第四十四話 The world is your oyster 1
◇◇◇
「ギ……ヂァァァ……ギァァ……ッ!」
「……行ける、行けるぞ」
手に負えなかったシマリス野郎はひどく苦しみ、喉元を掻きむしりながら身をよじっている。
ざまぁないな、茶色毛玉め。
これこそジサツシマスの二つ名スキル『大殺界』によって作られた、千載一遇の好機だ。逃す手はない。
「あらら、シマリスくんは典型的な中毒症状だねぇ。胃腸障害は出ていないようだけど、手足がぴくぴくしているよ」
「……大変につらそうなのだ。ああまで苦しんでいるのを見ていると、流石に少しかわいそうになってしまう」
「えぇ~? わる~いドラゴンなシマリスくんなのに?」
「それでも、だ。いくら敵対するものとは言え、必要以上に苦痛を与えるのは私の正義に反する。……早急に決着をつけなくては」
「正義ちゃんは優しいね~、んふふ……よしよし」
「さ、さわるなっ!」
クリムゾンさんが正義のヒーローらしい事を言い、戦闘準備を開始する。
そんな彼女にジサツシマスが茶々を入れて、何やかんやでヨロシクやっている感じだ。
クリムゾンさん、さっきから妙にジサツシマスと盛り上がってるよな。
信念の違いとか道徳心の差とか何だかんだ言っても、結局は同じ性別同士で気があったりするんだろうか。
「これは攻め時でしょう。さぁ、ステーキ! そして【死灰】くん!」
「……俺に指図するんじゃねぇよ、腐れ脳無し盾デブ野郎。殺すぞ」
「の、脳無し……っ!?」
「『はやぶさ』『コール・アイテム』『れいめい』『きょっこう』」
「ちょ、ちょっと待――――」
そんな2人の女の子の向こう側で、マグリョウさんが各種技能を使用し、アイテムをアレコレ取り出しながら走り出す。
すばやいマグリョウさんの事だ。リスとの接触はすぐだろう。
それに相手には隙もある。
いの一番に、最も痛烈な有効打を与えられるのはきっとあの人だ。
それなら俺は彼に合わせて罠を――いや、リスドラゴンの後ろから攻めてみようか。
ああ、きっとそれがいい。弱ったドラゴン程度なら、俺とマグリョウさんの2人きりでもやれるはずだろうし。
「…………」
それにしても……"腐れ脳無し盾デブ野郎" とは。タテコさんにずいぶん辛辣だ。
"能無し" ではなく "脳無し" 。それは人工知能が生き物ではない事を悪しざまに揶揄する現代のスラングだ。
それをタテコさんに言うって事は、マグリョウさんはタテコさんが召喚獣だと知っているんだろうけど……以前のオフ会で自動運転車の運転AIにひどい態度だったし、マグリョウさんってつくづく『AI』が嫌いだよな。
……ああ、いや。それは当たり前か。
マグリョウさんは誠実を好む。正直で素直な本物の本心を良しとする。
ならば彼にとって『作られた人格』というぜんまい仕掛けの自動応答装置は、偽りと嘘の集合体に見えるんだろう。
『AI』を利用する事はあっても、『AI』を人間の代わりにはしない。
そんな偽物との仮想コミュニケーションではなく、本物の人間と互いに誠実な交流をする事ばかりを求める。
だからこそああして、人間の代用品を毛嫌いしていると見たぜ。
「――ああもうっ! あのヒトはいつも身勝手ですねっ! 仕方ないです、ステーキ! 僕ら2人だけでも、いつも通りに足並み揃えて行きますよ!」
「…………」
「ステーキ! ……ステーキ?」
「……いやだ」
「え……っ!?」
「オレは、いやだ。オレは知らない」
「な……ステーキっ!」
「……オレはヤらない」
「何を言っているんですか! ……まさか、この状況を作り出した【殺界】さんが……女性だからですか? だから彼女と共同戦線を張るような真似は出来ないと――……この期に及んで! そんな駄々をこねるつもりですか!?」
…………ヒレステーキさん。
【脳筋】の名を持ち、召喚獣の相棒を従える、女性嫌いの大男。
そんな彼は一見とても単純に見えながら――何かこう、がんじがらめの問題を抱えているように思える。
召喚獣であるタテコさんを、まるで実在人物だと思いこんでいるかのような対応。
その身に持った二つ名【脳筋】をこれでもかと体現する、わざとらしいまでの馬鹿さ加減。
そして何より、海岸地帯で出会った時からあけすけに見えた『女性嫌い』。
その全部が俺にはよくわからない。
正直な所ヒレステーキさんとタテコさんってのは、すげえ難しい存在だ。
ややこしい、と言ったほうが正しいかもしれない。
「…………む~」
……そんな混乱する空気の中に、かすかに届いた緊張感のない声。
それがどんな理由で漏れ出たものなのかは知らないけれど、その声の主はどうやら不満気だ。
