第三話 教えて女神様
□■□ Re:behind 首都 『よろず屋 カニャニャック・クリニック』 □■□
首都にあるよろず屋、カニャニャック・クリニック。
そこから見つめる店の前ではマグリョウさんがスピカを見下ろし……これ以上ないくらいのニヤケ顔で何かを言っている。
それを受けたスピカの顔は……無表情ではある物の、どこか悔しそうだ。
「今日もマグリョウが一本取ったね。きっと今頃 "やっぱりスペルキャスターってのはダセぇよなぁ、弱いしよ~" なんて言葉を、はしゃいだ声色で口にしているのだろうね」
「……確かに、言ってそうっすね」
「たまにああして "決闘" ではない戦いごっこを始めると、殆ど彼が勝つ結果になってしまうんだ。いくら今は片腕を失っていると言っても、絶対防御の天球スピカは……どうしたって攻め手に限りがあるからね」
"決闘"申請……それはお互いが『セーフエリア内にいようとも、バリアに守られる事を一時的に拒否する』という事を望む――きちんと傷をつけ合う10分間。
命賭けの競技を始める選手宣誓のような物だ。
『接触防止バリア』の加護を断り、害意も悪意も殺意でさえも、きちんと全部を受け入れる……自分をセーフエリア外と同じ状態にしろ、という世界への要求。
"決闘"と呟き、キャラクターの心臓辺りから出る光の玉を互いにぶつけ合わせて破裂させるか、もしくは自分の光の玉を自分で握りつぶせば"決闘状態"になる。
ちなみに、Re:behindの慣習というか常識によれば、それは大衆の前で申請される事が多いらしい。
理由としては、その争いが一つのエンターテイメントであり、名を売るショーになると言う事と……『自分達のバリアを消す』という性質上、横入りが自由に出来てしまう難点があるからだ。
集めた群衆は舞台を盛り上げる観客役であり、そして乱入を許さない監視役、と言った所だろうか。
そんな"決闘"は、倒れたほうが負け、という明確な勝敗がある。
だけどそれをしていないあのじゃれあいは…………一体どうやって終わらせるのかな。
「勝つだの一本だの、そういう決着とか……どう決めてるんです?」
「ふむ、そうだね……」
俺が気になった事を口にすると、カニャニャックさんがおもむろにストレージから飲み物を取り出し、俺の前に置きながら話し出す。
ありがたいけど、これは……なんだ? 緑色で、黄色いナニカが浮いてる、どろっとした液体だ。なにこの変なやつ。
「言ってしまえば、それは『マウント』さ。相手を組み伏せ、自分の優位を誇示する行為。彼らの場合のマウントは、技能や魔法への対応を見せつけ、相手のスタイルを捻じ伏せ合う感じかな」
「……なるほど」
そんな会話の最中にも、コポリ……と音をたてて大きな気泡を湧き出させている、謎の液体。粘着性を持つからなのか、泡が中々消え行かない。
これ……飲むやつなのか? 俺で何かを実験しようとしてたりしないよな? 色とか凄い気持ち悪いんだけど。
「光球を回避し、残像に意識を縛り付け、背後を付く必殺の刺突で一本取った。自動防御の光球は視覚外では働きを見せないからね。相手の強みと弱みを理解し、自分の強みで弱みを突いた…………今日この場において、マグリョウがウワテを取った、と言う訳さ」
「へぇ……やっぱかっこいいな、マグリョウさん」
「ああ、かっこいいね。そして可愛く、魅力的だ。ワタシは彼が大好きだよ」
「…………えっ」
「いつも新たなダンジョンアイテムを持ち帰り、ワタシに預けてくれるんだ。誰も行かないダンジョンの、誰も見たことのない未知のアイテム…………その効果はどれもこれもが理にかなわぬ物で、人間味の溢れる無駄多き物。課金アイテムで売られるような、他のゲームに出てくるような――――『必要だから作られた』アイテムとはまるで別種の、製作者の意図がまるで不明な……歪んだ存在なんだ」
「はぁ……」
「だから面白い、だから興味深い。一体何の為に作られたのか? どういう経緯で生まれたのか? どういう作用でそれが起こっているのか? Re:behindの世界は、その世界を形成する『ナニカ』は、これらのアイテムをワタシたちに授け給うて、一体何をさせようとしているのか? 興味が尽きないよ。…………あらゆる原子が底の底まで解明され尽くしたこの時代、そこに芽吹いた新たな謎掛け。手慰みならぬ脳慰みの、燻っていた探究心の受け入れ口なんだ」
熱く語るカニャニャックさんは、そのままの勢いで緑色の液体を飲み干す。
それって、俺にくれたんじゃなかったのか? いや、飲みたいとも思ってなかったけどさ。
「……ふぅ…………だからさ、危険なダンジョンに赴いて、それらを持ち帰って来てくれる彼が――――マグリョウが、ワタシは好きなんだ」
「そ、そうなんすか」
「ああ、それに……君の事も好きだよ、サクリファクトくん」
「……えっ」
どきりと心臓が高なってしまう。
黄緑という現実にはありえない髪色だし、そこはかとない狂気を感じるマッドなカニャニャックさんではあるけれど…………どう見たって美人なお姉さんでもあるんだ。
そんな人に、目をぴったりと合わせられながら、そんな風に言われるなんて初めての事だから…………おいおい、どうしたサクリファクト。ここに来て急にモテ始めちゃってるのか? 困ったぜ。
