第七十話 【七色策謀】此処に在り 1
◇◇◇
私の全部を込めた星空の魔法『天球』は、とてもよく働いた。
走る背中に追い風を吹かせ、振られる剣に力を与え、守る意思を後ろから強く支えて、ドラゴンに立ち向かうみんなをきちんとサポートした。
そんな『天球』の強化補助、そして【竜殺しの七人】という名が持つ強力な二つ名効果の相乗作用は、とびきり強くって。
他愛のない傷やダメージを瞬時に回復する『超再生』という、恐ろしい能力を持つリスドラゴンを、なんの危なげもなく倒すことができた。
尻尾3本状態、『シマリスドラゴン第8フェーズ』は、そうしてあっさりと終わりを迎えたのだ。
だから、だろうか。
私たちは忘れてしまっていた。
今戦っている相手が、どういう存在なのかということを。
◇◇◇
「…………吱 吱 吱 iiiiiiiiiiiiiiiIIIIIIIIIIII……ッ!」
復活によって一本消え、残る尻尾は2本となったシマリスドラゴン。
その『第9フェーズ』は、リスが空を仰ぐように顔を上げ、この戦場全部に響き渡るほどの大声で叫ぶところから始まった。
「――……?」
その声を聞いた瞬間、あったもの。
それは強い違和感だった。
……言うなれば、不自由さ。
今まで通りじゃなくなったというおかしさだ。
それは例えば、携帯通信端末のタッチパネルが反応しなくなってしまったような。
あるいは、水道の蛇口をひねったのに水が出て来ない時のような。
そんな "いつも通りではない" という、キャラクターアバターの不調を感じた。
「…………?」
そして異常が現れる。
頭が痛い。体が重い。ひどい耳鳴りがして、普通にしていることが困難になる。
指先に浮かべた無数の『光球』が、制御しきれず暴れ回って、光を失い地面に落ちる。
浮かべた私の星空が、空の向こうへ溶けてくみたいに消えていく。
それにあわててどうにかしようとするけれど、その方法がわからなくって。
……だってこんなこと、今まで一度もなかったから。
「……ぁあ?」
「むっ……むむ……!?」
「お、お……オオオ!?」
『ス、ステーキ……?』
耳鳴りがやまない合間に、あちらこちらから声が聞こえる。
そうして周りを見てみれば、私以外の竜殺したちにも、何かの異変が起こっていた。
「何……?」
【死灰】の『灰で作った左手』が、さらさらと地面に流れて落ちた。
「あわわ…………な、なんか……お、お、おかしいぞっ!?」
【正義】の真っ赤なオーラが消えて、クリムゾンが鎧の重さによろめいた。
「ヌワーッ!?」
『ど、どうしました!? ステーキ!?』
【脳筋】は『黒い鉄板』を支えきれずに、押し潰されて下敷きになった。
「……何だ、これは。魔法が出ん。いや、出ないという訳ではないが……小さい物しか発現させられぬ」
【金王】が手をかざして、その男らしからぬごく普通の魔法効果に困惑顔を浮かべた。
何かをされた覚えはないのに、確かに感じる身の不調。
簡単に言えば、"今まで出来ていたことが、今、出来なくなった" という、不測の力不足。
……『ステータスの低下』、という仕組みは確かにある。
それは死んでしまった時のデス・ペナルティがまさにそうだし、その他だって『力が抜けてしまう魔法』や『行動を制限する技能』だって普通にあるのだから。
でも、これはそういうものじゃない。
数値を少しいじる程度のことじゃあなくて、もっと大きな何かの喪失だ。
そんなよくない我が身の変化に、誰もがひたすら戸惑うばかりでいる中で。
桃色の髪を揺らす【殺界】も、首を傾げてぽつりと言った。
「……おかしいなぁ」
「…………?」
「ほら、またハートのAやよ。不運の象徴たるボクがカードを引けば、いつでも必ずジョーカーが出てたっていうのにさ」
「…………」
「……イヤだねぇ。ボク、運がよくなっちゃったみたいやよ」
運が悪いから【殺界】。そして、【殺界】だから運が悪くなる。
そんな彼女は今、運が良くなってしまっている。
……みんなに訪れている変化とは、それと同じようなものだ。
