第五話 よちよち歩きのウサギちゃん
◇◇◇
「当たり前の事さ。VRと言う物は、決して超常現象や集団妄想などではないんだ。
思考を読み取り算出し、解析を経て0と1の羅列に変換し、それに様々な演算処理を施した先で、キャラクターアバターへと出力している――――というのが、科学の力によって生み出された"フルダイブ式のVR"なのだから。
"笑み"の信号を感知し、スタンプのように笑みを浮かべるのではなく……そこには苦笑や微笑、失笑に大笑いと多様な表現を行える事こそが、『まるで現実のような仮想現実』を構成する大部分なのさ」
…………それもそうか。
単純なスイッチのオンオフではない、リアルの人間が持つ感情そのままを再現する世界なのだから、そういう事になるよな。
きちんと考えればわかるであろう事も、必要がなければ考えようとしない……そういう所は、俺の悪い癖かもしれないな。もっときちんと、あれやこれを深く理解していかないと。
「……確かに、そうっすね。いや、そうでなければおかしい話だ」
「"コクーンに入れば、自分の分身を動かせる"……それだけで済ませるのも大変結構な事ではある。だけど、知る事によってまた違う角度から物事を――――」
「かぁ~っ! 楽勝だったなぁ!」
「…………」
いよいよ興が乗ってきた、と言ったカニャニャックさんの饒舌な語りを、マグリョウさんの爽やかな声が遮った。
後ろをとぼとぼ歩くスピカはいつものへの字の口を更に強く結んで、眉間にも少しシワが寄っているように見える。
「見たかよサクリファクト! このマヌケが、まんまと俺の仕掛けた罠にかかったその瞬間をよ!」
「え、ええ……見てましたよ」
「ははっ! 爆釣、入れ食いだぜ! はははっ! 釣れた釣れた!」
「…………」
大はしゃぎである。随分なハイテンションだ。
カニャニャックさんが"こういう戦いをする度に、いつもマグリョウが勝つ"って言ってたのに、どうしてここまで喜べるんだろう。
「はぁ~余裕だったわ~。残像に光球を飛ばすアホを見たときゃ、飛んで火にいる夏の虫とはまさにこの事だと確信した瞬間だったぜ」
「…………」
「……ああ、良かったぜ……本当にさ……うん……」
喜びと嬉しさと、どこかほっとした表情を浮かべるマグリョウさん。
…………ああ、どうして喜んでいるのか、わかった気がする。
……安心だ。
本来はヒール屋に行くか、もしくはセーフエリアで安静にしていれば治る、キャラクターアバターの損傷。
だけど、マグリョウさんの片腕は……ずっと治らないから。だから不安で、だから今は安堵の表情を浮かべるのだろう。
『俺はまだ戦える』『またコイツと喧嘩が出来る』『自分のRe:behindは、何も変わっちゃいないんだ』ってはっきりと語るような、そういう雰囲気の顔つきだ。
これもRe:behindならではの、心の声を聞いた表情変化が教えてくれる物なんだろうなぁ。
「…………」
……ただ、いくらそういう理由があったとしても…………こうまで隣で大喜びされて、スピカがちょっとかわいそうに思えてしまう。
元々ちっちゃい体を更にしょぼくれさせて、よたよたと椅子に向かう背中は……哀愁が漂ういたたまれぬ物だ。なんだか見ていられなくなっちゃうぜ。
「…………あ~、あの……」
「…………」
「その……店の中から見てた俺からすると、光球も、良い具合に見えていてさ。
凄く……その…………丸っこくて……」
そんなスピカの酷い哀れぶりに、思わず声をかけてしまった。
いくら変なことをしてくる嫌な奴だからと言っても、一人の人間だし、一人の女の子だ。かわいそうなんだ。
