第四十八話 覚める夢 中
◇◇◇
「……タ、テコぉ……ぉぉ……」
「…………」
「……あぁぁ……あああああぁ……」
――――タテコさんが消えた。
まるでプレイヤーのように動き、人間のように喋る召喚獣であった彼が、跡形もなく消え去った。
……先程と同じであるはずのこの場所が、ずいぶん広く……なんだかぽっかりと穴が開いたようにすら感じる。
それが5メートルほどもある彼が消えたせいなのか、それとも1人の友人がこの世界から居なくなってしまったからなのかはわからない。
わからないけど、とにかく。
俺は心にぼんやりしながらとても大きい、寂しさのような……喪失感のような情動を感じている。
「タ……テコ……タテコぉ…………ッ」
しかし、それを俺が言うのは生意気って物だろう。
そういう話をするのであれば、ヒレステーキさんのほうがよっぽどなのだろうから。
【脳筋】ヒレステーキさんが喚び出した存在である、タテコさん。
そんな召喚主と召喚獣は、途方もないほど長い付き合いで、いついかなる時も一緒だったと聞く。
そんな半身とも呼べる相棒が――今、消えた。
そしてそれは恐らく、二度と元には戻らない。
"死別" という概念が無い世界での、本物の "離別" がここで起こったんだ。
悲しむのも当然だし、それを邪魔する権利は誰にもない。
「え……あの、あの……ど、どういう事なのだ……? 召喚獣が一体なんだと言うのだ? どうしてタテコ殿は、急に居なくなってしまったのだ?」
「……どうしてだろうねぇ」
「それに今のエフェクト、ダイブアウト時の物とは違うものに見えたぞ? タテコ殿は一体何をしたのだ?」
「……何をしたんだろうねぇ」
「何がなんだかわからないぞ……? タテコ殿はいずこに? 召喚獣って何のこと?」
「…………あのね、正義ちゃん? 今はあんまりお喋りしないで少しだけ黙っていたほうがいいんじゃないかなぁって、ボクは思うんだけど……」
クリムゾンさんが頭に浮かんだ疑問をそのまま口にし、"ジサツシマス" がそれをたしなめる。
彼女は考える前に口に出し、悩む前に行動を始める人だ。
そんな彼女がこうも複雑な状況に出会ったら、混乱するのも道理だろう。
「で、でも……色々よくわからないのだ。タテコ殿は何かスキルを使ったのか? 彼が姿を消す瞬間、編みぐるみがほどけるような感じになって……? あれではまるで、プレイヤーがリスポーン地点に帰って行く姿のようだったのだ。……はっ?! ま、まさかタテコ殿は、死んでしまったのか?」
「…………ッ!!」
……しかし。
そんな彼女の悪気のない言葉は、この場においてとても残酷な刃になる。
"彼は死んでしまったのか"。
それはVRMMOにおいてよくある話。
死んでも生き返れる世界での、ひとつのバッドステータス。
もし本当にそうだとしても特別に悲観する事のない、仮想世界の日常だ。
だからクリムゾンさんは、何の気負いもなくその言葉を口にしたんだろう。
……そしてある意味その表現は、紛れもない真実だった。
ただ体力がゼロになった訳じゃなく、リスポーン地点に死に戻る訳でもなく。
ドラゴンに食べられてしまったプレイヤーに訪れるものと同じ、もう取り返しのつかない状態。
"消去"。
タテコさんは、そうなった。
死がない世界で、本当の意味で死んでしまったんだ。
――――と。
「――……ウ……ウウウッ!! ウアアアアアーッ!!」
「――!? ……ぐっ!」
そんな中で不意に訪れた、大きな衝撃。
とんでもない力の何かが俺にぶつかり、思いっきり吹き飛ばされる。
「かは……っ!」
ごろごろと転がりながら、左頬に火傷したような熱さを感じる。
良かった。俺の顔はまだある。
首が胴体からもげたかと思ったぜ。そう心配になるほどの強烈さだったんだ。
