第四十三話 Bad luck, have fun 5
◇◇◇
「ヂャァアア! ギァ! グァッ!」
「…………」
「ギァゥ! ギゥギゥ!」
【殺界】のスキル『大殺界』。
それによって生み出された緑色の『プレゼントボックス』は、今なおポンポコとカラフルなスウィーツを吐き出し続けている。
宙に舞う色とりどりのキャンディ、パステルカラーのまん丸マカロン、スクエアやハートのクッキーに、大小様々なチョコレート。
そのどれもこれもが決まって可愛くファンシーで、おとぎの国の『晴れのちお菓子』もかくや、と言った所だ。
また、それを目いっぱいに浴びるリスドラゴンはウキウキで、心なしか毛艶も良くなっているよう。
「…………」
そんなリスを前にして、【正義】も【死灰】も【脳筋】ヒレステーキも、ただひたすらに見ている事しか出来なかった。
空へと跳ね上がったお菓子。
上を向き、それを直接お口でキャッチしているリスドラゴン。
それは確かに隙だらけ。紛うことなき攻めどころだろう。
しかしながらこの状況は……いくら何でも理解を超え過ぎた光景であって。
あのお菓子も、私たちに落ちた黒いトゲトゲも、そして【殺界】の目的でさえ、その何もかもが不可解過ぎて……どうにも二の足を踏んでしまうのだ。
「……ん? え? 食事で回復の効果……? 何だよそれ」
「へ? い、いきなりどうしたのだ? サクリファクトくん」
「あ、いや……ええと……そういう事みたいっすよ。リスドラゴンは何かを食べると怪我や疲労が回復するらしいっす」
「……らしい?」
「……俺も、聞いただけなんで」
そんなリスを見ながら ぽそりと呟いたサクリファクトくんは、私の問いかけに頬をかきながら答えた。
"聞いた" っていうのは、誰に聞いたのだろう。
【死灰】かな? うん、きっとそうだ。あやつは色んな事に詳しいから。
「へぇ~、そうなんだぁ。じゃあアレかな? 尻尾の減少によるドラゴン体の強化、"消化機能の改善" によって、食べたそばから瞬く間に栄養の摂取・吸収が行われているのかな?」
「……まぁそうだろうけど…………なんつーか、ずいぶん他人事みたいに言ってるな。まるっきりお前のせいだってのに」
「んふふ、かわいそ~。それってとっても不運だね」
【殺界】が不敵に笑う。棒付きキャンディをカシカシと齧りながら。
それは確かにサクリファクトくんが言うように、対岸の火事を見るような素振りだった。
――――なんたる無責任。それに尽きる。
みんなで頑張って積み重ねたリスへのダメージを無にしておいて、こんな態度を取るなんて。
悪びれもないとはまさにこの事。なんて非道、なんて邪悪!
やはり私は【正義】のクリムゾンとして、【殺界】を許してはおけないのだ。
「……つーかさ、お前の『大殺界』は結局何なの? 当たりはお菓子で、ハズレがトゲトゲっていう、しょうもない効果って事なのか?」
「ううん、違うよ? これはそういうのじゃあなくって、もっと素敵なスキルやよ」
「じゃあどういう意味が――――むぐ」
「んふふ、飴あげる~」
私とサクリファクトくんから一歩離れた位置で楽しげに揺れながら飴を齧っていた【殺界】が、しゅるりと蛇のようにサクリファクトくんに絡みつき、棒付きキャンディを無理やり口にふくませた。
ちょうど何かを言いかけていた彼は、その半開きを狙って入れられた物を拒否する間もなくキャンディを口にしてしまう。
……あれは【殺界】が舐めていた物。
つまりそれは……明確な間接キッス。
――――ああ、なんたるハレンチ!! それに尽きる!!
自身がああまで舐めまわしていたキャンディを、サクリファクトくんに無理やり舐めさせるなんて!!
風紀の乱れとはまさにこの事! なんて淫猥! なんて不埒!!
やはり私は【殺界】を許せないっ!!
