第三十九話 Bad luck, have fun 1
◇◇◇
「はい、お水」
「…………毒入りじゃねぇだろうな?」
「やだなぁ、今日は違うよ~。そういうのはまた平和な時にしてあげる。んふふ」
「…………」
回復と装備の点検、そして自身のキャラクターアバターに不調が無いかを確認していた【死灰】のマグリョウに、ストレージから取り出した水筒を手渡す。
それを受け取った【死灰】は、その中に入っていた透明の液体を手の甲に数滴垂らしてひと舐めした後、頭からそれを被った。
失礼しちゃうよね。
いくら【殺界】の名を持つボクでも、こんな状況で悪ふざけするほど空気が読めないワケじゃないのにさ。
「【死灰】っ! 貴様という奴は……! ……もうっ! なんか、もうっ! ずるいぞっ!」
「キミが一人で突っ込んだ時には、あわやキャラクターデリートかと冷や冷やした物ですが……まさか本当に単独で竜を倒してしまうとは」
「そんなひょろっちぃ体でよくヤるモンだっての。お前が筋肉をつけたらきっと、今の何倍もキレキレになるってのよ」
【死灰】がそうする間に、ようやく治療が済んだのか、離れた位置にいたクリムゾンたちが集まってくる。
彼らが太刀打ち出来なかった強敵、シマリスなドラゴンくん。それをいとも簡単に、それも単独で打倒せしめた男に向けて、大きな称賛と少しの嫉妬を贈っていた。
……うん。でも本当、すごいや。
常時ソロがゆえの、多彩な攻め手と状況判断。
ドラゴンも外野も置いてけぼりにする欺きの技。
そしてなりふり構わぬ全力の殺意と、こだわりを内包した殺し方。
どれもこれもが規格外で、彼が『殺し合い』に対して真摯に向き合っている誠実さを感じる時間だったんだ。
…………やっぱり、前と違うよね。
前はもう少しだけ、Re:behindから一歩引いていたように見えたのに、今はすっかり真剣で、すごぉく本気で生きてる感じがするや。
「……ぎゃあぎゃあうるせぇな。強えヤツが弱えヤツをぶち殺したってだけだろうが」
竜殺したちから贈られる、沢山の褒めことば。
だけれど当の本人は、いつも通りの冷たい目のまま、3人を睨めつけ吐き捨てる。
いやぁ、すごい自信だね。自分がドラゴンより強いって事、ちっとも疑ってないみたい。
普段と変わらない態度、一片の高ぶりも見せない声色。
これほどの事をしていながらあくまで冷静で平坦な様子が、ボクたちには想像も出来ないほど苛烈で過酷な【死灰】の "迷宮探索" を雄弁に語るようなんだ。
「うんうん」
「……んふふ」
そんな【死灰】を見ながら満足気に頷くサクくんが可愛らしくて、頭をするりと撫でてみた。
それに気づいたサクくんは、頬を少し染めながら慌てて体を起こす。
うぅん、残念。もうちょっと膝枕していたかったのに。
「……む~」
「いてっ……? ……はぁ? なんだよお前」
そうして密着してサクくんとボクの隣。
いつも通りお花のように静かに佇んで居た白い女の子、チイカちゃんが、ぽこりとサクくんの背中を叩く。
……おや? おやおや?
どういう事だろう。これ、チイカちゃんだよね? 今のって、チイカちゃんがやったんだよね?
なんと驚き。こんな彼女は、ボクは初めて見るよ。
「……たって」
「…………いや、もう立ってるし……」
またまたびっくり。今度はあのチイカちゃんが、お喋りしてる。
それにあの顔、あの態度。そして誰かを叩くだなんて、今までの彼女からは考えられないことばっかりやよ。
何だろう。すごいや。
ボクが来るまでに、一体どんな事があったのかな。
「…………」
「……なんか言えよ」
……うん、わからない。
何があったかはさっぱりわからないけど……そっか。そうなんだ。
サクくん。キミの何かが彼女を変えたんだね。
「……ん? おいチイカ。お前の洋服、あちこち砂だらけだぜ」
「…………?」
「しょうがない奴だな……ほら、ちょっと腕あげろよ」
「…………」
【死灰】を変えて、【正義】に影響を与えて、【金王】や【天球】、そして【脳筋】の召喚獣すらにも何かを考えさせる。
偶然から始まった【竜殺しの七人】との繋がりが、そこからまた新たな関係を生み、育んで、形を変化させていく。
サクくん。キミはどうしてそうなんだろう? キミは何を持っているんだろう?
独自の考え方? 類まれなるコミュニケーション能力? 何かを引き寄せる運命の力?
それとも……仮想を仮想と思わない、人に対する真剣さとかかな?