灰の操作が出来なくなった【死灰】。
ヒーローのオーラを失った【正義】。
筋力が並に戻ってしまった【脳筋】。
そんな風に、この場の【竜殺しの七人】が持っている最大の特徴が、のきなみ消えてしまっている。
「それって、まさか……」
「……うん」
……どきりと、ゆっくり、心臓が跳ねた。
確信じみた嫌な予感に、思わず独り言を呟いてしまう。
それに頷く【殺界】は、とても悲しそうに眉を下げ、ピンクのハートが描かれたカードを見せながら言った。
「『二つ名効果』、消えちゃったみたい」
「ギヂゥゥゥ…………」
【殺界】の言葉に頷くように、リスドラゴンが低い声で鳴く。
それを聞く私は、スピカ。
【天球】でもなく【竜殺しの七人】でもない、ただのスピカで、ただのプレイヤーになってしまった。
だから、なのかな。
今まで何度も聞いたはずのその唸り声が、世界で一番恐ろしいもののように聞こえてしまって。
足の震えが、止まらなかった。
◇◇◇
「……馬鹿じゃねぇのか。クソボスすぎんだろ」
「こんな……こんなのって…………どうして……っ!」
「ウヌゥ……ッ!!」
私たち七人は、Re:behindのトッププレイヤーだ。
だから、わかる。わかってしまう。
ここで何が起こっていて、自分たちが今どういう状況にあるのかを、否が応でも理解してしまう。
……異常は『二つ名』、その効果が消えたこと。
原因はきっと、『第9フェーズ』の最初にリスドラゴンが見せた、あの咆哮だ。
なにせそれ以外には何もなかったのだから、そうに違いない。
あの叫び声に何かの特殊な力があって、それが二つ名の効果を消したのだ。
つまりその叫びこそ、今回のリスの復活強化。
不具合やバグなんかじゃなくって、リスドラゴンが『ピンチになると二つ名を無効にする』という仕様のボスであった、というだけなのだと思う。
……だから、わかっちゃうんだ。
「ギゥゥゥ……」
「……チッ……」
「…………あ……うぁぁ……っ!」
「ヌゥ……」
リスと目が合い、七人全員が自然と後ずさる。
頭も体もわかってる。だからこうして、反射反応のように怯えてるんだ。
私たちが拠り所にしていた、唯一のドラゴンに抗う手段。
【竜殺しの七人】という二つ名が、他でもないドラゴンに無効にされてしまった。
……私たちは今、『世界が決めた竜殺し』ではなくなった。
だからみんな……あのふてぶてしい【死灰】も、正義のヒーローである【正義】ですらも、わかりたくないけどわかってしまって、認めたくないけど認めてしまう。
勝てない、って。
わかりたくないけど、わかってしまうんだ。
「ギヂィィ…………ッ!」
「…………っ」
リスが構える。四つん這いの低い姿勢は、突進をする準備だろう。
そんな危機を前にして、どうしよう、どうしようって、それだけがぐるぐる頭を回る。
防御? でも、どうやって守ればいいのかな。
【天球】の効果を持たない私には、無数の『光球』を自在に操る力はない。
それをたくさん並べて作る星座のバリアなんて、今の私に出来っこない。
補助? でも、それだって同じことなんだ。
二つ名効果ありきで作っていた満天の星空は、今の私には描けない。
出来ることといったら、精々20程度の『光球』で、誰か一人を少しだけ強化するくらいしか出来なくて、そんなの何の意味もない。
どうしよう。どうにかしないと。
でも、私には何も出来なくって。
「…………っ」
ふと、空を飛ぶカブトムシが目に映る。
その上にいるのは、まめしばさんと……小さくなったタコを抱くロラロニーちゃんだ。
……大きかったタコは、すっかり小さくなっちゃってる。
それにあのカブトムシだって、ふらふらがくがくと今にも墜落してしまいそうで。
どうしよう。
どうしたら良いの。
こっちのドラゴンももう駄目だ。援軍のタコも小さくなった。恐竜たちはどこにも居ない。
こんな絶望的な状況で、【天球】でも【竜殺しの七人】でもない私は、今、何が出来るの。
「……あ……ぅぅ……」
…………わからない。何も思いつかないよ。
空に浮かんだ『光球』が、私の焦りを反映させて、またひとつ光を失い地に落ちる。
