第三十七話 Ripple fire at them 5
◇◇◇
「ヂィィ……ッ!」
リスドラゴンにとって、一番の脅威だったすばやいローグの俺 。
そしてそれをつくづく癒やす厄介なヒーラー、チイカ。
どれもこれもがあいつにとっては小さな存在で、鬱陶しいだけの小虫だった。
だからそんな雑兵を排除するため、『弱い中で一番邪魔』であるチイカを初めに狙ったんだろう。
「尻尾は……8本か。ふさふさもさもさとウザってぇな」
「ギィ……!」
「8本って事は、脳筋野郎に正義バカ……ついでに腐れ聖女に変態PKやらで減らしたのか?」
「ギヂヂィッ!!」
「……いや、ちげぇな……そうじゃねぇ。お前を殺すのはあいつの意思だ。この場を作ったサクリファクトが居るから、てめえは死に向かってんだろうよ」
そんなリスドラゴンは今、空気を染め上げた『灰』を見ている。
一瞬たりとも目を離さないぞという強い意思で、全身全霊で警戒をしながら、真っ直ぐと。
そうした視線の先では、うねって歪んで呼吸するように脈動する『灰』と――それを背負う男が一人。
俺より、チイカより、他の誰よりもリスドラゴンが脅威だと思っているプレイヤーが居る。
「……聞けクソネズミ。俺は今からお前を殺す。何故ならそれがサクリファクトの意思だからだ。あいつがそうするっつったから、【死灰】はこうしてここに居る」
「ギヂィ!」
「お前を終わらせるのは――――サクリファクトの意思と、それと共に在る死の灰だ」
そうしてリスに語りかけながら、体中からチャキチャキと音を鳴らすマグリョウさん。
……それは確認の音、そして殺しの準備をする音だ。
ベルトの小瓶、胸元にある投げナイフ。
そして腕や足に仕込まれた刃物なんかの、彼の全身にある "何かの殺すための物" 。
そのひとつひとつを『灰の手』が触って確認し、減った物を足したり邪魔な物を取り外したりする事で、そんな硬質的な音を鳴らしていた。
「ひ、一人で行く気ですか?」
「だっ! 駄目だ【死灰】っ! シマリスドラゴンは、海岸地帯のあの時よりも強化を重ねているのだぞっ!」
「そうですよ! いくらキミでも、それは無謀です!!」
「おうおう【死灰】よぉ! そうやって考えなしで突っ込むってのは、よくない事だってのよぉ!」
「……いや、ステーキがそれ言います?」
回復を図るタテコさんとクリムゾンさんが、マグリョウさんへ警告を飛ばす。
自分たちがいとも簡単にやられた相手に対して、孤高の背中を見せつけるソロの男へ、"それは無茶だ" と言葉をかける。
……だけど、俺はそうは思わない。
だって、アレだぞ。
あの人は、他でもない……マグリョウさんだぞ。
だったら何も心配は要らないんだ。
「……うるせぇぞボケ共。誰に物言ってんだ」
「し、しかし……っ!」
「黙って見とけ。お前らにも、このクソネズミにも――俺が誰だかわからせてやるからよ」
「ギヂヂヂァーッ!」
腰の小瓶を1つ引き抜き、逆さまにして灰を撒く。
マグリョウさんの手からさらさらと零れ落ちる灰は、重力をまるきり無視してぶわりと舞い上がった。
「……往くぞ、クソネズミ。死ぬ準備をしろ」
「ギヂヂィーッ!」
「ソロで竜狩り……孤高の軽戦士らしい舞台じゃねぇか。ははっ! 燃えるぜ」
そして、戦いが始まった。
◇◇◇
「『はやぶさ』『とこしえ』」
「ギッ!?」
「――『さみだれ』」
山から滑り落ちる雪崩のように、猛烈な勢いで進む灰の霧。
そこに紛れたマグリョウさんが、リスの体の中心部――心臓か、もしくは重要な器官がありそうな場所へと剣先を突き出した。
「……あぁ?」
「ヂィッ!」
普通のモンスターなら刺さるはずの、閃光のような速度の乱れ突き。
それはリスの胸元や脇腹、そして太ももなどの明確な急所へ吸い込まれる。
しかし、それでも、やはりと言うべきか。
リスドラゴンのダメージはどう見てもゼロだった。
「以前も硬かったが……あの時とは手応えが違うな」
「ギヂィーッ!」
「……失くした尻尾2本分の強化か。海岸の時は "食事中は防御力DEF低下" が消えたようだったが、それと何か別の所が強化されてんのか」
……攻撃がまるで効かないってのは、本当に厄介だ。
なにせそれは、戦いにおける終着点――相手の体力を奪いきり、地に伏せさせる という勝利の形が見えなくなるのだから。
それがただのモンスターならいい。
リビハのモンスターは倒せるものだとわかっているから。
自分と同じプレイヤーキャラクターならいい。
不死身のプレイヤーなんてのはどこにも居ないし、自分も誰かもHPがなくなれば必ず死ぬと知っているから。
