プロローグその三 少し未来の彼らの日常
□■□ 首都南 森林深部 □■□
四つ足の獣。
一本一本が鋭く何でも噛み裂いてしまいそうな牙と、それを閉じる万力のような顎。
どっしりとした四肢が支える赤と黒の縞々模様の体は、しなやかさを感じさせながらも力強く。
厳しい弱肉強食の世界の中で生き抜いて来た証か、その体躯には傷が治った後に残るミミズ腫れのようなものすら伺える。
「やっぱデケぇな……」
「ああ……デカくて太い。王者である証だ」
ネコ科特有の太めな手足には、何でも切り裂いてしまいそうな爪が鋭く伸び、地面に食い込んで潮干狩りシーズンの砂浜のように幾本もの筋を付けている。
それだけだったら、地球のどこかにこんな生き物がいるのかもしれないと思ってしまいそうな――――やたらとリアルな獣の姿。
ただそれも、ぼうぼうと燃える尻尾とめらめら燃える鬣さえ見なければ、の話だ。
その尻尾と鬣のお蔭で、一気に地球ではないどこか――それこそ天だかどこかの国にいる『炎の神様の飼いライオン』のような印象に変わる。
「あの炎以外は妙に現実的なのに、あれだけ非現実的過ぎるだろ」
「体の一部が燃えてる獣なんて……リアルにいる訳ありませんからね、ふふふ」
実際にそういう設定なら色々としっくりくる。
古くから人は炎に神性を見出すとか言うし、現に神々しいまでの威風堂々たる炎の獣だもんな。
となると、そんな燃えるライオンの命を奪おうとする俺たち五人は、罰当たりな奴らなのかもしれない。
まぁもし本当にそうなら…………いざとなれば、炎の神様が止めに来るだろ。
ソイツが来るまで、やりたい放題好き勝手するだけだ。
「ロラロニー。始めよう」
「……うん! お願いっ! 火星人くん!」
茶色い髪の毛の少女が彼女なりに真剣な表情で鞭を振るう。
いつもとぼけているせいか、どことなく頼りなく感じてしまうその声と鞭だったが…………彼女の従僕には効果てきめんだったらしい。
鞭で打つ、と言うよりかは、鞭先でぺろっと舐めるって表現のほうがしっくり来るような、優しく甘い鞭。
それを受けた"白いタコ"は、その真っ白い体を主人の瞳と同じ薄桃色に染め上げると、地面にとろけたみたいに体を沈ませてから一気に飛び出した。
『キュン』と物体が高速で飛ぶ音を出し、弾丸のような勢いで燃えるライオンに突っ込むタコ。
衝突の寸前にぐるりと体を回して八本の足を思いっきり開く。
その姿は、まるで投げ網だ。
勢いはそのままにベドンだかドチャリだかの音を立てて燃えるライオンにへばり付くと、離れていてもわかるくらいに八本足に魔力を込めて――――
――――必殺の構え。
『吸盤吸い付きからゼロ距離"口から出る高圧の水"』だ。
敵対している時はあれほど恐ろしいもんはなくて、今はあれほど頼れるもんはない。
「おお! いいぜ、タコ助ぇっ!!」
「タコスケじゃないよ。火星人くんだよ」
しかし、燃えるライオンの毛皮に"吸い付き"はよろしくなかったらしい。
風呂上がりの犬のようにぶるんぶるんと体を震わすと、白いタコは堪えきれずにペトリと地に落とされる。
…………そりゃ、ツヤツヤした毛皮に吸盤はくっ付かないよな。
それでも必死に主の命を果たそうとするが、白いタコの動きは飛びかかり以外はてんでダメだ。
窓についた水滴のほうが、いくらか張り切ってるってくらいに鈍っちい。
最初の一撃で仕留める事に全てをかけてるタイプだからな。
もう白いタコに出来る事はない。
ただ、隙は十分生まれたようだ。タコは役目を果たしてる。
「隙だらけぇぇぇっ!!」
阿呆みたいな声を挙げるアホ。
大太刀でもってライオンの首を刈り取ろうと飛びかかる。
燃える鬣にも負けていないくらいの、真っ赤で逆だった髪、メラメラ燃える真っ赤な瞳。