これが【脳筋】のパンチか。まるで交通事故にでも遭った気分だ。
「な……!? サ、サクリファクトくんっ!! 何をするのだ! ヒレステーキよ!!」
「……チッ」
「アアアアアアアアアァァァッ! お前が……ッ!! お前がァァッ!!」
全身から湯気をあげ、茶色い体をうならせて、ヒレステーキさんが突進してくる。
思い切りぶん殴られて吹き飛ばされた俺を目指して、真っ直ぐに。
それに驚くクリムゾンさんと、忌々しそうなマグリョウさんが見えた。
……それと、その奥で立ち上がったチイカの姿も。
「――お前がッ! お前がァッ! よっ、余計な事を! しやがったぁぁああッ!! アアァッ!!」
「……ガチギレかよめんどくせぇ。一旦半殺しにするぞ」
猛る茶色い筋肉重機。
その後ろで巻き上がる灰。俺を守ろうとしてくれる先輩の灰だ。
……でも今は、そうじゃない。それをやってはいけないシーンだ。
ヒレステーキさんはそうするべきで、俺はこうされるべきなんだ。
マグリョウさんの気持ちは嬉しいけど、今ヒレステーキさんを止めるのは間違いだ。
「マグリョウさん……っ!」
「…………」
ヒレステーキさんを追って駆け出すマグリョウさんに、黙ったままで首を振って見せた。
頼れる灰色な先輩はそれを見て、困惑の表情を浮かべたまま静止する。
……誰が彼をコミュ障だなんて言ったんだ。
たったこれっぽっちのジェスチャーで意思を汲み取るマグリョウさんは、立派なコミュニケーション能力の持ち主だろうに。
「アアァァァッ!! チクショウッ! チクショォォッ!!」
「ぐっ!」
「クソッ! 余計な、余計な事をしてぇぇッ!! クソォォ……ッ!!」
「が……っ!」
「なっ!? ヒレステーキ、何をしている! よすのだっ!」
「正義ちゃん、"ステイ"、やよ。今はだめ」
「で、でも……!」
「見守る正義もきっとある。男の子同士の邪魔をするのはいけないよ」
「むぐぐ…………」
「お前さえ……! お前さえいなければッ! オレとタテコはずっと、ずっと……ッ!!」
「ぐ……はっ!」
胸ぐらを捕まれ、叩きつけられる。
倒れる俺に跨って、顔面をがむしゃらに打ち付ける。
頭が揺れ、世界が歪み、口の中には鉄っぽい味が広がった。
……流石【脳筋】。
基礎も練度もないただの拳のぶん回しが、こうまで効く。
「お前がぁ!! お前のせいで……ッ! お前のぉぉぉ……」
「……ぐぅ……っ」
力を込めすぎた彼の握りこぶしから血が流れ、俺の顔に赤いしずくとなって滴り落ちた。
それと一緒に俺の顔を濡らすのは、隠そうともしないヒレステーキさんの涙だ。
悲しい、と言っている。彼の目と、それを濡らして溢れる水が。
寂しい、と言っている。ぶるぶる震える全身は、友を失って凍える心が動かすのだろう。
そしてそれらを、俺への怒りに変えている。
俺が余計な事をしたから。タテコさんに種明かしをうながしたから。
だからこうなった、だからタテコさんは消えたんだって……そういう気持ちで拳を俺にぶつけてくる。
……そうだ。俺のせいだ。俺がそうした。
だから彼は俺を殴るべきだし、俺は彼に殴られるべきなんだ。
"まさかこんな事になるなんて" なんて言うものかよ。
そういう事をした自覚はある。
後悔は一切無いけど、無遠慮にズカズカ踏み込んだとは思ってるしさ。
「うぁぁ…………チクショウ…………」
「…………」
「あぁぁ……ああぁぁぁ…………ッ!!」
◇◇◇
「……うぅ……タテコぉ…………」
「…………」
しん、と静まったリビハはドラゴンの死体前。
筋肉だるまは泣きじゃくり、誰もがそれを黙って見つめていた。
……体が重い。だけど死ぬほどではない。
あの【脳筋】にこうまでボコボコにされて生きていられるのは、きっと【聖女】のおかげだろう。
あとで感謝をしなくちゃな。
「タテコぉ……おぉぉぉ……」
