第七十ニ話 【七色策謀】此処に在り 3
◇◇◇
――――『第9フェーズ』が始まり、数分が経った。
「ギィィイイイイッ!!」
ラットマン側の最大戦力シマリスドラゴンが、天に向かって吠えたてる。
その背後には数百のラットマンが並び立ち、最強種の力を頼って見守る。
「……ぎぃぎぃうるせえっ!」
そんな絶対種の前に立つサクリファクトが、いつも通りの悪態をつく。
その背後には私たち数百のプレイヤーが祈り、彼の姿に願いを託して。
「ギィッ!」
「……がぁっ!」
互いの陣営、その中から選びぬかれた決戦存在をぶつけ合う、一対一の死闘。
そこには矢や魔法は飛ばず、ラットマンも私たちも、余計な邪魔は一切しないでいた。
と言っても、それは決して正々堂々の騎士道精神なんかではない。
そこにあるのはただひとつ――――有無を言わさぬ決着を。
私たちもネズミたちも、それだけを考えているんだ。
泥仕合は誰も望まない。
だから求める、この上ないほどわかりやすい、頂上決戦という代理戦争。
それがこうして自勢力にある一番の存在……代表を選出し、それにすべてを託す決め方だ。
"リスドラゴンがサクリファクトを潰せたならば"。
"サクリファクトがリスドラゴンを倒してくれたら"。
"そうなれば、我らの勝利だ"。
そういう認識を互いに持っているから、こうした横やりを入れない一対一が成り立っているのだろう。
「ギヂィィィッ!」
「あぁぁっ!!」
そうして相うつ両名は、勝敗を決める者同士だけれど、その種はまるで違うものだ。
一方は、勝利を掴むために生まれた絶対存在、シマリスのドラゴン。
そしてもう一方は、明日への願いが生んだ決戦存在、サクリファクトというただのプレイヤー。
そんな別々の2つが背負う願いの形は、やっぱりそれぞれ違う形で。
だけれどどちらも、ひとつの言葉で表せられる。
"We`re behind You"
それがこの『Re:behind最終決戦』にある、共通言語のルールなのだろう。
◇◇◇
たくさんの人々が手を組み、拳を握り、眼差しに思いを込めてその背を見守る。
そんな数百の瞳の中には、そのどれもこれもに七色の光が輝いて。
「――うらぁっ!」
「ギッ!?」
そんな願いの強化を託された彼――――七色策謀のサクリファクトは、やっぱりちゃんと強かった。
疾風より速いスピードで、岩石よりも硬い体を駆り、光すら両断する斬撃を、炎のような熱き決意で繰り出した。
「ギギヂィッ!!」
「……おせぇっ!」
……そう。ちゃんと強いんだ。それこそリスを手玉に取れるほど。
だからすこぶる素敵で、とっても嬉しくて、ことさらに私の心をあたためるんだ。
そんな優勢を作り上げるのは、何よりもあの速さなのだと思う。
彼の目からこぼれる赤い色が光跡を残し、荒野地帯の決戦場を、所狭しと自由に踊る。
それはまるで、突発的に降る流星みたい。みんなが願いを込めて見つめているのも、それらしくって心地が良い。
そんな光年を走る速さに、リスドラゴンはまるで追いつけない。
だからずっと、足を止めての防戦一方だ。
「……地地地ィ!」
「またそれかよ、見飽きたぜ」
足踏みをするリスによって、大地が大きく揺らされる。
隣に居るチイカと手を繋いで支え合う。やわらかい手の高めな体温が、心を安らかにさせてくれる。
そんなことを思いながらサクリファクトを見れば――彼は何らかの強化による『滞空時間の上昇』を利用し、スキップをするように地面を蹴りながら駆けていた。
「――隙だらけっ!」
「地…………ヂッ……ィィィィィーッ!?」
そうして『踏鳴』を続けるリスをめがけて振るわれる、サクリファクトの右腕、そこにある剣。
"見飽きた" ほど見たから知っている、リスがそれをした時の技後硬直に差し込むように、強化の込められた剣刃を振るう。
神速。剣閃。斬光。
ほどなくしてずるりと落ちた大きい影は、リスの左腕のものだった。
――――あのリスドラゴンの、片腕の切断。それは見紛うことなき大金星だ。
「おぉっ!」
「……よし」
