Re:behind開発者インタビュー 「地獄の親心、子知らず」 2
□■□ 東京都江戸川区 □■□
□■□ 西葛西駅前『てづくり弁当 山岡屋』 □■□
「お~い、どうも~」
「はあい! あらま、小立川さんじゃないの! これまたずいぶんご無沙汰ねえ!」
「いやぁ、最近忙しないモンでよ」
今どき珍しい人間が営む弁当屋に入れば、恰幅のいいお姉さんの元気な声が狭い店内に響き渡った。
客は……フードをかぶった怪しげな若い兄ちゃんが一人だけか。
珍しいな。いつもなら家庭の味に飢えたスーツ姿の勤め人が、機械では作れないおふくろの味を求めてごった返してるはずなんだが。
それにその唯一の客が若者だってのも珍しい。
若いやつってのは、生身の人間が作る不安定な料理よりも、量も形も栄養すらも完璧に同一の料理ロボットが作る定形料理や完全栄養食品を好むってモンなのによ。
「さぁて、今日は何にしますかね。桝谷よ、お前はどうする? 何でもいいぞ、好きなモンを食えよ」
「……いや、だから自分で払いますって」
「いいから俺に出させろっての。さっきの一仕事で小遣い貰ったしな」
「って言ってもなぁ…………ほとんどワンコインの弁当屋でご馳走されて恩を売られると、なんだか安上がりで損した気分なんすよね」
「……思ったとしても、それはせめて心の中で思うだけにしとけよ」
「あっはっは! 相変わらず部下に言われっぱなしだねぇ、小立川さんは!」
そんな俺たちのやり取りを、箸でつまんだ唐揚げのようにからりと笑うお姉さん。
それに肩をすくめるだけで返しつつ、メニューをさらっと見渡して行く。
……そうか。俺たちは "相変わらず" で居られているのか。
そう見えるなら一安心だ。俺と桝谷の間であった出来事は、自分たちで思うよりも後を引いていないらしいから。
「さぁて……どうすっかね~」
「俺は鮭の塩焼き弁当にしますよ。あさりの味噌汁も付けて」
「……おいおい、ずいぶんあっさりだな? 肉を食えよ、肉をよ。トンカツなんか美味そうだぞ~?」
「いや、無理っす。もう心身ともにくたくたで、そういう気分じゃないんすよ。なんなら栄養ペレットだけ流し込んで済ませたいってくらいで」
「何だよ、調子悪いのか? 今体調崩されたら敵わんぞ」
「というか俺は元々完全栄養食派なんで、まともな食事は滅多に取らないタイプなんすよ。小立川さんの奢りで寿司食ったのだって、おばあちゃんに連れられて以来の十数年ぶりでしたし」
「かぁ~、まったく嫌になるほど現代的な奴だなお前は。そんなんだからひょろっちいんだよ……よっしゃお姉さん! ミックスフライ弁当ふたっつね!」
「はいよお!」
「うわ……小立川さん、それもパワハラってやつっすよ。メシハラとかそんな感じの」
「まぁまぁ、余ったら俺が食ってやるからよ、とりあえず食えるだけ食っとけって。まだまだ仕事はあるんだしな」
「………………仕事、かぁ……」
そうして部下の胃袋事情を勝手に決めつつ、店内にある安物の椅子に腰を落ち着ける。
……会社へ戻ったら、まずは何をするんだったか。
テレビ出演の報告と、フレースヴェルグが回収したログのチェックに――あぁ、新入社員共の働きぶりも見てやらないといけないのか。
……その辺、どうなってるかね。
良き事になってりゃあいいが。
「……そういや聞きました? 小立川さん」
「ぁん?」
