第二話 爪痕
「……それじゃあ、脱ぎ脱ぎしましょうね~」
「……や……やめ――――」
「よう」
「……ん? ……ありゃ」
影に隠れた黒い路地裏。
黒が支配するこの場所に。
「調子良さそうだな、"初心者"」
頼れる先輩、大事な友人。
灰の【死灰】が、現れる。
「マ、マグリョウさ……ん」
「サクリファクト……言っちゃアレだが……女の趣味が悪いんじゃないか?」
「おぇ~、ひどい。ボクだって女の子、そんな事言われたら……傷ついちゃうよ」
「そいつは何よりだ。傷つけようとしているからな」
「ああ、今日はなんて不運なんだ。お楽しみが始まるその瞬間に……人を人とも思わぬこの男によって、まんまと見つかってしまうなんて」
「【殺界】の面目躍如だろ。ついでに【死灰】の効果も味わえよ、変態クソ女」
そうしてポーションを二つ取り出すと、地面にまとめて叩きつける。
むせ返るような灰を舞い散らせ、黒に染まったこの場所を、自分の色で塗りつぶす。
「てめぇとは何時か決着をつけようと思ってたんだ。今日はいい日だ、大安だな」
「ボクは殺界。不運の象徴。毎日厄日で、毎日いい日さ」
「『来い、死灰』」
「んふふ、キミの運勢、教えてくれる?」
そしてぶつかる、竜殺し。
麻痺で痺れるこの俺……サクリファクトは、半裸で路地裏に転がされてる。
…………。
鼻孔をくすぐる、彼女の残り香。僅かに残った、密着していた所の体温。
女の子って……色んな所が、柔らかいんだなぁ。
「ははっ! そっちはハズレだ! 不運が過ぎるな【殺界】よぉ!」
「ハズれる事がわかっていたから、準備もきちんと……してあるよっ」
「うぜぇよ」
「ちょれぃ」
いやいや、俺は何を考えてんだ。
マグリョウさんが戦ってくれてるのに、何を悶々としてるんだ。
そもそもどうして、こんな事になっているのか。
きっかけは一体、どこにあったのか。
不運の始まり、事の起こりは――――
――――リス野郎と揉めてから、Re:behind時間で5日後の、あの日からだったような気がする。
◇◇◇
◇◇◇
□■□ リスドラゴン襲来の日から、ゲーム内時間でおよそ5日後 □■□
□■□ Re:behind 首都 『よろず屋 カニャニャック・クリニック』 □■□
「……よう、サクリファクト。調子はどうだ?」
「……ぼちぼちっす」
「……墓地?」
「うるせえぞ天球。墓に入りたいのなら、今すぐ入れてやるぞボケ」
「…………」
首都の大通り沿いにあるこの店……カニャニャック・コニャニャックさんが経営する『よろず屋 カニャニャック・クリニック』。
そんなここには、今日も今日とてこの二人――――【竜殺しの七人】の内、二人が訪れていた。
一人は【死灰】……そして【迷宮探索者】。
孤高の軽戦士で、自称人間嫌いのプレイヤーネーム マグリョウさん。
そしてもう一人が【天球】の二つ名を持つ、プレイヤーネーム スピカ。
【マホサーの姫】という二つ名もあるらしいけど、本人が嫌うその名を口にするのは…………この無限に広がる仮想世界――――『Dive Game Re:behind』でも、極僅かの"親しい人間"だけだ。
「てめぇはここでは姫じゃねえ。【マホサーの姫】と呼ばれるような、甘えた声色は歓迎されてねぇ。俺の肩でも揉みやがれ」
「…………」
「『"初心者"を助けてくれたら、なんでもする』っつったよな? 俺は忘れてないんだぜ」
「……期間、限定」
「おいおい、そんな言葉があの場にあったか? スペルキャスターお得意の、『独自解釈』って奴なのか?
