第三十八話 Ripple fire at them 6
◇◇◇
「……さて、ところでクソネズミ。これが何だかわかるか?」
「ギ……?」
そう言ってマグリョウさんが取り出した、何かの道具。
それはずいぶんと色鮮やかな黄色で、灰色の塵が漂う中で強く主張されていた。
なんだ? あれ。
黄色くて丸くて、先っぽが少し赤い。マグリョウさんの持ち物にしては、見慣れぬ明るい色合いだ。
「よく見ておけよ。これを、こうするとな」
そんな謎のアイテムを、マグリョウさんが右手で握りしめる。
そして手のひらを開くと――――
――――プピィ~
と気の抜けた音がした。
……もしかしてアレって、アヒルのおもちゃか?
お風呂に浮かべて遊ぶやつ。
何でそんなの持ってるんだろう。
「良い音が鳴るんだぜ」
「…………」
……ちょっとよくわからない。
緊張走るドラゴン戦で、いきなりアヒルを取り出して、良い音というより気の抜ける音を響かせるマグリョウさんの意図が。
彼の一番の友人だと自負している俺ですら、それは流石に理解出来ない行動だ。
「…………」
――――プピィ~
――……プピィ~
…………プピピィ~
「…………」
「えっ」
「ヂッ!?」
突然だった。
アヒルのおもちゃを握り、そして離す事で鳴る、気の抜けるような音。
それによって生まれたリスドラゴンの警戒。あのアヒルが何かの効果を持っているんじゃないかという、緊張。
そうしてリスドラゴンも、そして俺やクリムゾンさんたちも、そのアヒルに注目していた……その瞬間。
今リスの正面に居たはずの灰色の男が、さらりと風に流され消える。
そしてリスの背後から、空気を裂くようにして現れる。
「ヂヂッ!?」
陽光を反射する剣刃が、リスの腰骨辺りを後ろから貫こうと突き出され、キンと音をたてて接触する。
……どうなってるんだ?
距離にしておよそ15メートル。まるで転移したかのような瞬時の移動。
遠目からしっかり見ていたはずの俺ですら、何がどうなったのかわからなかった。
遠目で見ていた俺も、正面から見据えていたリスドラゴンも、混乱しきりだ。
「ギ……ギギッ!?」
「……え? い、いつの間に?」
「んふふ、なぁにあれ、アヒル? どうしてあんなの持ち歩いてるんだろ?」
「ツ、ツシマ。お前はわかるか? あそこに居たマグリョウさんはいつから灰だった?」
「ん~? ずっと前から、かな? ボクもあんまりわかんないや」
離れた位置から見守る俺たちですら捉えきれない、極めに極めた【死灰】のフェイント。
それをしたマグリョウさんが、再び灰に紛れて行く。
その姿はまるで元から幻影だったように、ふわりと揺らいで消失する。
辺り一帯灰の霧。全部が彼と同じ色。
偽物の灰色は剣を持ち、仮初めの命で加害を狙う。
本物の【死灰】は灰に隠れて、殺しの瞬間を今か今かと待っている。
次に出てくるのはどっちなのか、傍目から見たってわからない。
それは、手がつけられないとしか言いようのない戦場だ。
「どこから灰で、どこまでが俺なのか――……てめぇに見切れるかよ、雑魚ドラゴン」
灰の分身。灰色の本体。
渦巻く灰燼、そのすべてが【死灰】。
"どこから灰で、どこまでが俺なのか" という、いつも通りのマグリョウさんの決め台詞が、ことさらに深い意味を持った気がした。
◇◇◇
「俺はここだぞ」「背後がガラ空きだぜ、間抜け」
「片目が無いと不便だろ? 無いほうが死角になるからな」
「ほら、こっちは見えねぇだろう?」「まぁ、本物の俺は左に居るんだけどな、ははっ!」
「……嘘だ、馬鹿」
「ギ……ッ!? ギヂ!? ギィッ!! ヂ!?」
一人で無数な孤高の軽戦士、【死灰】のマグリョウさんが、言葉と剣でタコ殴りをする。
あちらこちらに浮かぶ影。灰で出来たマグリョウさんの偽物。
そんな真実と区別がつかない虚構が、現れては消え、崩れては立ち上がり――そして時折混ざる本物がリスに傷を付けていく。
それを迎え撃つリスドラゴンの攻撃は、確かにヒットしていた。
ヒットしていたけれど……それは決まってハズレにだけだ。
肝心の本体には、まだ一度も爪痕を付けられていない。
「ヂヂィ! ヂィッ!」
