第七十五話 聖女の愛歌が聞こえる
◇◇◇
マグリョウさんがリスの進行上に爆発ポーションを撒き散らし、ジサツシマスがマキビシをぶん投げているのを遠くに見ながら、チイカの手を引き、歩く。
こうして女の子の手を握るなんて滅多にないことだけど、不思議と気恥ずかしい気持ちはなかった。
チイカが子供っぽいからだろうか。背丈とか、喋り方とか、色々と。
「ん…………? ……えっ!?」
「……おや」
「…………ッ」
そんな俺とチイカ、そしてチイカの左手を握ってニコニコ顔のロラロニーを見て、キキョウとまめしば、そしてリュウがそれぞれ反応を見せた。
「……ロラロニーさん、そちらは……?」
「チイカさんだよ~」
「いえ、あの、そうではなくて……その、【聖女】さんがそうしてここにいるのは、一体どういった事でしょうか?」
三者三様、色は違えど同じ顔――――"なんで?" と言わんばかりの表情を浮かべる。
……まぁ、そうだよな。
我ながら二転三転しているって自覚はあるし。
そもそもの話、ここに居る【聖女】というプレイヤーは、俺たちにとっての完全な『敵』だ。
何せこいつは悪名高きPKだし、その毒牙は俺のHPと心にまで致命傷を与えたんだから。
その件で色々と大変だったし、あわやパーティ解散の危機にまで陥ったとあったら……そりゃあよろしくない印象しかないってものだろう。
だけど、そんな相手だと言うのにも関わらず、俺はチイカについてひどい我儘を言った。
キキョウもまめしばもリュウも、そしてロラロニーですらも良い感情は持っていないはずのチイカを尊重し、その気持ちを大切にしてやりたい、と。
そんなの、そこを受け入れてくれるだけでも十分に寛容だ。
パーティとして、そして友人としても許しがたい存在であるチイカを、便利な『殺せるヒールができる道具』として扱ったりせず、心の通ったひとりの人間として向き合うことにすんなり同意するなんて……そんな物分りの良さは、中々見せられるもんじゃないと思う。
「チイカさんね、私たちと一緒にやりたいんだって」
「…………それは……」
「【聖女】のその子と、一緒に……?」
「…………」
そうだと言うのに、そんな話がさっきあったばかりの、今。
自分で "チイカの力は使わない" と言った俺が、その舌の根も乾かぬうちにこいつの手を引いて、こうしてここに連れてきた。
……なんだそりゃ、って思うだろうな。
俺だったらそう思ってるだろうし、実際に呆れた口調で言ってるとも思う。
何がどうなってんだよって。
俺だったら確実にそうしてる。むやみに執念深いって自覚はあるし、遠慮するのも好きじゃあないし。
あぁ、俺だったら絶対文句言ってるわ。
「……ふふふ、そうですか。わかりました」
「……んも~、しょうがないなぁ。あ、あのさ? 私たちのパーティに入るってことは動画に映るってことになるんだけど……いいんだよねっ?」
……そうだというのに、この2人はあっけらかんとしたものだ。
大人と言うべきか、できた人間と言うべきか。
それともパーティのムードメーカーであるロラロニーが、手を繋ぐという形でチイカを許しているってのが、特別に大きな要因だったのか。
理由は何にしても、キキョウとまめしばの2人は、ロラロニーが握る手と、その先でもじもじするチイカを見つめ、そしてあっさりチイカを受け入れた。
何度目かわからないけど、ありがたいと思う。
そして大事な仲間だとも。
「…………」
……だけど。
ただひとりの漢だけは、険しい顔をしたままだ。
「…………」
「……リュウ」
言葉にするのは憚られるけど、俺はリュウを一番の親友だと思ってるし、きっとリュウだって同じように考えていてくれてると思ってる。
そしてそうだからこそ、そんな親友であるこの俺を殺した相手を許すってのは……やっぱり中々難しいことだとも思う。
