第七十四話 本気でプレイするダイブ式MMO
◇◇◇
「…………」
まぶたをすっかり閉じさせて、俺のほうを向いたままぴたりと停止するチイカ。
その口元は普段の【聖女】らしく微笑むこともない。
「…………」
「……大丈夫なの?」
そんな彼女の隣から、チイカとくっついているスピカが声をかけてくる。
いつものように二文字縛りではないけど、スピカらしい端的な物言いだ。
「まぁ、どうにかするよ」
「…………」
じっとりとしたスピカの目つき。
それがいつもより細められているのは、"本当にそれでいいのか" っていう疑いの思いがあるからだろうか。
……まぁ、わかる。
わかるけど……こればかりは譲れない。
俺はチイカを使わない。あいつに "リスを殺せ" とは言わない。
それは絶対に、してはいけないんだ。
「スピカ。チイカのこと、よろしくな」
「…………」
くっつきあった白と紫。サイズ感が似ているから、元々セットだったようにも見える。
これだけ仲が良いのなら、チイカはスピカに任せて大丈夫だろう。
どうして手をつなぎ合っていて、何があってそんな親密になったのかは知らないけどさ。
◇◇◇
チイカとスピカに背を向けて、リュウやキキョウの居るところへと戻る。
その間にもリスドラゴンは、一歩ずつゆっくりと足を進め、俺たちの首都を真っ直ぐ目指していた。
「パワァァァッン! アァ、駄目だッ! やっぱりバリアで弾かれるってのォ!!」
「くそぅ……どうする…………! どうすればいいのだ!?【死灰】っ!!」
「……喚くな、うるせぇ。おい、変態女。お前は対バリアに慣れてんだろ。ぼーっとしてねぇで何か手を打てよ」
「ん~、って言われてもねぇ……直接害を与えない、間接的なものだったら通ったりするワケだけどさ? そこからおっきいリスくんを止めるって話になると、中々どうしてむずかしいんやよ」
「ふん。以前の竜型と違って、ずいぶん丁重な扱いを受ける物だな。これも国力、ひいては政の場における発言力による物か? ……下らん話だ」
二つ名はない。だけどそれでも彼らは確かにトッププレイヤーではある。
そんな【竜殺しの七人】が、幾度もリスを攻撃し、そのたびに弾かれ押し戻されている。
散々続いたレイド戦。
その最終フェーズは、戦うことすらさせて貰えていない。
「……あ…………サクリファクトくん……」
そうして考えている内に、いつの間にか目の前に居たロラロニーが、不安げな顔を向けてくる。
その隣のまめしばやリュウも、何か言いたげな表情だ。
「……ひとつ、よろしいでしょうか」
「ん」
「それが君の選択ならば、私たちは従います。何故ならそれは、今までもそうして来たからで、そうするのが一番良いと思っているからです」
「あぁ、悪い」
「……ですが」
そこで一旦言葉を切り、リュウやロラロニー、そしてまめしばを見渡すキキョウ。
そうしてみんなの表情を確認すると、再び俺の目を真っ直ぐ見ながら、言う。
「ですが、せめて。せめてどうして今ここで、【聖女】さんの力に頼らないのか。その理由を聞かせては貰えないでしょうか?」
「あぁ」
キキョウの言い分はもっともだ。
今ここにある状況を考えたなら、誰だってチイカにリスをどうにかさせるのが一番だって思うんだろうし。
……それにこいつらは、今ここに来たばかりで、俺とチイカについて何も知らないんだ。
だったら理解が出来ないのも当たり前だし、聞きたくなるのだって当然だろう。
そして何より。
俺はこいつらに、その理由を話しておきたい。
こいつらならきっと、わかってくれるから、
◇◇◇
「…………今のチイカってさ、普段と比べてずいぶんおとなしいだろ? 無闇に『殺すヒール』で虐殺しようとしてないし、何なら俺を普通に回復してくれてるしさ」