あぁ~やだやだ、呆れるぜ。頭でっかちのスペルキャスターは、詭弁で約束事にすらツバを吐く、正真正銘のクズなんだなぁ」
マグリョウさんが大げさな動きで、"やれやれ"と言った感情を表現する。
声色や表情なんかが、操作する生体の心に応じてしっかり反映される世界で、態々ここまでするって言うのは…………悪意のあるコミュニケーション、明確な挑発行為だ。
「…………『光球』」
「お? やんのか? 上等だクソ女。『来い、死灰』」
「…………君たち、貴様ら、うぬとうぬ。人のお店で何をしてるんだい」
「あ、カニャニャックさん、お邪魔してます」
「おお、サクリファクトくん…………体調は、どうだい?」
「……お陰様で」
黄緑色の長髪で、毛先が薄紫になっている垂れ目の女性。
着ている服は、白いロングコート…………を、限りなく現実の白衣に寄せたもの。
まぁ白衣って言っても、緑と茶色と赤と黄色で滅茶苦茶に汚れているんだけどな。
まるで絵の具を乗せたパレット。出来の悪すぎる迷彩服だ。
「やるなら表でやっておくれ。君たちがはしゃいでいるのを見れば、来店するプレイヤーも増えるかもしれない」
「来る訳ねーだろ、マッドアルケミスト。まずは『信頼』と『安全性』って言葉を学べ」
「仕方ないじゃないか。この地は予期せぬ事象に溢れる、新たな科学の採掘場。購入した商品が思わぬ動作を起こしたとして、それは購入者が対応すべきなんだ」
「…………今の時代に生きるとは思えない無責任さだな」
「そうして使って、何かがわかったら教えて貰うんだ。こんなに効率的な研究商売は他に無い」
「わからんものを、売るんじゃねーよ」
「わからないのではないよ、まだ知らないだけさ」
「どっちも同じだろ。俺はわからん物には、手を出さないと決めたんだぜ」
「……女体?」
「はぁ? ニョタイ? 何言ってんだお前」
「……未知」
「なんだお前? 俺を指差しニョタイが未知って、一体なにを…………あっ」
「…………童貞?」
相も変わらず無表情。そんなスピカがマグリョウさんを指さして、酷い言葉を口にする。
『お前は女体を知らぬから、手を出す事が出来ずにいて、だから童貞なのか』と問う言葉。
それに気付いたマグリョウさんは、灰色に染まった瞳を揺らし、体をぷるぷる震わせた。
顔は真っ赤に染まり尽くして、口がむにゃむにゃ動いてる。マグリョウさんには悪いけど、これでもかってくらいに図星をつかれたリアクションだ。
マグリョウ先輩……そうなのか。
俺と一緒だ。
より一層深みのある関係になれそうだと思ってしまうな。
「ど、ど、どどどど、ドドドドドッ、どうて……っ」
「……プッ」
「【死灰】、マグリョウ、【迷宮探索者】。まるで地盤を掘り進む、シールドマシンの鳴き声のようになっているよ」
「…………よし、わかった、上等だ。殺してやるぞ、クソスピカ。灰に塗れて燃えて死ね。詫びは地獄の底で聞く」
「…………プッ」
「表出ろオラァッ!!」
そう意気込んで、よろず屋の扉を蹴って飛び出すマグリョウさん。
そんな彼は全身灰色、髪の毛から鎧にブーツに剣まで、全てが統一された『死の灰』の色だ。
外套で口元を隠すようにしているのは、自身の戦闘スタイルによって撒かれる『灰』が、埃っぽいかららしい。
その色の抜けたキャンパスのような統一色で、元々確固たる個性を持つマグリョウさんだったけど…………。
……リスドラゴンと戦った、あの時からはもう一つ。
普通じゃ絶対ありえない、唯一無二の個性を持つ事となった。
――――隻腕。
――――マグリョウさんのキャラクターアバターには、未だに左腕が無い。
食った物を"消去"するリスドラゴンに、きっちり食われたその腕は。