だけど、『ドラゴン』は駄目だ。
それはここの絶対強者。それは規格外の制定者。
どれだけリビハをプレイしていても、『ドラゴン』という存在については誰もが知らない事ばかりだし、だから『もしかしたら普通には倒せないタイプの敵なんじゃないか』って疑問が頭に浮かんでしまう。
だからこうして攻撃が効かないと、素直に心が折られるし、これ以上どうやって攻めたらいいのかがわからなくなる。
そうしてひとたび戦闘の中で、己がすべき事を見失ってしまうと――何をするにも迷いが生まれ、それは綻びとなって隙になる。
だから俺やクリムゾンさんたちは、その全員がそうした『未知』につくづくやられ、こんなにもボロボロにされているんだ。
「ああ、そうか……なるほどなぁ。そりゃあ正義バカもヤラれる訳だ」
「…………」
「脳筋野郎でも駄目って事は、打撃って弱点も克服したんだろ? 下らねぇ。段階変化するボスなんざ今日び流行ってねぇんだ――――よっ!」
「ギィ!?」
そう言いながら、マグリョウさんが動きを見せる。
使用したのは灰色の装備品、腕から伸ばすフックショットだ。
以前俺がリスドラゴンからロラロニーを救い出す時に借りたアレ。
そんなオリジナルの道具を、灰の中からリスの眉間に当てる。
先端の虫のアゴのような形状をしている金属部が毛をしっかりと噛み、マグリョウさんが巻取り機構を動かした。
「……なぁクソネズミ。お前、矢を避けたよなぁ」
「ギヂッ!?」
「目は柔らかいんだろ? だから避けたんだろ? 傷がつくから、守ったんだろ? なぁ?」
「ギ……ッ!? ィィッ!」
「怯えを見せたな。【死灰】は見てるぜ、お前の恐怖を」
そうしてリスの顔面へ勢いよく飛び込んだマグリョウさんは、右手でフックショットの鎖を掴みながら、リスの瞳を覗き込む。
……こちらからではマグリョウさんの表情が見えないけれど。
…………すげえ楽しそうな顔をしてるんだろうな、って思った。
「はは、ご対面だ。近くだとまた違った間抜け面に見えるぜ」
「ヂュ、ヂュゥッ!」
「目玉もこんなにくりくりで、可愛いもんじゃねぇか」
「ヂュヂィ!!」
「……なぁ、クソリス野郎。俺はお前の目玉が気に入ったぜ。この【死灰】がな。だからよう」
そうしてリスドラゴンの顔面に張り付くマグリョウさん。
見上げるほど大きな体躯を持つドラゴンの顔と並ぶと、灰色の彼がことさらに小さく見えるな……なんて俺が呑気に考えていた、その時だった。
顔に張り付き、リスの瞳を覗き込んでいたマグリョウさんが、何の躊躇いもなく――――まるで朝食時に冷蔵庫から冷えた牛乳を取り出すような気軽さで――――リスドラゴンの目に『左手』を突き入れたのは。
「その目ん玉、ひとつくれよ」
「ギッ!? ギィーッ!」
……リスドラゴンの右目を引きずりだした『灰で出来た左腕』が、リスの血で真っ赤に染まる。
そんなマグリョウさんを振り払おうとしたリスの爪を飛ぶように回避して、くるりと着地したマグリョウさんは、"リスの目玉" を陽にかざすようにして、ゆっくりと眺め始めた。
「ギ、ギィ……ッ!」
「へぇ……虫のモンとは違って、結構ぶよぶよしてんだな」
「ギヂ……ィィッ!!」
「なんか、思ってたより気持ちわりいなコレ。やっぱ要らねぇわ、こんなゴミ」
「……ギィィィィ…………ッ!」
「つってもまぁ、何かには使えるか。カニャニャックにでもくれてやろう」
そう言いながら自分の一部をストレージに突っ込む灰色の男を、片目で睨みつけるリスドラゴン。
よほど上手く引き抜いたのか、躊躇知らずのスマートな手術だったためか。
閉じた右目から血が流れるような事は無かったけれど、憎悪の籠もったリスの声はどくどくと漏れ出していた。
「……さて。クソみてぇな竜素材はどうでもいいとして、実りはあったな」
「ギィィ……ッ! ヂゥゥゥゥ……ッ!」
「……クソリス野郎。お前の硬さってのは、その『毛』によるもんだろ? 昆虫モンスターの外殻が如く、体毛で身を守ってやがるんだ。だからそれが無い場所は、普通に斬れるしぶち抜ける。目玉に毛は生えてねぇしな」
……毛、か。そうか。
リスドラゴンの防御力はあの体毛による所だったのか。
……ああ、そういえば "MOKU" も言ってたっけな。
"現状硬くしなやかな体毛によって身を守っているシマリス型ドラゴン" って。
あれはあいつなりの、ヒントだったのか。
そう考えれば、思い至る。
あの茶色い毛は、『龍鱗』であるのか、と。
ドラゴンが持つ、身を護る強靭な外皮。