「……いきなり何すんだよ」
「どう? サクくん、ラッキー?」
「……はぁ? 何言ってんだお前。舐めかけの飴を食べさせられて、どうすればラッキーになるんだよ」
「ほら、ボクって可愛いでしょう? だから結構ファンも多く居てさ。そういう人たちにとってはボクの舐めかけのキャンディも、きっと大きな価値を持っていると思うんだ」
「……俺は全然ファンじゃないし、無理やり口に突っ込まれてすげえ迷惑だよ」
「あらら、残念。じゃあ今のサクくんは?」
「……アンラッキー」
「んふふ、正解~……あいたっ」
不意に発生した黒いトゲトゲボールが、【殺界】の頭にちくりと落ちる。
私たちに落ちてくる物はすっかり終わったというのに、未だに "トゲトゲ" に見舞われるその様子が、彼女の持つ二つ名効果である『運が悪くなる』という力を物語るようだ。
……しかし、それにしても。
こんな性悪PKのファンが居るだなんて、私は初めて聞いたのだ。
なんて倒錯した者たちが居たものか。
正義な私はぼんやりと、リビハの未来を憂いてしまうよ。
「いたた……ねぇサクくん、ボクは頭が痛くなっちゃった。だからその手で、優しくなでなでしてくれないかなぁ?」
「やだ」
「んぇ~」
◇◇◇
そんなこんなでこの戦場は、すっかり剣戟が止んでいた。
思わぬ幸運に恵まれた様子のリスドラゴン。それはお菓子に夢中で、首ったけだ。
それゆえ "壁役" を務めるタテコ殿がどれほど注目を集めようとしても、リスドラゴンは全く意に介さなかった。
ならば、と背後に回る【死灰】や正面から行くヒレステーキの攻撃は、お菓子の雨に邪魔をされつつ、活気あふれるリスの爪で追い返される。
その上多少のダメージは、みるみる内に回復されてしまうのだ。
だから彼らも諦めて、お菓子の豪雨が止むのを粛々と待っていた。
…………遠くからこちらに向けられる、【死灰】の視線がとっても痛い。
そこに込められた、"邪魔しやがって。殺す。殺す。絶対殺す" と訴えかける怒気と殺気の込められた眼。
それは私に対するものじゃないとわかっているけれど、どうしたって居心地を悪くしてしまうのだ。
「ねぇサクくん? 今って暇だよね? お話していい?」
「……なんだよ」
そんな【死灰】の怨念を一身に受ける【殺界】は、まるで気にする様子もなくニコニコ顔だ。
なんたる図太さ。どうして平気なのだろう。
普段から恐ろしいマグリョウが、あんなにも怒っているというのに。
「それは例えば、綺麗なチョウチョが肩で羽根を休めた特別な時。それを喜んで写真におさめる人も居れば、ぴーって泣いて嫌がる人も居ると思うんだ。前者はチョウチョを好む幸運な人で、後者は虫を嫌う不運な人って感じでさ」
「まぁ、そうだな」
「面白いよね。どちらにあったのも同じくして『チョウチョが肩に止まった』っていう出来事なのに、それぞれの味わう今日の運勢は、まるで真逆の結果になっちゃうんだから」
「…………」
「つまりね、好運と不運っていうのは普遍の物じゃないんやよ。一つの物事と、それを受け取る側の都合で決まるものなの」
「……だから何だよ。さっきから意味がわかんないぞ」
「チョウチョにしてもボクの舐めかけキャンディにしても、人によっては好運だったり不運だったり、ケースバイケースなんやよ。そしてそれは、この場も例外じゃあなくってね」
「ギゥ! ギゥゥ~! …………ギ……ッ!? ガガ……ッ!?」
「――……素敵なお菓子はボクらにとって幸運だけど、シマリスくんにはどうだと思う?」
「……ギ……グ……ッ! ギギギギギ…………ッ!?」
――――それは突然だった。
今の今まで大喜びでお菓子類をモグモグとやっていたリスドラゴン。
そんな幸せの時間を過ごしていたはずの巨大なシマリスが、急に喉元を押さえてうめき出したのだ。
「ギ……ッ! ギグギギ……ッ!! グギガギ……ッ」
「え……?」
「……なんだアレ。いきなりもがき始めたぞ」
その声ははっきりと苦痛を訴え、じたばたする両足は何かを堪えているかのよう。
更には遠いこの位置からでもわかる全身の震えを見れば、すぐにわかる。
リスは体調を悪くしている。
それも、大変に深刻なレベルで、だ。
「あ、あれは一体……!?」
「……"ジサツシマス"、やっぱり毒のやつ入れてたんじゃねーか」
「ううん、そんな無粋な物は入っていないよ。リスくんが食べたのは――ここにあるお菓子と、まるきり一緒」
そう言って手を後ろに回し、ぱっと広げて見せる【殺界】。
その両手の指と指の間には、無数のカラフルなお菓子が挟まれていて。
……毒じゃない?