そうだというのに、私はこんなに困るばっかりなのに。
リスのドラゴンは待ってくれない。
「ヂァァァ…………ッ」
「…………っ!」
早く、早くしないと。
でないとあいつが、来てしまう。
強くて怖くて人を消す、絶対勝てないレイドボスが、私を食べにやって来るんだ。
そんなのやだ。
死にたくない。
消えたくない。
ここで終わりにしたくない。
……逃げなきゃ。
いつも乗っていた『大きい光球』を生み出して、急いでこの場を離れるんだ。
だってこんなの、もう無理だよ。
「――――『光…………」
……だけど、それすら出来なくて。
毎日のダイブイン後に必ず呼び出していた『大きい光球』を願う言葉は、途中で詰まって止まってしまう。
わからない。
魔法の出し方が、『光球』の作り方が。
私は今まで、どうやって出していたのだろう。
願って、想って、考えて……その後は、どんな風にして完成させていたのだろう。
わからない。わからないんだ。
【天球】じゃない時代のやり方は、すっかり忘れてしまったから。
だってそんなの、当たり前なんだ。
私はずっと【天球】で、それは絶対変わらないはずだったんだから。
だからもう、普通のやり方なんて。
そんなのすっかり覚えてない。
二つ名を失った私には、たかがひとつの『光球』でさえ、使い方がわからない。
「ギィィィ……! ヂィィァァアアア……ッ!!」
「…………」
「…………」
「…………」
……もう何も出来なくて、喋ることさえ忘れてしまう。
それはここに居る私たちだけじゃなくって、誰も彼もがそうだった。
効果の大きいもの、そうでないもの。
それぞれ強さは違うけど、確かに存在していた、大勢の二つ名持ちプレイヤー。
そんな彼らも自身の異常に気がついて、そこからこの場に起きた『二つ名効果の喪失』という答えにたどり着き、状況を理解したのだろう。
【竜殺しの七人】が、消えたこと。
ここに居たはずの『竜殺したち』は、もう居ないこと。
そんな絶望的な状況を、しっかり把握してしまったんだ。
「…………」
「…………」
誰も何も喋らないけど、そうだからこそ伝わってくる。
"もう駄目だ" という嘆きの思いと、"もうおしまいだ" という諦めの思いが。
そんな沈黙の嗚咽が響くこの戦場は。
まるで世界に誰も居なくなってしまったみたいに、しんと静まり返っていた。
◇◇◇
「ギィィ……」
「…………」
「ギガガギャガガアアアアッ!!」
力を奪われ、心を折られ、すべての希望は潰えて消えた。
そんな決着がついた戦争で、本当の終わりがやってくる。
お腹をすかせたリスドラゴンが、私めがけて駆けてくる。
背中の触手をびゅるびゅる揺らし、大きな口はよだれを垂らして、黒い目を愉悦の色で染め上げて。
……怖い。怖い。怖い。
私が死んじゃう。スピカが消えてしまう。
早く逃げなきゃ、食べられちゃう。
だけど体が、動かない。
それどころか、立っているのか座っているのか、手と頭と体と足がどこにあるのかも、よくわらかない。
恐怖と無力のパニックで、私は私ががどうなっているかも、わからない。
……誰か。
誰か、教えて。
このゲームって、どうやって動くの。
どうすれば歩けて、どうすればリスから逃げられるの。
『…………あ……っ!』
「ス……スピカっ! に、逃げ…………っ!」
黒い瞳が私をとらえ、大きな口が迫りくる。
地面に落ちていた『光球』が、リスに踏まれてぱりんと割れた。
それがこれから私に起こる未来を暗示しているようで、心まで一緒に踏み潰されるような思いだった。
……涙が溢れる。
腰が抜け、立っていることすら出来なくなって、地面にへたりと座り込んで――そこでようやく『自分が立っていた』ということに気づく。
…………足を動かすことも出来ないくせに、涙は流せた自分に呆れて、乾いた笑いが湧いて出た。
そんな自分の惨めさが、ことさらに涙を零させた。
「ギヂガァァアアアアアッ!!」
「…………ひぅ……」
……終わっちゃう。消えちゃう。もうおしまいだ。