それはワイバーン型の赤い鱗で、カブトムシ型の黒い外殻だ。
砕けず、曲がらず、刃を弾く。ドラゴンの強力さを引き上げる、竜が持つ防具。それがドラゴンの身を守る『龍鱗』だ。
だからきっと、シマリス型の『龍鱗』は――あの茶色い体毛なんだろう。
…………少し冷静になって考えていれば、わかった事だったかもしれない。
だけれど気づけなかった。観察が足りなかったとかじゃなく、頭を働かせる余裕がなかったから。
目まぐるしく行われたシマリスドラゴンのパワーアップ。
攻めのヒレステーキさん、守りのタテコさんと、攻防一体のクリムゾンさんという、盤石に思えた布陣のあっさりとした敗北。
それに加えてチイカの何やかんやがあったから、そうまで考える余裕がなかった。
「……結局の所『強み』ってのは、『弱み』も内包してんだよ。腹を毒液でいっぱいにしたアブラムシは、些細な衝撃で破裂する。疾い速度で突っ込むクワガタは、つるりと滑れば壁にぶち当たる。得意と不得意は、常に紙一重ってな」
「ギィ……!」
「お前が過去に何度もやった、毛飛ばし。それは強力無比だってのに、毛が燃えない限りやってねぇ。すぱっと飛ばせば、さくっと一帯を皆殺しに出来るってのにな」
「ヂィィ!」
「何でやらない? 出来ねぇ理由があるからだ。何で矢を避けた? 避けなきゃいけないからだ。『無慈悲な範囲攻撃』と『無敵の防御』があるってのに、逐一それと真逆のムーブを見せてるお前は――――自分のどこがつけ入る隙かを、何が弱さかを、高らかに宣言してんだよ。みっともねぇ間抜けを晒してな」
俺には無くて、マグリョウさんにある物。
それは、余裕だ。
俺にはそれが無かった。
ドラゴンという名前に気圧されたとか、重ねられたパワーアップが目まぐるしすぎてついて行けなかったとか……そんな色々があるのだろうけど。
何より足りなかったのは、勝てるって自信と、『初見』への対応力だ。
それがないから、じっくり頭を動かす余地が無かった。
…………それに比べて、マグリョウさんはどうだ。
気負わない態度。リスに対する煽りだらけの無駄話。
その上、ドラゴンとの戦闘中に『竜の目玉』というモンスター素材を回収するほどのゆとりがあって。
それを裏打ちするのは、彼の経験と自信なんだろう。
悪名高き『ダンジョン』という、未知と初見に溢れる場所へ日常的に向かい、そして帰ってきた日々。
誰も知らない虫型モンスター、さっきまで無かったはずのデス・トラップ、プレイヤーを殺そうとするダンジョン自体が持つ殺意。
そんな何かに襲われる度に対処をし、そしてきっちり勝利を収めた経験。
『初見』を乗り越え、『知らぬ事』をその場で知り、『未踏』を踏破する自分の実力を知っている。
そしてそれが積み重なって生まれた【死灰】という呼び名と、その名声。
街を歩けば誰もが振り向き、視線を送って道を開け……羨望と畏怖を心に抱く。
そんな周囲の対応を、 "当然だ" と言わんばかりに振る舞う、自分への圧倒的な信頼と、自尊心。
自分は強いと知っているから。誰より出来る自覚があるから。
成し遂げたし、これからも成し遂げると心に決めているから。
だから、すべてが通過点なんだ。
それが例え、未知に塗れた初見のドラゴン戦であったとしても。
【迷宮探索者】の名も持つマグリョウさんにとっては、『何が起ころうと、自分の力でいつも通りに乗り越える』ってだけの事だから。
そうだからこそ、彼はブレない。
知らなければそこで学び、堂々と踏み昇って越えていくだけをするんだ。
「なぁ、クソネズミ。お前は持った性能こそ上等かもしれねぇが、戦闘技巧は終わってるぜ」
「ギヂィ……ッ!」
「言ってやる、お前はNOOBだ。ステータス頼りの力押しでクソしょうもねぇ戦い方をして、まんまと片目を引っこ抜かれた、とんでもねぇ間抜けのクソ雑魚だぜ」
「ギギィィ……ッ! ギヂュァア!! ヂァァッ!!」
……それが【死灰】。そうだから【死灰】。
邪魔するものは問答無用で殺すプレイヤー。
不敗で不敵で不遜な男。孤高の軽戦士。
誰も追いつけない高みにソロで昇り詰めたオンリーワン。
うず高く積み上げられた死体の山のてっぺんに立つ、自他ともに認めるトッププレイヤー。
「……ギィギィとうるせぇんだよ。たかがドラゴン如きが、この【死灰】の前で粋がってんじゃねぇぞ、クソリス野郎」
そんな彼は、あの無敵のリスですら、たかがドラゴンと吐き捨てる。
その傲慢さを、強がりだとか身の程知らずと言う人は、一人も居ない。
それが【死灰】のマグリョウさん。
この世界で唯一、すべてを見下す事が許された男。
◇◇◇