「ええ、そうですね」
「だけどそういう風になったのは、ついさっきなんだよ。俺がチイカと会ってすぐ……この戦争のとこに来た時は、今まで通りに『殺すヒール』を唱えて、ネズミを殺してリスを苦しめて……何なら近くのプレイヤーだって、いつも通りに殺しにかかっててさ」
「……おや、そうなのですか」
俺がチイカを小脇に抱えて、ラットマン共を『殺すヒール』で弾けさせまくっていた記憶。
それはついさっき、ほんの数十分前のことだって言うのに、何だかずっと昔に思える。
……あの時は、確かにいつもの『【聖女】のチイカ』だった。
にこりと笑って愛を振りまき、癒やして殺すチートキャラのままだった。
だけどそんなチイカが、今ではそうじゃない。
そしてその変化の過程を見ていたのは、この世界でひとりきり……俺だけだ。
「……ふむ。しかし、ああまで頑なだった【聖女】さんがそのように変わるとは……流石はサクリファクトくん、と言った所でしょうか」
「いや、それは違う」
「ほう? 違う、とは?」
「俺は何もしてなかった。つってもそりゃあ、大人しくしてろよ~くらいは言ったけど……『殺すヒール』をすんな! なんて一言も言ってないし、普通に回復してくれ~なんて頼んだりもしてない。だけどあいつは『殺すヒール』でPKすることをやめてるし、俺を『ヒール』で回復したりもするようになったんだ」
「ふむ」
「……殺すのも、癒やすのも。そんなチイカが今やってることは、全部あいつの意思でされてる。誰かに言われたわけでもないのに、今まで通りの『【聖女】のチイカ』らしく振る舞うことをきらって、本当の意味でみんなのためになることをしてるんだよ」
「……なるほど」
チイカの行動が変わっていたのは、果たしていつからだっただろうか。
【聖女】の名に相応しくない、むすっと膨れた仏頂面。
それを尻目にドラゴンへと必死に立ち向かい、竜殺したちと何やかんやをしている内に、自然と『殺すヒール』は飛んで来なくなっていて。
その上いつの間にか、チイカは俺の怪我を癒すようにすらなっていた。
そのどこかに、特別な何かがあったわけじゃない。
ただ何となく、雲がゆっくり流れるような変化があって、今の状況に変わっていただけだった。
「……つってもまぁ、色々駄目だったけどな。『殺さないヒール』なんて不慣れだから、やりすぎだったり弱すぎだったり全然安定しなかったし。その上それにケチをつけたら、むくれた顔でむぅむぅ唸って、そっぽ向いたりもしやがってさ」
「そうですね。私はそこまで【聖女】さんに詳しくありませんが、それは今までになかったことなのでしょう」
「うん、そうだ。そうなんだよ。今日のあいつは、行動も表情も……感情も、全然『【聖女】のチイカ』らしくなかった。ただのひとりの初心者ヒーラーで、普通の女性プレイヤーで……なんかこう、【聖女】としてRe:behindをしてるってよりは、普通にRe:behindをやってるって感じだったんだ」
「……はい」
「…………俺はさ、チイカのこととか、正直何も知らないよ。だけどそれでも俺は、今のチイカは、なんかこう……すげえ良いな、って思うんだ。あいつがどういう理由であんなことになってて、どうしてRe:behindをやってんのかは知らないけど……今みたいに好きにやってるのが一番良いって、そういうやつなら大切にしたいって、そう思うんだよ」
「ええ」
「だから俺は、あいつに "『殺すヒール』でぶち殺せ" なんて言うのは、おかしいと思う。言いたくないんだ、そんなことは。自分でみんなのためを考え始めたあいつに、 "余計なことは考えず、前みたいな【聖女】に戻れ" なんて、そんなことを言うのは……なんか、駄目だと思うから」