せっかく見つけた、私が私でいられる場所だったけど。
名前を消されて、個性を消されて、翼をもがれて。
この世のどこにも希望なんてないんだって、そう言い聞かされて潰される。
……悔しいけど、仕方ない。
現実でも仮想でも、世界というのはいつだって、そうして残酷なものなんだ。
一生懸命苦労したって。
ひたむきに努力したって。
命をかけて積み上げたって。
その先に待っているのは、"諦めろ" という冷たい声ばっかりなのが、世の常で。
私たちはずっと、こうして最後に諦めるため、今まで生かされているだけだった。
今から私は、この仮想世界から消えていく。
何も残せず、何も出来ずに、つまらないまま死んでいく。
それが私の……私たち弱者の持って生まれた運命。
最初から何にもならないと決められていた、予定調和の転落人生。
これが私の、Re:behind。
……あぁ。
現実も仮想も、おんなじだ。
なりたいものになんかなれやしない。夢も希望もありはしない。
生まれた時から無駄だと決まった、死に行くためにある時間を……誤魔化しながら食い潰しながらに生きるばかりの世界でしかなかった。
私はどこでも、何でもない。
世界に必要ともされないし、誰かの記憶にも残らない。
何も救えず、何も成し得ず、あとに何かを置いていくことも出来っこない、居ても居なくてもいい人間だった。
悲しい。
人生って、最悪だ。
私はもう、いやだ。
もう、生きて行くのが、いやだよ。
「……だいじょうぶ」
「………………」
そうして顔を覆う私の頭を、ふわっと包む柔らかさ。
それは甘い香りと、暖かさと、優しさに溢れていて。
思わず目を開いてみれば、ぼやけた視界に映る、白。
【聖女】のチイカが優しく笑って、私を抱きしめていた。
「だいじょうぶ」
「……で、でも……私は、もう…………」
「だいじょうぶ」
私の体に細い腕を回して、強く、だけれど苦しくはないくらいの力で、ぎゅうと抱きしめられる。
それと一緒に背中を撫でる手は、子供のように小さいけれど、お母さんのように暖かくって。
……そうして私を大切にしながら、あどけない声で、囁く。
「……さくりふぁくとが、いるから」
「――――ギッ!?」
……チイカが笑顔で指をさし、リスドラゴンが地面に転ぶ。
その足は地中に埋もれるようになっていて、そこでようやく落とし穴にハマったことを理解した。
……いつ掘ったのかな。
「一個貰うぞ、スピカ」
「…………ぁ……」
そんな罠を設置した黒い男が、いつもの調子で声をかけてくる。
そして地面に落ちた私の『光球』を拾うと、穴から這い出ようとするリスドラゴンに、全力で放り投げた。
「うらぁ!」
……ぽこ、と間抜けな音を出し、リスの頭に当たった『光球』。
それはひとつのダメージも与えていないけど、決闘の合図としては十分だった。
戦う意思を示したサクリファクトを、リスがいぶかしげに睨みつける。
「……ヂィ?」
「俺が相手だ、リス野郎」
「ヂィ…………!」
誰もが終わりを覚悟して、後ずさりをする戦場で。
それでも決して諦めず、戦う意思を足に乗せて立ち上がったのは。
何の変哲もない平凡な男と、それを信じる【聖女】の2人きりだった。
◇◇◇
「……行くぞ」
「ギィィィィィ……ッ!」
……どうして。
「おらぁ!」
「ギィ!!」
どうして。
「……くっそ、あぶねぇなぁ」
「ギヂァァッ!!」
どうしてここで、立ち上がれるの。
「おいおい、ワンパターンだな。さっき見たぜ、それ」
「ギヂィッ!!」
もう、勝てる見込みなんてないのに。
何もかもが意味もなく、全部が全部無理なのに。
ここに居るトッププレイヤーの私たち、その誰もが絶望に苛まれ、うつむくばかりしか出来ないでいるのに。
「――――って、疾……っ!? うおおお!?」
「ヂゥァアアアッ!!」
あなたは、サクリファクトは。
レベルも低くて装備も弱くて、才能もセンスも持っていなくて。
…………そんなに、そこまで、弱いのに。
なのに、どうして。
どうしてあなたはそうやって、諦めないでいられるの。
「くそ……いてぇ」