「…………」
「オレは1人じゃ駄目なんだ……駄目なんだよぉ……」
「…………」
「なんで……どうしていっちまったんだよぉ…………」
「……は?」
泣き続けるヒレステーキさんが、ふざけた事を口にする。
……ああ、ふざけてる。それはタテコさんの命に泥を塗る、最悪な言葉だろ。
……殴られる事は良しとしよう。それに文句を言うつもりはない。
だけどそういうのは許せない。
自分の血と返り血で染まった頭が、中まで赤く染まった気がした。
「……いつまでとぼけてんだよ、卑怯者」
「…………アァ!?」
「脳筋でも許す優しい相棒は、もうここには居ないんだぞ。自己中で身勝手なワガママはもう止めろ。そんなんじゃタテコさんも浮かばれない」
「ンだとォ……ッ!?」
「……駄目なフリしてタテコさんを鎖で縛って、自分の問題から逃げ続けて。アンタはそれで良かったんだろう。便利で特別なヒトガタ召喚獣を良いように使ってさ」
「……ふッ! ふざけんなッ! 誰が……誰が良いように使ってたってんだよッ!?」
「ヒレステーキさん、アンタだよ」
「アァ……ッ!?」
治った体でヒレステーキさんを押しのけ、あぐらをかいて座り込む。
そうしてヒレステーキさんと座ったまま向かい合うと、大人と子供のような体格差だ。
……だけどなんだか、目の前のヒレステーキさんは……デカいのにちっちぇなぁと思った。
「ヒレステーキさん。アンタのわざとらしい馬鹿っぷりは、タテコさんを繋ぎ止める物だったんだろ。アンタが馬鹿で駄目な奴じゃなきゃあタテコさんは消えてしまうって、知ってたんだろ」
「……そうだよ、悪いかよッ!?」
「悪い」
「アァ!?」
「悪いに決まってるだろ。そうやって逃げるなよ、卑怯者」
「な……ッ!? なんなんだ、てめぇッ!!」
「アンタは馬鹿のフリした利口のはずだ。だったらわかってるんだろ。アンタのそういう姿勢が、タテコさんを苦しめてたって事に」
「…………ッ!?」
顔を真っ赤にして俺を睨み、立ち上がろうとして再び座り込む。
そんなヒレステーキさんの視線を正面から受け止めていると、横から困惑したクリムゾンさんの声が聞こえた。
「あ、あの……!」
「…………」
「わ、私にはさっぱり状況がわからないのだけど……それでも! 何か力になれるならっ! 一生懸命やりたいって思うのだ! だから……その……!」
それは頭がまわらないクリムゾンさんの、正直で真っ直ぐな優しさだった。
彼女は考える前に口に出し、悩む前に行動を始める人だ。
それは時に残酷な空気を生む事もあれば、紛れもない救いを与える事もある。
……女性を嫌っていたヒレステーキさんが、唯一はっきりと心を許していた女性、クリムゾンさん。
その理由のひとつが彼女のこういう所なんだろうな。
「正義の……」
「だから、嫌じゃなければ力にならせて欲しい。ヒレステーキが悲しいのは、私だっていやなのだ」
「…………」
「なぁ、ヒレステーキ、教えてくれ。タテコ殿が召喚獣っていうのは本当なのか?」
「……そうだ。タテコは召喚獣で、人間の……偽物だ。そんでもってオレを治療するために送り込まれた、心の病の特効薬だ」
「と、とっこうやく……?」
そんな彼女の優しさに触れたヒレステーキさんが、事の真相を話し始める。
それを聞くのは、クリムゾンさんとツシマと――ついでに近寄って来たチイカに、あのマグリョウさんまでもが真剣な表情でヒレステーキさんに目を向けていた。
「……一時期オレは本当に、タテコをプレイヤーだと思ってた。タテコはオレの幼馴染で、女にイジメられていて……それを隣で見ていたオレは、女を心底憎んでるって…………そう思ってた」
「……んん? どういう事なのだ? 思ってた、とは……? よくわからないのだ」