クリムゾンが感嘆の声をあげ、マグリョウが小さくガッツポーズする。
そのどちらの気持ちも私はすごくわかるから、思わず小さく頷いてしまった。
やった。できた。やってくれた。
剣が届いた喜び、ダメージが通った手応え、勝利へ近づいたことを確信する安堵感。
そんな高揚は戦場全体に広がって、にわかに沸き立ち笑顔が浮かぶ。
強くなってと願ったサクリファクトがちゃんと強くって、みんなの顔を明るくさせた。
……でも。
「チィ……治治ィ……ッ!」
「……ん……?」
リスが鳴き、力を入れる。
したことはたったそれだけ……なのに。
ぶちゅちゅと不気味な音をたてながら、リスの左腕が……元に戻る。
「ヂィ……ギヂィ! ギァァァアアアッ!!」
そしてぶるりと身を震わせれば、その姿はもうすっかり完璧になっていた。
それこそまるで、なんにも無かったかのように。
……そして再び堂々と、元気いっぱいに威嚇を始める。
「嘘……そんな……っ!?」
「……いくらなんでもやりすぎでしょ。こんなのずるっこやよ」
これがリスの『超再生』。
折れた爪も、抜けた毛も、欠損した腕すらも再び生える特殊能力。
……そうして今を見てみれば、ひとつのことを理解するんだ。
サクリファクトが誰かから聞いたらしいその能力が、『治癒』でも『回復』でもなく『再生』という言葉だったのは……そういう意味だったんだろうなって。
「……ふ~ん。まぁ、そうだよなぁ」
……ちょっとだけ浮かれてしまった分、がっかりの度合いも大きくて。
そんな空気が戦場全体に漂う中で、サクリファクトの平坦な声が聞こえる。
「前に "MOKU" が言ってたぜ、俺たちとドラゴンは同じ愛し子、すべからく公平であるべきだって。それってそういうアレだろ」
「ヂギャアアアッ!!」
「……俺たちだって『ヒール』で生えるし、何ならお前は失った眼も……復活の時に治ってたしな。だったら『超再生』の力がある今、そうやって気合で腕が生えるのも、おかしいことじゃ無いんだろうよ」
……リスの眼を奪った話は知らないし、その『"MOKU" が言ってた』っていうのも私は知らない。
だけど、例え知っていたとしても、きっとあそこに居るのが私だったら、もう無理だって諦めていたと思う。
それなのにあのサクリファクトの調子と言ったら……普通に受け止め、すんなり納得をして。
だから私は、改めて思うんだ。
あそこに立つべきだったのは、やっぱりサクリファクトで良かったって。
だってそういう強さを強化することは、魔法や技能じゃできないのだから。
◇◇◇
――――耳、眼、腕、足、背中にお腹にヒゲや爪。
サクリファクトの属性強化がかかった剣は、それから幾度もリスを斬り裂いた。
だけど、何度突き刺し、何度斬り落とそうとも。
リスはすぐさま元に戻った。
「うぅ……あっ! むむ……! ……うぅ…………」
サクリファクトを潤んだ瞳で見つめるクリムゾンが、何とも言えない気持ちをそのまま声にする。
素直な彼女らしい、純朴な反応だ。
そしてそれは、この場のみんなの内心を代弁しているものだと思う。
リスドラゴンが第8フェーズで手にした強化、『超再生』。
それはどんな傷でも瞬時に治し、失くなった部位ですらすぐに生やし治してしまうめちゃくちゃな能力だった。
だから大体何をしたって、おおよそ不毛で徒労にされる。
皮膚を切り裂き、どこかを損傷させ、硬い龍鱗を砕いても、数秒後には『何もなかった』という状態に戻されてしまう。
それはサクリファクトからして見れば、ずっとひとりで足踏みをしているような……そんな無駄で無意味な骨折り損なのだ。
「傷が治るって言ってもなぁ……」
「ギァッ!」
「よごれ・は綺麗に……ならねーんだろっ!」
「ギッ!?」
サクリファクトの砂による目潰しで、リスドラゴンが目をつむる。
確かにサクリファクトは、とても強い。
速さもあるし対応もできて、折れない心だってとびきりだ。
だから不死身のドラゴンにだって、不撓不屈で立ち向かい続けることが出来ている。
……でも、それはそれだけだ。