「ヂ、ヂ、ヂ」
「チイカっ!」
「……ひーる」
「……ヂィィ~?」
リスの爪が掠めただけで、信じられないくらい吹き飛ぶサクリファクト。
そんなあいつに白い【聖女】が、癒やしの光を飛ばして治す。
ぽわっと浮かんだエフェクトは、ずいぶん小さく、儚く見えた。
きっと、二つ名効果が無いからだ。だからヒールも弱々しいんだ。
「……いやいや、弱すぎるって! もっとぐわ~っとやれよっ!」
「ひーるっ」
「……うおおぉぉ…………こ、今度は強すぎ……るけど…………まぁいいや」
「……わがまま」
「はぁ? お前が下手くそなのが悪いんだろ」
「……むぅ」
……そうだというのに。
ちょっとの攻撃で大ダメージで、サクリファクトの攻撃は全然効いていなくって。
それだけでも十分勝ち目が見当たらないのに、その上リスは『超再生』で常時治り続けているっていうのに。
気持ちだけでどうにか出来る世界じゃない。
"諦めない" だけじゃ、絶対勝ち目なんてない。
世界の管理者が、運営が、私たちの負けだと決めているのに。
……そんなことくらい、サクリファクトならわかっているはずなのに。
どうして諦めないのかな。
涙を流すことしか出来なくなった私には、その答えなんて、見つかるわけもなかった。
◇◇◇
「…………」
「はぁ……はぁ……」
「…………」
「ギィィィ……!」
「…………」
「…………」
……静寂の中、サクリファクトとリスの声だけが聞こえる。
いつしかこの戦場は、その2つが響くだけになっていた。
「――――『我が二枚貝』っ、『ヴァイヴァー』っ!」
「ヂッ!? ……ギヂィィッ!」
「ぐっ……はぁ……っ…………うぁぁ……」
見つめているのは、私たちだけじゃない。
日本国側のプレイヤーも、ラットマンの大軍勢も、リザードマンも誰も彼も。
みんな揃ってサクリファクトとドラゴンを見つめて、戦いの手を止めていた。
「……うらぁ!」
「ギ……ッ!? ィィィイイイッ!!」
吹き飛ばされたサクリファクトに、リスドラゴンが襲いかかる。
それを待っていたかのように、サクリファクトが砂を掴んで投げつけて、目潰しをしながら必死に這って距離を取る。
……服はズタズタ、髪の毛はぼさぼさ、全身は血と砂まみれ。
手に持った剣だって、欠けてしまってぼろぼろだ。
だけど、それでも、その男は前を向く。
どう足掻いても勝てない相手に食らいつき、歯を噛み鳴らして抗い続ける。
「…………」
……もう、いいよ。
そんなことをしても無駄なんだ。
諦めなければいつか絶対――――なんて、そんな話じゃないんだよ。
これはもう、そういう仕様で、すっかり決まったことなんだ。
自宅のドアノブに自転車の鍵を差し込もうとするように、自分で設定したパスワードとは違う物を入力し続けるように、そもそもがどうしようもなく間違っているのだから、どうしたって無理な話なんだよ。
二つ名の能力も、竜殺しの力も失われた私たちには、どうやったって勝てる可能性はないんだよ。
……だからもう。
もう、やめて。
そんな無意味な頑張りは、格好悪いだけだから。
疲れて、痛くて、苦しくて、何の見返りもないまま……ただ辛いまま終わって行くだけだから。
「がぁぁぁっ!!」
「ギヂィィィィッ!!」
「ふ……っ…………うぅ…………」
……何をしても傷がつかず、何をされても大ダメージになる。
そうして戦っているサクリファクト本人が、"勝てない" ということを一番理解しているはずなのに…………それでも止めない姿を見つめて、嗚咽が溢れて止まらない。
その無駄を続ける必死の形相から、それをする理由が、サクリファクトの気持ちが――――"リビハを諦めたくない" っていうひたむきな思いが、強く強く伝わってくるから、見ていてつらくてたまらないんだ。
……うん、そうだね。
……わかるよ。そうだよね。
私だって、そう思うよ。
努力は必ず実を結ぶって、そう信じたいのはとってもわかる。
そういう素敵な世界だったらいいなって、思い込みたい気持ちもわかる。
……でも、もう気づいてるでしょう?