じゃあどうしてあのリスドラゴンは、あそこまで苦しんでいるのだろう。
同じものを食べた私たちは、こうまで平気なのに。
「じゃあ何でだよ」
「ボクは海棲哺乳類の専門家だけれど、仕事柄いくらかは陸上生物についての知識も持ち合わせてるんだ。ラットとかって、実験には都合がいいしね」
「……それで?」
「サクくんは知ってる? 犬にタマネギとか、ウサギにオレンジとか」
「ウサギは聞いた事ないけど、犬にタマネギは知ってるぞ。なんか駄目なんだろ? 調子を悪くするとかで――――……って、まさか」
「……んふふ。チョコレートのテオブロミン、紅茶のクッキーにはカフェインとメチルキサンチン、蔗糖の塊であるキャンディ、桃味のマカロンにはアミグダリン、その他お菓子類に含まれる乳糖……そんなアレやコレの全部が、ボクら人間にとってはおおむね有益で、ネズミにとっては――――」
――――食べちゃいけない、毒なの。
【殺界】が笑う。パステルグリーンのマカロンを齧りながら。
人間用に加工されたお菓子類。
それの成分とかについては私はよく知らないけれど、確かにペットに食べさせちゃいけない物があるっていうのは知っている。
だけれどそれはちょっとおかしい。
そんな食べてはいけない物というのは、『それを食べたらとにかく大変』のような単純な事でもないはずなのだから。
「ま、待つのだ【殺界】! 確かにそういう事もあるかもしれないが……それは体質的な問題の他に、元々のサイズによる違いだってあるはずの話だろう!? ちっちゃな動物には、少量でも致死量になるような感じで……」
「そうだね。だからたくさん出るんやよ? そうなるまで食べられるようにね」
「あ……そっか、だからあんなに出続けて…………い、いや! しかしっ! いくら何でも食べたそばから、こんなに早くその症状が現れるのだっておかしいぞっ!」
「それもボクがさっき言ったじゃない。『"消化機能の改善" によって、瞬く間に栄養の摂取・吸収が行われている』って」
「…………っ!!」
「……それに加えてあのボケネズミは、食べる事が何より好きで、どこまで行っても所詮はケモノ。美味しそうな物を前にしたなら、我慢なんて出来るはずもない……か」
「そうだねぇ、んふふ。って言っても、あれだけで死に至るわけじゃあないと思うけどね」
……かちり、と何かが嵌った音がする。
バラバラだった歯車が、しっかりと噛み合ったような心持ち。
トゲは少数、お菓子は無数。
それがもたらすのは不幸。
人にトゲトゲ、リスに菓子。
それが生み出す物は不運。
あやつがシマリスである事も、食べる事が好きなドラゴンである事も――そして "消化機能の改善" があった事も。
それらすべてが丸ごと不運。
どれが欠けても実現しなかった、神の御業の如き不幸へ至る道だった。
……そんな、この場のすべてにぴたりと収まるような、各自に適した災難は。
紛れもなく【殺界】の『プレゼントボックス』から生まれ出たもの。
誰も彼もを不幸に落とし、全員平等に厄災を振る舞う。
これが【殺界】の真の業――――二つ名スキル『大殺界』。
「ボクらにお菓子が来ていたら、ボクらはハッピーだったよね。リスくんにトゲが落っこちていても、ノーダメージでラッキーだったよね。運勢っていうのはそういうもの。一つの物事と、それを受け取る側の都合で決まるものなの」
「で、でも! それはおかしいのだ!」
「ん~? どうして?」
「だって貴様は言ったじゃないか! "ハズレを引いちゃった" と!」
もしその言葉通りに【殺界】が『プレゼントボックス』の選択を誤り、当たりではなくハズレを引いたのならば――――この結果はおかしいはずだ。
悪いほうを引いたこちらには、トゲトゲが落っこちてくるだけの小さな不運。
しかして良いほうを引いたリスドラゴンには、"美味しくてたまらない毒物" だなんて……そんなの絶対おかしいに決まってる。
「ほやほや。ボクがハズレを引いたのさ」
「そ、それは一体どういう意味…………」
「あのね、【正義】ちゃん。ボクが用意したクジ引きに、当たりがあるはずないでしょう?」
「え……」
「中にあるのは "軽い不運" か "大きな不運" 。だってボク、不運をバラ撒く【殺界】だもん」