「……最初の話だ。一番最初にオレがリビハをやったのは……ある病院からだった。そこに置かれた特別なコクーンに入って、簡単な質疑応答をして――そしてリビハの町に出た時、いつの間にか隣に居たのがタテコだった」
「…………うむむ」
「アイツは言った。"久しぶりですね" って。"子供の頃よく一緒に遊んでたじゃないですか" って。その言葉と合わせて語られる思い出話は、確かにオレの子供の頃の記憶と合ってた。だからオレもいつの間にか、なんだかこういう幼馴染が居た気がして来て……気づけばアイツとオレは幼馴染で、オレはイジメに遭っていたタテコを守って居た強い男だと信じきるまでになってた」
「……ふむ……?」
「オレが女を嫌っているのは、タテコが女にイジメられていたから。オレがリアルで数十年も筋肉を鍛えていたのは、自分の身を守るためじゃなく……タテコを守るため。オレが女を怖がってるんじゃなくて、タテコをイジメる女が嫌いなんだって……そう思うようになってた。自分が治療のためにリビハに居る事も忘れて、本気でそう思ってた」
「むむむ……治療……」
それは俺も知っている。
知っているというか、確信に近い予想がぴたりと当たったってだけの事だけど。
過去にウルヴさんに聞いた事。
"【脳筋】は魔法を忘れちまう" という話だ。
アレは確かにリビハの闇を語る物だった。
召喚という魔法を忘れさせ、自分に召喚している事を認識させない脳いじり。
それに加えて『存在しない幼馴染』を記憶にねじ込む脳細胞への強制インストール。
……"電脳ハック" なんていう架空の言葉が、リアルに行われるのがVRMMOって事なんだろう。
「……はじめは本気でそう思ってた。タテコは実在するヤツで、女にイジメを受けてたのもアイツだって。なぜか最初に病院に行った記憶も忘れていて、オレは自分の意思でリビハを始めたんだとすら思っていた」
「……むむむ」
「でも段々、おかしい所が目につくようになった。昔の写真を見返したってタテコはどこにも居なかったし、リアルの連絡先だってわからない。それにリビハの中でだって……たまにいきなり消えたと思ったら、今度は逆に突然ボワッと現れたりもして…………。それはプレイヤーのキャラクターアバターじゃありえない事ばっかりだった」
「……いきなり消える……?」
「ねぇ正義ちゃん。魔力切れで維持できなくなった召喚獣って、いきなり消えるじゃない? あれの事だとボクは思うよ」
「ああそうか、それは確かに聞く話だ。そして確かに先程のタテコ殿の消え方は、召喚獣が送還される時と同じ具合だったのだ」
「……そうだ、オレもそれに気づいた。だから試しに魔力のポーション――タテコは "プロテイン飲料" って言い換えて誤魔化してたが――それをわざと飲み忘れてみれば、案の定タテコはほどけて消えたんだ」
「なるほど……じゃあやっぱり、タテコ殿は召喚獣なのか……。全然気づかなかったのだ。【殺界】、貴様は知っていたのか?」
「うん、知っていたのだ」
「むむ……【死灰】はどうだ?」
「……さっき聞いた。レイナにな」
ヒレステーキさんが得た気づき。
その違和感を元にして手繰り寄せた真実。
そうした "タテコさんは非実在である" という答えを、いつ知ったのかってのはわからない。
だけど彼の言い方から察するに、ここ最近の事では無いんだろう。
だから多分、ヒレステーキさんはずっと……とても長いあいだ『どうしようもないほど脳みそ筋肉』を演じていたんだろう。
……それこそ【脳筋】という名がここまで広まるほどには。
「……オレは気づいた。タテコは偽物で、オレの記憶をごちゃごちゃにするイカれ共の手先なんだって。オレは――オレの心は、血も涙もない精神科学者の被検体なんだって」
「……ヒレステーキ」
「……でも……でもッ!! オレは……楽しかったッ!!
