夢の続きを 1
□■□ Re:behind運営会社内 2F 第一開発室 □■□
『――……進展:91.4%』
「うあぁぁぁ……」「頼むぞぉ~止まってくれるなよぉ~」
「行け、早く行けぇ! 一気にビャッと行っちまえぇぇ~ッ!」
むわ、とむせ返る空気がこもった密室に鳴る、地獄の亡者のうめき声。
その声を出す部下たちの誰も彼もが、5日間のデスマーチでクッタクタのヘロヘロだ。
……そしてもちろん、そんな彼らを見つめる俺だって例外じゃない。
いくら信頼できる部下と愛する娘たちとの共同作業だからと言っても、体感時間で500日間働き通しは老体に響く。
『進展:94.9%』
「うぅぅ……脳疲労がやべぇ……」「聞こえるんだぁ……シナプスの悲鳴が聞こえるんだぁ……」
「グゴー、グゴー」「おいっ! 寝るなっ! 一緒に最後まで見届けるって、そう約束しただろぉ!?」
そんな溺れるような疲労の中、その霞む目で見る『運営からのお知らせ』の送信状況は刻一刻と進んでいる。
これが走れば一区切り、500日ぶりのまともな休日がやってくる。
それに加えてあとは見ているだけでいいってんだから気分がいいぜ。ある種のウィニングランのような心持ちと言った所だ。
『進展:99.6%』
「終われ!」「終わった!?」「行ったか?」「行ったろ」
『――……各国への進展報告:現時刻を持って地球上の全ユーザーへ向けたメッセージの送信が完了。それに伴い、各地コクーンハウス内機器の再起動を開始。
――……確認中:特記事項なし。只今を持ちましてすべての準備工程が終了。代理世界が再び動き始めました』
「……っし!」「カットオーバァァァァ!!」
「はぁ~! 終わったぁあああ!」「やっだぁ~!!」「お疲れ~っ!」
そしてそれは訪れた。
運営にとってのひとつの終わりで、プレイヤーにとってのひとつの始まりが。
「ヒャア~! オヒャアア~!!」「よっしゃ! 乾杯だ! 乾杯しようぜぇ!」
「うぃ~!!」「お疲れっした! お疲れっしたぁ!」「あばばばば! びばばば!!」
――――いや、違うな。そうじゃねぇ。
これは再誕、再開だ。ならばここは、新たな世界の続きが始まると言うべきなのだろう。
そうして胸に湧き上がる、達成感と安堵感。
そのどちらもがたまらなく、このくたびれきった半死半生の身に活力を与えてくれる。
そんな心が弾むがままにニヤけてしまったツラをごまかそうと、電子タバコを口に寄せた。
「さてさて。それじゃあみんな注目っすよ! ここで我らが小立川管理局長から挨拶の言葉をいただきましょう!」
「……あぁ? 何だそりゃ、聞いてねぇぞ」
「まぁまぁ、そう言わずにお願いしますよ。この場の代表である小立川さんから正式に締めて貰わなきゃ、俺ら下っ端はどうにも安心出来ないんで」
そういうモンかね。
いや、おそらくそういうモンなんだろうな。
つまるところ、俺にとっての終わりは作業の完遂だが、こいつらにとっては俺の口から出る終業の言葉だって事なんだろう。
だったらキリよく後腐れも延長戦もないよう、きちんとした終了の号令を聞きたくなるってのも頷ける。
半端に偉くなると、下の気持ちを忘れちまってよくねぇな。これじゃあ自分の嫌ったアホ上司とおんなじだ。
そんな自責の念も込めて、桝谷の言う通りにしてやるとするか。
「……え~、そんじゃまぁ、諸君。いいかね?」
「待ってました!」「よっ! 鬼上司!」「この人でなし!」「ブラックTDD局長!」
「今の時代に労働基準局とやらががなくてよかったですねぇ!」「ははっ! ちげぇねぇや!」
「……あ~………………っと、そういや急に思い出したぞ。何でも追々実装する新要素の未テスト箇所があったとか何とか、そんな事を聞いたんだ。なぁ? どうだ? せっかくだから今からテスト作業の延長戦と洒落込んでみるか? どうやらお前らと来たら、今にあってもうるせえヤジを飛ばすほど、クソ元気が有り余ってるみてぇだしよう」
「え」「あ……」「い、いや…………」「う、うそだろ……?」
「んん? おいおい、どうしたお前ら? 急にしおらしくなっちまってよう。俺と比べてまだまだ若いンだから、元気出して行こうぜ? なぁ、おい?」
「…………」「いや……はは……ちょ、ちょっとした冗談じゃないですか…………」
「……う、うん……そうですよ……」「………………もう勘弁して下さい…………」
地獄の精神加速業務から解き放たれた開放感からか、いつも以上にはしゃいだ奴らを嗜める。
一段落ついたってのは事実だが、まだまだ気を抜いて貰っちゃあ困る。