「……ははっ! こうしてると、海辺の殺しを思い出すなぁ? なぁ、どうなんだよ毛玉野郎。俺はあの日を幾度となく思い返したぜ」
剣も槍も通さない、リスドラゴンの龍鱗である茶色い体毛。
それが無い場所――手足の指や耳などを狙ったマグリョウさんの攻撃は、流血こそ無いものの、確実にダメージを蓄積させていた。
その証拠として、リスドラゴンの動きが徐々に緩慢になっている。
――――プピィ~
そんな中で、ふと鳴った気の抜ける音。マグリョウさんのアヒルの音だ。
それは初めに本物が鳴らした音。そこに本物が居る証。
リスはそんな自身の記憶を頼りにし、一撃で決めようと大きく手を振った。
「ヂィィッ!!」
「……待ちかねたぜ。その、間抜け面全開の大振りを」
「ギッ!?」
アヒルの音に釣られた、腕を伸ばして広い範囲を薙ぎ払う攻撃。
ケリをつけるために『マグリョウさん本体が居るであろう方向をまとめて切り裂く』という、至極当然の選択。
そして、それが当然だからこそ。
マグリョウさんは、それを待っていたのだろう。
「――――ギィィィーッ!!」
「ははっ! 今度は一回で刺さりきったなぁ!」
先程狙った左ヒザとは反対側の、リスドラゴンの右のヒザ。
どちらも体毛が抜けていた場所で、体を支えるための重要な関節部だ。
そんな大事な場所をすっかり貫かれたリスドラゴンは、たまらず地面に膝をつく。
「……なぁ、クソリス野郎。何も出来ねぇ無害の害獣よう」
「ギヂィ……!」
「……そのヒザ、どうした? 何でそこだけ毛が抜けてんだ? 全身ふさふさだってのに、両ヒザだけ不自然に丸裸だったのはおかしいぜ。それはどうしてだ?」
「ギィィィ……!」
「…………俺にはわかる、サクリファクトだ。あいつがお前を追い込んで、毛飛ばしって苦肉の策を取らせたんだろ。……ああそうだ、そうに違いねぇよ、なぁ? そうだろ」
「ヂィ……ヂヂヂィッ!」
「俺にはわかるんだ。サクリファクトは、俺の親友ってのは――【死灰の片腕】ってのは、それほどの奴だ。竜殺しなんて目じゃねぇんだよ。……あいつがお前とヤリあってたなら、そのくらいは軽くやるはずだ。間違いねぇ」
……ここには沢山の竜殺しが居る。
【脳筋】ヒレステーキさん、【正義】のクリムゾンさん、【殺界】のジサツシマスと……そしてあの【聖女】のチイカですら、この場所に居て。
そしてみんなで、あのリスドラゴンと戦っていた。
だったら、誰もが思うはずだ。
『リスドラゴンを追い詰めたのは竜殺しで、一般プレイヤーのサクリファクトじゃない』って。
…………でも、マグリョウさんは違う。
この場に居るどんな人より、【脳筋】より【正義】より【殺界】より【聖女】より。
この俺を信じてくれている。
誰もが認める最強の男が。俺が一番憧れている人が。
誰に聞いてもいないのに。その場を見てもいないのに。
リスドラゴンを追い詰めて、ヒザの毛を飛ばさせたのは――間違いなく "サクリファクト" だと言ってくれている。
……泣きそうだ。それが間違っていたとしても、そう思うし……実際にそうだから、余計に嬉しい。
"俺は【死灰】に信頼されている"。
マグリョウさんの言葉から伝わるその事実が、堪えきれないほど胸を震わせて。
「……俺は最初に言ったよな。お前を終わらせるのは――――サクリファクトの意思と、それと共に在る死の灰だ、と」
「ギヂァーッ!」
「ヒザをやられて頭を下げた……それがお前の死因だぜ。サクリファクトがこじ開けた道を往き、【死灰】がお前を終わらせる。俺たちに牙を剥いた事、後悔しながら死んで行け」
「ギィィィーッ!!」
「覚えておけ。お前は俺とサクリファクトに殺される」
地に両ヒザをついたリスドラゴンの身体を、マグリョウさんが駆け上る。
足を潰されたリスはそれを回避出来ずに、まんまと顔にまで――――先程目を抉られた時と同じ位置にまで、登らせてしまっていた。
リスは覚える。失敗を。
そしてそこから学び、経験を元に行動をする。
だから、なんだろう。
"また目を抉られる!!" と恐怖して、慌てて左目を抑えたのは。
「ギッ!? ギィッ!!」
リスはそうした。俺も思った。マグリョウさんは、残ったリスの左目を狙っているんだろうと。