ダメージは食らわない。だけど、与えることもできやしない。
押してはいるけど決め手が見当たらない、八方塞がりな行き止まり。
例えば今のサクリファクトに、さっき私たちがしたような、大きな大きな魔法を詠唱する力があったなら。
それなら『超再生』をする余地も与えず、ひといきで倒してきれたに違いないのに。
……けれどあいつの職業は、残念ながら『ならず者』なのだ。
だから格別の大魔法も、一撃で首を斬り落とす重撃を可能にするような技能も使えなくって。
あくまでただの『罠師』にできる、些細で平凡な剣技を使って、細かく傷をつけるしかできないんだ。
…………そうなってくると、サクリファクトは分が悪い。
なにせ強化には効果時間があって、その終わりはいつだかわからないんだ。
それにきっと、ああまで人知を超えた無茶を長々と続けていたら――――体と精神が、耐えられない。
「俺はこっちだ! ボケネズミぃっ!」
「ヂゥァアアアッ!」
「くっ……! ……いい加減、倒れろっつーの!」
結局あの七色は強化で、サクリファクトの中身は普通の人間だ。
それなら当然、効果時間もあるし、体の限界だってあるはずなんだ。
その証明に、だから、はやる。
見えない何かに追われるように、隠しきれない焦りが出てしまう。
そうして決着を急ぐから、無茶な攻め方がちらほら見られて……見ているこっちはハラハラで、すごくどきどきしてしちゃうんだ。
「……あぁもう、こっちは余裕がないんだよ。持久戦なんてやってやるかよ」
「ギィ……!」
「……治るなら、治す間もなく倒すだけだ。マグリョウさん仕込みの剣術で、大事なところをずぱっと――――」
「………………ヂィィイイイアアアアアアアッ!!」
そんな中で起こったのは、リスドラゴンの行動の変化。
学習をする最強種の、『サクリファクト対策』だった。
「ガァァアアアアアッ!!」
「うわっ!?」
狙うは一点、『捕食』のみ。
食べて消すという一撃必殺。
お口に入れ、飲み込んでさえしまったのなら――それで勝ち。
余計な攻撃も、そして防御すらもしない。
何しろあのリスドラゴンは、どんな傷でも怪我でも治る『超再生』の異能を持つのだ。
だから、無敵の捨て身で攻める。
些細な傷も、重大なはずの欠損もいとわずに、肉を斬らせて骨を消す戦法に変えてきた。
「ギヂュグギァアアアア!!」
「……な……っ!? あぶねっ!」
それは勿論、サクリファクトだってわかってる。
だから何としてもそれだけは避けようと、口の動きには注視をして。
……それにしても。
サクリファクトが攻めている分にはいいけど、攻められると如実に動きが荒くなる。
それはリスの口を避けなくちゃいけないってこともあるけど、単純にサクリファクトが防御や回避を苦手にしているように見えた。
「ギゥウウ!! ギヂルルルルルゥゥウ!!」
「……くそっ! そういう捨て身戦法は、本来俺がやるやつなのにっ!」
…………そういえばそうだ。
言われてみればサクリファクトは、いつだってそういうやつだった。
時には名をあげるため、時には誰かを救うため。
そうして何かに立ち向かう時、サクリファクトはダメージ覚悟で突っ込んで、自分の身を捨て何かを掴む、決死の自己犠牲を一番の得意としてたんだ。
だから避けたり防いだりするのに、あんまり慣れていないんだ。
だってそんなの、したことがないから。
……じゃあ、そこを突かれたら……危ないんじゃないかなぁ。
「ギィ! ギィィッ!」
「く……っ!!」
「ヂゥ! ヂァアアアアッ!!」
「うおおっ!? 死ぬぅ!」
そうして爪の引き裂きや太い足による蹴りよりも、噛みつきばかりを気をつけているように見えるサクリファクト。
すると意識の外に行きがちなのが、それ以外の部分だ。
麻痺性の毒を持っているらしい ぬらりと濡れるキモい触手が、サクリファクトを蛇のようなしなやかさで襲う。
「ヂルルルルルル!」
「……うわ、超きめぇ…………そんなん食らってたまるかよ」
触手は速い。だけれどサクリファクトのほうが、ちょっとだけ速い。