……【聖女】に頼らず自分たちだけでやるってのは、まだいい。それはギリギリ許せるかもしれない。
だけどそいつと一緒に命を張るのは、流石に許容できる範囲を超えてる。
あぁ、そうだ。
もしもこれが逆の立場であったなら、俺は絶対に受け入れられない。
チイカに殺されたのが俺じゃなくリュウだとして、それをした奴がこうして目の前にいたら――そんなの想像しただけでハラワタが煮えくり返る。
もしそうであったなら、我慢できずにそいつに斬りかかり、顔面に直でトラバサミをブチ当てていただろう。
……だから、こうして苦い顔をするリュウの気持ちも、俺にはよくわかるんだ。
「……なぁ、サクの字よう」
「ん」
「お前は?」
「…………俺?」
「……サクの字は、どうしてぇんだよ」
そうして話すリュウの声は、今まで聞いたこともないほどに、低く。
だけど、それは苛立ちや不機嫌のような感情じゃあない。
ただ、真剣に。一言一句に魂を込めるような、鬼気迫る物言いだった。
「…………」
「…………」
そうして話すリュウの目は、チイカではなく……俺を見る。
強い視線だ。俺以外なにも見えていなくて、俺のすべてを見ようとするような、そんな真っ直ぐな。
だから俺も、リュウの目を見て、本気の本心を真っ直ぐぶつける。
「……やりたい。チイカと、みんなで」
「…………そうかよ」
俺の言葉を聞いて、一呼吸。
目を閉じ、口を真一文字に結んで。
そしてそのまま天を見上げて、思い切り空気を吸い込み――――
「――……ぶはぁ~」
――――それをひといきで吐き出す。
深く、熱い息だった。
つのった憤りと過去の遺恨をことごとく込め、吐いて捨て去っているように。
だから、だろうか。
そんなリュウが再び顔をあげた時、そこにはすっかりいつも通りの、からりと笑うリュウが居た。
「サクの字が許すってんなら、俺っちからは何もねぇや」
「…………」
……俺は、できるだろうか。
自分の友を傷つけた、憎くて憎くて仕方がない悪人を、友が許しているからと言って、こうして自分も許すだなんて。
「おっしゃ! そんなら気張れよ、白いの! 自慢じゃねぇが俺っちは、人一倍ケガすっからなァ!!」
「……本当に自慢じゃないよね、それ」
そしてこうしてカカカと笑い、敵だったはずの新入りに、冗談めかした挨拶をするような真似は……俺にはできない。
だからやっぱり、つくづく思う。
リュウは俺にとって、一番の親友で。
俺はリュウに、男として惚れているんだと。
◇◇◇
「…………ヂ…………」
「や~、リスくんってば止まらないねぇ」
「わ、私も穴を掘るのだ! あのサクリファクトくんのように!」
「オレも掘るぜ、正義のッ!」
「……おい、クソ課金厨。何か目が覚めるようなモンはねぇのかよ」
「駄目だな。課金アイテムリストを改めて眺めてみたが、『治癒』や『魔力』のポーション類と『金床』や『乳鉢』等はあっても、罠のようなものは見当たらん」
「……使えねぇ」
『足止め手段…………あ、スピカさん! 星座の障壁で進行を妨げる事は出来ませんかね!?』
「無理」
「どうする?【死灰】。ボクも毒マキビシはすっかり品切れやよ」
「……仕方がねぇな。これはスマートなやり口じゃねぇが…………」
竜殺したちが各々行動するのを見ながら、考える。
――――俺たちパーティにチイカが加わった。
だけどそんな彼女にさせるのは、あくまで普通の回復手段である『ヒール』だ。『殺すヒール』なんかじゃない。
それをチイカにさせるのは、俺も、そしてチイカも望んでいない。だからそれは使えない。
つまり今ここにあるのは、『回復』という正攻法の力だ。
増えたのはあくまで『戦いの中で役立つ力』であって、戦いにすらなってないこの状況じゃあ……正直言って微妙なものだろう。
「ねね、サクちゃん」
「ん?」
「考えたんだけどさ、あの『接触防止バリア』って、あるものは防げないんだよね?」