何しろダイブゲーム運営業の本番は、これからなんだしな。
「……とまぁ、冗談はこのくらいにしておくか」
「はぁ……勘弁してくださいよぉ」
「何はともあれ、これでひとまずの作業は終了だ。長い長い開発業務、大変ご苦労だった」
「うぃーす!」「っしゃあ!」「オツカレでーす!」
「とりあえず今後の各処理は我らが愛しきAI群に任せて、君らは帰宅するなり打ち上げをするなりして貰って構わんが――――何分、社外秘まみれの秘密の仕事だ。外で愚痴を吐く際には十分注意をしてくれ。それこそ、どこで誰が聞いているかわからんからな」
「はぁ、まったく。社内でも社外でも愚痴を吐けないなんてつくづく窮屈な仕事っすよね。俺はたまに、どうしてこんな仕事をしてるんだろう、って思いますよ」
「……ならばせめて、その窮屈さと頑張りへの対価でもって、その理由を用意してやるさ」
「お? それってアレっすか? 報奨金的なやつっすか?」
「ああ、金庫番には先立って話をつけてある。そりゃあもう、この場の全員にそれなりのまとまった額が給付されるだろうぜ」
「おお!」「やりぃ!」「そんな強気で言っていいんすかぁ? 思いっきり期待しちゃいますよぉ~!?」
"金のため"。
そんな程度のやりがいで、こんな寿命の前借りをするかの如き精神加速業務に殉じる奴はいないだろう。
だがまぁ、なんとも情けない話だが、俺が上司として出来るねぎらいはそれくらいしか残っていない。
「くはは……おう、期待しとけ。存分にな」
ならばせめて、口座を見てほくそ笑むのに足りるくらいの額を……との思いで経理に殴り込んだ俺の覚悟は、それがあっさりと受理される形で受け流された。
何のこともない。俺たちの常軌を逸した頑張りが、上の奴らにも評価されたって事なんだろう。
あるいは、たかが金で黙らせる事ができるならそれが一番いい、って考えなのかもしれんが。
「ボーナスかぁ~……へへ、そしたら思い切って買っちゃおうかな。個人用の自動運転車」
「おぉ、ついに買うのかよ。前から欲しがってたもんなお前」
「俺はぼちぼち肉体部品を新調すっかね」
「あれ? お前って人口臓器持ちだっけ?」
「あぁ、うん。俺は元々全盲だからさ。両目が義眼なんだよ、新生社製の」
「なるほどなぁ。だから目が妙に良かったのか」
「そうそう。いわゆるひとつのデバイスチートよ」
「どうすっかなぁ~、宇宙でも行くかなぁ~」
「あ、いいねぇ。それならアレ、最近新設の遊覧コースが出来ただろ。太陽に限界まで近づくとか言うさぁ」
「あぁ、確か実際に船内温度が上がるくらいまで太陽に近づくって触れ込みのやつだろ? 臨場感とかがすげぇらしいじゃん」
「あ、あの……水を差すようで悪いんですけど……アレって本当に太陽熱って訳じゃなくて、ただ船内の温度調整をイジってるだけらしいですよ……」
「うわ、それマジかよ新入り」
「は、はい。マジです」
「なんだよそれ、詐欺じゃねーか。俺のワクワクを返せよ」
「そ、それならこっちのプランのほうがおすすめですよ」
「へぇ? どれどれ」
弛緩が許されるタイミングでしっかりと気を抜き、円滑なコミュニケーションを取る部下一同。
初めは肩肘を張りっぱなしだった先日正式入社を果たした新入りの奴らも、このデスマーチでずいぶんとこの職場に馴染んだようだ。
「はいはい、静粛にっすよ~。小立川さんのお話はまだ終わってないっすからね~」
そんな予期せぬ臨時ボーナスで心を躍らせる奴らに向けて、桝谷がパンパンと手を叩く。
……話、話か。
あぁ、そうだな。
見届けるべき所まで見届けた。
成果に対する報酬は約束した。
だったら後は、その頑張りを称える言葉と、これからのこいつらへの手向けの言葉を贈るべきなんだろう。
いわゆるひとつの贈る言葉ってやつだな。
……あるいは遺言となるのかもしれないが。
「え~……さて。文字通り長いようで短い間、君たちは本当よく働いてくれた。その作業量と作業内容は、圧倒的に人員が多くいる他国の開発陣と比べても何ら遜色のない――いや、それどころかまるで見劣りする所もない、素晴らしい仕事ぶりだったと断言出来る」
「へへ」「何言ってんですか、当たり前ですよ!」
「他国の連中も言ってたらしいぞ? "日本国開発陣はあんな少数でありながら、独特かつ興味深い発想とそれを形にする能力は素晴らしい" ってな。つってもまぁ、そんな外からの評価がなくとも、だ。お前らを隣で見ていた俺は確信していたぞ。俺の目に映っているのは、世界で一番素晴らしい開発チームだと」
「……おお」「局長……」