……ライオンと一緒に視界に入れると、暑苦しいったらない。
「『伝説の漢斬り』ぃぃぃっ!!」
そんな技能は存在しないので、結局単純に斬ってるだけだが――完全に虚を突いた形のソレは、それでも首に致命傷を与えるには至らず――首筋に一筋の切り傷をつけ、血を多少流させるだけに留まった。
わかっちゃいたけど、滅茶苦茶に固いな、ユニークモンスターってのは。
毛皮が刃を通しづらい事もあるのだろう。
アイツはアホだけど、太刀筋は大真面目だ。
そんな赤い髪の男の渾身の一撃でもあの程度ってのは、どう考えても俺たちには荷が重いよな。
なにせ俺たちはまだまだ新参者。
トッププレイヤーたちには程遠い、初心者の殻を破ったばかりのよちよち歩き。
この世界に生まれ落ちたばかりの、圧倒的弱者。
だから――――
「――――生きる為には、何でもするんだ」
"ばぐんっ"
首に太刀を受けながら横に逸れたライオンの足元が、まるでトラバサミのように力強く閉まる。
竹を尖らせて作った俺の自慢の"不慮の事故"だ。
卑怯、小狡い。それはむしろ褒め言葉だ。
何しろ俺の職業は『ローグ』。
直訳すれば――――"ならず者"。
小賢しく狡猾に生きる術を見つけ出す、勝ち筋に食らいつく探求者。
本気でプレイするMMOだから、回りくどく邪道を進む…………
…………このみっともない生き様が、俺にはなにより具合が良いんだ。
◇◇◇
死体が素材になる事を考えて毒を塗るのはやめておいたが――それでもそのアギトに噛まれて無事な奴なんて、炎の国にすらいないだろう。
右前足にがぶりと噛み付いて動きを奪ったソレは、食いちぎるには至らなくても決定打である事には変わりない。
高い金がかかってるんだ。そうでないと困る。
「流石はキミです。罠の位置に寸分の狂いもない」
「そりゃ褒め過ぎだ。偶然だよ」
「それでは、その偶然を引き寄せる "強運" を褒め称えましょう」
「…………そりゃあ……褒めようと、しすぎだ」
「ふふふ」
前足を一度、二度と引っ張るライオンは、即座に作戦を切り替え口内に動きを見せる。
大きく開けた口――そこだけに留まらず顔周り全部がぐにゃりと歪んで、めらめらと燃え上がる音すら聞こえて来そうな熱の量だ。
鬣の炎が可愛く見えるくらいに、炎より熱い物を吐き出す前兆。
あいつの切り札、燃える息。
「おっと、それはいけませんよ――――大口を開けるのは、がま口だけにしていただきたいですね」
金髪の男が何時も通りの微笑みを浮かべながら金属の杖を振りかざすと、ライオンの口が無理やり閉められる。俺が仕掛けた竹の牙より、よっぽど勢いづいてるように見えた。
今度から、トラップは金髪の男の魔法で起動して貰ってもいいかな、なんて余計な事を考えながら、剣を抜いてライオンへ突撃だ。
「観念、しやがれぇいっ!!」
赤い髪の男が喧しく吠え立てる。
今この場では、燃えるライオンよりライオンみたいだ。大太刀で引っかき、噛み付くように歯をむき出しにする様子なんか、まさに。知性の足りなさもそれを裏付けてるぜ。
斬撃が通りづらい燃えるライオンの体に、一本一本確実に丁寧に傷をつけていく。
傷だらけのソイツも無事な左前足で応戦するが、地面に縫い付けられたままじゃお手上げってもんだろう。
まぁ、罠に食われた手は上げられんだろうけど。
そろそろ決戦かと思われたが、燃えるライオンも黙ってはいない。
ここら一帯の王者のプライドか、鬣と尻尾をこれでもかってくらい燃焼させて、爆発みてえな衝撃を放った。
近くにいた全員が吹き飛ばされて、白いタコは必死に茶色い髪の主を庇っている。
お前、何でそこにいるんだ。
最初の一撃をしくじったからって、撫でて慰めて貰ってたんじゃないだろうな。
「ひゃ~」
「気合い爆発! って感じだな! 燃えるぜぇ!!」
「それ以上燃えんな。暑苦しい」