それを必死に斬り払い、返す刃で地面すれすれを斬り払う。
しかしリスは後ろに飛んで、今度は四足を地面につけ――毛を一斉に逆立たせ、至るところから体毛を射出した。
「ヂ――…………ヂュ!!」
「……今度はそれかよ」
空いっぱいの茶色い体毛。
その先端は地面を指し、雨より速いどしゃぶりで落下を始める。
いくらキャラクターの防御力値が上がっていようと、ああまで尖った針は防げないと考えたのだろう。
それはサクリファクトが鋭い爪を避けるところから読み取ったに違いないんだ。
「ひっ……ははっ……! 当たるかよっ!」
びゅうと砂煙をあげながら、降り落ちる針を避け、リスの側面へ大きく回り込むように動いていくサクリファクト。
そんな彼が通り過ぎたあとの地面にぐさぐさと突き刺さる針は、鋭さと勢いとでお尻まですっかり地中に潜りきっていた――――
――――そんな時。
打ち上がったリスの体毛、その数本が、斜めではなくもはや横とも呼べる角度で飛ぶのが見えた。
その先に居るのは、たまたまそこでサクリファクトを見つめていた……1人の女性プレイヤーだ。
「 あ 」
……まずい、と私が思った瞬間に、その子の近くの戦士がいち早く気づいて走り出す。
だけれどそのスピードでは、どうあっても間に合わなくって。
流れ弾、飛び火、なにかのあおり。
強大な2つの力がぶつかり合った時、それが巻き起こす余波は大きくて、周囲に大きく影響を及ぼす。
これは不幸だ。仕方のない犠牲だ。
……ここに二つ名があったなら、【天球】たる私の力で守れたのに。
そう思うと、やるせない。
「――――っ」
そんな名もなきプレイヤーが死を覚悟して、ぎゅうと目をつむる。
……ごめんね。
『絶対防御』はここには居ない。だから私は、何もできずに見ているしかできないんだ。
そうして心の中で謝って、自分の無力と哀れな被害者に嘆く私の視界の中で。
――――まぶしいくらいに光を放つ、七色の風が吹く。
「……うお~…………やってみるもんだなぁ」
「…………あ、え……?」
あわれな被害者になるはずだった彼女の前に立ったのは、ほかでもない、彼で。
その手の中でちゃらりと音をたてるのは、まとめて握られた鋭い針が、数本。
……あの針を、掴んだんだ。
あんなに細くて、あんなに速く落ちてくるものを。
それをまとめて数本も、横から掴み取ったんだ。
防ぐのが苦手だとか、守るのが不慣れだとか、そうじゃない。
できるとかできないとか、結局できたとか、そういうのでもない。
一切合切の迷いすらなく、数千分の一秒にも満たない刹那の判断で、それをやろうと考えて――――実際に行動してみせたのが、一番すごいって……私はそう思うんだ。
「大丈夫っすか?」
「……あ……は、は、はひっ」
「記念にあげますよ、コレ。3本もあるし、『激レア! ドラゴンの素材!』つって売れば、結構いい金になるかも」
「えっ……え、えと……あの…………その……!」
「そんじゃ、気をつけて」
急な出来事の連続におろおろする女性に、その命を奪うはずだった針を押し付ける。
そしてまた、疾風のように消えるサクリファクト。
そのあとに残されたのは、救われたプレイヤーと、その手に握られた竜素材――茶色い体毛だけ。
……何となくだけど、思う。
きっとあのプレイヤーは、あの針を売ったりしないで、一生の宝ものにするんじゃないかなって。
頬を染めながら針を抱くようにする彼女を見ていると、そうじゃないかなって思う。
◇◇◇
リスが右腕を横薙ぎではらう。
そうした動きと共に体毛を射出して、再び針を打ち出した。
……さっきまでは、空から地面。上から下の降り注ぎ。
だけど今度は、リスからサクリファクトへ一直線の、真横にバラ撒く撃ち出しだった。
「むむむっ!? まずい!」
「あやや……どうしよ」
恐怖を感じる、『線』じゃなくって『点』に見えるもの。
リスの針の先端が真っ直ぐこちらを向いているから、そういう形に見えるのだ。
上から下ではなく、横から横に飛ぶ針。
その先端がサクリファクトに向いているは当然として、その向こう側にいる私たちに向いているのもやっぱり当然のことだった。