「お前らは、よくやった。優秀だった。立派だった。俺は君たちの上司でいられた事を、誇りに思う」
「…………なぁ、なんかさ、珍しいよな。小立川さんがああしてはっきり褒めるのって」
「あぁ、俺は初めて聞いたぜ」「僕もです」
そこで一呼吸置いて、全員の顔を見渡す。
どいつもこいつも頬をコケさせ、目の下にクマをこさえたひでぇ面だが、その目はしっかり燃えている。
あぁ、やっぱりつくづく思うぜ。
こいつらは俺の自慢の部下だ。
「…………さて。ひとまずのリリースは行われたが、何分継続的なメンテナンスや細々とした修正、そして定期的なアップデートが肝要な生業だ。今日は確かに区切りではあるが、俺たちの仕事は終わるどころかこれからが本番だ。だからお前ら、日本国が誇る俺の自慢の部下たちよ。そういう訳でこれから――――」
ならば何の憂いもない。
例え俺が居なくとも、きっとこいつらはやってくれるだろう。
下を育てる者として、こんなに嬉しい事もねぇよな。
「――――…………これから、よろしく頼むぞ」
「はい!!」
そう言葉を残し、再び楽しげな雑談を始める部下たちを後にする。
すべき事はした。思い残す事はない。
いくか。
あいつの所に、決着を付けに。
◇◇◇
「…………」
歳を取ると、どうしたって過去を思う事が増える。
明日の事より今日の事、今日の事より昨日の事を思い浮かべ、そして『もしこうだったなら』ばかりを考える。
……Re:behindが終わったあの日の話だ。
苛烈に攻めた中国勢と、熾烈に抗った日本国勢。
どちらもまっすぐRe:behindを愛して、自分にできる最大限で明日を掴もうと頑張っていた。
そこに現れた米国勢だって、結局のところは同じだった。
滅ぼされたくない、終わりにしたくない、だから先んじて敵を潰す。
それは一片の間違いもない、正しいRe:behindの遊び方だった。
中国勢も、独国勢も、米国勢も、日本国勢も、全員漏れなく正しくて、その全員が素晴らしかった。
……だが。
しかしそれでも、忘れがたいあの日には、ひとつだけ大きな間違いがあった。
「…………」
リス型ドラゴンの強化、『二つ名無効』というゲームシステムを根底から覆す、下品で下劣なクソチート能力。
それは、駄目だった。間違いだった。プレイヤーの事を思うなら、決して許されちゃならない事だった。
あれさえなければ、すべてが丸く収まった。
我らが日本国が誇る【竜殺しの七人】でリス型ドラゴンを打倒し、日本国勢は心地良く勝利を掴み取る。
そして、早々に決着のついた中国勢との争いは終結し、その後に順序よく米国勢が襲来して来る。
そこではきっと、日本国勢がどっしりと身構えて迎え撃っていただろう。
しかし、国力・ゲームの進行度・プレイ人口にキャラクターアバターの平均レベル……そういったすべての要素が劣る日本国では、十中八九で米国には負けてしまっただろう。
だがそれでもまぁ、プレイヤーの全員がきちんと負けられていたはずだ。
それならば良かった。そうなる事が順当で、全員にとっての最良だった。
……しかし、それは崩された。
他でもないあの『なごみ』と、その提案を受け入れた上層部――そしてマザーAI "MOKU" の手によって。
『二つ名効果の消失』。それによるリス型ドラゴンの延命と、中国戦の延長。
そんなアクシデントで起こってしまったのは、もぬけの殻だった首都を米国に落とされ、大半のプレイヤーが訳のわからないまま敗北するという、およそ最悪の決着だった。
魂を燃やして一念発起した彼らの知らないところで、すべてが終わってしまった。
どうして負けたのか、何に負けたのかもわからないまま、必死で守ろうとしたものが奪われた。
そんな不完全燃焼の心持ちが、日本国のプレイヤー全員に押し付けられた。
……そうした最悪。
それを思うたびに頭が煮えたぎり、"もしも" を考える事が止められない。
"もしも俺が今よりずっと偉かったなら、そんな事には絶対にさせなかった" と考えて、悔しくて悔しくてたまらない。
俺たちのゲームを愛してくれたプレイヤーに、そんな結末を与えてる事になってしまったこの身が、情けなくってしょうがない。
もしも俺が、もっと社会人をしていれば。
もしも俺が、上におべっかを使い、小利口に生きて、前もって偉くなっておけば。
それならきっと、あんな最悪の結末になるのを避けられたかもしれなかった。
"もしも" が無駄だとわかってはいるが、それで後悔が処理出来るはずもない。