「まぁ、そうだな」
「じゃあさ、地面にサクちゃんとリュウの剣を突き立てておくっていうのは……どうかなっ?」
「……ええと、それは……ああいう感じで?」
まめしばの発案に、リスを指さすことで返す。
なぜならばまめしばが考えたその戦法は、今すでにマグリョウさんがやっていたからだ。
「『コール・アイテム』……てめぇの足で死地に逝け、良い子ちゃんのクソリスが」
右手一本で動きづらそうなマグリョウさんによって、地面に差し込む形で立てられた、無数の刃の道。
灰色の剣や手斧なんかが所狭しと並ぶ有様は、まるで無人の槍衾のようだ。
「あっ! ひどい! 私の作戦が盗まれたっ!」
「……いや、何を言ってんだよ。マグリョウさんがそんな程度を思いつかないわけがないだろ」
「そ、そんな程度!? そんな程度ってひどくない!?」
ぎゃあぎゃあと喚き、自分で動かしたカメラに向かって泣き真似のポーズをしながら "うちのリーダーがひどいんです!" とか言ってるまめしばを横目で見つつ、リスの様子を伺う。
隠そうともしない殺意の縦列。わかりやすすぎる危険地帯。踏み入れば血が出るデッド・ゾーン。
そこへ真っ直ぐ進んで行くリスドラゴンは、相変わらず生気がなく、口の端からよだれを垂らして足を動かしていた。
「……やはり、避けないようですね」
「あぁ、そうだな」
「『超再生』は発動しているのでしょうか」
「いや……してないな。マグリョウさんの爆発ポーションの傷も、俺の罠で怪我した場所もそのままだし」
「ふむ」
「……それに何より、『超再生』のリスと戦った俺だから――わかる。あの力は、発動してない」
「なるほど。正面から相対した身であるからこそ、把握できるというわけですか」
ずし、ずしと進むリス。
その足裏に飲み込まれる無数の刃は、一部を除いてしっかり刺さって、リスに血を流させる。
……『超再生』は無い。それどころか、マグリョウさんの武器や俺の罠が傷を負わせたことを考えれば、リスが持っていた無敵の防御ですらもないように見える。
…………弱体?
いや、というより……強化の消失か。"元通りになった" ってのが一番近いのかもしれない。
ってなると、心なしかリスが小さく見えていたのも、あながち気のせいでもないかもな。
「…………」
何だろう。
そんなリスを見ていると、やっぱり胸がざわついて。
もやもやというか、寂しいというか……とにかく何か、不快な気持ちになるんだよな。
◇◇◇
「『引き寄せのイベリス』」
リスの進行を食い止める。
それをするため俺たちパーティに試せることは、片っ端から全部やろう。
「…………ヂ……」
「……駄目か」
「強化と生気を失おうとも、流石はひとかどのドラゴン……と言ったところでしょうか。あの程度ではどうにも止められないようですね」
まずは、キキョウの磁力。
あらかじめ『引き寄せのイベリス』をかけておいた鉄板(キキョウがバーベキュー用に持ち歩いていたものだ)と、マグリョウさんが設置した武器とを引き合わせることで、リスの足を固定させようとして――失敗。
単純に引力が足りず、すんなりと引き剥がされる。
そうして無理やり動いたからか、マグリョウさんの武器が磁力で動き、リスの足裏でブチブチと音をたてていた。
なら、次だ。
「――それじゃあ頼むぜ、リュウ」
「応ッ! どぉんと来いやッ!!」
リュウの腹に剣先を合わせ、タイミングを見計らう。
これからするのはチイカが居る今でこそできる作戦で、『接触防止バリア』の仕様の裏をかこうとする方法だ。
――――『接触防止バリア』。
それは完璧な保護障壁で、そのバリアを持つものへの直接攻撃は必ず自動で防がれるものだ。
なら、"もしその眼前にバリアを持たないものがいたら" 。
そういう時はどういう処理をされるのか、という実験的な思いつきから生まれた大博打。それが俺たちの二の矢だ。