ここはそうじゃないんだよ。残念だけど、そうじゃなかったんだよ。
だからもう、駄目なんだ。
残された可能性なんて、何もないんだよ。
あなたがどれだけ小賢しくって、どれだけのことを乗り越えて来たのだとしても。
ここに居るのは絶対不滅のドラゴンと、それに勝てないように作られている、ただのプレイヤーでしかないんだから。
「……ふぅ…………はぁ……っ」
「ヂィ……!」
だからもう、いいから。
◇◇◇
「あぁ……きっつ……」
「ギヂァァァア…………ッ!」
「……でも、まだだ。俺はまだやれるぞ」
「ヂィィィッ!!」
もうやめて。
◇◇◇
「……ふぅ…………ぉぉおおおおっ!!」
「ギヂガギァァアアアアッ!!」
……意味なんてないから。
…………やめてよ。
◇◇◇
「ぐ…………ぐぅぅぅ…………うぅぉおああっ!!」
「ギィギゥウウウウウウ!!」
もう……いやだ。
……お願い……サクリファクト……お願いだから。
もう、おしまいに、してよぅ……。
◇◇◇
◇◇◇
「うらぁぁああ!!」
「ギギギギギギィィィイイイイッ!!」
永遠のように終わらない、サクリファクトの無駄な抵抗。
それはただ痛ましく、見ていられないくらいに敗色しかない戦いで。
……もう、つらくてつらくて耐えられなくて。
いっそのこと、ダイブアウトしちゃおうかな……なんて考えていた。
その時だった。
「――――……『速度増加』」
…………小さく、誰かの、声がした。
思わずそちらを振り向く。
それは茶色いローブを身にまとう、名前も知らない女性プレイヤーの声だった。
「……やっちゃえ……っ」
そんな魔法師の人が、あまり出来がいいとは言えない杖をサクリファクトに向けていて。
その先端の魔宝石から飛び出た光が、サクリファクトの体をぼんやり明るくさせた。
それを受けたサクリファクトが、ほんのちょっとだけ早く動いて、リスの攻撃をギリギリで回避した。
「……『パワー・エキストリーム』」
また、声がした。
同じくそちらを見てみれば、やっぱり知らないプレイヤーだ。
そんな男性がかざしたタリスマンが輝いて、サクリファクトを光らせた。
「ぶっ飛ばせ……っ!」
それを受けたサクリファクトは、剣を持たない左手でリスの腕をパンチして、ほんの僅かに爪の軌道を変えさせた。
「……『妖精の加護』」「『マジック・シェル』!」
声は増え、光が飛ぶ。
それがサクリファクトへ飛んでいき、そのたびに彼を光らせる。
「『筋力増強』ッ!!」「――――『アイアンスキン』」
静かだったはずの戦場に、誰かの声がこだまする。
技能や魔法を発現させる願いの声が、ほとんど同時に、とてもたくさん聞こえ始める。
……それは全部が、とても小さいものだった。
だけれどそれは、ちっぽけだけど確かに光って――――そのすべてが一直線に、サクリファクトへと向かって行って。
そうしてそれを受けるたび、サクリファクトはひとつずつ、出来なかったことが出来るようになって行く。
…………これは、強化?
「『体力アッパー』!」「『ステッパーズ・ステップ』っ」
「『カミツレを揺らす青い風』」「『エン・サンダー』!!」
……スタミナを増やすスペル。足を早くさせるスキル。
……矢を避けるスペル。武器に雷をまとわせるスペル。
その他にも、聞き覚えのある名前のスキルや、まるで聞いたことのないオリジナルのスペルを叫ぶ声。
それはとめどなく空を飛び交い、サクリファクトに吸い込まれるように入って行く。
…………なに、これ。
「きれい」
「……うん」
私を抱いたチイカが呟き、私も静かに同意した。
数えきれない願いの光。効果や好みで変わった色は、きっと生み出したプレイヤーの色なのだろう。
そんな色とりどりの強化の光が、ドラゴンの前に立つひとりに向かって注ぎ込まれる。
それはとっても幻想的で、切ないくらいに綺麗な色彩だった。
まるで十人十色のプレイヤーたち、そのもののが光となっているように。
私は、知らない。
こんなの、見たことない。
「……なんじゃこら。無数の強化をたった1人に向けてんのか?」
「あ~、なる。盲点だな。試そうとしたこともなかったわ」
「ははは、試すも何も、俺らじゃ出来ねーって。クソほど頭数が必要なんだし。はははは」