【殺界】が指をぺろりと舐める。
その可愛らしくて幼い容姿で行われる扇情的な仕草に、なんだか見てはいけない物を見た気がして。
そして、そんな彼女の二つ名だからこそ、こういうスキルなのだと理解した。
トゲトゲのボール。それはひと目でわかる災難。
沢山のお菓子。それは一見幸せのかたまりのように見えながら、実際には致命的な毒であって。
"本当の悪人は悪人に見えない" 。
だからきっと、"本当の不運は不運に見えない" のだ。
見るからに凶悪な人相で "ワルでござい!" と主張する者よりも、善人にしか見えない狡猾な悪人のほうが危ないように…………幸せな物に見えて実は毒物であるほうが、よほど悪性が強いのだ。
そう考えれば何のこともない。
『ハズレしか入っていない可愛いプレゼントボックス』
『素敵なお菓子が実は毒』
『可愛い顔した殺人鬼』。
それは全部が同じこと。
だからこそ、きっとこの『大殺界』というスキルの効果は…… "ジサツシマス" というプレイヤーの、集大成であるのだろう。
「んふふ。今日のリスくんは、とっても不運だね。ボクのせいだけどさ」
「……何はともあれ、これは良いぞ。これはチャンスだ。この機に乗じてあのボケネズミを、もっと不幸にしてやるぜ」
「あ……」
サクリファクトくんがちょこっとだけダークな笑みを浮かべて、私を地面に優しく下ろす。
そうして今度はストレージをごそごそやりながら、ああでもないこうでもないと一人でウンウン唸り始めた。
「……ちょっとこの飴、邪魔だな。美味しくもないし……返すぞ、ツシマ」
「はぁい」
「…………」
彼が口から取り出した飴を、【殺界】が受け取って口に運ぼうとする。
しかし、不意に何かに気づいたような顔をして――――くるりと振り向き、私にソレを突き出して来た。
「ねぇねぇ【正義】ちゃん」
「……何だ」
「んふふ……飴、食べる?」
「な……っ!」
小さくなった棒付きキャンディ。
ピンクと白のマーブル模様で、イチゴミルクのような香りがした。
……これは、サクリファクトくんが舐めていたもの。
ついさっきまで、彼のお口に入っていたもの。
それを舐めると言う事は、つまる所は彼との間接的なキッスをすると言う事で…………。
「いらない? いらないなら捨てちゃうけど」
「あ……う…………た、た、た……っ」
……良いのかな? でもそれは不埒な事なのだぞ、クリムゾン。
先程自身が忌み嫌った、ハレンチな行為であるのだぞ。
しかし、しかし。
食べなければ捨てると【殺界】は言うじゃないか。
それはいけない事ではないか? 食べ物を無駄にする非道徳ではないか?
このキャンディはきっと、誰かに食べられるために生まれたのだろう。
だったら道半ばで捨てられるより、最後まで舐めきって貰ったほうが幸せなのではないか。
だけれどそれは、果たして正義なのか。『私は善行をした』と胸を張れる事なのか。
サクリファクトくんと間接キッスをした【殺界】を羨ましく思い、自身もそれをしたいと考える……そんな邪な気持ちがあるのではないか。
…………わからない。一体何が正しいのか。
…………わからない。どうすれば【正義】であれるのか。
…………わからない。わからないけど。
…………。
…………わ、わからないけどっ!
私はっ! このキャンディを――――っ!!
「んふふぅ……あっ」
「――――あぁっ!!」
差し出された棒付きキャンディに向かって伸ばしていた、迷いのこもった私の手。
それは葛藤でふるふると震え、ついでに手甲と黒い革手袋で細かい作業も苦手であって。
……そんな色々が重なって、私の手からつるりと滑ったキャンディは、ぽとりと砂地に落下した。
「あ……ぁ……」
「あらら。残念だったねぇ、正義ちゃん? んふふ」
「……く…………うぅぅ~っ」
――――なんたる不運。それに尽きる。
迷いに迷って手を伸ばしたのに、すんでの所で取り落としちゃうなんて。
……はっ!?
ま、まさかこれも【殺界】のスキルのアレで――――!?
「……一応言っておくけれど、今のはシンプルに正義ちゃんのミスやよ」
「…………わ、わかってるよっ!」
わかっていたけど、それでもやっぱり思ってしまう。
今日はとっても不運な日だ、って。
◇◇◇