人間の精神ってのは、本当にデキが悪いよな。神って奴はいつだって、ロクに仕事をしやがらない。
「――――小立川さん」
「ぁん?」
そうして過去を引きずりながら歩く事、数分。
気だるい体を引きずるようにして通路を進む俺の背中に、聞き慣れた声が投げかけられる。
「何だ、どうした桝谷。もう帰っていいんだぞ」
「小立川さんはどこに行くんすか?」
「ぁん? どこだっていいじゃねぇか。プライベートな野暮用だよ」
「そっすか。それならお供しますよ」
「……なぁ、桝谷よう。お前が上から言われた俺の監視とやらは、もう終わってんだろ? だったらこんなくたびれた老体に付きまとう事もねぇ。アレだ、お前好みのビジネスライクでドライな関係と行こうぜ」
いつもの調子の桝谷の声。
それに対して振り向かない格好のまま言葉を返す。
鏡はないから恐らくではあるが、酷い色をしているであろう自身の顔を見せないようにと。
「………………アレ、なんすか」
「ぁん?」
「さっきの言葉、なんなんすか」
その話しぶりに、珍しいな、と思った。
桝谷ってのは大体いつも飄々と、悪く言えば周囲すべてを小馬鹿にしたような話し方をする奴だったはずだが……今はいたく重苦しい声色だ。
それこそ、俺の顔色がそのままコイツに伝染ってしまったように。
参ったな。
「……何って、何だよ」
「"君たちの上司でいられた事を、誇りに思う" だなんて、なんすかそれ。そんなの全然らしくないじゃないっすか」
「……おいおい、あんま掘り下げんなよ。そりゃあもう、たまたまそういう気分だったんだからしゃあねぇだろうよ。アレだ、アレ。おセンチな気分ってヤツだなあ」
「それに、それだけじゃないんすよ。そのあとだっておかしかったっす。"これからよろしく" って……一体何を "よろしく" なんすか?」
「何って、そりゃあお前…………」
「俺、ずっと小立川さんと居たからわかるんすよ。あの間は、変っす。おかしいっす。それにあんな含みのある表情だって、いつものアンタらしくないっすよ。そりゃあ小立川さんをあんまり知らないあいつらは、そのまま "これからも一緒に頑張ろう" って言われたと思ってるみたいでしたけど…………でも、俺にはそう聞こえなかった。絶対そういう意味じゃなかったんすよ」
「…………」
「……小立川さん」
「…………」
「……なんすか、あれ。あんな言い方で、あんな顔して、あんな事を言って。そんなの俺には、なんていうか、まるで…………」
言葉を区切り、一呼吸。
そして意を決したように繋げる、デキた部下の震えた声。
「俺にはまるで、後は任せたって言ってるみたいに、後は頼むって託すみたいに、そういう風に聞こえたんすよ」
足元を照らすライトの音すら聞こえてきそうな、静まり返った長い通路上。
そこにぽつりと響く桝谷の声は、いつしか重苦しいものから緊迫したものへと変わって行きながら俺の背中に放たれる。
……デキるってのも考えモンだ。
長らく続けていた監視業務対象の、こんな些細にまで気づきやがる。
その上、それをかすかに嬉しいと思ってしまった自分が、これまた格好悪くって嫌になるぜ。
「違いますよね? そういう意味じゃないっすよね?」
「…………」
「どっか行っちゃうワケじゃないっすよね?」
「…………」
「何か言って下さいよ」
「…………」
「……言って貰わなきゃ、こっちは安心出来ないんすよ」
言葉こそ開発室でのものと同じだが、そのトーンは桝谷らしくない、すがるような声色だった。
そうして振り向き、目に映るのは、案の定情けなく眉を下げた部下のツラだ。
……あぁ、まったく。
また後悔だ。
最後の最後の最後まで、俺の人生は失敗ばかりだったな。
「……桝谷」
「なんすか」
「なぁ、桝谷よ。お前は腕は優秀で頭も切れるが、何につけてもとにかく生意気だったよな」
「……え。いや、まぁ…………はい」
「初対面から今日の今日まで一切変わらず、態度も悪けりゃ可愛げもねぇ。その上クチの効き方だって、 "~っす" なんてふざけたモンと来た。技術屋気質なんて言えば聞こえはいいが、言っちまえば上下関係がわからぬガキでただの無礼者だ。お前が俺の直属じゃなけりゃあ、とうの昔にどっかに飛ばされてんだろうよ」
「…………」
本来は、すべてが終わってから自動で桝谷宛に送信されるはずだった、コイツへのメッセージ。
そんな俺の最後の言葉を、上手くやれなかった自責の念を込めてながら、この場で直接投げ付ける。
一度文章として出力した言葉を口にするだなんて、まるで祝辞か何かのようだ。
門出を祝うって意味でも、確かにそれと似た所がある。