…………と、声をかけたは良い物の。
勝負は一瞬だったし、特にこれと言った事が起こらぬ内に終わってしまったから、どうしても言う事が思いつかない。
こうなったらもう、不意に出てきた光球の丸さを褒める言葉で、無理やりにでも突き進むしかないな。
「それこそ、いつもよりずっと丸い感じだったって言うか……」
「…………」
「こうまで丸いものが、今までにあったか!? ってくらいの丸さで……」
「…………」
「その丸さと言ったら、まさに『まる』って言葉しか出ないような……」
「………………ペッ!」
「うわっ! きったねぇ!!」
「ペッペペッ!」
そんな優しい俺に対して、ツバを吐いてくる紫の魔法少女。
その顔つきは、負けを認めて店内に戻って来た時よりも、はるかに判りやすい怒りの感情を表している。
「なんだよっ! 俺がせっかく、慰めて――――」
「ペペペペペペッ! ペペーッ!!」
「どんだけやるんだよっ! 唾液の分泌量凄いなアンタ!」
「ちょっとちょっと、スピカくん。ワタシの店を唾液で汚さないでくれたまえ」
際限なく湧き出す魔法少女のツバ攻撃に、俺は逃げ回るしか出来ない。
っていうかコイツは何で、毎回俺にコレをするんだよ。凄くいやだ。
「はぁ……全く、掃除するこっちの身にも…………あ、そうだ。
この唾液を集めて瓶に詰めれば、スピカくんのフォロワーに売れるかもしれないね」
カニャニャックさんが気色の悪い事を言う。
それを聞いて青ざめるスピカの顔も、彼女の精神から入力されたデータを的確に出力した結果なんだろう。システムの中の人も、細かい仕事をするものだ。
◇◇◇
「よし、サクリファクト。ダンジョン行こうぜ」
「え……なんすかいきなり…………イヤっすけど」
「おいおい、なんだよ? この【死灰】のパーティ申請を断るって言うのか? 自慢じゃないが、それはとんでもなく貴重な機会なんだぜ?」
「いや、ダンジョンじゃないなら、まだわかりますけど……」
「…………」
ん? 何だろう。マグリョウさんが黙ってしまった。
バツの悪そうな顔をして、勢いも一気に失くした様子だ。
「………………ダンジョン以外は……この【死灰】には似合わな――――」
「サクリファクトくん、君は思い違いをしているようだね」
「はい?」
「【迷宮探索者】と言う二つ名は……ダンジョン探索も出来るから付いたんじゃない。マグリョウが、ダンジョン探索しか出来ないから、付けられたのだよ」
マグリョウさんが持つ二つ名、【死灰】以外のもう一つ……【迷宮探索者】。
誰もが嫌うダンジョンを歩く男の名前で、無謀を跳ね除ける強者の呼び名だ。
そうだと、思っていたけれど……実はちょこっと違うらしい。
ダンジョンに行く事しか、出来ない?
「ど、どういう意味っすか? マグリョウさん」
「…………いや、別に……」
「呪い的なアレがあるんすか? ダンジョンでしか戦えない、とか…………いやでも、リスドラゴンとは戦ってたし…………」
「…………そういう事じゃねぇけど……」
「マグリョウはね」
「おい、カニャニャック!」
「ウサギちゃんや羊ちゃんは、斬れないんだ」
「……え?」
「…………」
「だって、かわいそうだから」
「…………」
「…………」
「つぶらな瞳の彼らには、きちんと剣を突き立てる事が――――出来ないのさ」
「……マジすか」
「…………」
「マ、マグリョウさん……」
「…………」
何だそれ? この鋭利なナイフのような殺気を纏う男が、灰色の死を振りまく孤高の軽戦士が…………"動物がかわいそう"と、そう言うってのか?