「……ずいぶんと感覚的な話ですが……しかし、ええ、言わんとする所はわかりますよ」
Re:behindのトッププレイヤー、【聖女】のチイカとして殺戮を繰り返していた、慈愛の笑みだけを浮かべる少女。
そんなあいつが今、感情豊かに泣いたり怒ったりしながら、俺を殺さないように気を使って『ヒール』をして、誰かに優しい言葉をかけている。
……元々何を考えてたのかわからないやつだ。
その変化がどういうものなのか、その心変わりは何がきっかけだったのかなんてのは、まったくもってわからない。
だけどそれは、とにかくおおむね良いことだ。
でたらめな『殺すヒール』で一切合切を終わらせる、独りよがりの救済なんてものじゃない……本当の意味での『誰かのため』をしてるんだってはっきりわかる。
だから俺は、そんなチイカの気持ちを尊重したい。
『ヒール』を殺す手段じゃなく、誰かを支える手段に変えた彼女の意思。
それをそのまま感謝して、そういう思いを大切にしたいんだ。
「……チイカは『殺すヒール』をやめた。俺はそれに助けて貰った。なのに今さら、たまたまその『殺すヒール』が必要になったからって、それをして貰おうとするなんて……そんな都合のいい話は、無いだろ」
「それで君に――いえ、我々全員に、逃れようのない苦難があったとしても?」
「そうだ。身勝手な話に聞こえるだろうけど、俺はどうしても、そうじゃないと駄目だって思うんだ。例えそれが一番利口で、一番冴えてるやり方だとしても……俺はそんなこと、したくないんだ。子供みたいな我儘で、みんなに迷惑はかけるだろうけど……それでも俺は…………」
ひどく勝手な話だと、自分でそう思う。
何しろこれは、俺のこだわりで挟持の話だ。
この中にあるのは自分の "なんか嫌だな" って感覚ばっかりで、Re:behindを救う英雄らしいなんてとても言えないような選択だって、自分が一番わかってる。
……だけど、これだけは譲れない。譲りたくない。
チイカはもう、張り付いた笑みで殺しまくっていた『血まみれ聖女』なんかじゃない。
本当の意味で他人を慈しむことができる、ちゃんと優しい【聖女】でチイカというプレイヤーなんだ。
だったらそんなの、してたまるかよ。
今のチイカに "血まみれ聖女に戻れ" と言うなんて。
そんな非道をするくらいなら、死ぬほうがよっぽどマシだ。
「だから……ごめん。俺はチイカに "ヒールでリスを殺せ" とは、言いたくない」
……負けたくない。それは当たり前だ。
だからこんなに長い間、ずっと死ぬ気で頑張って来た。
それに今は、こうまでみんなに期待されて、こんなにたくさんの強化を貰って、プレイヤーたちの勝ちたい気持ちを一身に背負わされてるんだから。
…………でも、それでも。
それだけは、したくない。
世界を救うのと引き換えに、ひとりの少女の気持ちを踏みにじるような……そんな利口なクズにはなりたくない。
俺は、チイカの気持ちをくんでやりたいんだ。
あの子が自分で選んだ道を、そのまま進ませてやりたいんだよ。
そして、出来れば。
今のチイカともっと喋って、これからもっとRe:behindで遊びたいんだ。
今のあいつはちゃんと【聖女】で、良いやつだから。
だから、そのために。
チイカに『殺すヒール』をしろとは言わず、だけどリスは止めて、戦争に勝って。
俺たちの力で、Re:behindを続けなきゃいけないんだ。
「…………」
「……ふふふ、そうですか。では、話は終わりということで」
「応よ!」
「はぁ~い」
「ほいほい。って言っても、何をどうするのさ?」
唐突。
前触れも無しに ぱ、と空気が変わり、全員がリスへと向き直る。
……あれ?