しかし、彼がしたのは――――
「二度目だぜ、たっぷり味わえクソネズミ」
「ギムッ!?」
――――自分の腕を、リスの口内に突っ込む事だった。
◇◇◇
咄嗟に "愚策だ" と思った。
リスドラゴンは食べた物を消去する。
その上今のリスドラゴンは、"何かを食べている間は無防備" という弱点も消えているんだ。
だからその行動は、ハイ・リスクだけでゼロ・リターンの何の意味もない事だ、と。
しかし、そんな俺の考えは……俺を膝枕する【殺界】の言葉で否定される。
「ん~……んふふ、そっかぁ。んふふふ」
「……なに笑ってんだよ? マグリョウさんを馬鹿にしてんのか?」
「やだやだ、違うよサクくん。そういう事じゃあなくってね。ボクは【死灰】が素敵な男の子だなぁって、改めて感じていただけやよ」
「……素敵?」
「んむ、素敵。だってね、ほら」
「…………?」
「あれさ、左腕やよ?」
……左腕。
マグリョウさんの、左側の腕。
ああ――そうか。
それは無いものだ。消えたものだ。
海岸地帯で失って、この世界から消去されたものだ。
「……喜べよ、前にも食った【死灰】の左腕だぜ」
「ムギッ! ヂヂグムゥッ!!」
「…………あの日からよう、クソだるかったんだぜ。ポーションを開ける時、ナイフを抜く時、クロスボウで殺そうとする時……そんな時に左腕を使おうとして、その度そこにソレがねぇ事に気づいてな」
「ムギギィッ!」
「運営に問い合わせもしまくったし、カニャニャックのイカれた薬も散々試した。体の部位が欠損したまま呑気に歩いてる奴なんざ他にいねぇから、悪目立ちだってしまくった。日課の "迷宮探索" だって、不便だらけの縛りプレイだ。毎日つくづく思ったぜ……やらかした、ツイてねぇ、そして――――」
「ギグムッ! ギヂムゥ!」
「――――……俺を食ったクソ野郎を、こんな姿にしたてめえを、必ず……必ずぶち殺すってなぁ……!」
リスの口に突っ込まれているのは、マグリョウさんの左腕。
それは【死灰】のスキルを使い、『灰』で作っている『灰の腕』だ。
……そして、マグリョウさんが腰のベルトからアンプルを取り出す。
そんな、ダンジョンの虫を燃やして作った灰がたっぷり詰まった【死灰】の必需品を、歯で挟んで割り開ける。
「……食われて消えた左腕が、てめぇを食えと幻肢痛を捩らせるんだ。新しい俺の左腕が、てめぇを殺せと疼いてたまらねぇんだよ」
「ムギィィィッ!」
「食え、腹いっぱい食え。食って死ね、死ぬまで食えよ…………食え、食いやがれクソネズミィ! あの時みたいにニヤついて、美味そうに食って見せやがれっ!」
ぼこり、ぼこりとリスのお腹が形を変える。
マグリョウさんの『灰の腕』が、外側からでもわかるほど、中で滅茶苦茶に暴れているんだろう。
……『リスドラゴンの食事』による消去が、どういう仕様なのかはわからない。
わからないけど、もし『灰の腕』を消去していたとしても。
マグリョウさんが口に咥えたアンプルから流れ出る灰が、次から次に『灰の腕』に注ぎ足されて行っているから……終わりがない。
どれだけ消しても、新たに灰が注がれるから――どうしたって消しきれないんだ。
…………これは、意趣返し。そして復讐だ。
海岸地帯でリスに左腕を消されたあの日を、マグリョウさんは忘れていなかった。
いくら【死灰】の効果で代わりが見つかったと言っても、自身を削られた苦い記憶は持ったままでいたんだ。
だから、左腕を食べたリスドラゴンに、左腕を食べさせる。
そして、消された左腕で――――リスを殺すと、決めていたんだろう。
「ムギギヂィ!」
「死ね。苦しめ。苦しんで死ね。懺悔しろ。この【死灰】の一部を食った事、そのクソみてぇな命を捧げて詫びろ、クソリス野郎」
「グムム……ギヂィッ!!」
リスドラゴンが頭を振る。マグリョウさんは離れない。
両手で引き剥がそうとするも、いつの間にかリスの頭にぐるぐると巻かれたフックショットの鎖が絡んで、離れない。
そして……身体を大きく動かして、振り落とそうとしても。
両ヒザを壊されたリスドラゴンは、大きく動けない。
……そのための、両ヒザへの攻撃。