偽物だってわかっても! 嘘の存在だって知っていても!
心も肉体もないAI制御の "ノン・プレイヤー・キャラクター" だったとしても!
あいつと一緒に居るのが、どうしようもなく楽しかったッ!!
オレが暴走して、あいつが止める!
馬鹿ですねって呆れた顔して、駄目ですよってオレを叱って……!
でも、そうして小言を言いながらでも楽しそうに……!
……俺の隣で、心底楽しそうに…………笑って……ッ!!」
「…………」
……例えば、AIに熱をあげる人間が居た時。
それを見た世間の多くは、"人間と付き合えないから仮想のモノに逃げているのだろう" と評する。
それは確かにそういう一面もあるんだろう。そういう人も中には居るのだろう。
こういう時代でなくたって、人間付き合いに疲れた結果……二次元の世界に生きる作り物のキャラクターに夢中になった人だって居たはずだ。
だけど、ヒレステーキさんはそれとは違う。
人間を嫌う訳じゃなく、ただ "タテコさん" が好きだっただけだ。
……そこに、治療のアレコレがあったのかはわからない。
自分に都合のいい存在として作られたから、より一層に気が合う事もあったのかもしれない。
しかしそれでも、彼の気持ちを否定するのは違うと思う。
『治療』という土台があって、そこから彼らの関係性が生まれた。
それをかけがえのない時間だと感じる事は、逃げでも諦めでもないんじゃないか……と、俺はそう思う。
「タテコがやってくれてる『精神治療』はわかってた。わざわざ女と関わりを持たせて、少しずつ慣れるようにしてくれて……その間を取り持とうと必死になってくれていた。色んな所で色んなヤツと関わって、一言に『女』といっても良い性格のヤツも居れば悪いヤツも当然居るんだって…………。だから、それは男も女も同じだから、もう怖がる事は無いんだって…………」
「……それは何となくわかっていたのだ。タテコ殿は一生懸命ヒレステーキの女性嫌いを治す努力をしていると、私もずっと感じていたのだ」
「……そうやってオレが女に慣れて行く内に、平気な女も見つかった。正義のお前もそうだし、『ぱーしふる』とか『唐揚げにレモン汁かけ子』とか……オレでも普通に話せる女がどんどん増えていって――――そうして居る内に、オレは……怖くて怖くて、たまらなかった」
「……うん」
「オレが女嫌いじゃなくなったら、仲を取り持つ必要はない。わざわざ女と関わりと持たせる必要もないし……オレを治す必要もなくなっちまう……ッ! そうやってオレのトラウマが失くなったら、オレの治療をする必要がなくなったら……! そのために居るタテコは……要らなくなって……ッ!!」
「…………」
「……だからオレは治っちゃ駄目だったんだ! 治っちまったらタテコが消える……それならオレは、治らないままでずっとタテコと一緒がいいって……! そう思ってたのにッ!」
「あ、あの……ヒレステーキ?」
「……なんだよ」
「その……つまりヒレステーキは、召喚士なのだろう? だったらもう一度召喚してみればいいのではないか? そうすればきっとタテコ殿は……」
「……出てくる訳が、ねぇだろ」
「ど、どうして?」
「正義の、お前は聞いた事があるのか……?『人間にしか見えなくて、喋って動いてタンクが出来る召喚獣』なんてのをよ」
「……いや、そこまですごい召喚獣は……聞いた事がないのだ」
「……そうだ。アイツは治療用の……特別なんだ。オレにプレイヤーだと思わせるため、人間に限りなく似せた、病人専用の…………特注品なんだ」
「あ……」
……『喋る石版』『空飛ぶ円盤ゴーレム』『茶色いワーム』。
それがこのRe:behindにおける一般的な召喚獣だ。
そんな普通と並べてみれば、タテコさんの異質さはとにかく目をひくだろう。
聞けばササッと答える流暢な喋りと、膨大な知識量。
自分の足で歩けるし、物を掴んだり持ち上げたりも当たり前のように出来て。
その上並のプレイヤーでは比較にならないほどの "壁役" としての力量までもある。
そのどれもこれもが格別でとびきり。
言い換えるなら異常でおかしい性能を持った召喚獣。
……"当たり" にしたって強すぎる。
治療のためという名目がなければ、到底許されるものじゃない。
「だったら……出てくる訳がねぇだろ。もう "タテコ" の用は済んだんだ。アイツはすっかり消えちまって、二度と……二度とッ! 現れねぇんだッ!! オレはそれを知っていたッ!! わかってたんだッ!!」
「……う、うぅむ」
「だから! だから治ってないフリをしてたってのに……! そうだってのに、コイツが……サクリファクトがぁ……ッ!」
「あ……う、むぅ……」
「……サクリファクトォ……!! お前はなんなんだ……! なんなんだよ、お前はッ!