「本社前でのデモの事っす」
そんな考え事をする俺に、ひとつ空けた椅子へ座る桝谷が声をかけてくる。
それがどういう意味なのかと聞き返そうとする俺の視界の片隅で、フードの兄ちゃんが僅かに反応したように見えた。
……いや、思い過ごしか? よくわからんな。
フードで顔を隠している事と言い、まるで霧か灰のように存在が不確かな兄ちゃんだ。
雰囲気も怪しげだしよ。
「デモって言ったら、ウチの会社の前でやってる『Re:behindを取り戻せデモ』ってのだろ? なんだよ、ついに爆弾でも投げ込まれたか」
「まさか。むしろそういう事の逆で、どうやら解散したみたいっすよ」
「ほぉ? そりゃあ一体どうしたキッカケでだよ」
「……何でも、運営代表の誰かさんのインタビューをデモの参加者が各々端末で見ていたらしいんすけどね。そんな中でその誰かさんがカメラに向けてアツく礼を言ったのを見て……自然と散り散りになったんだとか」
「…………」
「ついでに、そのタイミングでうるさかった問い合わせもぴたりと止んだみたいっす」
「…………そうか」
「……伝わったんすね。リビハプレイヤーには」
そう言って桝谷はかすかに笑い、照れを隠すように店内にあるドリンクコーナーに目を向ける。
……何だろうな。
嬉しいとも違うし、してやったとも思わない。
それを聞いて心に思うのは――やっぱり只々の感謝ばかりで、それ以外には何もない。
「……あぁ、そうだな」
だからただそれだけを言い、こみ上げる気持ちを堪えるだけにした。
それを聞いた桝谷が、その笑みをもっと深くする。
「……やれやれ。こりゃあまた忙しくなりそうだな」
「…………そっすね、へへへ」
「…………」
「…………」
「はいよ! 唐揚げ弁当お待ちどうさま!」
「……おう」
「いつもありがとねえ、リョウジくん! また来てちょうだいよ!」
「……あぁ、また来るわ」
そんな無言の中で、先に来ていたフード姿の若者が弁当を受け取る様子が目に映る。
……Re:behindプレイヤーのメイン層は、このくらいの20代前半が多かったよな――なんて思いながら、その後ろ姿をぼーっと見つめていた。
そしてそのままその若者が、俺に向かって真っ直ぐ歩いてくる所も。
「……なぁ」
「…………?」
不思議と足音ひとつたてないその若者が、俺に声をかけてくる。
そしてその瞬間――――冷や汗がどっと背中を流れた。
……なんだ、コイツ。
フードで隠した顔半分のその奥で、じろりと這わせて俺を見る……その眼。
それが見たのは、まず俺の首元――――そこから微かに覗く "衝撃を察知して瞬時に刃物すら防ぐ弾性を持つ防刃ベスト" を確認し、その後ふとももや首筋、腕の位置や周囲の状況を一瞬で把握するような視線の動きだった。
……おいおい。
冗談じゃねぇぞ。俺にはわかる。
こいつ、俺を殺す事を考えやがった。
どこを狙い、どう動いて、どういう手順を踏めば殺せるのかをその眼で確認したんだ。
……まずいぞ。
何だか知らんがとにかくまずい。
こうした荒事は久しぶりだから対応が遅れた。
元々俺はAI開発者、他国の息がかかったヒットマンやら人類至上主義な過激派団体に狙われがちな職業だ。
だから普段は常々逃走ルートを確認しつつ行動してるってのに……今日ばかりは気が抜けちまっていた。
尾けられてたのか? それとも行動予測から待ち伏せか?