俺の頑張りを汲み取り、自分の復讐心を汲み取る……プライドとこだわりを完全に満たす戦術。
マグリョウさんは最初から、こうするために動いていたのかもしれない。
「ははっ! だから先に両足を潰したんだよ。鬱陶しい暴れが出来ねぇようにな」
「ムギギィッ!」
「俺はあいつの親友だ。あいつが残した戦果は全部、俺が拾って使ってやる。そうしてお前は俺に殺される。……サクリファクトがお前の前に立った時点で、詰みなんだよ」
剥がれない、離れない。
そうしたマグリョウさんに殺されつつあるリスがとった行動は、"殺される前に殺す" というものだった。
爪で引っ掻き、突き刺し、抉る。
左腕だけではなくマグリョウさんの全身を飲み込もうと、一心不乱にアゴを動かし噛み付く。
顔面を地面に叩きつけ、自分の顔ごとマグリョウさんと押し潰そうとする。
そんな、顔に張り付いた捕食者を、全力で排除しようとする動きを見せる被食者。
しかし、それでも剥がれない。
爪で顔に傷を負い、地面とリスの顔面のサンドイッチで口から血を吐いても……灰色の男は、離れない。
「……はっ! ははぁっ! 切羽詰まってきたなぁ、クソネズミィ!」
「ギ……ギィ! ムギィィーッ!」
「そうだっ! 食え! 殺せ! 噛み殺してみろっ!! どっちの殺意が生き残るのか、命を賭けた我慢比べだっ! はははっ!!」
いよいよ迫る死を前にして、リスの動きも瀬戸際の必死を見せていた。
のたうち回る、という表現以外思いつかないほどの大暴れ。全身の針をがむしゃらに射出して、とにかくこの状況から逃れようとする懸命の自己防衛。
それをまともに受けるマグリョウさんは、『治癒のポーション』の小瓶をまとめて幾つも掴み、ガラスごと口に含んでガリガリと咀嚼しながら――それでも笑って、耐える。
「ムギヂギギィィィーッ!!」
「が……っ! は、はぁっ! 死ね、死ねっ! 死に晒せ! ハラワタをかき混ぜられて無様にくたばれっ、クソドラゴンがぁ! ははっ! はははっ!!」
"死にたくない" と嘆く者は、身を守るために殺意を飛ばす。
"殺してやる" と嗤う者は、その身を捨てて殺意を捻り込む。
そんな両者が全身全霊をかけて行う命の比べっこは。
長い時間――実際には2分も経っていないけれど、それでも長い間続いた気がして。
そして、そのまま幕を閉じた。
◇◇◇
灰色の男が大地を歩く。
物言わぬドラゴンの死骸を背にして、威風堂々とこちらへ歩み寄る。
「…………」
体内から殺されたリスドラゴン。
その体躯は、体毛が少し減ったのと両ヒザに傷があるだけで、血にまみれてもいなければ四肢を失っている訳でもない。
そんな綺麗な状態のままで目を閉じている様子は、まるで眠っているようですらあった。
「……うわぁ、血だらけのボロボロだねぇ。これじゃあどっちが勝者なのかわからないや」
そんなリスドラゴンを殺した男は、全身血まみれの傷だらけだ。
頭を引っかかれたのか、灰色の髪の毛は半分ほどが血に染まり、流れた血で片目も真っ赤に充血して。
左腕を作る『灰』をリスのお腹に置いてきたのか、片腕はすっかり失われ、更には体中にリスの毛が痛々しいほど突き刺さっている。
……満身創痍。ズタボロのギタギタだ。
だけどその目は――いつも通りに、ギラリと鋭い殺意の眼差しをしていた。
「……経緯がどうあれ、結果は勝ちだ」
「ふぅん?」
「……途中で何がどうなろうとも、最後に死んだソイツが負けだ。どういう形であろうとも、ぶっ殺した奴が勝ちなんだよ。……前にも似たような事言っただろ。覚えてねぇのか変態女」
「えぇ~? そんな事言われたっけかなぁ? 前はなんて言ったのさ?」
そう言いながらマグリョウさんは、ふとももに刺さったリスの毛を3本まとめて引き抜く。
そして、それを握ったまま――魔法『火』を発現させた。
「『死ななきゃ安い』、だ。至言だぜ」
リスの体毛が、灰色の手の中で燃えていく。
ちょうどリスが死亡判定を受けたのか、残された火の粉だけがはらはらと舞い散った。
……猛烈に、誰かに自慢したい気分だ。
"俺はこんなに格好良くて、その上ソロで竜を倒しちゃう人と友達なんだぜ" って。
◇◇◇