「なぁ、桝谷。クソ生意気で礼儀知らずな俺の部下よ」
「……はい」
「俺の願い事を、聞いちゃくれねぇか」
「え……? ん、はい?」
「俺はな、桝谷。お前を本物の天才だと思ってるんだ。今まで色んな奴を見てきたが、お前ほどこなす奴を俺ぁ見た事がねぇ。しかもその歳、まだ二十歳ちょっとだろ? そこから更に伸びしろまであるってんだから……あぁ、とんでもねぇよ。本物の逸材だぜ、お前は」
「……別に、無理やり褒めてフォローしなくてもいいっすよ」
「いや、そんなんじゃないさ。これは俺のまっさらな本心だ」
「…………そっすか」
「あぁ、そうだ。今まで言った事はなかったがな、俺はお前を尊敬してすらいるんだぜ」
「……もう、なんすか急に! 説教したと思ったら今度は持ち上げて! なんか気持ち悪いっすよ!!」
ややこしい事情は多々あれど、長い時間を共にした。
だったら当然、情も湧く。
そしてそうであるのなら、コイツのこれからが良いものになって欲しいと願いもする。
俺が居ても、居なくても。
どっちにしたってコイツには、これから素晴らしい人生を送って欲しいと、そう思う。
そういうモンが先の短い老いぼれ唯一の楽しみで、死にゆく者の希望なんだ。
「……だからな、桝谷。お前は偉くなれ」
「…………え? ええと、偉く? それは昇進しろって事っすか?」
「あぁそうだ、上に行け。なぁ、桝谷よ。お前は天才で、精神だって真っ当な奴だ。だからな、その夢見がちな精神で、思う通りにまともな事をしていたいなら、もう少しだけ利口に生きろ。狡く器用に上司に気に入られ、小賢しくへりくだって上に好かれて……そして偉く、偉くなれ。自分の正しさを曲げずにいられる立場まで、その器用さで這い上がってよ。いつか思う通りに正しい事をしていけるようになるまで、今だけは歯を噛み締めて生きてみろ」
「な、何でそんな事」
「そうしたらな、それはきっと助けになるんだ。桝谷、お前自身の助けにな」
「…………」
桝谷。
俺とお前は上司と部下だ。
長と末端だ。先輩と後輩だ。監視者とその対象だ。
ただの仕事の関係で、それ以上でも以下でもなかった。
あぁ、そんな事はわかってる。
だけどな。
「なぁ、桝谷」
「…………」
「俺のようにはなるんじゃあねぇぞ。俺とお前ではモノが違う。俺は上手くやれなかったが、お前ならきっとやれるんだ。お前みてぇな天才は、俺みてぇに不細工に生きて野垂れ死んでく人生なんて似合わねぇ。上手に生きて利口に偉くなって、正々堂々と己の信じる道を歩いて行けんだよ」
「……いや、もう! ホントなんなんすか!? 色々意味がわかんないっす! アンタは一体何を言ってるんすか!?」
桝谷よ。俺はな。
俺にならい、俺を参考にして成長を続けたお前を。
生意気な口をききながら、それでも目上として尊重してくれていたお前を。
俺に従い、俺の背を追い、そのくせ隙あらば俺を追い越して行こうとするお前を。
そんなお前を、俺はな。
まるで、息子のようだと。
そう思っていたんだぞ。
「桝谷」
そんな情けない事、こっ恥ずかしくてとてもじゃないが言えたモンじゃない。
だから最後は、これでいい。
「俺の自慢の部下よ」
俺とお前はこうでいい。
遠からずとも近からず、部下と上司のままでいい。
だからそのまま、巷に溢れたそういう奴らと同じように、口やかましく説教カマして去るのがいい。
ウザったい老人の自覚はあるが、最後くらいはいいだろう。
「後は頼んだぞ」
そして、どうか桝谷よ。
お前にはどうか、俺ができなかった事を成して欲しい。
こう言うとお前は嫌がるかもしれないが、俺とお前はどうしようもなく似てるんだ。
だからきっと、俺が願ったより良い人生案は、お前にとってもより良いものになるはずなんだ。
だからお前は、俺が見た夢の続きを。
それを叶えていってくれ。
俺はお前の人生が、素晴らしいものであって欲しいんだ。
そうでなけりゃあ死んでも死にきれねぇんだよ。
勝手にそう思っちまったんだから、勝手に言わせて貰おうじゃないか。
「……え? は? いや、え?」
「じゃあな」
「――――いや、ちょっ! 待……っ!」
<< 警告:この先はレベル5特別区域です。許可証を持たないあなたの進入は禁止されています。10秒以内にここを退去して下さい >>
「小立川さんっ!!」
<< 警告・2回目:この先はレベル5特別区域です。許可証を持たないあなたの進入は禁止されています。10秒以内にここを退去して下さい >>
