痛い。足が震える。
だから、なんだよ。だからどうした。
俺は言うぞ。言えるんだ。
こういう時は、言わなきゃだめだっ。
「せ……っ! 『聖女』の時もっ!」
「お、お前……」
「『聖女』の時も、『ヒール』の事も、先に言っててくれたら違ったんです……っ」
「…………あ、ああ。俺が悪い」
「そうっすよ、マグリョウさんが悪い。てんとう虫の事だって、もっときちんと打ち合わせしてればよかったんだ。コミュ障だからって、許される事じゃないっすよ、これは」
「……その通りだ。俺は、駄目なんだ」
「そうっすよ、駄目っす。もうほんと、全然駄目!」
「…………うぅ」
「戦闘面は先輩かもしれませんけど、そういう交流面では……人付き合いは。
――――マグリョウさん、あんたが初心者だ」
「…………わかってるよぉ、だから、もう……」
「…………丁度良いじゃないっすか」
「……え?」
「戦い方は、マグリョウさんが教える。コミュニケーションは、俺が教える。それで対等で、丁度いいっす」
「…………え?」
おずおずと言った様子で顔をあげるマグリョウさんの灰色の目は、涙を流した事によって、ほんのりピンクに染まって見える。
鼻水を垂らして、ぽかんと口を開けてこっちを見てくるその顔は…………いつものような【死灰】らしさは微塵も感じられない、はっきり色付いた物だ。
「まずは一人目、友達でありながら後輩でもあり先輩でもあるっていう、応用編も良いところですけど…………そんな俺との交流の仕方を学んで行きましょう」
「…………」
「やらかしちゃったら『悪かった』、友達同士なら『貸しひとつだぞ』。
そのうち肉でもジュースでも、何でも良いから奢って "お詫び" って名前の楽しい付き合いをしたら、それでチャラなんです。友達ってのは、そういうもんっすよ。
ワンチャンスでさようならなんて、一撃必殺のダンジョンアタックじゃないんだから……友達同士では通用しませんからね」
「……で、でも俺は…………」
「マグリョウさん」
「…………」
「あんたはコレに関しちゃ、初心者だ。先輩の言う事には従うべきだ。
口答えは許されない。黙って俺と…………仲良くしてればいいんすよ」
丸く開いた口が、スピカのようなへの字に変わる。
頬が上がって、眉間にシワが寄り、目元がじわりと潤みだす。
複雑な心の動きを敏感に察知したRe:behindの神様は、細かすぎるほどの感情の機微を、キャラクターアバターに反映させる。
冷たい顔で虫を殺し、尊厳を踏みにじるように火を付けて、灰を撒いて更に死を求める『死灰のマグリョウ』は――――イカれた殺人マシーンだなんて言われたりもする。
だけど、俺は知ってたぜ。
ウサギやヒツジに哀れみを覚え、嬉しい時はニコニコ顔で、楽しい時は『はははっ』って笑うマグリョウさんは…………誰よりも感受性が豊かで、誰より感情的なんだ。
傷つけたくないから、人を遠ざける。
傷つきたくないから、交流を嫌ってた。
カニャニャックさんもスピカも、悪口を言い合ってればいいだけの……匿名掲示板の誰かのような存在だから、一緒にいただけの話で。
本当の所、一番優しく、一番寂しがり屋だったのは……マグリョウさんなんだ。
そこに、俺が湧いて出た。
自分が先輩として戦い方を教えるって名目がある、都合が良くて話しやすい、この俺という存在が。
『先輩だから、一緒に出かけて色々教えるものだ』
『トッププレイヤーの教えは、きっと初心者にはありがたいんだ』
『だから、こいつとは普通に喋ったりしても良いんだ』
って、自分に言い訳が出来る、丁度いい存在。
「お、おれは……」
「はい」
「俺は……お前と…………一緒にいても、いいのか?」
「……友達に、そんな許可を求めるもんじゃないっすよ」
「と、とも…………」
「"一緒に遊ぼう" って、それだけで十分なモンなんすよ。友達同士って」
だけど、俺はそんなの許さない。
先輩と後輩とか、トッププレイヤーと初心者とか、そんな一歩引いたような関係は…………俺が、許可しない。
だって、俺とマグリョウさんは。
会話のテンポが合ってたり、戦い方が似ていたり、見た目や口の悪さがそっくりだったり――――あとついでに"童貞"だったりもするし。
そして、何より――――――。
「"気が合う"じゃないっすか、俺たち。だから、これからも一緒に遊びましょう」
「…………っ!」
…………もう何も言うまい。
友達が見せた、"大声で泣いている"所なんて…………。
"世界"にしか聞こえない、思考の中の声だとしても。
わざわざ語るもんじゃないんだから。