「あの……」
「…………最初は、はじまりは、首都南の『白羽ウサギ』だったんだ」
ぽつり、とマグリョウさんが語りだす。手が丸い何かを持つような形なのは、ウサギを抱いているイメージなのだろうか。
「勝手がわからんこの世界で、とりあえずぶっ殺そうとした。なんかの素材とか、出るかなって。
…………だけど、アイツは……ウサギは、逃げた。剣を突き立てようとする俺を見て、逃げたんだ。
きゅんきゅん鳴いて、怖いよ怖いよって……怯えてたんだ」
「…………」
「白くてふわふわの小さい羽根を揺らしてさ……赤い瞳をうるうるさせて、よちよち歩きで逃げるんだ。
…………殺せる訳が、ねぇだろう……」
うん、まぁ……言わんとしている所はわからなくもないけど。
この人が語ると、どうにも納得が行かない。
「色々見たぜ。『伸びるカエル』や『歌う小鳥』に『七色羊』。どいつもこいつも剣に怯えて、クロスボウの照準に震えてた。俺を殺す気なんかさっぱりなくて……幸せな日々をアイツらなりに楽しんで生きてたんだ。
それを、その命を奪うって…………そんなの、かわいそうだろ」
「…………」
俺は、この人の動画を見たことがある。それも、繰り返し繰り返し何度も見た。
その映像の中のマグリョウさんは……まぁ、普通に危ない人だった。ニヤニヤしながら虫を引き裂き、嬉しそうに中身をかき混ぜ、死体を燃やして高笑いまでしていたし。
そんなこの人が……マグリョウさんが……可愛い動物たちはかわいそうって……。
不思議だし、可笑しいし……その謎の価値観が理解出来なくて、ちょっと怖い。
「いつも行ってる、ダンジョンの虫モンスターは……?」
「奴らは違う。俺を殺しに来る。だから殺していい。腹を裂こうが、翅をもごうが、何をしたっていいんだ」
「…………」
「動物だって、わかりやすく殺しに来るなら殺してやるんだ。当たり前だろ? 殺したいけど殺されたくない、なんて……都合が良すぎる話だぜ」
殺意に対して殺意で返す、って感じなのかな。
それが信念なのか、生き方なのか…………それとも"それしか出来ない"のかは、わからないけど。
っていうかその感じだと、スピカも虫みたいな扱いだよな。
まぁいいか。スピカだし。ツバ吐くし。
「…………あれ? でも、リスドラゴンは――――」
「アイツも別だ。殺意があったし、デカくてウザい。鳴き声も可愛くねぇしな。ふかふかだったのは……悪くなかったけど」
こまったぞ。
判断基準が、さっぱりわからない。
◇◇◇
「よし、ダンジョン行こうぜ」
「いや……でも……」
「いや、もう決めた! 行くぞ、ほれ」
「あっ、ちょっと……!」
唯一残った右腕で、俺を無理やり引っ張るマグリョウさん。
ダンジョンに行きたがるのはまだわかるけど、何で俺まで連れて行くんだ。
命のやり取りは…………遠慮したいんだけどなぁ。
「【死灰】、マグリョウ、【迷宮探索者】」
「あん?」
「…………ほどほどに」
「……おう」
何だ? 何をほどほどなんだ?