この世界から、未来永劫、"無い物と"されて、そのままだ。
◇◇◇
「残る爪痕、と言った所だねぇ」
「……リスの爪痕、なんて言ったら……普通は可愛く聞こえますけどね」
「ワタシも空の動画を見ていたけれど……てっきりあそこで、全部終わるのかと思ったものだよ」
「フェーズが全部で10もあるとか、とんでもないクソボスっすよ」
「それもあるけど、やっぱりさ。【聖女】が出たら、なんとかなると思ってしまうのが…………」
「――――ッ!!」
聖女。その名を聞いた途端に、俺の頭がギシリと痛む。
まるで脳を絞られるような鋭い痛みで、弾ける頭を幻視する。
胸が強く鼓動を刻んで、視界がチカチカし始めて、体のバランスが崩れかけ――――。
「……おっと、危ない」
「……はぁっ……はぁっ……!」
「ニュービー、サクくん、サクリファクトくん。ごめんよ、ワタシの口が……浅はかな事をした」
「…………んぐっ……はぁっ……! い、いえ……だいじょ……ぶ……っす」
倒れかけた俺を、カニャニャックさんが支えてくれる。
ああ、なんだかいつも、女性に手助けされてる気がする。
こんな無様で、情けない限りだ。
――――ああ、本当に情けない。
『聖女』か『ヒール』、そのどちらかを聞くだけで……ぶっ倒れるような男なんてさ。
情けなすぎて、涙が出てくるよな。
「…………まだ、駄目なのかい?」
「……すんません」
「謝る事ではないよ。普通のプレイヤーは、そうなってしまったら……さっさと引退するものだから」
「…………」
「きちんと向き合っている分、君には勇気と努力が見える。そしてそれは、かけがえのない物なんだ」
「……あざっす」
「科学者的に、そういう根性論は……許容出来ない物なんだ。だからこれは、君の友人としての言葉だよ」
◇◇◇
リス型ドラゴン。海より這い出て首都へ行き、プレイヤーと街を思うがままに破壊する、最低最悪の『突発イベントモンスター』。
そんな不運の爆心地……アイツが現れた海岸地帯に居た俺とパーティメンバー達は、なんだかんだで大事な奴が危険になって、色々頑張り救出をして……一件落着の空気を楽しんでいた。
そんな空気をぶち壊すように、AIの声と共に訪れた絶望のアップデート。心を折りに来る『心折パッチ』。
復活するリス、終わらぬ悪夢。
立ち上がるリスと、それを生み出した運営に、いよいよ『クソ野郎』と吐き捨てて、逃げの一手を選んだ俺たち。
――――そこで起こった、あの出来事。
【聖女】と呼ばれる女が変な詠唱をしたかと思うと、治癒の魔法の『ヒール』を発動させる。
体を癒やす効果を持つソレは、俺が失っていた腕や足……更には目までを、余すこと無く癒やし尽くした。
だけど、それを嬉しいと感じる時間は、感謝の気持ちを持つ猶予は、俺には許されなかった。
欠損した体の一部が治った瞬間、目の前にいた『聖女ではない黒い女』の頭が弾け……。
それを視認した瞬間、頭が膨れ上がるような感覚がして――――涼しいような、暑いような、始めて味わう不思議な体験の中。
…………目の前が真っ赤に染まり、パンと弾けるような音がして、空気を舐めたような味を感じて、深い暗闇に突き落とされて、自分が遠く離れて行くような喪失感を味わって。
そして、自分が死んだ事を…………はっきりと理解させられた。
◇◇◇
気付いた時には首都のゲートで、死に戻りは滞りなく行われていた。
俺は即座にダイブアウトの操作をすると…………セーフエリアに居た事もあって、瞬時に現実世界に帰る事が出来たんだ。
帰る事は出来た。
現実世界に戻ったのだ。
本物の俺は死んでいないし、頭が弾けたりもしていない。