いや、ちょっとおかしいだろ。
俺は今、結構な無茶を言ったはずなんだけど。
「…………いや、えっと……」
「どうしました?」
「いや……その…………良いのか? これで」
「と、言われましても……私たちは始めから、ただ理由を聞きたいだけでしたので」
そうして細目をいつも以上に細めるキキョウ。
その表情と声色は、大好きな金勘定をしている時よりご機嫌だ。
何を喜んでるんだよ。
これから割とマジで大変になるのが確定してるってのに。
「……良いのか、まめしば」
「良いもなにもさ、いつも通りで、普通にサクちゃんらしい判断でしょ。だから何にも疑問はないし……うちのパーティリーダーがそういう人だからこそ、私の動画はいつだって、ウルトラハイパー激アツ神回だった訳だしね?」
「……ロラロニー」
「サクリファクトくんがそうしたいって思うならね、私もそうしたいなって、そう思うんだ~」
「……リュウ」
「応ッ!」
「……ふふふ」
いかにもMetuberらしい物言いで、普段通りにうるさいまめしば。
ゆるくてふんわりした発言の中に、性根の優しさが透けて見える、とぼけた女ロラロニー。
何の迷いもためらいもなく、只々ハツラツと返事をするだけの、アホ全開の漢リュウジロウ。
そうして話すみんなを楽しそうに、保護者のような目つきで見つめる糸目の金髪、キキョウ。
そんなこいつらの、見飽きた顔を聞き飽きた声を聞きながら、つくづく思う。
俺は仲間に恵まれた。
俺のRe:behindは1から10まで、こいつらと共にあるんだと。
そんな思いに包まれていると、どんなことでもできる気がした。
◇◇◇
◇◇◇
「それで結局どうするのさ?」
「うん、まぁ……わからん」
「ノープラン!?」
「だってそんなの、しょうがないだろ。『接触防止バリア』を破る方法なんて今まで考えたこともなかったし」
「サクの字は本物の悪事にゃ手を染めねぇ、義のならず者だかんなぁ!」
「サクリファクトくんは、良い子のローグだもんね」
「それはいわば、義賊と言った所でしょうか。ふふふ」
謎の方向で褒められて、むず痒くなりつつ、考える。
――――『接触防止バリア』。
それは他者からの『悪意』と『害意』を拒絶するプレイヤーの保護機能で、ある意味で世界の法則を捻じ曲げるような、超越的で絶対の仕組みだ。
……それについて考えると、頭に浮かぶのは――【殺界】の "ジサツシマス" とのひと悶着だろう。
あの時俺は、ツシマにまんまと乗せられて『決闘申請』を飛ばし、互いに『接触防止バリア』を解除することになった。
そしてそのせいであいつに馬乗りをされて、無理やりエロいことをされそうになったんだ。
…………『決闘申請』、そして『バリアの特性』か。
……いけるか? どうかな。無理っぽいな。
でも、とりあえず試してみる価値はある。
「リュウ」
「応」
「『決闘申請』、リスに飛ばしてみてくれ」
「ははァん……? かかっ! 合点承知の助ぇ!!」
「まめしば」
「ほいさっ」
「『曲射』ってできるか? 空めがけて矢を射って、雨みたいに降らせる感じで」
「んん? う~ん……わかった! やってみるよっ」
「ロラロニー」
「はぁい」
「キキョウと一緒にリスに接近して、海岸地帯のあの時みたいにリスを撫でられるか?」
「うん!」
もし『決闘申請』が通るのならば。
もし空に射った矢が『害意は無し』と判定されるなら。
もしリスが撫でられた心地よさで居眠りを始めたりするのなら。
どれかひとつでも効果があれば、そこから活路は見いだせる。
だからとりあえず、できることをできるだけやってみよう。
『……待て、黒き小僧よ。我が巫女をそのような渦潮の如き危地に向かわせる気か』
「だったらお前が守ればいいだろ」
『…………うむ、それは当然だが、しかし……』
「できないのか? できないならいいぞ、キキョウと俺が守るから」
『……戯れるな、小僧。Re:behindに在る大海原の全域を統べし制定者である我の力を見くびるな』
