第一話 危ない女と危ない男
□■□ リスドラゴン襲来の日から、ゲーム内時間でおよそ二週間後 □■□
□■□ Re:behind 首都 広場から離れたどこかの路地裏 □■□
…………喧騒、笛の音、弾む空気や明るい光。
そんな色々を遠くに感じる、暗く沈んだ路地の裏。
陰気と影と闇の世界で、俺に跨る…………一人の女。
「……んふふ。誰か来ちゃうかなぁ?」
「や……めろ……てめぇ…………」
「ふぅん……?」
まるで鼠を見つけた野良猫のように、深緑色の目を細めて顔色を伺ってくる。
獲物を見つけた捕食者の瞳で……艶に塗れた色欲の目だ。
「そんな事言ってぇ……体は正直じゃねーかっ! ……なんてね」
「……男は……こうなるもんなんだよ……っ」
「わぁ! キミって意外と、男である事に誇りを持つんだね。んふふふ」
無邪気で純粋なこの女は、それらでより一層に膨らむ狂気をあけすけに曝け出す。
黒く滑らかな布で出来た戦闘装束は、防御効果はあるんだろうけど……とにかくひたすら薄いんだ。
つまり、コイツが俺に張り付けば――――。
「ねぇ……見える? 感じる? わかるかな? ボクの体が、キミに……サクリファクトくんの体に合わせて、柔らかく形を変えているところ」
「…………知るか」
「おぇ~、ひどい。ボクも一応、女の子やよ? …………ねぇ、触ってみる?」
「……触るか、クソ」
「いじわるなんだね、サクリファクトくん……ここは、こんなになっているのに」
耳元に口を近づけ、息を吹きかけ甘く呟く。まるで脳を蝕む神経毒だ。
ピンク色のショートボブが、頬をさらりと撫でながら、仄かな香りを置いて行く。
そうして次は、俺の下腹部…………の辺りに手を舐めるように這わし…………。
…………クソ、不快だ。
痺れた体は言う事を聞かず、されるがままで居るしかない。
「や、めろ……」
「生理現象? 人の本能? う~ん? おかしいなぁ」
「なにを……」
「ここは『肉体を置き去りにして訪れる精神世界』。ゲーム内部で排泄は無いし、消化も無いのさ。内蔵が自律神経反射を行わない事は……全てすっかり……ほやほや、調べたもの」
「だから、なんだ……」
「だからね、キャラクターの表情・肉体変化は、キミのココロの写し鏡なの。キャラクターアバターの体に現れた明確な興奮は…………キミの心の興奮による物。んふふ、恥ずかしいけど、そういう事。ねぇ、体は素直やよ? 今度は心と、お口を素直にする番じゃない?」
ふざけるな。そんな事が……あってたまるか。
俺は……こんな奴に体を押し付けられて……。
そんな気持ちになっていたりは、していない。
と、思う。多分。自信は無いけど。
「大丈夫、キミだけじゃないんやよ。ボクもそう。ねぇ? 触れている所が、熱くなっているのは……わかるかな?」
「…………」
「ここは現実ではない世界やよ。何をしたって、残らない。心のままに、ボクの体を……滅茶苦茶にしても……良いんだよ?」
「……誰が……っ」
「も~、いじっぱりぃ…………それじゃあ、こうしよっか?」
そして取り出す、三つのダイス。
魔宝石で作られたのか、仄かに光るピンク色の6面サイコロだ。
無駄に金をかけていやがる……自分の二つ名を象徴するから、気合いを入れて作ってるのか? 馬鹿らしい。
「ダイス・ロールさ。偶数だったら、ボクは去る。奇数だったら、おたのしみ」
「…………」
「んふふ。【殺界】の二つ名を持つボクが振ったら、きっと悪い目が……偶数が出ちゃうから……キミが振って?」
ニ分の一。それで俺は……事なきを得る。
だけど、本当にそうなのか? 偶奇が決まるのは、二つに一つか?
…………【殺界】。悪い運気を示す二つ名。
それを持つコイツに対峙してる今、俺に良い事は……幸運は、起きるのか?
「それともやっぱり……んふふ。振らずにこのまま、しちゃおっか? ダイスを振らない、流れるままの運勢を、キミはこの場に願うのかい?」
動く所は、頭と指先。
それ以外は、どこだって麻痺毒で動かせない。
賽を振るのか、策を練るのか、何かを信じて待つべきなのか。
麻痺は脳には影響が無いはずだけど……囁く声で頭の中が溶かされる。
体を寄せるコイツの肉が、柔らかく形を変えて、判断能力を鈍らせる。
腐って狂って捻じくれたって、女の子は女の子だ。
女の子とこうまでぴたりと密着するなんて、俺の人生において初めての事だから……。
クソ。もう全部わからん。頭が揺れる。
顔が熱くて、体が言う事聞かなくて……とにもかくにも恥ずかしくって。
どうする。どうしたらいい。俺は、何をするべきなんだ。
ああ、頼れる先輩……マグリョウさん。
どうして俺に、『すごくスケベな女に組み伏せられた時の対処法』を、教えておいてくれなかったんだ。
「"ダイスの目なら、仕方ない"、そういう言い訳をしてもいい。"仮想世界だから、思うがままに"、そういう考えも、ボクはとっても素敵だと思うんやよ」
「…………」
「男の子なら、こんなラッキー……あ、そうだ。据え膳食わぬは~って、知ってる?」
「……この場においては……毒入り膳、だろ」
「わぁ、上手に返されちゃった。ちょっと悔しいや…………えいっ」
「……っ!」
「んふふ、ごめんね? ほら……なで、なで」
「や、やめ…………」
「心と体が分離しているね? 体のほうは、撫でられるのも……嫌じゃ無さそう。嬉しそう。素直で良い子。よし、よし。いい子、いい子」
「…………っ」
「偉いね、がんばれ、おとこのこ」
不幸だ、不運だ、災難だ。
光が差してるあっちでは、皆で『ドラゴン祭』を楽しんでるのに。
俺はこんな闇の中、自身の毛色と同じ色……桃色の感情をむき出しにする、忍び装束の淫乱女……。
――――殺し屋、殺させ屋、"PK" 、"M・t・P・K"……そんな言葉で誰もが避けて、
――――【殺界】【汚忍】の二つ名を持つ、確かに名のある有名人。
――――【竜殺しの七人】の一人、プレイヤーネーム『ジサツシマス』に、心と体を弄ばれている。
「運勢と呼ぶべき物は、結果の事だと思うんだ。明日がいい日であるように、じゃなくってね。今日がどういう日であったのか、確認する言葉やよ。
…………んふふ。ごめんね? もう我慢が出来ないや。
さぁ、いっぱいしよう? 何度も何度も求め合おう? 精神だけのこの世界で、お互いの心を重ね合おう? そうして交わり、全部が全部、終わったら――――」
「く……っ」
「――――今日のキミの運勢を……ボクに聞かせて欲しいんだ」
誰か、助けてくれ。
このままでは、俺の命と貞操が……危ない!