この二人の会話って、以心伝心と言うか……結構わかりにくい時があるんだよな。それも付き合いの長さから来るものなのだろうか。
そんな事を考えながら、引きずられるようにして店を出て、渋々首都をマグリョウさんと二人で歩く。
「さぁ、麗しの灰色世界へ! 楽しもうぜ、初心者」
「はぁ……っていうか、その体で大丈夫なんすか?」
「ん?…………ああ、隻腕か」
マグリョウさんの左側、外套で隠れたそこには、ある筈の膨らみが無くって。
そのはっきりとしたアンバランスさに、心の中で申し訳ない気持ちと今後の不安を膨らませてしまう。
「まぁ、イケるだろ。何しろ俺は……孤高の軽戦士、【死灰】のマグリョウ様だからな」
「なんか……すいません」
「おいおい、よせよ。俺が自分の意思で失くしたモンに、勝手に責任感じるなっての」
「それでも…………」
「……だったら、その分を補ってくれてもいいんだぞ」
「…………腕になれ、って事っすか?」
「この【死灰】の片腕だ。有象無象が望めど得られぬ、誉れだぜ?」
…………。
ダンジョン、ダンジョンか……。
正直、嫌だな。悪い予感しかしないし、なるべくならば今の俺は、危ない事はしたくない。
マグリョウさんの手助けをするのはやぶさかではないけれど……間近に"死"が迫ったその時に、俺はちゃんと立っていられるのだろうか。
あの時…………ダイブアウトしてから、一度家に帰った後。
どうしてもみんなの"あの後"が気になって、震えながらもダイブした。
たまたま会えたキキョウと話して、安否を確認する会話の中で、『あの女の二つ名』と『回復するスペル』の名前を耳にして…………頭に酷い痛みを感じ、俺はその場で気を失った。
そうしてぶっ倒れた俺は、通りすがりのマグリョウさんによって、カニャニャックさんの店に運ばれたらしい。
目を覚ました時はマグリョウさんとカニャニャックさん、あとついでにスピカだけが居て、キキョウは用事がある為出て行ったと言われた。
…………あれからあいつらには、誰一人として会っていない。
キキョウはリュウもまめしばも、ロラロニーだって無事だと言ってたし、居場所はきっといつもの酒場か広場なんだろうけど……。
なんとなく、色んな事を考えて……会いに行こうとは思えなくって。
ダイブインしては、カニャニャックさんの店でダラダラ過ごす毎日だ。
…………俺って、何がしたいんだろうな。
……どうしてRe:behindにダイブインしてるんだろう。
◇◇◇
□■□ Re:behind 首都 大通り □■□
「……こうして見ると、結構壊されてるもんっすね」
「そうだなぁ。リス野郎は真っ直ぐ西に突っ切る形で歩みながらも、適当に建物をぶっ壊しまくったと聞いたぜ」
「カニャニャックさんのお店が無事で、よかったですね」
「全くもって、悪運が強い女だぜ。そういや、カニャニャックと何喋ってたんだ?」
「あ~……スペルの事とか、聞いてました」
「おいおい、何だよ? スペルキャスターになるとか言うんじゃねぇだろうなぁ。軽戦士の職業取るって言ったの、忘れてんのかよ?」
「いや、取るとは言ってないっすよ……」
「あん? そうだったかぁ?」
マグリョウさんと首都を歩いて、あれやこれやと言葉を交わす。
歩く俺たちの周囲には、リスドラゴンによる暴虐の爪痕が、きっちりと残されている首都の町並みだ。
瓦礫の山や、地面に散らばる砕けた看板……何かに引火したのか、黒焦げになった柱だけ残る場所まであって。
首都を破壊する存在の『ドラゴン』は、その存在意義をきちんと果たしていったらしい。
そんな疲弊した街を歩く俺たちは、わかり易すぎるまでに注目の的だ。
【死灰】の存在が、そしてその彼が明るい顔でペラペラ喋っているのが珍しいのか、多くの視線とカメラに晒されて…………とにかく居心地が悪いったらない。
【竜殺しの七人】という存在は、どこへ行ってもこうなるのかな。大変そうだし、疲れそうだ。
「……それにしても……カニャニャックさんって、たまに言葉が変わってますよね」
「ん~?」
「さっきも"【死灰】、マグリョウ"って、色んな呼び名で言ってたし」
「あ~……言うなぁ。何だか知らんが、科学的なアレがあるんじゃねぇの?」
「そうなんすかね――――ん? あれ?」
「あん? どうした」
「マグリョウさん……灰のオーラ、呼び出しました?」
「いや? 呼んでないぜ?」
何だろう。視界が灰色に染まった気がした。
モブキャラの俺が注目された事による、ストレスから来る疲れ目だろうか。
……ちょっと視線を集めただけでコレとは。
当分、知名度は無くていいな。