「そんじゃあよろしくな、干しタコ」
「ふふふ、一緒に【ヒメミコ】さんを守りましょう。白タコ氏」
『…………我が名は干しタコでも白タコ氏でもない。海のドラゴン "クラーケン"、あるいは親しみと敬意を込めて "火星人くん" と呼べ』
「それで、サクちゃんは何をするの?」
「決まってるだろ、罠だよ」
「……効くの? それ」
「俺はただ掘りたいから穴を掘って、たまたまそこにトラバサミを落っことしちゃうだけだ。これはあくまで不慮の事故で、それで誰かを傷つけるつもりなんて……さらさらないんだぜ」
「…………ローグだねぇ」
何が有効なのか、何をすればどうなるのか。
それがわからないのなら、とりあえず試してみるしかない。
俺たちはずっと、そうして来た。
だからこれが俺たちにとっての、一番正しい『Re:behindの遊び方』だ。
◇◇◇
「おうおうおう! そこ行くシマリス大将よぅ! ちょいとお時間おくんなせぃッ!」
「…………ヂ…………?」
「おっと、こいつぁ早速のお控え――――」
「いやいや、リュウ! そういうのいいからっ!」
「ちぇっ、なんでぃ。そんならまぁ……俺っちの名前は【ハラキリ】リュウジロウ! やいこらデッケェリス野郎ッ! ここを通りたきゃあ、俺っちを倒してから行きなぃ!!――――『決闘』ッ!!」
リスの進行方向に立ちふさがり、大太刀を肩に担いだリュウが、大見得を切って通せんぼをする。
そうしてその左手からぽわっと放たれた『決闘申請』の光の玉が、リスに弾けて霧散した。
……あの感じ、申請を受けていないというよりは、そもそもシステム的に適用外って雰囲気だ。
やっぱりドラゴンはドラゴンで、プレイヤーとは別ってことなんだろう。
「…………ギ……」
「あ……ッ!? お、おうコラ! 立ち合いの名乗りをシカトたぁ、それでも雄かこんにゃろう!!」
「…………」
「お……!? おわぁ!?」
リスはリュウをガン無視し、そのまま足を進める。
そして接触間際になって、リュウがぽよんと光の壁に弾かれた。
悪意と害意。それはきっと、戦う気……戦意や敵対心のようなものも含まれるんだろう。
その目と心にかっかと闘志を滾らせるリュウは、あっさりとバリアに拒絶される。
「あは、リュウはダメダメだね。まぁ、わかってたけど――――さっ!」
「…………」
次いでまめしばが天に向かって矢を放つ。
1本、2本……まとめて5本。恐らく技能の補正で無理やりまとめて射られた矢が、自由落下で落ちてくる。
大きな大きな放物線。
しかしそれは、面白いようにリスの頭上へと降ってきた。
あんなのどう狙いをつけるんだか、弓を使ったことのない俺には検討もつかないな。あとでまめしばに聞いてみよう。
「……あと5、4、3……着弾っ!」
「……ヂ…………?」
「えぇ~……これも無理なの~?」
作戦通りで、狙いはぴったり。
だけどその矢はバリアに弾かれ、リスの頭上でぽよんぽよんと数回バウンドしたのちに、ゆるく地面に突き刺さる。
……あれでも駄目か。
ずいぶん小利口なバリアだ。
「……だけどまぁ、罠は効くだろ。そんな話をツシマに聞いたぜ」
以前にツシマが言っていた。
"毒を直接かけられたらバリアで弾かれるけど、その毒が溢れた水たまりに自分で入っちゃったら防げない"。
それはきっと、『接触防止バリア』の仕様が、あくまで受動的なものだってことなんだと思う。
受けるものは防ぐ。だけど自分がしたことによって巻き起こる危害や被害は防げない。
それはこのRe:behindにある『自己責任』という原則を象徴するものでもあるし、そうであるから『自傷行為』なんてものが可能になっているんだろう。
だからつまりは、ああして威風堂々と行進を続けるリスドラゴンの、その数歩先に掘った穴は有効のはずだ。
何しろそこにあるものに、リスが自分で入って行けば…………それはあいつの自己責任。
望んだ不幸で、避けないやつが間抜けってことになるんだから。
「…………ヂ……!?」