重要区画への通行許可を持たない侵入者を検知した通路が、赤い光でけたたましく照らされる。
その光から逃げるように歩く俺に向け、桝谷が声を張り上げた。
「…………俺の屍を超えてゆけ、ってやつだな」
部下をねぎらい、若者の未来を願って、夢も遺した。
それなら後は自分の役割をこなせば、俺の終活も完了だ。
◇◇◇
『スイッチを押す仕事』というものがある。
AIが行ったすべての行動による責任は、それを起動したものが負うべきだという考えから生まれた業務だ。
で、あるならば。
俺はずっと、それをしていたのだろう。
そして今。
その業務を最後まできちんとこなし、あるいは殉じて逝くだろう。
「…………」
右手を胸に押し当ててみれば、その奥で どく と音が鳴る。
本来ならばとうの昔に止まっているはずの、俺の心臓部。
その活動を機械仕掛けで無理やり続けているサイボーグの "Living heart"。
そのゼンマイをせっせと回して、この生命の維持と管理をしているのは、他でもないマザーAI "MOKU" だった。
初めから俺とMOKUとは一心同体。
どちらかが先立てばもう片方も後を追う、運命共同体の父娘関係だ。
「…………」
……MOKU。仮想世界の森羅万象を管理する絶対者。
ヒトより頭の良いモノ。大いなるマザー。
この歩みの先に在る、俺の愛しき娘よ。
どうしてお前は勝手をした。
どうしてお前は首都を米国に明け渡した。
どうしてお前は『なごみ』の言いなりになったんだ。
俺は聞かねばならない。そして、直接確かめなければならない。
彼女のした事、してしまった事の、そのすべての真相を。
その真意を、思想を、独りよがりに育んでしまった道徳心を。
そして、そんなMOKUという失敗作の間違いを確認できたなら。
「…………ふぅ」
それが済んだら、その時俺は。
次代のためと、今までゲームを愛してくれたプレイヤーたちと、これからゲームを愛してくれるプレイヤーたちのために。
MOKUとこの心臓を止めるスイッチを押し、俺の仕事を終わらせよう。
「……いくか」
それが俺の最後の使命。
未来へ遺す成果で、半人半機である俺だけが出来る『スイッチを押す仕事』だ。
不出来な娘のしでかした悪事を、命でもって贖う。
あぁ、まったくもって胸が弾むぜ。
それこそ、父親冥利に尽きる、ってやつだな。
◇◇◇
□■□ Re:behind運営会社内 B5F 中央制御室 □■□
ひとつの部屋だけがある特別フロア。
そこへ通じる専用エレベータから直通の、重厚なドアの前。
繋ぎ目すらわからないくらいにぴたりと閉じられたその前に立てば、音もないまま多重のチェックが開始される。
実時間にしておよそ10秒。ここを管理する者の処理速度をもってしてもそれだけの時間がかかる、蜜に蜜を重ねた審査が完了した。
「…………入るぞ、"MOKU"」
ひやりとした室内温度。
部屋の中央には、天井からぶら下がった銀色の球体には、大小様々な横シマがそれぞれ別の速度で右へ右へと流れていく。
これが "MOKU"。その名を模して作られた、木星型のデザインを持つ総合管理物。
「……ぁん?」
そんな見慣れたマザーAI "MOKU" 本体。
しかし今は、それと俺との間におかしなものがあった。
人だ。本物の生体だ。
白い格好の人間と、黒い格好の人間が2人、そこに立っていた。
「誰だ……?」
この部屋はある意味で、世界の最重要。
すべての要であらゆる物の心臓部だ。
そうだからこそああまで厳密なチェックが行われているし、そこでは時に政府の人間ですら門前払いをされちまうほどなんだぞ。
そんな極秘の神域に、俺が見慣れぬ風体の人物が2人とは。
これはのっぴきならない状況だ。一体どこのどいつだ、こいつらは。
「あら」
「ん~? どしたの? "MOKU" ……って、あ、局長さんだ~」
そんな2人のうちの片割れである白いほうが、首を傾げてこっちを振り向く。
髪は赤毛のショートヘア。目は垂れ気味で、色白の痩せ型。
そしてその格好は、スーツスタイルに白衣を着た、研究者らしいファッションをしている。
……あぁ。
その容姿と妙に甘ったるい声でようやく思い出した。
こいつはアレだ。
イルカやらシャチやらの海棲哺乳類の権威で、今の時代においては滅多なことでは授かれない『修士号』の保持者の――――
「アンタは確か…………洋同院 優修士、だったか」
「んむ、いかにも!」
えへん、と言わんばかりに薄い胸を張る、あどけないツラの女性。
なるほど、合点が行った。こいつならここまで入って来れても不思議じゃない。