それにこいつは何者だ。一体どこのヒットマンだ。
誰だか知らんがこの視線……そしていつでもどの方向にでも動けるような重心の取り方には、相当な数の修羅場をくぐって来た凄みがあるぞ。
映画の話じゃねぇが、プロの殺し屋と言われても納得してしまうような立ち振舞だ。
『……桝谷、まずい』
『わかってます。店を出て数十メートル先にある大型スーパーに自動運転車を呼びつけました。こいつが動いたら俺がタックルしますから、その間に小立川さんはそこへ向かって下さい』
急いで脳波で緊急通信機能を呼び起こし、桝谷に脳内で語りかける。
デキる部下のおかげですでに逃走経路は用意されたようだが、切羽詰まった状況である事には変わりない。
時間か隙か、とにかく猶予を作らにゃならん。
こんな所で死ねるかよ。俺にはまだやる事が――やれる事が今生まれたんだから。
『こいつは誰だ? 個人識別信号は出ているか? とにかく調べてくれ。俺を殺す理由がわかれば多少は話せるかもしれん』
『検索中っす――――男性――20代――どうやら日本国民っすね――ん? 元リビハプレイヤー――……うわ、マジかよ…………』
『どうした? 見つかったか?』
『ヤバいっすよ小立川さん……こいつ、間黒亮二――――あのマグリョウっす』
……おいおい、なんてこった。
よりにもよってリアル生体の【死灰】かよ。
いや、言われてみれば確かに面影はあるし、この異様とも呼べる殺気にだって納得が行くが――――しかしどうしたってまた、こんな所で出くわしちまうのか。
これはたまたまか? それとも運命だったのか? 何にしたって最悪だ。
あのどこまでもリアルに寄せたVR空間、Re:behindの世界。
そこに法は存在せず、どんな事だって許された。
しかしそれでも、人にはモラルがある。
理性と良心があり、人としてしちゃならないタブーというストッパーがある。
ならば、どう見たって人間にしか見えない物を殺すというのは、普通であれば気が引けるってモンだろう。
だが、こいつは――【死灰】は違う。
明らかに人間であるキャラクターアバターを、目の前で息づく尊き命を、まるで虫を殺すように殺していた男だ。
"人を殺してはいけない" というごく当たり前の決まり事を、すっかり忘れちまった奴なんだ。
……逃げ切れるか? いや、無理だろう。
ある意味こいつは俺たちが産んだ化物みたいな存在だ。
そのやり方はさんざん見てきた。時にはこの【死灰】の動きから、プレイヤーに可能な動きの限界点を修正したりもしてたんだ。
そんなある意味何かの命を奪える存在の見本とも呼べるこいつから、俺程度が逃げ切れるとは思えない。
「……オッサン、Re:behindの運営だろ?」
「…………そうだ、と言ったら?」
「聞いてんのは俺だぜ。質問を質問で返すのは不誠実だろ」
油で何かを揚げる音を背景にして、底冷えするような声色で詰め寄られる。
目の前にいるのはあの世界で誰より上手く殺しをした男。
その前に立つこの俺は、こいつに恨まれる理由を十分に持っている。
……詰んだな。
俺はここで終わるだろう。
ならばせめて、桝谷だけでも逃してやらにゃあならんだろう。
だったら出来る限りに、俺だけを見させよう。
とにかく殺す対象を俺ひとりに絞って――――ははは、ゲームの敵視稼ぎかよ。
この人生の最後にするのがそんなゲーム的な行動だなんて、まったく皮肉な死に際だ。
「そいつは失礼。そんでもって……あぁ、確かにそうだな。俺はRe:behindの運営で、そこそこ上の立場の人間だ。何ならアレを終わらせたのも、俺の判断が大きかったと言えるかもしれんぞ」
「そうか。そりゃあ都合がいいな」
『何を……何を言ってんすか! 小立川さん! わざわざ挑発するような事言わんで下さいよ!』
『いいから行け、桝谷。2人まとめてが一番に最悪だ。多少距離があるお前だけでも逃げ伸びろ』
「都合? 何だ、兄ちゃん。俺に用でもあったのか?」
「あぁ、そうだな。俺はどうしてもアンタらに直接会って、言わなきゃならねぇ事があったんだ」
『いやいや、小立川さんが逃げて下さいよ! アンタにはまだやる事があるでしょう!?』
『死ぬ順番は老いぼれからってのが摂理だろ。命令だ、さっさと行って報告をしろ、桝谷』
「へぇ、そりゃ一体どういった話かね。年甲斐もなくワクワクしちまうよ」
「茶化すんじゃねぇよ。そういう話じゃねぇんだ」
座っている俺と、立っているフードの男。
その2人が出す異様な雰囲気に、弁当屋のお姉さんとその奥に居る料理人の旦那も固唾を呑んでこっちを見ている。
……これで全部、終わりだな。
俺の人生も、そして残されていた僅かな、しかし確かに期待をしていた可能性も。
こうなったそもそもの原因は、桝谷が珍しく迂闊な事を言って、俺たちがRe:behindの運営だとバレてしまった事だろうか。
しかしそれは責められない。そんな浮かれる桝谷の気持ちが、俺には痛いほどわかるしな。
数え切れないほどの問い合わせがあった事。
大規模なデモが行われた事。
そしてそれらが、俺の謝辞によって一斉に止んだ事。
そこから導き出される元プレイヤーたちの感情は、すなわち『恨み』ではなく『怒り』であったという事だ。
終わらせた我々に対する恨みではなく、終わってしまった事への怒り。
終わりをもたらしたバードマンに対する怨嗟ではなく、悔しさをバネにした負けん気という不屈。
戻せと叫ぶのではなく、もう一度と願う声。
それは我々にとって、最も望ましい声だった。
だからきっと桝谷は、こうして誰が聞いているかもわからんような場所だというのに、俺にそれを伝えたいと思ったのだろう。
そんな桝谷をどうして責められるだろうか。
仕方ねぇよ。浮かれちまったんだから、しょうがないさ。
「……なぁ、運営のオッサンよう。聞けよ」
「……おう、何だね」
……なぁ、検閲の大鷲よ。電脳と現実の世界をあまねく見渡すフレースヴェルグよ。
お前は今もしっかり見ているんだろう?