「…………ぁ……」
……サクリファクトが避けたなら、きっと私を貫くだろう。それと必ず、彼を応援しているたくさんのプレイヤーたちも。
そうして頭に浮かぶのは、目をそらしたくなるような大惨事だ。
何しろここには、およそ数百のプレイヤーがひしめき合っていて……そして互いに身を寄せ合って、すっかり隣り合っている。
そんなおしくらまんじゅうの戦場では、回避もそうはままならず、針を防げるほどの盾だって滅多にない。
……勝ちにも負けにも影響しない、ただ流れ弾で死んでいく人々。
それはもう避けようのないことで、ひたすら悲しいばかりの結末だ。
「む~」
……チイカの唸り声を聞きながら、ただただ "死にたくない" ってだけを思う。
だけれどそれは、死に戻りやデス・ペナルティを恐れるわけじゃなくって。
サクリファクトの活躍をこれ以上見られないことが、何より悔しかったから。
「――……すんません、ヒレステーキさん」
「オワァ!? オオ!? いきなり出てきたな、オイッ!?」
「ちょっとタテコさん借りますね」
「オォン!? よし! わかったっての!」
「……即答、あざす」
「つってもアレだぞ!? あんまり離れすぎんなよォ……って、もういねぇってのよッ! なんて速さだッ!!」
【脳筋】の持っていた喋るモノリス、その大きくて分厚い『黒い鉄板』を担いだサクリファクトが、その重さを感じさせない軽やかな動きで走り出す。
「……タテコさん、大丈夫っすよね?」
『そ、そりゃあ大丈夫ですけど――――っていうかその前にもう針が目の前に来て――――いくらなんでも速すぎ――……っ!!』
カカカカカ! と連続の金属音。
その鉄板の重さを感じさせずに走るサクリファクトが受け止めたのは、リスの針……その全部だった。
横に長く、広い範囲を薙ぎ払うように飛ばされたリスの針。
それを端からホウキで掃いていくように、全部を『黒い鉄板』で弾いていく。
……どうしてそれをするのかなんて。
そんなの、決まってる。
針がこれ以上、飛んで行かないように。
自分の後ろに居る人たちが、傷つかないように。
…………もう誰も、泣かないように。
「えらい」
「……うん」
――――【聖女】のチイカが優しく笑う。
それはいつもの固まったような笑顔とは違う、本当に嬉しい気持ちで溢れた愛らしい顔だった。
「……俺はもう、何も諦めねぇ」
「ギ……ッ!?」
「だからもう、何も取り零さねぇって――――決めてんだよっ!!」
ごぁん、とけたたましい音がした。
サクリファクトが持った『黒い鉄板』で、リスドラゴンを打ちつけたのだ。
ぐら、とリスが体勢を崩す。
『ナ、ナイスですっ! サクリファクトくんっ! これは効きましたよ! シマリス型にも、そして僕にもね!! ……一応確認なんですが、僕、凹んだりしてませんかね!?』
いくら『超再生』とは言えども、それが起こるまでには数秒かかる。
だからリスの体毛が再生する前に、鎧が禿げてむき出しになった隙を見逃さず、『黒い鉄板』でリスの頭を思いきり叩きのめしたんだ。
いくら外皮が硬くても、きっと中身は柔らかい。
あんなに大きくて重いもので叩かれたら、脳も大いに揺れたに違いない。
その証拠に、リスは目をぱちぱちさせてふらふらだ。
……そんな痛烈な一撃を食らったリスに向かって、『黒い鉄板』に寄りかかったサクリファクトが、諭すように語りかける。
「……なぁ、つまんねーことすんなよ、ボケネズミ」
「ギ…………ィィィィ…………!」
「余計なことして痛い目見るのは、お前だぞ」
「ィィィ…………ッ!!」
「これで懲りろ。そして止めろ。お前がそうしようとするたびに、俺は必ず痛い目に会わせるぞ」
……ただ勝ちたいだけならば、むしろ体毛飛ばしをもっとたくさんさせるべきなのかもしれない。
なにせ今のリスと来たら、毛がないところを叩かれたせいで、あんなにふらふらになってしまっているのだから。
だからきっと、そういう攻め方をメインにするのが上策で……そうすることで勝利はぐっと近づくに違いないのだから。