ずけずけと余計な口出しをしてッ! タテコに無理やり暴露させてッ!!
お前に……お前如きにッ! オレたちの何がわかるってんだよ……ッ!!
オレは毎日楽しかった! タテコだってそうだ! あいつはいっつも笑ってた!
馬鹿なオレと、それをたしなめるタテコで! 面白おかしく毎日過ごしてたんだッ!!
それを、昨日今日知り合ったヤツが……さっきまで何ひとつ知らなかったお前が……ッ!!
偉そうに語って! ぶち壊してッ! 台無しにしやがってッ!
ふざけんじゃねぇってのッ!!」
感情が高ぶったのか、再度俺に激しく怒りをぶつけるヒレステーキさん。
その勢いは言葉だけでは止まらずに、胸ぐらを乱暴にねじりあげてくる。
顔は赤らみ、歯を食いしばり、声は怒りに塗れている。
……そうだと言うのに眉は下がって、瞳は潤んで手は震えて。
悲しさと悔しさと怒りとで、感情がぐちゃぐちゃに詰まった表情だ。
そうなった原因はわかりきってる。
ひとつは俺のせい。俺が無理やり話を進めたから。
そしてもうひとつは――ヒレステーキさん本人のせいだ。
「……それはアンタだけの気持ちだろ」
「……なにぃ……?」
「確かにアンタの言う通り、タテコさんは楽しそうだった。だけど俺にはそれと同時に、ひどく苦しんでもいた」
「苦し……? て、適当言ってんじゃねぇッ!!」
「適当じゃねーよ。さっきの総攻撃チャンスでアンタが棒立ちしてた時、タテコさんが声をかけてただろ。"お願いだから女性と協力して下さい" って」
「…………」
「……その時のタテコさんの顔、酷かったんだぞ。悲しそうで、辛そうで、泣きそうで……今のアンタの顔より、見てられないくらいにひどく苦しそうだったんだ」
「……そ……そんな事は……」
「……タテコさんは悩んでた。ヒレステーキさんとどう付き合えばいいのか、自分は何をすべきなのか、ずっと悩んで悩み続けて……ついには関わりのない俺にまでヒントを求めようとしてた」
「だから……なんだってんだよ……ッ!」
「その時はどうしてそんな事を聞くのか、俺にはさっぱりわからなかった。タテコさんを普通のプレイヤーだと思ってた時は『普通に友達してればいいんじゃねーの』って思うだけだったし、召喚獣ってわかったあとも『普通に召喚獣してればいいだけじゃねーの』としか考えなかった」
「…………そうだろうが……そうだろうがよッ! だったらどうしてあんな事……!!」」
「だけど今なら、タテコさんの悩みが……俺にはわかる」
「……何?」
「彼は自身の存在意義に悩んでたんだろう。自分が何をしに来たのか見失って、今後どうすればいいか迷っていたんだろうよ」
「…………存在意義……だと?」
「友として隣に居るべきか、それとも生まれ持った使命を全うして存在意義を示すか、だ」
「…………」
タテコさんが俺に聞いた質問は、きっとそういう事だったんだ。
このままぼんやり『治療』をしつつ、あくまで人間のフリをして、ただ毎日を過ごせばいいのか。
それともAIである自分を曲げず、やるべき事を "消去" までひたむきに頑張るのか。
俺に聞いた『もしリュウジロウがAIだったとしても、今と同じように友達になっていたと思うか』って質問は、そんなタテコさんの迷いを表していた物だったんだろう。
"誰かの都合で用意されたAIという存在"。
"そういうモノとして生まれた自分が、ヒレステーキさんのただの友人で居るのは間違いではないのか"。