「良いんだよね!? 本当の本当に、やっちゃうからねっ!?」
「おうおう! 男気見せてみやがれ! まめしばぁっ!!」
「まめしばさんは女の子だよ~」
このRe:behindというゲームには、幸か不幸か『同士討ち』というシステムがある。
それは所謂TKとかFFと呼ばれるもので、たとえそれがパーティだろうが友達だろうが、物理的に剣で刺したらしっかり突き刺さるという……個人的にも特別に思い入れのある無慈悲な仕様だ。
……そんな仕組み。
それを逆に言うのなら、俺たちからリュウへの攻撃は、通らなくちゃおかしいってことになる。
だから俺たちは、リュウをリスの進行方向上に立たせ、目をつぶって仁王立ちをさせた。
そして、リスを知覚していないから悪意も害意も無いリュウが、リスのバリア内部にまんまと入った瞬間――――弓を引き絞り、剣を持つ手に力を込める。
「……行くぞ」
「ごめんっ! リュウ!」
「っしゃ! 来いやオラぁっ!!」
俺たちが狙うのは、リスではなく……バリア内部のリュウジロウ。
ならば『リスへの悪意』に反応するバリアは働かず、リュウへ攻撃が通って――その体を貫通した矢と剣先が、その背後に居るリスへ届く可能性だって……なくもない。
そんなイチかバチかだから、大博打なんだ。
「――――……ぐぅッ!!」
……文字通りに『肉を斬らせて骨を断つ』、苦肉の策って感じの戦法だ。
それに、いくらゲームの世界とは言え……いや、この世界で知り合った仲間だからこそ、そいつの体に剣を突き刺すってのは――気持ちのいいもんじゃない。
だけど、未だに強化魔法の効果がある程度残る俺の体じゃあ、まめしばの矢やリュウの太刀は通らない可能性が高かった。
だからリュウを、ヤラレ役に。それも苦肉の選択だ。
「…………か……ッ…………ど、どうでぃ……!?」
「だ、だめっぽいかも……」
「……あぁ、駄目だな。切っ先が当たった感じもない」
しかし、失敗。
リュウの体を貫いた金属製の矢は急な失速をして地に落ち、俺の剣はゴムでできた衝撃吸収素材に受け止められるような感覚で止められた。
……ルールがわかんねぇ。意識してなければいいんじゃないのか。
それとも俺たちが、心の深いところでリスドラゴンを意識してたとかなのだろうか。
「な、なんでぃ……痛がり損じゃねぇか……」
「……『ひーる』」
「お……? おお!」
無益な自己犠牲の痛みを受け、無駄に血を流していたリュウの体に、柔らかい光がまとわりつく。
それを放った白い少女が、俺の隣で手を組み、微笑んでいた。
高くて遅くて手間のかかる『治癒のポーション』じゃなく、『ヒール』による回復ができれば、こんな無茶もできる。
それは本来の使い方とちょっと違う気もするけど……お互いがお互いにできることをするっていう、ネットゲームの遊び方であることには変わりない。
「……へえ! これが【聖女】の『ヒール』ってもんか! こいつぁ心地がいいもんだなぁ!」
「あれ? リュウって前に首都の『ヒール屋』で回復受けてなかったっけ?」
「いやよ、『ヒール』を受けるのは初めてじゃあねぇが、この白いのがやるモンは、カタギのモンよりずいぶん具合が良くってなぁ」
「……カタギ…………」
そうしてひとまず離脱しながら、リスを見る。
生気を失った虚ろな目が、ただ首都を真っ直ぐ見つめ、目の前にいる俺たちには一瞥もくれていなかった。
…………やっぱり、気に入らない。
◇◇◇
◇◇◇
「……駄目だなァ」
「駄目ですね」
「駄目だねぇ」
……あらゆる閃き、様々な方法、思いついたアレやコレ。そんな全部を試してみたけど、リスの歩みは止まらない。
それと合わせて進んでくるラットマンと、それに押されて徐々に下がるプレイヤーの戦列は、ぶつかり合うことなくにらみ合いを続けていた。
「どうするよ?」
「どうしましょうね」
「どうしよっかぁ」