だったら、なぁ。
願わくば……ここであった事ばっかりは、見逃しちゃあくれないだろうか。
今からここで起こるのは、たかがひとりの技術屋が、ちょっと不安定になってしまった若者の凶刃に倒れるってだけなんだ。
そこにはRe:behindによる悪影響なんて、一切合切無かったんだよ。
だから、"MOKU" よ、"H-01Himalia-A" よ、ヒトを愛しむ我が娘たちよ。
俺の命が失われる事と、我々の進退を関連付けないではくれないか。
どうか、頼む。
こんな些細な出来事で、元プレイヤーたちの想いをぶち壊さないでくれ。
「…………」
「…………」
『小立川さんっ!!』
じり、と【死灰】がにじり寄る。
殺意しかない眼を光らせ、全身凶器のような体を俺に迫らせる。
そしてとうとう、フードを被った頭が勢いよく振り下ろされて――――
「……あのゲームがやれてよかった。ありがとう」
――――死ぬ覚悟を決めた俺の耳に、どこまでも誠実な礼の言葉が届けられた。
◇◇◇
「…………あ……?」
「…………」
「……………………なんだって……?」
「いやだから……Re:behindを作ってくれて感謝してるって、それだけだ」
「……なにを………感、謝………?」
……まるで理解が出来なかった。
ひどく冷たい声色に、全身からにじみ出る濃密な殺意。
そして虫でも見るかのような眼でじっとこちらを見ながら言った言葉が、まったく予想だにしていない内容だったから。
「……じゃあな」
「――――ちょ、ま……待て!」
「ぁん? なんだよ。俺にはもう用はねぇぞ」
そうして危ない雰囲気のまま、さらっと出口へ歩き出す【死灰】。
何がどうなってやがるんだ。ありがとう? 感謝してる?
一体どういう事なんだ。
どうしてお前が、あの【死灰】のマグリョウが、徹頭徹尾危なっかしい殺戮者の空気のままで……どうしてそんな言葉を言うんだ。
「その、なんだ……マグ――……いや、兄ちゃん」
「ぁあ?」
「それは、アレか? 俺がテレビで言った礼に対する、兄ちゃんなりの返礼ってやつか?」
「テレビ……? 何の話だ」
「み、見てないのか?」
「あんな嘘と欺瞞に溢れた不誠実の権化なんて、俺が見る訳ねぇだろう」
「そ、そうか……」
唐突な感謝の言葉に、てっきり先の生放送での言葉を聞いたものかと思ったが……そういう訳でもないらしい。
……ならばこいつは、自分でそう考えて、それをこうして言ったのか?