そんな事を言いながらライオンを見やれば……余りの熱波で罠も外れたらしい。
自由と烈火の怒りをその身に得て、ソイツは迷うことなく――――
――――俺たちに背を向け逃げ出した。
王者の貫禄も何もあったものではないが、この状況で向かって来るほど馬鹿なやつだったら……そもそも王にはなれていないだろう。
惜しい所まで行ったが、十分な戦果だ。
「…………つまり雷の母である積乱雲の前兆として、空に吸い上げられる風が吹き……おや、あそこでは魔法の射程圏外ですね」
「……キキョウさんの詠唱って、科学の授業みたいだよね。勉強になるなぁ」
「そのようにしたほうが、強力になる性質なものでして」
「雷が来ると "おへそ" が危ないのは、どうしてなの?」
「おっと、ロラロニーさん。これはまた難解な問いを……ふふふ」
「まさしく尻尾巻いて逃げ出しやがったなぁ! ライオン野郎! 俺っちの名前、とくと覚えとけってんだっ!!」
"金髪の男"のスペル詠唱は途中で取り下げられ、集まっていた力と光もはらりと霧散する。
"茶色い髪の毛の少女"がとぼけた事を言うと、"赤髪の男"がアホ面で大太刀を掲げた。
今回の戦闘の目的は、燃えるライオンの無力化。
これでこの一帯に一時の平穏が訪れ、クエストの報酬は受け取れるはずだ。
俺たち五人パーティの力量を考えれば少し背伸びをした相手だったが――ムードメイカーが「できるよ~私のペットの火星人くんもいるし」と言った事から始まった背伸びは、達成と言っていいだろう。
「ああ、いや。まだ終わってないか」
「 "報告までが、クエスト" だって? そいつぁいいや」
「ちげーよアホリュウ。
――――五人目が、いるだろ」
◇◇◇
燃えるライオンの逃げた方向へ四人で歩いて行くと、徐々に誰かの声が聞こえてくる。
無闇に元気でべらべら喋る、一人きりの会話の声だ。
地面に横たわって鬣の火も消えた"燃えていないライオン"を背に、嬉々とした様子で半透明の球体に語りかける青い髪の『Metuber』。
「――――なので、ライオンの巣はあっちに真っ直ぐなんですよ。そこへ向かう獣道の中で、最も距離と危険が少ないのがここなんですっ。まさしく私の読みどおりっ!! 『Metuber』は伊達じゃないんですっ!!」
「おうおうっ!! まめしばぁ!! 殺れたのか!!」
恐らく次の動画のネタなんだろう。
ライオンの死体を前に、自身の持つ情報を得意げな顔で語る"青い髪の女"。
ライオンの死体を見やれば、その眉間には一本の矢が奥深くまで突き刺さっていた。
「…………見事にど真ん中だな」
「ダブルブル・ショット! ってね! 動画映えするよ~これはぁ~」
「まめしばさん、すごい! "白いタコ"で、撫でてあげるよ」
「や、やめてロラロニーちゃん……押し付けないでっ! ぬるぬるするぅっ。やるならキキョウにしてっ!」
「もうやってあげたよ」
「ふふふ……べとべとですよ」
「そ、そんなっ」
パーティの五人目が野伏の役割をしっかり果たし、王者に対する下剋上は決着がついた。
白いタコから始まった背伸びは、白いタコで終わる。
…………この白いタコにも、今ではすっかり愛着が湧いた。
――――――これはDive Game Re:behindの話。
ゲームの金が現実の金と等しい価値を持ち、このゲームの中でモンスターを狩れば、現実の昼飯代が払える…………そんな "仮想現実世界" がある時代の話。
……少し昔、とある時代の転換期があった。工学――――人工知能界隈における、大変な出来事が起こったらしい。
そんな大きい山を越えた後はもう……まるで坂道を転げるように、加速度的な進歩が始まった。
各国による追いつけ追い越せの開発レース。機械の弛まぬ自己学習と、自身で自身をアップデートする無限の成長。