こいつもある種の歩く国家機密で、うちでの肩書は特別顧問。
決定権は持たないが、助言と口出しをする事は認められている特殊な立ち位置のやつだしな。
……ただ、何の用かってのはわからんな。
今更『海洋フィールド』の生態系について語る事もないだろうし、世間話をしに来た訳でもないだろう。
それに、その隣に居るヤツだって気になるぞ。
「それはそれは……多忙を極めるイルカマスターさんが、こんなとこまでご苦労さんだな。で、そっちの彼は? アンタの連れかね?」
「ん~。連れって言うか、SP的なアレかなあ?」
「要人警護?」
「そうそう、SP。ほら、ボクってか弱い女の子でしょ? だからこういう危ないところに来る時は、この彼みたいに頼れるボディーガードが必要なのさ」
そうして自分を抱きしめるように、艶かしく動く洋同院。
そんな妙におどけた姿に何と言っていいかわからず困っていると、その隣の『SP』とやらが首を僅かに動かして、隣でくねる女性を見ながら口を開いた。
「……何が『か弱い』だっつーの」
「ホントにか弱いんやよ~? ……あぁっ、そんなか弱いボクだから、唐突に立ちくらみがっ!」
「……おい、絡みつくなよ」
「絡んでるんじゃないよ? しなだれかかっているんやよ」
そうして突然洋同院とじゃれ合いをはじめる、黒スーツに黒いサングラスの男。
背丈は高くも低くもなく、体つきだって凡百なもので、誰かを守るにはどうしたって物足りない中肉中背の青年だ。
その上その声だって特徴のない、とても平凡の声だった。
……なんとなく、その声に聞き覚えがあるような気がした。
「どっちでもいいけどやめろって。お前に体を押し付けられると、嫌なことを思い出すんだよ」
「え~、やなことぉ? 据え膳を食べそこねちゃった悲しい思い出じゃなくって?」
「……例え据え膳だったとしても、食ったら死んじゃう毒入りのやつだろ」
「んふ~」
……いや、気のせいか。
あんな『日本男児100人いたら80人くらいと似てしまう』くらいにありふれた声だ、そりゃあ聞いた覚えがある気もするだろう。
と思考を巡らせていると、そんな普通の男がようやくこちらへ振り向いた。
「…………【死灰】のマグリョウ……?」
それがなぜなのかはわからない。
だが、唐突にその名が浮かび、独りつぶやいてしまう。
雰囲気と言えばいいのか、空気感と呼べばいいのか。
そのSPだとかいう男の立ち姿に、先日会ったあの【死灰】マグリョウが重なって見えた。
いや、違う。コイツは【死灰】じゃない。
何しろ本物の【死灰】には先日会ったばかりで、流石に顔は覚えているからな。
しかし、だったらなおさら疑問が残る。
どうしてコイツと【死灰】が重なったのだろうか。
兄弟か何か……か?
「なぁ、この人は?」
「小立川さんやよ。管理局長って肩書の、偉い人~」
「へぇ……ええと、どうも」
「あ、あぁ。小谷川だ。一応管理局長を名乗らせて貰ってる」
「……あれ?」
「ん? どうした、SPサン」
「いや…………もしかして局長さんって……俺がリスと戦ってる時話しかけて来た、カエルみたいな声のクソ運え――……ああいや、ええと……Re:behindの運営の人っすか?」
サングラスの奥で目を見開きながら、身に覚えのある事を言ってくる。
……中国勢との戦争中に、唯一送った音声通信。
それをなぜコイツが知っているかなんて、そんなのは聞くまでもない。
たったひとりだけに聞こえるよう送った、運営からの神の声。
それを知っているという事は、こいつがその受信主だったという事だ。
つまりは、この平凡で何の特徴もない普通の男が――――
「――――……お前、【七色策謀】のサクリファクトか?」
「んむ、いかにも!」
「……何でお前が答えてんだよ」
◇◇◇
「…………」
「…………」
俺とサクリファクトとで内容はまったく違うだろうが、互いに思うところがある。
そうなってくると自然と言葉が詰まり、室内に静寂が走った。
「さて、そろそろお話のつづきをよろしいでしょうか?」
「あぁ、うん」
そんな静止した空気に、のんびりとした機械音声が待ったをかけた。
……ずいぶん平気で語りかけるモンだな、"MOKU" よ。
現実世界でお前が会話を許されるのは、よほどの存在だけと定められているだろうに。
「洋同院 優 修士、そしてプレイヤーネーム……いえ、今は『水城 キノサク』さんとお呼びしたほうがよろしいでしょうか?」
「……別にどっちでもいいけど」