社会経験が無いからなのか、明らかな年上である俺にも店員にもまともな敬語を使えないこいつが……それでも俺に精一杯の礼節を尽くし、心を込めて感謝の言葉を言ったのか。
あの、不遜で不敬ですべてを見下す、【死灰】マグリョウの中の人間が。
「……どうして?」
「あ? 何がだ?」
「Re:behindを終わらせた俺たちを、恨んではいないのか?」
「……そりゃねぇよ」
「どうしてだ?」
「俺らが戦って、俺らが負けた。その結果、ルールに基づきRe:behindは終わった。それだけのことで、誠実に約束が果たされたってだけだろうが。そこのどこに恨みがあんだよ」
「……そうか」
「…………それなら」
「……?」
「……ラットマンを、リザードマンを…………バードマンを。その向こう側に居た中の奴らを、恨んでいるか?」
恐らく一部の連中は、とっくにアレが『異国人』だと気づいてる。
そしてそれはこの【死灰】も例外じゃない。
なら、聞かねばならんだろう。
自分たちを滅ぼした相手の事を、一体どう思っているのかを。
「それも当然、ねぇな」
「……何故だ?」
「そんなん、そういうゲームってだけだったからに決まってんだろ」
「ゲームだから?」
「俺とあいつらはゲーム上の加害者同士だ。チームに別れてぶっ殺し合ったってだけだ。そういうルールでやってたってだけでしかねぇ。そこに民族やら人種やら……もしくは国みてぇな下らねぇもんから来る意識は、俺にはカケラもなかったしな」
「そういうルール……」
「ただ見た目が違うだけ、たまたま殺し合う同士だっただけ。それだけの話で、ある意味あいつらも一緒にゲームをしていただけだろ。そりゃあヤラれた事にはクソ苛ついてるし、次があったらただじゃおかねぇとは思っちゃいるが……だからと言って『バードマンの中身を皆殺しにしてやる』とはこれっぽっちも思わねぇな」
「……いいのか、それで。それで納得出来るのか」
「納得も何も、そういうもんだろ。鬼ごっこが終わったあとに "てめぇ! よくも追いかけやがったな!" なんてほざくマヌケが居るかよ」
……あぁ。
なんだよ。
なんてこったよ。
これが【死灰】――いや、リビハプレイヤーの考えか。
彼らはそう思ってくれているのか。
それはなんと喜ばしい事だろう。
ゲーム内での敵対関係。それは時として、現実にまで遺恨を残す。
しかしそれでは駄目だった。Re:behindはそういうものではいけなかった。
ゲームの敵はゲームの敵。血や思想の違いで争うのではなく、お互いが敵役だったというだけ。
そうプレイヤーに思って貰えるよう、俺たちは様々な努力をし続けてきた。
……そんな俺たちの願いが今、奇しくもあの世界で最も多く敵を殺した【死灰】の言葉によって、実を結ぶ。
これは……そうなのか。こいつがそう考えてくれたのか。
ならば、それなら、まさか、あるいは……すべてのプレイヤーたちが――――!
「それじゃあ――――」
「話がなげぇな」
「――……いいじゃないか。たまたま会ったんだ、聞かせてくれよ」
「……んだよ」
「いや、その……なんだ」
「早く言え。せっかくの唐揚げ弁当が冷めちまう」
「……Re:behindは終わった。だからその全部が……消えただろう?」
「あぁ」
「レベルもスキルも何もかも、まやかしのように綺麗サッパリ失くなって、何ひとつだって残っちゃいない。結局ネットゲームなんてそんなモンだ。あの世界で積み重ねていたモンなんて、最初からこうして無意味になると……時間と金を無駄にするだけだと決まっていたんだ」
「…………だから?」
「……それでも、聞きたい」
「聞く事があんなら早く聞けよ、死にてぇのか」
「……………………Re:behindは、楽しかったか?」
「あぁ、最高だった。友達も出来たしな」
「………………あぁ…………そりゃあ……何より、だな……」
にやりと浮かべる、まるで殺人狂のようなおぞましい笑み。
しかしその言葉は清々しく、きっと一切の嘘も無い。
だからだろうか。そんな真っ直ぐな言葉に、胸と目の奥が熱くなるのをはっきり感じる。
……そうか。
あの【死灰】がこう言ってくれるのか。
俺の、俺たちのRe:behindは、こいつにそういう影響を与えられたのか。
たかがゲームなのに――――いや。
たかがゲームであったからこそ、こんな事もあるんだろう。
参ったな。ちくしょう。