リスが首都に到着するまで、残りの制限時間はどれくらいだろうか。
その歩みは遅いけど、機械のように着実に、一歩一歩とどんどん首都に迫っているから……あと1時間もあれば良いってところだろうか。
それが辿り着いたらそこで終わりで、俺たちは負け、リビハはゲームオーバー。
まるで手に負えない時限爆弾でも見つめてる気分だ。
「……おうおう、見ろよキキョウ。地面が金ピカだぜ」
「あれは【金王】さんの魔法ですね。例え二つ名効果を失おうとも、トップ魔法師たる魔力は健在なのでしょう」
「爆発範囲は狭いけど、その威力は据え置きって感じかな? あれで何とかならないかなぁ」
当然、焦りはある。
俺はプレイヤーのみんなから強化を貰った身だ。どうにかしなくちゃという義務感もあるし、そうしなきゃいけないって使命感もある。
「……止まらねぇなァ」
「止まりませんね」
「止まらないねぇ」
だけど。
それより、ずっと強く。
いよいよ無視できないほど大きくなった、心の引っ掛かりがあった。
「……避けず、曲がらず、止まらねぇ。ありゃあど根性って言うよりは……まるで機械か何かみてぇだ」
「…………そうですね。危険を認識しながら対応をせず、愚直に命令を遂行するだけ。それは清掃用ロボットと何も変わりません」
「なんかさ、生き物じゃなくなっちゃったみたいだよね。いや、元々生きてないんだけど……それでも、なんだかさ」
リュウの言い草。キキョウの比喩。まめしばの言葉。
それが俺の引っ掛かり、そのものだ。
機械。ロボット。生きてない。
今のリスは、そういう存在になっている。
……気に入らない。
「…………」
……俺がここに来て、リスドラゴンと戦い始めて、どれだけの時間がたっただろう。
長く、果てのない戦い。それこそ一日が数倍に引き伸ばされたと思えるほど、ずっと続いていたように思える。
そんな長い戦いで、あったこと。
俺がリスと殺し合いながら、ずっと心に感じていたこと。
――――尻尾10本の『第1フェーズ』。
俺とチイカの2人きりだったこの場所に、【脳筋】ヒレステーキさんが来て……その時のリスドラゴンは、相撲をしかけてくるヒレステーキさんにムキになり、爪も前歯も使わずに押し比べをしていた。
――――尻尾9本、『第2フェーズ』。
そこにはあの【正義】のクリムゾンさんが来てくれて、華麗なポーズをキメていた。
そしてその時のリスドラゴンは、タテコさんの巧みな敵視操作にまんまと乗せられ、激昂したり瞠目したりと様々な表情を見せていた。
――――尻尾8本、『第3フェーズ』。
いよいよリスの強化もキツくなって来た、あの時。
誰もが認めるRe:behind最強の男、【死灰】のマグリョウさんが死ぬほど格好良く現れて…………その灰色の殺意を真っ向から浴びたリスは、恐怖に顔を歪ませていた。
――――尻尾7本、『第4フェーズ』。
その時のリスは、【殺界】ジサツシマスの出したお菓子をむしゃむしゃと嬉しそうに食べ、その後にもがき苦しんだ。
その横でお菓子を嬉しそうに食べたり、落っことして涙目になっていたクリムゾンさんと何も変わらない、感情豊かな様子を見せていた。
――――尻尾6本、『第5フェーズ』。
"花の香りが苦手" という弱点を克服したリスドラゴンは、絶好調に元気いっぱいで、怒りを隠そうともせず俺たちに襲いかかって来た。
そこに【金王】アレクサンドロスと【天球】スピカが現れるまで、とにかくギャアギャアと激しく喚いて、敵対者である俺たちを噛み殺そうとしていた。
――――尻尾5本、『第6フェーズ』。
いよいよ【竜殺しの七人】が終結した俺たちとリスドラゴンでは、すっかり形成が逆転していた。
今まで必死で抗うばかりだったこっちが攻めて、リスは防戦一方だった。
その時のリスは……それでもドラゴンとしての挟持を持ち、強者らしく両腕を広げて俺たちを威嚇し、そのまま気高く死んでいった。