そしてまんまと穴にハマるリスドラゴン。
それは俺の強化されたステータスを全力で使った深い穴に、ありったけの竹槍やトラバサミを突っ込んだ、殺意もりもりのブービートラップだ。
といっても、結局たかが罠。多少の足止めにはなっても、さすがに死にはしないだろう。
ただ、それに手こずっている間に違う罠を用意しておけば、リスの歩みは今よりずっと遅くさせられるはずだ。
うん、いい感じだな。
「……っていっても、もう罠の材料が…………」
「…………ィ…………」
「……ん?」
「………………ヂ」
体の半分以上を穴にハメ、ついでに竹槍やらトラバサミで負傷をしたはずのリスドラゴン。
だと言うのにも関わらず、そいつが止まったのは一瞬のことで、すでに穴から這い出している。
……その足にはトラバサミが齧りつき、それをリスの血が真っ赤に染め上げていた。
「…………ヂ…………」
「……マジかよ」
そして再び歩き出すリス。
その足からは今も血が流れ続けて、トラバサミに噛まれた場所がブチブチを音をたてている。
しかしそんなことは意に介さずに、虚ろな目のまま真っ直ぐ首都を見つめ続けて、足を動かし続けていた。
……なんか、不気味だな。
そこには今までの知性とか、動物らしさやドラゴンらしさは微塵もない。
ただ目的を果たすために存在している、出来の悪い作業ロボットみたいになっている。
……なぜかそれが、俺には少し、悲しく見えた。
どうしてなのかはわからない。
「それじゃあ行くね、火星人くん、キキョウさん」
『巫女よ、十分に注意するのだぞ』
「危険があったらすぐに逃げるんですよ」
そんな幽鬼のようなドラゴンに、たたたっと走りよるロラロニー。
その顔は珍しく、きりっと引き締まっていた。
……だけどそれでも、やっぱりどこかとぼけた感じが、俺の心に浮かんだ変な気持ちを忘れさせた。
「リスくん! おいで!」
「…………」
「ほら! 怖くないよ! だからおいで~!」
珍しい大声をあげながら、両腕を広げてリスを待ち構えるロラロニー。
それを見ているのか見ていないのかわからないリスは、ゆっくりと手を伸ばし、ロラロニーの胴をすんなり掴む。
「へ?」
そして、極々自然に持ち上げて、口元へと運んで行く。
……え?
…………いや。
いやいやいや。
おいおいおい!
すげえあっさりヤベぇじゃねーか!
「――――お、おいっ!」
『巫女よ! 脱出だ! 釣り針から逃れるエビのように脱出をしろ! そう、鮪に追われる小魚の如く逃げるのだ! いや、シャチから逃げるペンギンの動きを参考にするべきかっ!!』
「あ、え、わわわ」
突然の大ピンチに、途端に焦る。
まさかそんなすぐ捕まるとは思わなかったり、そこまでスムーズに食べようとするなんて。
つーかタコが全然役にたってない。
ペンギンのように逃げるとかエビのように脱出とか、最高に意味のわからんアドバイスしかしてないし。
マジで使えねーな、あの干しタコ。
「ロラロニーさん! リスを叩いて下さいっ! 何かこう、ひどい悪口を言いながらっ!!」
「えっ!? あ……ええと…………き、きらいっ!」
「…………ヂ……」
力のない猫パンチで、リスの鼻っ面をポコォと殴るロラロニー。
それと合わせて吐き出された精一杯の悪口は、一桁年齢の子供のような稚拙なものだ。
しかしそれでも、悪意か害意のどちらかには判定されたようで、ロラロニーがリスの手からばちっと弾かれる。
「おいおい! 冷や冷やさせやがるぜぇ!!」
「……あぁ、良かった……ロラロニーちゃん」
『おおっ! バリアの仕様を逆に利用したのか!! 何たる機転! 流石だぞ我が巫女よっ!!』
「ふふふ……そうですね。素晴らしい判断力でしたよ、ロラロニーさん」
「そ、そうかな? えへへ」
「……いやまぁ、そうしろって言ったのはキキョウだし、別にロラロニーはすごくないんだけどな」
まったく何もしてないのに、親馬鹿2名に持ち上げられてご満悦のロラロニーを見て、力が抜ける。
何だよもう。ハラハラしたり呆れたり、ほっとしたり笑ったり。