「……あぁ、そうか」
「おもしれーなぁ、あぁ、おもしれーわ。再現性も限りなくゼロに近くて、その上MMOでしか見られないやつだ。ははは、あ~、クッソおもしれーなぁ! やっぱ今日来てよかったなぁ! はははは!」
「……テンションぶち上がっとんなぁ、"****"」
「なぁ、お前らも強化飛ばせよ。ゲーマーとしてはこうするとどうなるのか、是非とも知っておきたいだろ? なぁ? ははは」
「せやな。『ホ12番』」
「『ホ16番』」
ガチ勢たちがゲーマー目線でおおはしゃぎをし、流れに乗じて色気のない強化スペルをキャストする。
その間にも絶え間なく、戦場全体から虹色の光が集まり続けて。
「『ネイチャーズ・タッチ』」「『頑強体躯』」
「『破邪神紋』!」「『マニピカット』~っ」
「『ウゥス・マニ』」「……『神託の祈願』」
……綺麗で、素敵で、夢のよう。
だけど何より私の胸をうっているのは、その光たちの行き先だ。
広い戦場のあちこちから、同時に放たれ始めた強化の力。
それはガチ勢たちのように代表者の号令があった訳でも、指揮者から命令が出された訳でもない。
たくさんのプレイヤーたちが独断で、思い思いにしているだけだ。
……そうだというのにも関わらず、その光が向かう先は――――ひとつの例外もなく、サクリファクトだけに向かって行っている。
MMOらしく、多人数が同時何かをしている中で。
MMOらしく、全員がやりたいようにしている中で。
MMOをプレイする全員が、同じ思いを、同じ対象に向けている。
そんなこの光景が、私の胸を強くうつんだ。
「……ふぅぅ~~…………っ」
戦う力を信じるならば、ここには【死灰】のマグリョウがいる。
救う力を求めるならば、ここには【正義】のクリムゾンがいる。
そのほかだって、ガチ勢の人や有名なPKのような、トッププレイヤーと呼ばれる特別な人たちが、ここにはたくさんいる。
だけど、それでも選ばれたのは、ただの一般プレイヤーであるサクリファクトだった。
……それはきっと、あいつがみんなの代わりだからなのだと思う。
一般という無個性。普通という平均。
言い換えればそれは、『誰にでも似ている』ということだ。
サクリファクトは、貧乏性だ。
だけどたまに贅沢もするし、思わぬ衝動買いもしちゃうタイプだ。
サクリファクトは、デリカシーが無い。
だけど人に気を使えるし、思いやりだってそれなりにある。
サクリファクトは、ひねくれものだ。
だけど正義感も持っているし、時には真っ直ぐな言葉を言ったりもする。
特別なことはない。全部ありがちで、ありふれた気質。
そんな平凡さに、誰でも自分に似た所を感じてしまう。
無個性という名の個性、平均というオリジナリティ。
それをサクリファクトは持っていて、それこそがあいつの特徴なのだと思う。
……そして、そんなモブなあいつは。
竜殺しの力もなければ、レベルも装備も弱々しいのに――――それでもひらすら前を向き、誰かを信じ、何かに寄り添い、そして絶対諦めないという強い気持ちだけで、ドラゴンと戦い続けていた。
誰だって、なれないものには夢を見ない。
マグリョウは天才だし、クリムゾンだってきっとそう。
だからきっと大半の人は、その2人を "格好いいな" とは思っても、"アレになりたい" とは思えない。
だって、なりたくたってなれないのだから。
だけどサクリファクトはそうじゃない。
平凡なあいつのやっていることは、誰にでも出来る "ただ頑張った" ってだけだった。
その程度のことをするだけで、恐怖のドラゴンとも渡り合えるんだって……そう身をもって証明してくれた。
サクリファクトがして来たことは、頑張れば誰でも出来ること。
だから誰もが自分と重ねて、彼の活躍を夢に見る。
"サクリファクトに出来るなら" って、自分の可能性を膨らませるんだ。
このRe:behindが、なりたい自分になれる世界であって欲しいから。
だからみんな、自分の可能性をサクリファクトに託すんだ。
……自分と似ているプレイヤーが、英雄になれたらいいなって、そう思って。
だからこうして誰しもが、自分の信じる強化のスペルを、サクリファクトに届けているんだ。
「…………」
私も、そうだ。