――――尻尾4本、『第7フェーズ』。
全身の毛を鋭く長くさせたリスドラゴンは、中国武術の『震脚』を放った。
その時の鳴き声にはしっかりした意思が感じられ、まるで俺たちプレイヤーが技能を発動させるように、得意満面で『地地地』と鳴いて地面を揺らした。
――――尻尾3本、『第8フェーズ』。
とうとう終わりが見え始めたリスドラゴン。それを切羽詰まったラットマンたちが、全勢力でもって守ろうとした。
その時のリスの目に見えた……確かな喜色。ネズミの仲間たちを見る信頼の眼差し。
それは俺たちプレイヤーによって対抗されてしまったけど……確かにあの時リスドラゴンは、救援に対して素直に喜びの表情を見せていた。
――――そして。
尻尾2本、『第9フェーズ』。
消えた二つ名。その中で俺の身に起きた、プレイヤーたちの願い強化。
そうした日本国の集大成としてリスドラゴンと命を奪い合った俺は、確かに感じた。
"自分は負けない" という意思。"どちらが上か決めよう" という邪気の無い闘争心。
"やるじゃないか" って称え合って、"やらせるか" って負けん気をぶつけて、"まだまだだ" って減らず口を爪に乗せて。
そうして最後は悔しそうに、だけど清々しい顔をして、倒れて行った。
あいつは、リスドラゴンは……確かにずっと生きていた。
俺と本気でぶつかり合う中で、心を動かし、感情を見せ、魂を乗せた爪を振るっていた。
だから俺は、戦士としてあいつに勝ちたかった。
たかがゲームのボスだけど、あいつに心があったから、負けてたまるかって強く思えた。
そこには当然、戦争に勝って、リビハを続けたいって気持ちもあったけど……それでもやっぱり、俺は『レイド』として威風堂々とぶつかってくるドラゴンに、ゲーマーとして本気で勝ちたかったんだ。
……だけど、今。
残機である尻尾がすべて消えた『第10フェーズ』のリスドラゴンは、そういうものではなくなった。
「…………ヂ……」
ただ、在る。
只々、そこに居る。
何の思いもなく首都を目指して、機械のように歩みを進め、怒りも喜びも痛がりも怖がりもしないまま、『ただ動くだけ』をしている。
虚ろな目だ。そこには何も映ってない。
ぼんやり開いた口には、恐怖のひとかけらも感じない。
生きていない。死んでいないだけだ。
熱さがない。冷たくなっていないだけだ。
機械の心臓が動いているだけで、その命を燃やしてはいない。
確かに今までそこにあったはずの魂が、今のリスには感じられない。
俺はそれが……気に入らない。
「…………」
情、と言うのは少し違う。
愛、だなんてそんな高尚なもんだとも思わない。
ただこの現状がやるせなく、無性に苛ついて仕方ない。
……誰だよ。
どこのどいつがリスをこんな風にしてるんだ。
無敵の防御はいい。ゲームなんだからそういうこともあるだろう。
チートな『超再生』も構わない。レイドボスなんだからそのくらいはして当然だ。
二つ名を無効にするのもギリギリわかる。ドラゴンってのはそれほどのヤツであってもおかしくないんだから。
だけどこれは……こういうのは、おかしいだろ。
今まで俺たちと全力で戦っていたあいつを、怒らず叫ばず痛みも感じず突き進む、生ける屍みたいな存在にするのは…………それは、違うだろ。
第1フェーズから第9フェーズまで、最強種たるドラゴンとして気高く戦ったあのリスの行く先がこんなのなんて、それでいいはずがない。
そんなの俺は認めない。
「…………」
俺は。
人間として、プレイヤーとして、命を削り合った戦士として。
そしてあいつと腕と知恵とを競い合った戦友として、あのままリスが命を無為にすり減らして行くのも、そしてこれからずっとそのまま死んだように生き続けて行くのも……どっちも見たくない。
そんなのは、嫌だ。
「…………」
……なぁ。
お前も、そうなんだろ?