いや、理由は俺にもわからないんだけど。何となくそう感じた。
確かにヒレステーキさんもややこしいけど、ややこしさで言ったらとびきりなのは紛れもなくあいつだよな。
【聖女】のチイカ。反則じみた『殺せるヒール』と、加減が下手な『殺さないヒール』を持つプレイヤー。
あいつは色んな所がマジで訳わかんないと思う。
ただ、それでも多少は意思の疎通が出来た気がするし、俺を癒そうと頑張ってくれたりもした。
前と比べればずいぶんわかり合えた物だと思う。
……それでもやっぱり、未だ知らない事だらけだけどさ。
「ギィ……ッ! グギギィィィ……ッ!」
「……『来い、死灰』」
「うわぁ、ひどいや。自己中【死灰】が撒き散らした灰のせいで、向こうが全然見えないよ。これじゃあ何も出来ないし、ボクはお菓子でも食べてよ~っと」
「わ、私だって! 私だって出来るのだ!【死灰】や【殺界】のように色々考えたりするのは出来ないけれど……それでも! 正義のヒーローとしてっ! みんなのためにっ!!」
「ステーキ! 立って! 立ってください! 今は好き嫌いを語っている場面じゃないんですよっ!!」
「…………」
「キミはそれでいいんですか!? そういう選択をしてしまうんですかっ!? 僕は……僕は! この世界が終わったら、僕はもう二度とキミと一緒には――……っ!」
「……む~」
……そんなガチモンの変人たちが一堂に会するこの戦場は、それはもう……当然のように滅茶苦茶だ。
【竜殺しの七人】。
それは彼らがそうそう集まる事はなく、過去に一度集結した事が奇跡とも呼べるような人たちだからこそついた二つ名。
集団として特別だったから、そういう特別な呼び名がついた。
"そんな彼らは決して仲良しチームなどではない" という噂話を証明するかのようなこの状況は、やっぱり当然の結果なんだろう。
何しろそれぞれ特徴的な個性とそれを表す二つ名を持ち、尖りに尖りまくったプレイヤーたちだ。
この場の誰もがあまりに濃すぎて、互いにぶつかり邪魔をし合って、終いにはもつれて転んでしまう。
"竜殺したちは気が合わない" ってのが手に取るようにわかるぜ。
そしてそうだからこそ、とにもかくにも手に負えないよな。
「…………」
……ここに居るのは、Re:behindというネットゲームで遊ぶプレイヤーたち。
だから誰もに自分の人生があって、自身の譲れない価値観があって、今日までまっとうしてきた生き方がある。
……人付き合いに真面目すぎるからこそ、あえて孤独を選び続けるマグリョウさんが居る。
……考えるより先に行動する事を求め続けられたばっかりに、考える事が苦手になってしまったクリムゾンさんが居る。
……歪んだ何かを正すため、特別な事情で人間よりも人間らしいタテコさんという召喚獣をあてがわれ、それで余計に歪んでしまったヒレステーキさんが居る。
……一人きりで『みんなのため』を考えて、一人きりで『みんなのため』の答え出し、その先でひどくねじ曲がった解決法を取り続けていたチイカが居る。
……イルカという賢き動物の観察をし、それを研究し続けた結果、まるで水槽の外から『賢き動物』を眺めるように『自分と同じ生き物』の事も傍観するしか出来なくなったジサツシマスが居る。
誰もが根深い何かに囚われていて、呆れるくらい人間らしい面倒くささを持っている。
考え方が違う。好みが違う。大事にしたい物が違う。
だから尊重し合えない。絶望的に寄りが合わない。笑ってしまうくらい足並みが揃わない。
繰り返しでつくづく思う。
"彼らは決して仲良しチームなどではない" 。
そんな彼らに共闘をさせようとするなんて、無理難題もいいとこだ。
……幸い今のリスドラゴンは、もうひと押しで倒れるほどに弱ってる。
それなら俺とマグリョウさんの2人だけで、軽く『尻尾7本状態』を済ませてしまおう。
それが一番利口な方法だ。
リスドラゴンを倒してこの戦争に勝つための、最も効率的な方法と言えるだろうさ。
「…………」
…………そうだ。それが一番良い。
何しろ相手はあのドラゴンだ。
単純に馬鹿デカいし、笑えるほど力が強い。
その上どんどん強化もされるし、ワンチャンスでキャラデリまでする……いよいよクソ仕様の極みなレイドボスだ。
だったら余計な事は考えず、一番の近道を行くべきだ。
確実で堅実な選択を、抜け目なくスムーズにこなすのがシャープなやり方って物だろう。
「……俺の隣に愚図は要らねぇ。互いに気を使って取り繕い合うくらいなら、【死灰】は独りで殺して消える」
……孤独を選ぶ彼が独り、吐き捨てる。
……いや、とにかく今はドラゴンだ。小賢しく策を練りあげよう。
まずはあの暴れるボケネズミを足止めの罠にかけて、マグリョウさんは灰に紛れて貰うのがいいと思うから……。