……それに対する俺の言葉は、微妙にズレた答えだったような気がするけれど。
それでも結果的には、彼の存在意義を後押しする事になっていたんだと、今は思う。
「……なぁ、ヒレステーキさん」
「…………ンだよ」
「俺たちは人間で、タテコさんはAIだ。だからきっと、色んな所が違うんだ」
「…………」
「それは例えば現実の体が無いとか、思考回路を他者に作られた自覚があるとか、言い出したらキリがないほど沢山あるだろうよ。……だけど一番に違うのは――生まれた理由があるかないかだと、俺はそう思う」
「……生まれた、理由?」
「何のために生まれたのかなんて哲学なアレは、人間にとって永遠に答えが出ないやつだと思う。だけどAIに関しては、最初から答えがはっきり出てる。ありふれた言葉で言うなら、AIってのはどれもこれもが使命を持って生まれてるんだ」
「…………」
「掃除ロボットなら掃除するためだし、管理AIは管理するために作られる。だからそれをする事が当たり前だし、それこそがそういう奴らの存在意義なんだと思う」
「…………」
「……なぁ、ヒレステーキさん。タテコさんは……何のために生まれたんだ」
「…………」
「Re:behindで便利な召喚獣になるため? 違う。
壁役としてネズミと戦うため? 違う。
召喚主と楽しい日々を過ごすため? 違う。
ヒレステーキを治すためだろ」
「…………ッ」
「そうして生まれたのがタテコさんだって事を、アンタはわかってたはずだ。そうだって言うのに、どうしてそれを叶えてやろうとしなかったんだよ」
「……オ、オレは……! ……タテコも楽しそうだから、それが一番良いんだろうって……」
「ただ仲良く過ごして、楽しい思い出を作る。アンタはそれで良かったのかもしれない。だけどタテコさんは、アンタを治すために生まれた召喚獣は……その先でアンタが成長する未来を夢見続けてたんじゃないのか。自分が寄り添う事でアンタを救えると信じて、すべてを捧げてアンタのために動いてたんじゃないのか」
「そ、そんな……オレはただ…………」
「……そんなタテコさんの頑張りを、わざとらしく嘘ついてまで否定して、それが正解だなんて――――そんな訳ないだろ。自分じゃアンタを救えないって、自分が無力だからアンタがずっと苦しんだままなんだって……そうやって苦しみ続けるタテコさんの隣で、ヘラヘラ【脳筋】やってた事が、本当に正しいと思ってんのかよ」
「…………」
「……たかがAIだから、どうでもよかったのか? 自分が楽しければタテコさんはどうでもいいって、そう思ってたのか?」
「――ちッ! 違うッ!!」
「……じゃあ、わかれよ。友達だと思ってたなら……考えてやれよ、頼むから」
「…………オレは……オレは……」
かけがえのない相棒が消えた。
それが悲しい事だなんてわかりきってる。
だけれどそれは、タテコさんが望んだ事だ。
タテコさんが持って生まれた使命を果たした結果に訪れた、幸福の大往生だ。
ならばそれを悔しがるばかりで、その偉大なる門出を悔し涙で飾るのは……いけない事だ。
惜しむならいい。悲しむのもいい。
だけどそれを『失敗』だと嘆くような真似は――タテコさんの存在自体を否定する最悪の看取りだ。
「……なぁ、ヒレステーキさん。タテコさん、最後に笑って消えただろ」
「…………」