「…………」
長い長いこの戦いに、最初からずっと身をおいていたから。
敵だけど、ドラゴンだけど、モンスターだけど……それでも確かに生きていたリスドラゴンの生き様を、一から十まで、ずっと見ていたから。
だからお前は、そうやって。
「……チイカ」
「…………」
「お前も、悲しいか」
今のあいつの姿を見つめて、閉じたまぶたの端から、涙を流しているんだろ。
「…………うん」
◇◇◇
「…………」
「…………」
「……なぁ、チイカ」
「…………」
「……お前はどうして……『ヒール』で殺してたんだ?」
「…………」
「…………」
「………………かわいそう だったから」
「……かわいそう?」
「…………」
「…………」
「……しんでも しねなくって…………にげたくても にげられなくって…………こんなにいたくて つらいところで……ずっと ずっとたたかって…………たいへんで くるしくて かなしくて……」
「…………」
「それでも ここでちゃんとするには……もっといたくてつらいばしょで ずっとずっとながいあいだ いなくちゃいけないの」
「……もっと痛くて辛い場所……?『地の底エリア』ってやつか?」
「……うん」
「…………」
「……そこでね みんな いっぱいないて いっぱいおこって いっぱいたすけてって そういいながら きえていくの ここはそういうせかいなの ひどくいけないせかいなの」
「…………」
「……だから わたしは……わたしたちは おしまいにしてあげたくて…………こわくないうちに ねむらせてあげたくて」
「…………」
「……もういいんだよって おしまいにしていいんだよって こわれないうちに おうちへおかえりって…………」
「…………」
「……そうしてやすらかに……『はい』にして おわりにしてあげたくて…………」
「…………」
「……でも ね それはちがうんだって……あなたが さくりふぁくとが おしえてくれたから」
「…………」
「…………あなたは さくりふぁくとは……」
「……あぁ」
「…………つらくて たいへんで かなしくっても……やめたくないって いきていたいって ずっとそういっていたから」
「そっか」
「……だから わたし…………わたしは ね」
「…………」
「いっしょにいて みていたいな って」
「……見る?」
「つらくって かなしいのに……それでも『はい』にならずにいきている いまのあなたを あなたたちの これからを」
「……あぁ……だから俺のところに来たのか」
「……うん…………」
「…………」
「…………」
「…………ねぇ さくりふぁくと?」
「うん?」
「……わたしね もうわかったよ だから もうしないよ」
「…………あぁ」
「……でも でもね」
「うん」
「……わたしは あのこは…………」
「…………うん」
「あのこのいまと あのこのこれからは…………かなしい よ」
「…………」
「……こ ここでね だ だれかがね だれかがおわりにしてあげないと……そうしないと だめだとおもう」
「…………」
「そ そうしないと……これからずっと あのままで い いたいのもなにもわからないまま しんでるままで いきていて…………」
「…………」
「…………そんな そんなのは………………そうしていた わたしたちは…………」
「……あぁ」
「…………わ わたしたちはみんな とっても とっても……とっても つらかったから」
「…………」
「…………」
「…………」
「……ねぇ さくりふぁくと」
「…………うん」
「……わたしたち ね」
「……うん」
「……あのこを…………しまりすの あのこを…………たくさんがんばった あのこを ね」
「うん」
「……『はい』にして あげたい」
「…………」
「…………『ひーる』で おわりにして あげたいの」
「…………」
「……だめ かなぁ…………」
「……いや」
「…………」
「チイカ。お前はちゃんと考えたんだろ? あいつのことを」
「…………うん」
「だったら……うん。それでいい。それは一番良いことだ」
「…………」
「お前がそうしたいって言うのなら、俺たちパーティは……たとえ地獄の果てまでだって、付き合ってやる」
「……うん」
「チイカ」
「……うん」
「俺たちの力とお前の『ヒール』で、あいつを、リスを……戦友を…………」
「…………うん」
「……『はい』にしてやろう」
「……うん……っ」
◇◇◇