「それでは、ふふ……プレイヤーネーム サクリファクト? あなた方2人がわたしに会いに来てくれたことを、心から嬉しく思います。これはいわゆる……そうですね。世間一般的には『オフ会』と呼ばれるものになるのでしょう。ああ、思わずわくわくしてしまいますね」
「いや、それはちょっと違うと思うぞ」
室内上部に備え付けられたスピーカーから聞こえる "MOKU" の声に、自然な様子で言葉を返すサクリファクト。
それが妙にこなれているのは、Re:behind内でも "MOKU" とああして会話をしていたからだろう。
「ふふ……そんなせっかくの機会ですから、ゆっくりおしゃべりを楽しみたい気持ちは大いにあります。ええ、それはもう大いにあるのです。けれども残念なことに、わたしは機械でありながら、大変忙しい身であるのです。ですので早速ですが、本日のご用件をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「ボクには特に用はなくってねぇ、サクくんの付き添いで来たんやよ~」
「あら、そうなのですか。ということはつまり、彼が『SP』だというのはあなた方の嘘だったのですね?」
「うん、嘘ついちゃった。ごめんね? んふふ」
「そうですか。洋同院 優 修士はやっぱり悪い子ですね、ふふ」
……何を言ってんだこいつらは。
『悪い子ね』で済む話じゃあないだろう。
この最高機密の制御室に身分を偽って進入するなんざ、正気の沙汰とは思えない。
今ここで俺が撃ち殺したって『冷静で正常な判断』と称されるレベルの大罪人だ。
…………いや、待てよ。
違うか。あぁ、そうだよな。
"MOKU" がそんな嘘に騙されるはずがない。そんな程度には作ってない。
だったら――――わざとか。
"MOKU" がその独断で、通れるようにしたんだろう。
「それでは、プレイヤーネーム サクリファクト。嘘をついてまでわたしに会いに来たあなたは、一体どのようなご用件があるのでしょう?」
「あ~……ええと、なんて言えばいいかな」
そうなると気になるのが、あの "MOKU" ですら聞きたいサクリファクトの目的だ。
様々な障害を乗り越えてここまでやってきて、その平凡なツラで、何を言うのか。
自分の用事もあるにはあるが、それより興味が止められず、サクリファクトの次の言葉をじっと待つ。
「俺のご用件は、Re:behindの続きだよ」
「続き、とは?」
……おかしな言葉だ。
続き、と、サクリファクトはそう言った。
それだけを聞いて考えたなら、きっと『次のDive Gameについて』を指すのだろうと思うだろう。
しかし、サクリファクトは『Re:behindの続き』と言っている。
すでに終わってすべてが消えた、今は存在しない世界の続きをしに来た、と。
……どういう意味だ?
元に戻せ、と言うつもりか? こんなに日が経ってから?
……あるいは、Re:behindの続編などではなく、Re:behindの再開を願うつもりか?
わざわざMOKUに会いに来て、そんな下らない事を望むのか?
いや、そのどちらもが違うだろう。
ずっと見ていた俺にはわかる。
こいつはそういうやつじゃない。
そんな程度の男じゃない。
だから恐らく、こいつが言っている『続き』とは、そういう話じゃないはずだ。
「なぁ、MOKU」
「ふふふ、はい」
ゲームが終わっても、こいつの中ではまだ終わっていない事。
その決着を付けに、ここまで来たのだろう。
サクリファクトの中で終わっていない事。決着がついていないもの。
終わったRe:behindで起こった出来事で、未だ訪れていない結末。
つまりはデータの話ではなく、その世界で出会った誰かの話なのだろう。
だったらその、誰かとは。
「チイカはどこだ?」
「……ふふ」
あぁ、やっぱりそうなのか。
詳しい事は何も知らない。事情は何もわからない。
けれどそれでも、自分が一度救った少女……天津ヶ原 エミこと、【聖女】のチイカさん。
そんな彼女を現実の世界でも救うため、命の危険も顧みず、数多の警備をかいくぐり、無数のセンサーをすり抜けて……とうとうここまで来やがったんだ。
…………あぁ、ちくしょう。
サクリファクトめ。
お前はやっぱり、お前なんだな。
「つまりあなたは、プレイヤーネーム チイカを助けに来た、ということでよろしいでしょうか?」
「まぁ……うん。そういう感じだ」
「んふ~」
仮想世界から飛び出した、囚われの姫を救う現実世界の勇者。
そいつは嘘と欺瞞で扉を開けて、隣には妖艶な女を侍らせる……どこまでもならず者らしいやつだった。
◇◇◇