「私は! ……あ、あんまり頭がよくないから! だから、あれこれ作戦をたてるのは……苦手だけれどっ! それでもいつでもヒーローらしくあるために! ただ真っ直ぐ生き、真っ直ぐ行くだけだっ! 私はそれで、どうにかこうにか良くなると……そう信じるしか出来ないからっ!」
…………考える事が苦手な彼女が宣言する。
……ええと、リスドラゴンは喉元あたりを掻きむしってるから……そこら辺は毛が抜けていて。
それならきっと剣も、通るだろうし……。
「ステーキ! お願いですから言う事を聞いてくださいっ! 僕はキミが成長する事が、キミの人生を守る事がっ! それが僕の……! どうか僕に……僕にキミをっ!」
………………特別な事情のありそうなAIが叫ぶ。
……何だったっけ。ああ、そうだ。
毛がない所を狙って突けば、きっと剣は通るから……そうすれば簡単に、効率良く勝てるんだった。
だから俺とマグリョウさんでそれをして、最短の近道を手際よく…………。
「……オレは【脳筋】、ヒレステーキなんだ。女嫌いで、筋肉馬鹿なんだ……ッ! 誰がなんと言おうともッ!! オレはそういう男なんだッ! だからオレはタテコをイジメた女を―― 一生賭けて許さないんだ……ッ!!」
……………………歪んだ男が、まともな自分を忘れたがるようにして、すすり泣くような声で叫ぶ。
……そこで、ふと気づいた。
これは違う、と。俺のしたい事じゃないと。
全員を理解するのはとても大変。だから今はそれをスルーする。
共闘するのは無理難題。だから簡単に出来る手段で、ドラゴンを倒す事だけを優先する。
それが利口な英断で、身の丈にあった賢い判断。
……でも、駄目だ。
それじゃ駄目だ。
"今はただドラゴンを倒す"。
それじゃあ、俺は駄目なんだ。
それは俺じゃない。俺の生き方じゃない。
このRe:behindを今日までやってきた『サクリファクト』のやり方じゃない。
ただ効率よく。
ただ成長をして。
ただ勝ちを目指し。
ただ金を積み上げて。
ただゲームを攻略する。
それは正しい。最適解だ。理想のやり方で、快適なネットゲームプレイの最も綺麗な形だろう。
だけれど、俺が――――俺たちが今まで目指して来た物は、そんな物じゃあない。
俺たちはそうして強くあるだけを求めるような、謙虚で欲のない殊勝な遊び方なんてして来なかった。
今日までの『サクリファクト』を作り上げた『俺とあいつらの5人パーティ』の方針は――――
「…………なにもかも、だったよな」
……上を見上げて、空を見る。
遠くに浮かぶ太陽。その煌めきを反射する、首都方向の景色を埋め尽くす、金色の爆発物。
それと合わせてせわしなく瞬く数多の星々は、星座の行列を形作って。
そんな2つの輝きは、俺の目には徐々に広がっているように見えて――ああ、こっちに向かって来ているんだろう。
だからどんどん大きくなるように見えるんだ。
そろそろくる。
【金王】と【天球】が。
そんなキラキラの合間には、黒くて丸っこい飛行物体がツヤツヤしながら飛んでいる。
……アレはきっと、いや間違いなくカブトムシだろう。
来る。星を操る仏頂面が。夜空を担いで無表情にやってくる。
来る。金貨をバラ撒く成金が。じゃらりじゃらりと音をたて、下品に覇道を歩みにくる。
来る。デカいカブトムシに跨って、白いタコをずるずる引きずるとぼけた女がやってくる。
その隣には青髪のうるさいMetuber、後ろにはニコニコ顔の金髪悪徳商人、そして先頭に赤い髪をしたそこぬけのアホが雁首揃えて、いつも通りに遅刻をしながらやってくる。
あいつらが、来る。
もうすぐここにやってくる。
ドラゴンを倒す存在である【竜殺しの七人】と、今日までリビハをやってきた『サクリファクト』の一部が、遂にこの地に揃うんだ。
だったら……だったら、そうじゃない。
無理だなんだと諦めて、殊勝に遠慮するなんてしていられるか。
俺は、やる。それをやれる。やらなきゃいけないし、やりたいんだ。
『【七色策謀】のサクリファクト』ってのは、そうして今日まで欲張って生きて作り上げられた物なんだから。
「……ツシマ」
「なぁに? サクくん」
「前にやった技能――首都で俺にエロい事しようとした時に使った、『眩暈』とかいう麻痺効果を武器に付与するやつだ。アレ、今出来るか?」
「ん~……そりゃあもちろん出来るけど……ボクの見立てでは、そこまでする必要は無いと思うよ?」
「そうだな、そこまでする必要はない。だけどそれでも、俺にはそれが必要なんだよ」
「……それってどうして?」
【竜殺しの七人】を集め、その力を使って、リスドラゴンを倒すだけ?