ドラゴンとガチバトルをしていた時よりも、今のほうがよっぽど気持ちが疲れてしょうがない。
あぁ。
……だけど、アレだな。
すげえ不謹慎だけど……死ぬほど楽しいな。
こいつらと遊ぶ、このゲームは。
◇◇◇
「よっしゃキキョウ! 俺っちの足と地面を磁力の魔法でくっつけてくれや!!」
「ほう? 不退転の仁王立ちですか。これは正しく、大和男子の心意気ですね――『"引き寄せのイベリス"』」
「おぉしッ! 来いやリス野郎ッ! 俺っちはこっから一歩も動かねぇぞォ!!」
「……ヂ」
「オラオラ来いや来いや――――おわぁ!」
「……うわ、地面ごと……!? くっついた地面ごと弾かれて…………あははっ! なにそれ!? え~、それってそうなるんだ~!」
「ふふふ、まぁ私はそうなるんじゃないかと思っていましたが」
「え、知っててやったの!? 悪い人だね、キキョウは~」
それからも続く、試行錯誤と一進一退。
リュウが無茶をし、まめしばがべらべら喋って、キキョウが笑ってロラロニーがとぼける。
俺たちはそうして、Re:behindが終わるかもしれない最終決戦だってのに、どこまでも普段通りにゲームをやっていた。
と言ってもそれは、俺たちが真剣じゃないってわけではない。
これが俺たちの本気で、俺たちのRe:behindの遊び方なんだ。
いつもと同じに自分らしさを損なわず、好きなようにやりながら、今と明日が一番楽しくなることを目指し続けるってのが、何より良いと思っているから。
だからみんなで頑張って、本気でリスをどうにかしようとしながら、全力でRe:behindをしてるんだ。
そしてそんないつも通りが、俺は何より楽しくて、楽しくて。
だから知らぬ間に笑顔を作りながら、"次は何をしてみよう?" って夢中で考えてばかりいた。
「…………」
そうだ、夢中だったんだ。
だから俺は、すっかり気づいていなかった。
ニヤニヤ笑う俺の後ろに、そいつが立っていたことに。
「……はは、馬鹿だろ、ははは」
「…………」
「……あれ? ……ねぇねぇサクリファクトくん」
「うん? どうしたロラロニー」
「後ろにチイカさんが居るよ?」
「え……うお!?」
「…………」
振り向いた俺のすぐ後ろに、毛の一本まで真っ白な頭があった。
……なんでこいつがここに居るんだ?
スピカに任せたはずなのに。
「……え、チイカ?」
「…………」
「なに? なにかあったのか? どうしてここに居るんだ?」
「…………」
そうして素直に疑問を口にしてみるも、答えはなく。
ただうつむいてじっと黙っているだけの、背の低いチイカのつむじを見つめる。
……なんだよ、一体。
こいつがここに来る理由なんて、何もないと思うんだけど。
「……まぁよくわかんないけど、チイカは後ろに下がってろよ。俺たちは大丈夫だからさ」
「…………」
「……チイカ? 聞いてるか?」
風がさらりと髪を梳き、銀糸のような毛が揺れる。
それでもチイカ自身は微動だにせず、ただ下を向くばかりだった。
「とりあえずほら、スピカのところへ行けって。あ、もしかしてスピカがあんまり好きじゃないのか? だったらクリムゾンさんとか、最悪ちょっと淫乱だけど……ツシマと一緒にいたりとかでもいいんじゃないか」
「…………」
「…………あの……聞いてる?」
相変わらず答えはない。
……なんだよもう。困っちゃったな。
元々よくわからんやつなのに、さらに動作も言葉もないとなったら……いよいよ俺はお手上げだぞ。
「う~ん…………まいったな……」
「…………」
「ねぇねぇ、サクリファクトくん?」
「ん?」
「あのね、私、思うんだけどね」
「うん」
「チイカさん、一緒にやりたいんじゃないのかなぁって」
そうロラロニーが言った瞬間、チイカの体がびくりと跳ねた。
そうした次には、両手で自分のローブを掴んだり離したりと、もじもじをし始める。
その反応を見れば、ロラロニーの言葉が正しかったことは……明らかで。
……え、なんで?