「君は面白かった。これからもきっと面白い。怯えた顔でリスの口に突っ込むあの姿。自身の被害より他者を心配するその献身。明らかにゲームオーバーを迎えた体で、残った頭を必死に動かすあの語り。そして何より――――その運命力」
「……うんめいりょく?」
「巻き込まれ体質、とでも言うべきかな? どこかで何かが大きな動きを見せる時、幸か不幸かその場に居合わせてしまう力さ。主人公補正と言ってもいいかもしれないね」
「…………マグリョウさんも言ってましたけど、俺は主人公なんてタマじゃないっすよ」
「そうかな? とてもしっくり来ると思うけど」
「力は弱いし、性格は捻くれてるし、いつも一歩引いてるし。今までの人生、ずっと "沢山いる中の一人" だったし。特別な力も、個性もないから……主役だなんて……」
「う~ん……ワタシは、それらの要素こそが、この世界の主人公たりうる物だと思うのだけどね」
「……えぇ? 何でですか」
「個性的であればこそ、特別な力を持てる世界。その中に生まれた、一つの『普通』と言う名の個性。素直な自分で、着飾らないで、ただひたむきさと少しの知恵があるだけの男の子。それが君さ。マグリョウが君を気に入ったのは、そんなありのままに懸命でいる所だと思うよ。何しろ、死灰と似ているからね」
「…………」
「そして、これから……何の特色も持たなかったサクリファクトくんが、この世界で色んな事を経験し、様々な個性的な人と出会って、はっきりと自分を確立させていく。何も無い、というのは……何かが入り込める余地でもあるんだ。無色透明だった君が、運命力の力を借りて……色を集めて色彩を得る。ワタシはそんな君が、君のこれからの可能性が、可能性を言う名の未知が……興味深くて、とても好ましい」
何も持ってない俺だから、まるで彼女の白衣のように、"色"を乗せる余地があるって事か?
個性的なプレイヤーだらけの中で、"無個性という個性"を持つ俺だからこそ…………だからこそ周りから色々を吸収して、この世界で何者かになれる?
う~ん……よくわからない。
けど、一つはっきりわかった事がある。
別に俺、モテてる訳じゃなかった。残念だ。
「…………いきなり混合物だから……明確に元素で色を示すには……」
「……ん? どういう事っすか?」
「ううん、こちらの話。科学の話さ」
「……はぁ……」
「ふふふ……『灰色』に染まりすぎないようにね?」
科学者の言う事は、わかりづらいよな。
科学の授業は、苦手だったし。
◇◇◇
「それはともかく、サクリファクトくん」
「はい?」
「恐怖とは、恐ろしいとは、なんだと思うかね?」
何だ、突然。
そんなの、なるべくならば…………今は聞きたくない言葉だってのに。
「いや……わかんないっす」
「ああ、勘違いしないでくれたまえ。これはワタシなりの "気遣い" さ。……恐怖というのはね、知らぬ事だというのがワタシの自論なんだ」
「……はぁ」
「"あれは何だ? 知らないぞ?"
"一体何が起こっている? これから何が起こる?"
"今どうなってる? 今からどうなる?"
予備知識が無いから、理解が出来ない。
理解が出来ないから、予測が出来ない。
予測が出来ないから、準備が出来ない。
準備が出来ないから、対応が出来ない。
総じて言おう、わからないから……知らないから、無力に受け入れ流さるるしかなく、だからこそ未知に恐怖を感じてしまうのさ」
ややこしい言い回しだ。簡単に言えば『恐怖とは、知らない事』と言った所だろうか?
「ならばどうする? 簡単さ、知ればいいんだ。【聖…………オホン。あの時のあれは、何故起こったのか? それを理解すれば、恐怖は些か安らぐだろう」
「で、でも……俺は……」
「……うん、大丈夫」
そう言って俺の頭を撫でるカニャニャックさん。
"悪意"や"害意"の無いその触れ合いに、『接触防止バリア』の邪魔は入らない。
「直接的な物はまだ早い。まずは、魔法について理解しよう」
優しい声色で、優しい手付き。
ひたすら暖かみのある彼女は、まるで女神のようにも見えるんだ。
実験と失敗を繰り返す、マッドで錬金術師な女神様。
…………そんな彼女に、こうまでされるほどの価値が、はたして俺にはあるのだろうか。
◇◇◇
「そも、スペルとはなんぞや? という話さ。サクリファクトくん、君はRe:behindにおけるその事象について、どれほどの理解を持つのかな?」
「……正直な所、ムム~ンって願えばバーって出る、ってイメージしか……」
「うん。そうだよ」
「え、マジかよ…………あ、すいません」
「ふふふ、気にしなくっていいよ。それで、スペルの事だけど……本質的には、そういう物さ。大切なのは、思う事。そしてそれを願う事。さすれば事は、起こり得る……ってね」
「ええと……はい……」
「そのような言葉だと、まるで哲学的ですらあるように思える。だからワタシは、俗物的な解釈を用意したんだ」
そう言ってカニャニャックさんは、俺のそばに立つ。
ニコリと微笑み、姿勢を正して……左右に垂れた白衣の裾を摘んでお辞儀し、朗らかに――――
「いらっしゃいませ、お客様。ご注文はお決まりですか?」
「……えぇ……?」