それは俺の理想じゃない。
ドラゴンを倒し、ラットマンを倒し、この戦争に勝てればいい?
それじゃ全然足りてない。
今見えている問題を先送りにして、誰かが苦しむ姿を見ないふりしながら、ひとつ目的だけへとひた走るのか?
そんなの妥協だ。ヘタレたチキン野郎の選択だ。
そんな日和った真似をして、あいつらの仲間だって胸を張れるものかよ。
捨てていい物なんて無い。我慢するべき事なんてない。
諦める事はとっくに諦めた。
俺は、俺がしたいと思った事と誰かがしたいと思った事を――――なにもかもやる。
そうしてあいつら4人と今日まで歩んで来たし、それこそが俺というリビハプレイヤーのサクリファクトだから。
「俺は全部をいっぺんにやりたい。マグリョウさんの孤独を埋めて、クリムゾンさんの信念を後押しして、タテコさんの不安を解消して、ヒレステーキさんの迷いを取り払って……そしてツシマ、お前の問いの答えも見つけてやりたい。それとついでにドラゴンもぶっ倒して、あとはラットマンも追い払って……そうしてみんなでリビハを遊んで、リビハを守りながら、リビハを楽しみたい」
「……わぉ」
「俺は全部が欲しいんだ。何かを後回しにするなんて嫌だ。思いついた事のすべてをここで、今この時にまるごと全部をやりたいんだ」
「……それがキミの、Re:behindでしたい事?」
「そうだ。……俺は全部をやりたい。戦いたい、強くなりたい、走りたい、遊びたい、作りたい、稼ぎたい、探したい、仲良くなりたい、集めたい、達成したい、泳ぎたい、食いたい、知りたい、完遂したい――そして当然、楽しみたいし勝利もしたくて、そんでもってそれをずっと続けたい」
「…………うん」
「何ひとつ諦めてたまるかよ。俺はそんな、ゲームするだけを求めるような、謙虚で欲のない殊勝な人間じゃないんだ。俺はただゲームがしたいんじゃなく、この世界で目いっぱい生きてるって感じたいんだ。馬鹿みたいに本気でプレイする、ダイブ式MMOのRe:behindがしたいんだよ」
「んふふ……うんうんっ」
「だから俺のリビハには……ツシマ、お前も必要なんだ」
今のリスドラゴンを倒すだけならきっと手堅い。
マグリョウさんと俺との2人で十中八九勝てるだろう。
だけどそれじゃあ駄目なんだ。
ネットゲームをしよう。MMOをするんだ。
俺がしたいのは、この世界をみんなで生きる事。
あくまでゲームだからこそ楽しくやって、そして勝利を得る事だ。
俺の、俺たちパーティの方針はずっとそうだった。
楽しくそれぞれがやりたいままに過ごし、理想の自分を目指しながらも仲間と素晴らしい日々を生き、全力で上も目指す事が目標で、そこへひたむきに進む歩みが信条だった。
それが俺の目的。このゲームにダイブする理由。Re:behindで叶えたい夢。
『ゲームだから』と楽しみながら、『ゲームだから』と本気を出して、『ゲームだから』と最高の時間を過ごして。
そうして味わう本物の感情や気分、成長や交流と、勝利に敗北を、『ネットゲーム』の消えない思い出として心に残す。
欲張りな俺はそれがしたいから、毎日ここに訪れていた。
欲張りな俺はそれをするため、今ここにいる。
何でもできる世界だから、何でもできるを楽しむんだ。
そうして今日まで生きて来た俺は、そうしたままで『パーティメンバー』を迎えて、【竜殺しの七人】を集めて共に戦う。
本気を出せるこの世界で、誰かと本気で関わり合って、本気で全部をやりきって――そうしてずっと楽しくゲームをしながら、とびきりに最高な勝ちを得る。
それが俺の打ち立てる、唯一の譲れない信念だ。
「……んふ、あれもこれもしたいんだ~なんて、サクくんったら欲張りさんだね」
「欲張りもするだろ。だってリビハは……たかがゲームだぜ」
「……うん?」
「たかがゲームに本気を出せば、なんだって出来るに決まってるだろ?」
「…………んふふ、ふふふ……そうだねぇ、んふふ」
◇◇◇