「AIのくせにぼろぼろ涙を流しながら、これ以上ないくらい清々しい顔でさ。ヒレステーキさんを優しく見つめて、キミが治って良かったって安堵しながら、生まれた事に感謝して……幸せそうに消えていっただろ」
「…………」
「……タテコさんはアンタを治すために作られたんだ。アンタが女性嫌いを治して、前を向いて歩き出せる事こそが彼にとっての存在意義で――何より叶えたい夢だったんだ」
「…………」
「だったら嘆くな。誇るべきだろ。AI製だけど唯一無二だった相棒 "タテコさん" にトラウマを治して貰えた事を、そこまでの事をしてくれた親友が自分に居たって事を、誇りに思って胸を張れよ」
「…………」
「自分の友は夢を叶えて、天命を全うした幸せのままくたばった。自分はそいつに救われて、これから前を向いて歩いて行ける。後はしっかり元気な自分で、友が願ってくれた素晴らしい日々を堂々と送って行くのが、残されたアンタに出来る追悼だろ」
◇◇◇
「…………」
「…………」
「…………」
誰も何も言わなかった。
下を向くヒレステーキさんも、それを痛ましげに見つめるクリムゾンさんも、そして当然チイカも。
その上何かを知っている風のツシマですらも神妙な顔をし……マグリョウさんは目を赤くしてヒレステーキさんを見つめている。
……この場に悪は1人も居ない。
ただ悲しいストーリーがあって、起こるべくして起こった出来事があっただけだ。
だから何も責められない。直せる所も正せる所も見つからなくて、ただ悲しみにじりじりと心を傷ませるだけだった。
誰も何も言わないけれど、"救いがない" と雄弁に語る空気だ。
「……サクくん」
そんな空気にぽつりと響く、ツシマの鈴を鳴らすような声。
ただ俺の名を呼び、いつもご機嫌な猫のようにキラリと光らせていた瞳を曇らせて、俺を見る。
……安くしたくなかった。タテコさんが消えた事と、それを見送ったヒレステーキさんの事を。
それをポンポン消化したら、彼らの積み上げた関係性に顔が立たない。
……だけどもう十分だろう。もうそろそろいいんじゃないか。
こんな悲しい空気の中じゃ、息苦しくってたまらない。
俺がやりたいリビハってのは、こういう感じのアレじゃない。
「……うし。そろそろやりましょう」
「……クソネズミ殺しか?」
「いや、それもやりますけど……それより先にやるべき事があるんすよ」
「…………? まぁ何でも付き合うけどよ」
「……言いましたね?【死灰】に二言は無しっすよ」
「……なんだよ、何を企んでやがる」
「これはまだ結末じゃないんです。俺はこんな事のためにタテコさんを焚き付けた訳じゃないんすよ。そして俺のしたい事には、マグリョウ先輩の力が必要なんです」
「……この【死灰】がビビる事なんざ、神が死んでもありえん事だが……それでも俺は今、いくらかビビってるぜ」
「ひひひ」
珍しく情けない事を言う先輩を後にして、大岩のように丸くなった筋肉だるまに歩み寄る。
……俺は全部が欲しいんだ。
タテコさんの幸せも、ヒレステーキさんの元気な姿も。
だからもう、こういうのは終わりにしよう。
「なぁ、ヒレステーキさん」
「…………」
「俺は全員救うと決めた。その言葉に嘘はない」
「……なに……?」
「タテコさんは救われた。それじゃあ次に救われるのは――――
――――アンタだ、ヒレステーキ」
「…………オレを、救う……?」
「立てよ、脳筋召喚士。寝たフリをして夢を見るのは今終わった。ここからはリビハに夢を見させてやる」
◇◇◇