心の底からそう思う。
最初から決められた英雄なんて、応援したくない。
運だけでのし上がった人をすごいなんて言いたくない。
贔屓や忖度で作られた勇者なんて、私は見たくないんだ。
私たちは――――ネットゲームのプレイヤーは。
自分にも出来そうなことをした人を、英雄と呼びたいんだ。
だから私も心のままに、サクリファクトに夢を見よう。
「…………光、球……っ」
声が震えてしまうのは、涙で揺れるわけじゃない。
頑張るあなたの背中に向けて、とっても強く願っているから。
……動かせる『光球』は、10もない。
それじゃあ星座は作れない。
だから私は、星を浮かべる。
私が見てきた英雄たちの色を持つ、何かに尖った七色の星たちを。
それを強化の力に変えて、一般プレイヤーのサクリファクトに、動けない私たち七人の力を預けて、私たちの可能性を託すんだ。
……漢字二文字でぽそりと喋って、星に願いを込めて飛ばす――――どこまでもRe:behindのスピカらしいやりかたで。
「……『正義』」
持った効果は『身体能力の上昇』。ひとつきりの赤い星。
笑ってしまうくらい派手に輝く、私が見てきた戦女神の星。
そんな赤星をペンで動かし、サクリファクトの背中に浮かべる。
「……『脳筋』」
持った効果は『筋力値の上昇』。ひとつきりの茶色い星。
重力に逆らうように雄々しく浮かぶ、力強い戦士の星。
そんな茶星をペンで動かし、サクリファクトの背中に浮かべる。
「『殺界』」
持った効果は『幸運値の上昇』。ひとつきりの桃色の星。
不規則に、明るさも逐一バラバラな、おどけたトリックスターの星。
そんな桃星をペンで動かし、サクリファクトの背中に浮かべる。
「『金王』」
持った効果は『魔法攻撃耐性』。ひとつきりの金色の星。
絢爛豪華な輝きの残滓を、あちこちに振りまく覇者の星。
そんな金星をペンで動かし、サクリファクトの背中に浮かべる。
「『聖女』」
持った効果は『体力回復力上昇』。ひとつきりの白い星。
シンプルで優しい、過去から未来までずっと変わらない明るさを、地上へ注ぎ落とす、祈り子の星。
そんな白星をペンで動かし、サクリファクトの背中に浮かべる。
「『死灰』」
持った効果は『すばやさ と 器用さの上昇』。ひとつきりの灰色の星。
色味も何もないけれど、だけれど何よりはっきり輝く、決してブレない孤狼の星。
そんな灰星をペンで動かし、サクリファクトの背中に浮かべる。
……そして、最後は。
ひとつきりの紫の星。
消えそうになったり、落っこちそうになったりしながら、太陽に恋焦がれてくるくる回ったりする、ちっちゃくて不安定な私の星。
持った効果は……特に無い。
きらりと紫色に光るばかりの、ただのお守りでアクセサリーだ。
……だけれど、思いは一番強い。
私があなたに向ける気持ちを、その星に精一杯詰め込んだから。
そんな願いを星に込め、サクリファクトに向かって飛ばす。
その星に【天球】じゃなくて、私の名前を付けて。
「……がんばれ、サクリファクト――――『乙女』」
「…………」
「……あ」
リスを真っ直ぐ見つめる彼が、全身を滅茶苦茶な色に光らせながら、左手で私の星をキャッチする。
星を掴んだ左手から、流星痕のようなが光のラインが溢れ出す。
そうしてサクリファクトは、光る拳を強く握って……こちらを振り向くこともなく、だけどしっかり私に向かって、言った。
「――――任せろ」
ぎゅ、と胸を締め付けられるような感覚がした。
顔が熱くて、無性に恥ずかしくって……座ったままみじろぎをする私をチイカが不思議そうに見つめた。
……リスに向かって駆け出していく、サクリファクトの背中を見つめる。
時々、たま~に、本当に極稀にだけど……決めるべき時にああしてちゃんと格好いいのも、あいつらしいのかな、と思った。
――――どこかの誰かのテーマカラーをその身に受けて、強化の光で七色に輝く、一般プレイヤーの代表者。
――――百のスキルと千のスペルを身にまとい、みんなの理想を代わりに叶える、たくさんの夢の請負人。
多人数同時接続における、普通で平凡で最強なモブキャラクター。
二つ名はもう消えちゃったけど……【七色策謀】は、ここに居る。
◇◇◇