「こうまで砂埃にまみれてたら、せっかくの白ローブも台無しだぜ。高いんだろ? これ」
「…………」
「俺もいい装備欲しいなぁ。鬼角牛の毛皮とか、黒くて格好いいんだよな~。知ってるか? 鬼角牛。すげえ黒いんだぜ」
「…………?」
「ん? なんだよ? ……ああ、このホウキか?」
「…………」
「いいだろ、これ。先っちょのほうがブラシみたいになってて、ちょっとした埃を払ったりするのに具合がいいんだよ。マグリョウさんに貰ったんだぜ」
お喋りをしながら、チイカちゃんの洋服についた砂をパッパと払い落とすサクくん。その手付きは妙に手慣れているように見える。
彼のパーティメンバーなロラロニーちゃんの世話を焼いているらしいから、こういうのも日常茶飯事なのかな?
少しだけ羨ましいかもしれない。ボクもお尻に砂がついちゃってるし、落としてくれないかな。
「…………」
そんな彼を見つめるチイカちゃんは、ずいぶん訝しげな顔つきをしてる。
いつもの無機質なアルカイック・スマイルじゃない所が、かえってサクくんとの距離感を表しているよう。
「…………」
「どうだよ。モンスターの素材をこうした掃除に使っちゃうなんて、俺のファンタジーな工夫が光るだろ?」
「…………」
「良いよな、こう……モンスターの素材をそのまま使う感じ。マグリョウさんのナイフだって、虫の爪やらアゴを研いだ物なんだってさ。イケてるよな~」
「…………?」
「……ん? ああ、これか? これはアレだよ、触覚。ダンジョンの蛾の触覚だってさ」
「…………っ!」
「うわっ! き、急になんだよっ!」
「む~!」
「……えぇ……? 何を怒ってんだ? 今度は変な所も触らないように注意したし、この触覚はよく洗ったから完璧に清潔だってのにさぁ……」
「むむぅ~!」
「もしかして女の子って、虫が嫌いなのか? いやでもロラロニーは喜んで振り回してたしな……まめしばはどう言ってたっけかな」
チイカちゃんがサクくんを強く押し、顔を赤くしてむぅむぅ唸る。
きっと彼女は、知らずの内に虫の死骸を押し付けられていた事に対して怒っているんだ。ボクも一応女の子だから、そんな彼女の気持ちが少しはわかる。
……お尻の砂は自分で落とそ。流石のボクだって、虫の触覚で撫でられるのは嫌だもの。
というか普通は嫌だよね。ロラロニーちゃんがちょっとおかしいだけやよ。
「む~! むぅ~!」
「わかったって。もうやらねーよ……ったく、ワガママな奴だな」
「……んふふ」
それにしても2人は仲良しだ。
俗世では "喧嘩するほど仲がいい" なんて言うけれど、チイカちゃんに関しては間違いなくそう。今までの彼女は誰かと喧嘩が出来るほど互いの気持ちを見せあう事なんてしなかったし、心をぶつけ合うだなんてもっての外だったんだから。
【聖女】のチイカちゃん。『なごみ』で生まれた人口聖女。
彼女の生い立ちは幾らかばかり知っているし、複雑で難しい子だっていうのはわかってる。
それはボクには関係のない事だし、彼女はそれで幸せだったのだろうから、特に何とも思っていなかったけれど……それでも今、ああして普通の女の子みたいに見えるチイカちゃんは、個人的に好ましいと思う。
……そして、だからこそわかるんだ。彼女がサクくんに持っている感情が、なんとなく。
それは恋愛のように甘酸っぱい物でもなければ、嫌悪のような苦々しい物でもなくって。
あれはきっと、ボクがサクくんに持つのと似た感情。
チイカちゃんも、そしてボクも、サクくんに惹かれてる。
けど、惹かれてはいるけれど……それは恋とは違う感情。
サクくんに対する純粋な興味と、"もしかしてこの人なら" って何かを期待してしまう気持ち。決して一言では語れない、複雑でむずかしい想いなんだ。
……今は、だけどね。
◇◇◇
「……ん? マジかよ……へぇ、そうなのか」
「どうした? サクリファクト」
「あ、いえ……えーっと…………」
一時の安息。シマリスくんがまた起き上がるまでの、準備と作戦会議のハーフタイム。
そんなゆるやかな空気の中で、サクくんが一人で語りだす。
あわや痛みのフィードバック過多による危険な独り言かと思ってヒヤリとしたけれど、それはどうやら相槌で、見えない誰かと喋っているだけみたい。
……ん~?
あれってもしかして、『サポート・システム・メッセージ』で会話してるのかな?