ただ、黒い卵型のダイブマシーンに座り、それっぽい感覚を味わいながら、それっぽい映像を見せられていただけだ。
全ては作られた世界の出来事で、偽物の体験だった。
だと言うのに。
そうだと言うのにも関わらず。
黒い球体から、外に出る事が出来なかった。
弾けて、死んだ。
眼の前で見た『黒い女が弾ける現象』が、そのまま自分の身に降り掛かって、死んだ。
ヒールで、殺された。
微笑みを浮かべた女によって、温かい癒やしの光で、作業のように殺されたんだ。
仮想世界で、頭が弾けた。VRゲームで、キルされた。偽物の臨死を、わざとらしいまでに見せられた。
現実としか思えない感覚の中、そこにいるとしか思えないほどリアルな人間に、何の感情も無い行動で、"サクリファクト"は、殺された。
怖い。怖い。怖かった。
ダイブアウトしたって、その恐怖はまるで消えないんだ。
感じる全てがリアルなら、殺される事だって限りなくリアルなんだ。
致命傷とは、こういう物だ、と。
頭が弾けるとは、このように感じるのだ、と。
死ぬ……と言う事は、かような事象であるのだ、と。
"フルダイブ式VRMMOで死ぬと言う事"を、飛ばした精神に、刻み込まれた。
目と耳と口と頭と心と体の全部に、死んだという事を…………わからされた。
俺は、メジャーコクーンの黒い外装に包まれながら、体を抱くようにして震え続けた。
足が動かず、思考が定まらず、指が何本にも見え、嗚咽が止まらなかった。
頭の中に、渦巻く言葉。
『聖女』と『ヒール』が、俺の心を噛み砕く。
それらを耳にする度に、死が迫る気配を感じてしまう。
いっその事、リスに食われてさっぱり消えていたほうが。
Re:behindを辞める踏ん切りがついて、よほど楽だったのかもしれない、と。
……そう思った。
◇◇◇
「……君は、不幸だった。それだけさ」
「…………」
「そして、何より幸運でもある」
「……幸運?」
「外を見てごらん」
カニャニャックさんと二人きりの店内、良くない思考が渦巻く中で、彼女に言われて外を見る。
灰のオーラを纏う男と、大きな光球……『天球』と呼ばれるソレにぺたりと座った女が対峙して……球が飛んだり剣が舞ったり、二人でダンスでもするかのような戦いを繰り広げていた。
光球が飛び、ナイフを防ぐ。
いくつも飛び交う光の球が、灰色の男に襲いかかる。
逃げ場のない全方向からの光球に、あわや男は倒れるか……と思った所で、幻影はかき消え、女の背後に灰色の殺意が現れる。
マグリョウさんの突きがスピカの中心を狙い、それが彼女の胸を後ろから貫くその瞬間――――光のバリアが剣先を柔らかく受け止めた。
あれは…………『接触防止バリア』?
「首都などのプレイヤーの集落…… "安全地帯" と呼ばれる場所では、あのバリアによる完全な防御で、他人に害を及ぼす事は不可能だ。勿論 "決闘" の申請と受諾があれば別だけど……彼らはそれを、していない」
「…………」
「遊び、じゃれ合い、戦いごっこさ。不器用な彼らの、精一杯の気遣いなんだ」
「……はい」
「いくら彼と彼女の仲が良くないと言っても……普段はああまで言葉をぶつけあったりしてないよ。わざとらしい口喧嘩、三文芝居のじゃれ合いで、誰かを元気付けようとしてるんだ。 "辛い事なんか忘れて、馬鹿やってる俺たちを見ろよ、笑えるだろ?" ってさ。不器用ながらにピエロを演じているんだよ」
「…………はい」
「【竜殺しの七人】の二人があそこまでするなんて……中々どうして、ある事じゃない。君は、不幸に遭ったけど……今この場では、Re:behindの誰より、幸運さ」