坂道を転がる、とはよく言った物だ。ころりころりと先に行くソレを、止められる人間は居なかったから。
そうして気づけば世界はすっかり変貌を遂げていた。
精神を電脳空間に没入させる "フルダイブ式エンターテイメント" がある。
手のひらをタッチし、目的地まで一律の金額で運んでくれて、最高の安全性を持つ自動運転車がある。
思念操作の空調設備に……網膜に映像を投影する技術もあるし、宇宙旅行は地球の裏側に行くより手軽な物だ。
色々ある。何でもある。
思いつく限りの技術があるから、今こそきっと『未来』になったんだ。
時代が変われば世界が変わり、人と機械の関係も変わる。
そして必然、労働社会のあり方も……じわりじわりと変化を遂げて、気づけばまるごと別物へと変化していた。
調理師・整備士・運転手…………果ては "治安維持機関" まで。その全てが人工知能を搭載した機械によって為す事が出来る時代だ。
人間が持つ不器用な手は、ミスを起こすし風邪もひく、まるで "劣悪" とされて淘汰されていた。
かろうじて生き残っているのは、デザイナーや歌手などの芸術分野くらいの物だ。
思いつく限りの何もかもが、機械によって賄われる時代。労働の義務すら無いままに、経済が循環を始めた世界。
そうした酷く心地の良いぬるま湯は、人々を怠惰の衣で覆い尽くした。
欲の棘は擦り減らされ、熱意はすぐさま冷水によって鎮められ。
誰も彼もが国からゆるく支給された "生活費保障" に頼り、何をする訳でもなく生きて行く事を、強制されるようになる。
そして人々は失って行った。夢を、希望を、達成する事や、それに向かって頑張る事を。
"何もしなくていい" と言ったら聞こえはいいけど。
"何もさせて貰えない" と言うのは、多くの人間にとって、とても辛い物だった。
そんなのんびり死に行く世界に、突然現れたのが、このゲーム。
Dive Game Re:behindと言う名の、新たな選択肢だった。
これは、そんな変わった道を選び取った、『職業・ゲームプレイヤー』たちの話だ。
ここに居る、総勢五人で一つのパーティ。
赤い髪のうるさい男、『剣士』のリュウジロウ。
金髪にニコニコ笑顔を絶やさない性悪、『魔法師』のキキョウ。
青髪で動画投稿者、Metuber、『狩人』のさやえんどうまめしば。
茶色い髪でとぼけた女『調教師』、ロラロニー。
そして……。
「あっ! サクリファクトくんも、ライオン退治……がんばったよね! 火星人くんで撫でてあげるよ!!」
ぬるぬるねとねとの白い軟体を頭に押し付けられている、極々普通で平均的日本国民の俺。
一部の友人からは『主人公』と呼ばれたりもする、職業は『ならず者』の一般プレイヤー。
つい最近までゲームに本気になるって事の意味がわかってなくて、ようやく真剣になる事を理解した―――― "サクリファクト" の話だ。
『燃えるライオン』
赤と黒の縞模様、猫科のような太くてどっしりとした足に、燃える鬣と尻尾を持つ強力なモンスター。
近づけば爪で引き裂き炎で焼かれ、逃げようとすればブレスでこんがり焼かれてしまう、初心者プレイヤーにとっては恐怖の化身。その戦い方と、初心者用のエリアに湧いてプレイヤーを付け狙う姿から『火葬ライオン』とも呼ばれる。
洞窟に巣を作る習性があり、その中にはうず高く積み上げられた木炭のベッドがある。
"乾いた木の上で寝るのが好きで、寝ているうちにベッドにしていた木材が自然と木炭になっている"
と主張するプレイヤーと
"木炭の上で寝るのが好きだから自分で器用に焼いて作っている"
と主張するプレイヤーで対立をしている。
『獣の木炭』と呼ばれるそのアイテムは、プレイヤーが製作する物よりも効果が長く持続するため、それなりの価格で売りに出される。