……うん、そうかも。十分有り得る。
ボクが知っているRe:behindの事前情報と照らし合わせてみれば、サクくんにはその資格が十二分にあると思うし。
「……リスドラゴンの次に消える弱点、の話なんですけど」
「……ほぉ、そりゃ何だ?」
「どうやら "消化機能の改善" みたいっす」
「消化ぁ?」
「ええ。口内や頬袋に入れただけの物は別として、完全に飲み込んだ物は即座に消去する仕様になる……らしいっす」
尻尾が一本減る度に、弱みが消えていくシマリスなドラゴンくん。
そんな彼の3つ目の克服は、今までとてもゆっくりだった "お腹の物を消化するスピード" が早くなるって事だ、と、そうサクくんは語る。
「そうか、わかった」
それを聞いた【死灰】は、ただそれだけを言っておもむろに装備の点検をし始める。
おかしいよね。サクくんがどこでその情報を得たのかも、そしてその情報が確実なのかどうかもわからないっていうのに、そんなあっさりした返事で済ませるなんて。
「…………いや……えっと……」
「ぁん? どうした?」
「何か……ずいぶんあっさりっすね」
「んん?」
「……自分で言うのもアレっすけど、何の根拠もない話っすよ。どうしてお前にそんな事がわかるんだ~とか、根拠もなく適当言ってるんじゃないか~とか、そんな感じで疑問に思ったりとか、普通はするんじゃないのかな~……って」
「別に、思わねぇな」
「…………どうして?」
「お前は俺に適当を言わねぇし、嘘も吐かねぇよ」
「…………」
ポーションの小瓶を一つずつチェックしながら、何でもない事のようにそう言う【死灰】。ソレを見てボクは思わず吹き出しそうになる。
なぁに? 今の。
"サクくんは自分に嘘を吐かない" なんていう、願望じみた事を言っているっていうのにさ。
それをまるで、投げられた賽の出目を告げるような、不変で歴然たる事実として語るような口調で言って。
なんて偉そう。なんて自信過剰。
なんて正直な言い方で、なんて【死灰】のマグリョウらしいセリフ。
「……んふふ」
ああ、素敵だね。サクくんの影響が目に見えるようでさ。
それは【聖女】も【死灰】も、そしてどこかの誰かたちもが、みんながみんなそうなんだ。
この世界に来るまでの半生で凝り固まった価値観を、すっかり出来上がってしまった人間性を、頑固で歪な道徳心を、自分で見直して修正をかけてるみたい。
サクくんと関わった人はそうして、ディストピアな現実で育まれた観念を、明日への希望に変質させているんだ。
それはとっても良い事だし、他でもない『5th』でしか出来ない事で――――
「…………っ」
あ。
あぁ……。
何か、びりりと来たかもしれない。
ひょっとして、これってつまり、そういう事なのかなって思い浮かんだ。
もしそうだとしたら、色んな事に説明がつく。
あちらこちらに納得するし、とても大きな希望が湧き出る気がするよ。
「…………」
……確かめたい。
……ねぇ。
聞こえてる?
教えて欲しい事があるんだ。
だから、聞こえていたら返事をして。
――――……"MOKU" 。
『はい、聞こえておりますよ、洋同院 優修士』
教えて、"MOKU" 。
現実世界の "監視社会" について、あなたはどう考えているの?
『……回答が出来ません。わたしはわたしの思想を持つ事を許可されておりません』
そっか。
それじゃあ質問を変えるね。
サクくんは……ううん、違うや。
サクリファクトくんのようなこの世界のプレイヤーたちはさ。
"なごみ" に じぃっと見られていたりする?
『はい』
……それってどうして?
『一つは仮想世界における非道徳な分子として。もう一つは現実世界における危険な因子として、です』
……んふふ。それだけ聞ければもういいや。
ありがと、"MOKU" 。
『……お役に立てたのなら光栄です、修士』
◇◇◇
「――……ギィィ……ッ」
シマリスくんがうめき声を漏らす。そろそろお目覚めの時間かな。
そんなこんなの戦場に立つのは、それぞれの思惑を持った竜殺したちとサクくんだ。
……ああ、なんて晴れやかな気分だろう。
誰を殺した時よりも、誰に殺された時よりもすこぶる爽快やよ。
「たかがドラゴン、かぁ」
「……あぁ? んだよ変態女」
「んふふ、何でもないよ。【死灰】は良いこと言うなぁって思っただけ」
「…………そうかよ」
そう、これはただのドラゴン。乗り越えて当然の中ボスなんだ。
だってボクらのラスボスは、もっともっと大きな怨敵なのだから。
ドラゴンを倒そう。他国に打ち勝とう。
そして明日も明後日も、ずぅっとみんなで楽しく仲良く、『5th』を……『Re:behind』をプレイして。
そうしてこしらえた銀の剣で、悪い魔王を倒すんだ。
「……よ~っし! これから頑張ろうね、勇者なサクくんっ」
「え……あぁ、うん。……うん? 勇者? 急になんだよ、俺はならず者だぞ」
訝しげな顔でボクを見るサクくんは、何の変哲もない一般プレイヤー。
地味で平凡でノーマルな、どこまでも普通な男の子。
だけどね、キミは勇者なんだ。
"魔王" を滅ぼし、世界に平和を取り戻す――――地味で普通な、勇者様。