なんでそんなことになってんだ、こいつ。
「……えっと……え、そうなの?」
「…………」
「なんで?」
「…………」
「……つーかチイカは【聖女】で【竜殺しの七人】なんだから、どっちかっていうと俺たちと一緒にやるよりは、スピカやらの竜殺しの人たちとのほうが良くないか?」
「…………」
「…………」
「…………」
「……ねぇ、チイカさん?」
「…………」
「一緒に遊ぶ?」
チイカより少しだけ背の高いロラロニーがチイカの顔を覗き込み、優しい声色で質問をする。
それを聞いたチイカは再びぴくりと動き、少し迷ったような素振りを見せたあと、ゆっくりと頷いた。
……どうしてチイカはそう思ったのか。
なんでわざわざスピカの下を離れて、俺たち5人のところへ来たのか。
その違いは何だろう、と考えてみれば、答えはさっきまでの自分にあったことに気づく。
「…………チイカ、お前、もしかして…………」
「…………」
「俺たちが、楽しそうだったから? だから俺たちのところに、来たのか?」
「…………」
そして今度は、顔を上げ、口をぎゅっと引き絞りながら……頷く。
そのほのかに赤らんだ頬が、照れから来るものだっていうことは、女の子をよく知らない俺でもすぐにわかった。
「……そっか」
「…………」
「あぁ、そうなんだな」
……そうか。そうだったか。
思い返す、チイカが『殺すヒール』をやめた時。
俺はそれだけで良いと、【竜殺しの七人】の効果を出すために居るだけでいいと、そう思ってそう言っていた。
だけどチイカは自分で考え、俺のために『ヒール』をしていた。
そんなことをしろなんて言ってないのに、自分で勝手に考えて、俺を癒やそうとしてたんだ。
それがあいつの、一番の変化だ。
何かに従うことをやめ、誰かに操られることもやめて、普通であろうとした時からは――――ずっと "自分も何かをしたい" と願い、それを本気で行動することによって示していた。
チイカはチイカなりに、自分の『本気で遊ぶRe:behind』を始めようとしていたんだ。
そしてそれは、ある意味『欲』のようなものだった。
誰かの役に立ちたい。感謝をしたりされたりしたい。
誰かを幸せにして、誰かに幸せにして貰って……そして思う存分、今という時間を楽しみたい。
そういう人間らしい『欲』と、身勝手だけど尊い思いやりがあったから、チイカは『殺すヒール』をやめて、不器用な『ヒール』を俺に飛ばしていたんだろう。
そして、そうだからこそチイカは――――楽しそうにする俺たちに惹かれ、そこに混ぜて貰いたいと思って、ここまで歩いて来たのだと思う。
…………何のこともない。俺たちと同じだ。
ただひとりの人間らしく、ただひとりのリビハプレイヤーらしく、自由な世界を謳歌しながら何かを成し遂げたいと願って、貪欲にそれを求めているだけなんだろう。
「そうか、あぁ……そうか、うん」
「…………」
「じゃあ……なんだ。その……そうするか?」
「…………」
「……うん、まぁ…………何なら都合も良いしな。ちょうどうちにはヒーラーが居なくてさ、前から居たらいいなとは思ってたから……」
「…………」
「だから、チイカ」
「…………」
……【聖女】のチイカと分かり合う。
その最後のひと押しが、"楽しそうなところに混ざりたい" だなんて……そんな子供の理屈だったことに、思わず笑いが溢れてしまう。
だけど結局、これはゲームだ。
だったら "楽しそう" に惹かれるのは当たり前だし、"自分もやりたい" と思って始めるのだって、まったく間違いじゃないと思う。
あぁ、そうだ。
例えこのRe:behindが生活に直結していて、運営がひたすら怪しくて、ここに大きな使命があったとしても。
それでも結局ゲームなんだから、楽しめなくちゃ意味がない。
だから俺は。
「一緒に遊ぼうぜ」
「……うん」
これからゲームを始める少女の手を取って、今から一緒にMMOを楽しもう。
◇◇◇