やっぱり俺は、何度だって言ってやりたい。
Re:behindで遊んでくれてありがとう。
本気でプレイしてくれてありがとう。
そして、そういう思いを持っていてくれて……ありがとう、と。
「…………」
……正直な所、自信は無かった。
だが、今確信した。
我々はまた夢を作れる。
他でもない、彼ら元プレイヤーたちのおかげで。
――――あの世界の二つ名システムを管制していたモノ。
検閲の大鷲【フレースヴェルグ】。
それはゲーム内にとどまらず、時にはゲーム世界の外にある掲示板やSNSにまで羽根を伸ばし、Re:behindのプレイヤーに関する噂話を収集し続ける事によって『その名を多く呼ばれた者に力を与える二つ名システム』という無茶を成り立たせる代物だった。
そうだ。
それはこのしみったれた管理社会を利用した、超法規的な人権無視の検閲だった。
そして、そんな無茶が可能であるならば……そうした機能を利用して出来る事がある。
それが今行われている『情報収集』だ。
Dive Game Re:behindをプレイしたすべてのユーザー。
そんな彼らがその世界が終わってしまった今、何を思い、何を残し、どんな影響を与えられたのか。
それを調べに調べ尽くして、『Re:behindは人々にとってどんな物であったのか』を知る、という計画だ。
まるであの『二つ名』のように、色んな所で語られるRe:behindに対する個人の感想。
それを、各掲示板やSNS、果ては公開状態になっている個人間のトークルームに至るまで、フレースヴェルグというシステムが余さず見通し調べ上げるというプロセス。
それによって得られた元プレイヤーたちに感想によって、我々の今後は大きく変わると決まっていた。
……そこでもし、我々運営を心から恨む者が多かったのなら。
その時は、そんな下らない世界をもう一度生み出す事は認められなかった。
もし、米国勢や中国勢を憎しむ者が多かったなら。
その時は、そんなしがらみを生む場所を再び作る事は認められなかった。
それだけではない。
もし、あの世界のすべては無駄だったと思う者が多いなら。
もし、ネットゲームなんてやらなければよかったと言う者が多いなら。
もし、そんな事をしている時間を他の事に使っていればと考える者が多いなら。
そうして人々に、『Re:behindは必要なかった』と言われてしまうようであったなら。
その時我々は、二度と同じ過ちをユーザーに繰り返させぬよう、公式ページを『404』にして静かに去って行くという予定だった。
我々の――あのVRMMOの進退は、そのすべてが最初から、ユーザーだけに託されていたんだ。
「…………」
そんな今。
ここに居る【死灰】のマグリョウは言った。
作ってくれてありがとう、と。
運営も他国も恨んじゃいない、と。
そして、Re:behindは最高だった、と。
……なぁ、見ているか。
"MOKU"よ、フレースヴェルグよ、我が愛しき娘たちよ。
これが俺たちのゲームを愛したニンゲンだぞ。
これがリビハプレイヤーってやつなんだぞ。
あぁ、そうだ。ははは。
リビハプレイヤーってのは、やっぱりこういう奴らだったんだ。
無駄だとわかってそれを楽しみ、何も形として残らなかったとしても何かを心に残し、自分は素晴らしい時間を過ごせたと言ってのける。
そうしてきちんと『無駄に生きる』を自覚していたのが、このネットゲームのプレイヤーたちだったんだ。
「……くはは」
「……? 何を笑ってやがる。気持ちわりいオッサンだな」
たまたま出会った【死灰】の言葉。
俺の感謝で退いたデモ隊。鳴り止んだ問い合わせのコール。
あぁ。
ならばきっと大丈夫だ。
それは必ず良き事になるだろう。
――――やれるぞ。
我々はもう一度仕事が出来る。
マグリョウよ。元プレイヤーたちよ。本気で生きる君たちよ。
君たちは、君たちのおかげで、また夢を見れるんだ。
「……もういいだろ、俺は行くぜ」
「あ、いや! 待て兄ちゃん!」
「…………しつけぇな。だから年寄りってのは好きじゃねぇんだよ」
そうして出口へすたすた歩き出す背中へ向かって、衝動的に声をかける。
せっかくだ、ここで伝えてしまおう。
我々がこれからする事の意思表明と、ここで偶然会った【死灰】へのちょっとしたサービスとして。
たまたまか、運命か。
とにかく奇遇なこの出会いだ。
だったらこのくらいの事を言っても問題ねぇだろう。