だけれどサクリファクトは、そうしない。
後ろの誰かが倒れ伏し、その死体に足をかけてリスに剣刃を届かせるような決着の付け方は、彼の求めるハッピーエンドじゃないから。
「俺はもう、何ひとつ諦めない。誰にもつまらない涙は流させない」
「ヂィィ……ッ!!」
「……ゲームってのは、楽しむものだ。だから、ゲームで泣いていいのは……幸せな時だけなんだよ」
……そんなの、ひどい欲張りだ。
だからきっと、この場の誰もが思ってる。
"なんて理想を語るんだ"、って。
"夢を見るにも程がある"、って。
だけど、それでも。
……ううん、そうだからこそ。
"この場にあいつが居て良かった"、って。
"強化を送った相手があいつで良かった"、って。
みんなはそう思っているから、ああして瞳を揺らし、ああして拳を強く握りしめるんだ。
「……サクリファクト…………!」
「…………行けっ! 七色策謀っ!!」
「がんばれ……っ! がんばれっ!!」
「…………」
「……なんだ、【死灰】よ。泣いているのか?」
「……縊り殺すぞ、泣いてねぇ。…………ただ……」
「ただ?」
「…………ただ俺は、あいつと会えてよかったって……そう思ってるだけだ」
「……いたく素直だな。らしくもない」
「自分の誇りを語る時、誤魔化しをする必要はねぇだろう」
「……確かに、そうだな。余も奴と出会えた事は、生涯の財産だ。そして……無論、貴様らもな」
「…………そうかよ」
――――意思があっても力がなくては、ただの夢想にしかなり得ない。
――――力があってもその意思なくては、ただの無双でしかないだろう。
誰かを救うという信念と、それを実現させる力。
そのふたつが揃った時だけ、本当の『英雄』になれる条件は整って。
そうしてそれを実際にしてみせるから、みんなが認める『英雄』は生まれ出る。
「わ、わたしは……っ! 今日があって、良かったっ! リビハをしていて、よかったっ!!」
「……うん、そうだね…………そうだね、【正義】ちゃん」
今ここにあるのは、まったくそういうものなんだ。
……最初から今までずっと、とても大変なことだらけで、くじけて泣いたり悲しんだりしてばっかりだったけど。
それでも私は。
"今日ダイブインして、良かった" って。
"今日までRe:behindをやっていて良かった" って。
"私のRe:behind人生は、最高にすばらしいものだった" って。
心から、そう思うんだ。
「……なぁ、ボケネズミ」
「ギィ…………!」
「そろそろケリをつけようぜ」
「ヂィ……ッ!!」
◇◇◇
「…………」
「…………」
それぞれ力を出し尽くし、できることを手当り次第でぶつけあって、たどり着く。
相手を殺すため、自分が勝つため、戦いを終わらせるために必要な……勝負を決める時間を作る約束事。
「…………」
「……ギィ……」
乾いた風が吹きすさぶ荒野、対峙するのは1人と1匹。
互いに敵対する同士、そういう間柄だけに許された交流で決めた、決着の時。
次で決着。
どちらかが終わり、どちらかが残る。
その緊迫した空気を前にして、誰もがみじろぎすら躊躇っていた。
「…………」
「ヂ…………」
ざり、と地面の砂粒を踏みしめながら、じり、とそれぞれ立ち位置を定める。
緊迫。自分の心臓の鳴る音が聞こえ、一秒が引き伸ばされていくような感覚がする。
……荒野で向き合う一対一。
まるで西部劇に見られるガンマンの決闘みたいだなぁ、なんて。
なんて思ってしまうのも、空気があまりに緊張しすぎているからだ。
心臓がどきどき痛い。きゅうっとお腹が引き締まり、唇が乾いていく感じがする。
…………がんばれ。
がんばれ、サクリファクト。
あなたの背には七つの星が、竜殺しの星座が輝いているよ。
それは私の戦旗と一緒の形で、リビハで一番強いデザインなんだ。
だから、絶対勝てるから。
お願い。
「…………ん?」
サクリファクトが自分の手を見る。
そうして今度は私を見つめ、ほんの少しだけ、笑顔になった。
……なんだろう?