「で、何だよ」
「そうだな……10日……いや、5日だ」
「ぁあ?」
「5日後、必ず、家に居ろ」
「……なんで俺がそんな指図をされなきゃならねぇんだよ」
「指図じゃないさ、ちょっとした先行告知だ。俺の言う通りにしてくれたなら、きっと兄ちゃんは俺にもう一度感謝をするぞ」
「…………意味わかんねぇ」
そんな言葉をぶっきらぼうに吐き捨てながら、挨拶もないまま弁当屋を出ていくフードの後ろ姿。
その背中に再会を誓い、一瞬で凝り固まった肩をほぐすように叩く。
「ありがとうございましたあ~!」
出口に向かって明るく叫ぶ弁当屋のお姉さんは、どうしてだかこちらに得意満面の笑みを向けながら、そう言っていた。
◇◇◇
静寂を取り戻した店内。
そこで隣の桝谷が、どっと体の力を抜いて椅子にだらしなく座り込む。
「……はぁ~…………びびったぁ…………」
「あぁ、まさかあの【死灰】と出くわすとはな。流石の俺も今回ばかりは死んだかと思ったぜ」
「『VRMMOにおける殺人者の現実世界における危険性』なんて話は眉唾だと思ってましたけど……あの男を見ちゃうとソレを危惧する人らの気持ちもわかるってもんすよ」
「だが結果として何もなかったんだ。だったらそのまま眉唾にしとこうぜ、VRMMOを提供する者としてよ」
「……つーか、何なんすか? アレ。完全に殺す気全開かと思ったのに、言うのは感謝の言葉だなんて、何だか拍子抜けというか……もしかしてあのヤベー眼差しと殺意丸出しの雰囲気って、アイツの素なんすかね?」
「まぁ、そんな所だろうよ。笑っちまうくらいRe:behind世界のまんまだよな」
そう考えてみれば、何もかもが【死灰】のマグリョウそのものだったのだろう。
あの誰も寄せ付けない雰囲気も、常にどうとでも動けるような歩行法も、そしてあの『誠実さ』にこだわる姿勢も。
……確か彼は、A-04Adrasteaちゃんのお気に入りだったか。
帰ったら土産にこの話をしてやろう。
喜んだ所で作業効率が上がったりはしないだろうが、娘の笑顔は何より愛おしいモンだからな。
「……で、小立川さん」
「ん?」
「5日後とは大きく出ましたね。どういう算段っすか?」
一息ついた桝谷による、至極当然の質問。
まぁそりゃそうだろう。何せ今はすべての作業を凍結中で、進行度は10%にも満たないくらいなんだ。
だったら普通じゃ絶対に、5日で終わる訳がない。
だから、普通じゃない事をしよう。
俺たちだけに許された事で、俺たちだけに出来る事を。
「そりゃあ5日ってのは……あくまで実時間でって話だからな」
「実時間?」
「俺たちに与えられている時間は、それ以上にあるだろう?」
「……え。いや、それって…………いやいや、嘘っすよね」
「許可されてるのが区切りよく100倍だから――――1日2400時間か。ははは、いいじゃないか。体感500日間、休みなしで働けるなんて心が踊るな」
「…………踊りませんよ。普通に地獄じゃないっすか」
数多のVRエンターテイメントが存在する中で、唯一Dive Game Re:behindにだけ許されていた『精神加速』という時間の引き伸ばし。
それはゲーム内だけに留まらず、円滑な管理と運営のためという名目で、我々の社内でもある程度は許されている。
それを使って時間を作れば……まぁどうとでもなるだろう。
俺も、桝谷も、我々も。
そして他国の開発陣も、きっとそれくらいはやってくれるさ。
何しろ俺たちのゲームを本気で愛してくれたプレイヤーたちの声が、世界中から届いているはずなんだから。
「地獄で夢を作る職業だ。ロマンがあっていいじゃねぇか」
「ロマンじゃなくて残業代が欲しいっす」
「心配すんな。寿司でもトンカツでも、好きなだけ食わしてやる」
「……安上がりで大損だ。せめて小立川さんの財布が死ぬほど良いヤツを食わせて貰いますからね」
そうして愚痴る桝谷は、それでも楽しげに笑っていた。
そして恐らくこの俺も、そんな顔をしているんだろう。
……元プレイヤー諸君。
君たちの想いは無駄ではなかった。
だからこそ今、未来は開けたんだ。
すべてが終わった絶望の中で、それでも前を向いた君たちよ。
そんな君たちには、我々からネットゲームをプレイする上で最も楽しい瞬間を贈ろう。
そしてまた。
また、仮想世界の中と外で、共に夢を見ようじゃないか。
◇◇◇