私、何かしたかな?
「……都合もいい。これで最後だ、ボケネズミ」
「ヂィィィ…………ッ!」
……わからない。だけど、そのままでいい。
彼の邪魔はしたくないから。
「……俺とお前、終わるのはどっちか」
「…………」
ひりつく空気。
自分の心音が頭に響く。
にらみ合う両者の視線の間には、何ひとつですらも入ってない。
「……決めるぞ」
「…………ヂ」
互いに足を止め、力を溜める。
……始まる。その一撃にすべてを懸ける、最初で最後の大勝負。
「…………」
「…………」
緊迫。
荒野を撫でる風ですら、息を潜めて吹いているようで。
「…………」
「…………」
そしてその切迫は、いよいよ切り開かれる。
そんな極限の瞬間に。
「…………行くぞ、ドラゴン。俺が【七色策謀】、サクリファ――……」
それは、起きた。
「……あ…………?」
「ギィ……?」
何の前触れもなく、サクリファクトが がくん と体勢を崩す。
それをなんとか堪らえようと足を踏みしめ……だけれど結局耐えきれず。
「……やべ…………」
そうしてとうとう、膝をつく。
力なく取り落した剣が、がらんと虚しい音をたてて地面に落ちた。
……なに? なにが起きたの?
どうしたの。何があったの。
「……マジ……か…………もうかよ……」
「ギィィィ?」
――――まさか。
時間切れ……?
それと、その大きな……あまりに大きすぎる力の、その代償?
光より速いスピードで走っていたということは、その分足を使っていたからにほかならなくて。
リスの攻撃を受け止めたのは、多重の強化があったと言えども、結局は普通で平凡なサクリファクトの肉体で。
竜殺しの力を内包するのは、ようやく中級者になった程度のレベルしかないあのキャラクターアバターで。
…………あぁ、そうなら、もしかして。
サクリファクトが妙に急いでいたのは、やっぱりコレを恐れていたんだ。
その身に余る強化の力、それが自分には過ぎたものだと知っていたから……こうなるってわかっていたから。
だからその前に決着をつけようと、あんなに焦って戦ってたんだ。
「ギィ……! ギヂィ! ギヂヂヂィィィ!!」
「……く……そ…………っ…………俺は…………!」
……なんて、なんてことだろう。
数百のプレイヤーが懸命に込めた強すぎる願い、その強化はすさまじく。
その反動は、一般プレイヤーのサクリファクトには大ダメージで。
とうとう切れた強化魔法と、無理な動きに耐えきれなくなった体が……こんな最悪のタイミングで、悲鳴をあげて壊れ始めた。
…………あと一歩、あともう少し、ほんの数秒で良かったのに。
こんな悪い奇跡が、このタイミングで起きるだなんて。
「…………俺は……俺はぁ…………っ!!」
「ギギャギャギャギャァァアアッ!!」
この上ないほどの隙だらけ。
リスが嬌声をあげて走り寄り、大きな口で捕食をしようとよだれを垂らす。
サクリファクトは動けない。
手は震え、足はもつれ、肩で息をする顔はうつむいて。
終わってしまう。みんなの夢が。
私の大好きな、英雄が。
「ギヂュルゥァアアアアアアッ!!」
「……ひっ…………ひひ……俺は………………」
迫る大口、地面に手を付きぷるぷる震えるサクリファクト。
誰も彼も動けない。
もうリスは、すぐそこで。
サクリファクトは、悲哀にまみれた顔をして…………
「…………俺は、そこから始めたんだ」
……違う。
震えはそのまま。姿勢もそのまま。俯く顔もそのままで。
そうだと言うのにサクリファクトは……七色の光の中でなお爛々と光るその目は。
勝つ意思を、しっかりと輝かせて。
「……俺の『本気でプレイするRe:behind』の物語は、全部そこから始まった」
しゃがみ込む姿勢は、地に付しているのではなく――――狩りを構える獣の姿勢。
膝は地上すれすれに持ち上げ、かかとは上がり、つま先は地面に食い込ませ、手を地につけているそれは――――決戦準備の突撃態勢。
震える体と俯く顔は……これ以上ないくらい楽しそうに、無邪気に笑っているだけで。
「知れ、ボケネズミ。俺の名前はサクリファクト。レベルは中級、装備も安物、普通で平凡なリビハプレイヤーで――――」
……ふと、気づいた。
そういえば、さっきサクリファクトが持っていた『黒い鉄板』は……。
……どこに行ったの?
「ギァガギャグルァガギィァアアアアーッ!!」
「――――職業は、ローグだ」
『……地面に埋めるなんてひどいですよ、サクリファクトくん』
……その声が聞こえたのは、『第9フェーズ』の一番最初。
私と【聖女】のチイカを狙ったリスが転んだ『落とし穴』があったはずなのに、今では何の変哲もない、真っ平らな地面からで。
そしてそれは、サクリファクトとリスドラゴンの、ちょうど対角線上にあって。
――――ガァン!!
高い音が響き渡る。
まるでバットとボールの代わりに鉄の板と石ころで野球をしているかのような、固いもので固いものを打った音。
カーンだかコーンだかの高い音を鳴らしたのは、『黒い鉄板』とそれに打たれたリスドラゴンの鼻頭だった。
「――ヂッ!?」
……私はあれを知っている。この目で見たことがあるんだ。
穴を掘り、その上に硬い板状のものを敷くことで出来上がる、鉄板トラップ。
命がどうにかなるものではないけれど、『踏むものが重ければ重いほど、勢いよく跳ね上がる』っていう仕組みで、何かの突進の威力を抑えるには十分な物。
それは、サクリファクトのパーティが初めて5人でお出かけをした時に出会ったドラゴン、あの『鬼角牛』と戦っている動画の中で使われていたもので。
確か、その動画のタイトルは…………。
…………『ここからはじまる、私たち5人のRe:behind』。
「ひ、ひひっ! はははっ!」
……立ち位置を調整していたのは、丁度いい位置に誘導するため。
……『黒い鉄板』を借りて来たのは、守るためと罠にするため。
……焦っているのを隠さずいたのは、そう思わせて利用するため。
……攻められると弱いように見せたのも。
……ぷるぷる震えて膝をついたのも。
……正々堂々正面からの一騎打ちを始めたのも。
そして、ずっとローグらしくない正攻法で戦っていたのも。
その全部が、ここ一番で決めるために撒いた布石。
今までのすべてがこの時のための――大きな大きな致死性の、罠。
「ハメてやったぞ! ボケネズミィィィィッ!!!」
どん、と爆発するような土煙。
その中から飛び出した、卑劣で邪悪なならず者の彼は。
その思いと、背負った願いと、貫く意思を足に乗せ。
右手に持ったその剣を、前に――――ただ前に、突き出して。
「うらぁあああああッッ!!」
七色の強化が込められた、苛烈な全身突破の一点突撃。
それは全身で一本の槍となり、リスの胸元を貫き穿つ。
「――――……ギィイイイイイイッ!!」
リスの胸元に大きく穴が開く。
『超再生』をする暇もなく、一撃で命を刈り取ったのは――何の変哲もない、『ただの突き』。
「……ギ…………ヂ……………………ィ……」
茶色い巨躯がゆっくりと、スローモーションで倒れてゆく。
そうして遂に、ずずんと荒野に伏した、絶対だったはずの最強種。
それはもう、動かない。
「……うおぉっ! ぐっ、へぇ……っ!!」
……そんな敗北者の向こう側。
情けない声をあげながら、突進の勢い余って地面を転がる勝利者が居た。
ごろりごろりと何回転もして、砂と土で装備を汚し、ようやく止まって座り込む。
「……ひぃ……ぜっ……はぁ……………………はぁぁぁぁ~……」
……息は荒く、どろどろのぼろぼろ。
それでも七色に光っているから、そんな薄汚れすらも輝きに変えて。
それが、これが……あれこそが。
持った力を発揮して、いやらしい策を巡らせて、悪どい罠に敵をはめ。
乱暴な口調と生意気な顔で、心底楽しそうに歯を見せる――――あの彼こそが。
新たな『英雄』。
8人目の竜殺し。
Re:behindを本気で楽しみながら、世界も救う一般プレイヤー。
「…………【七色策謀】此処に在り、だ。ざまぁみやがれ」
片膝をたてて座る英雄が、悪辣に笑って名乗りをあげる。
そして戦場は、爆発のような歓声に包まれた。
◇◇◇




