第三十五話 Ripple fire at them 3
◇◇◇
「……チイカ、お前か?」
「…………」
答えは無い。
白い少女は、微笑みもなく、手を組む訳でもなしに、こちらを閉じた目でじっと見つめているだけだ。
「ギィィッ!」
「――――ッ!」
最後のトドメをすんでの所で避けた俺に逆上したのか、ムキになったリスドラゴンが右手を伸ばす。
それを決死の思いで回避しながら、十全に動く自身の体を再確認した。
…………治ってる。
だけど、何故。
どうしてチイカは俺に『殺すつもりの無いヒール』をしたのだろうか。
「ギヂィァッ!」
チイカの『殺すヒール』が優しさだと仮定するのなら、『殺さないヒール』は……嫌がらせか?
いや、それなら放置が一番効果的だろう。
今までのように、俺を『ヒール』の範囲外に置いておけばいいだけだ。
なら、これは彼女の優しさか?
何らかの心境変化があって、俺を助けようとしているとか。
…………チイカが心変わりするような事、何かあったっけか?
「……わかんねぇ」
「ギァァッ!!」
「――――やべっ」
リスドラゴンの突進。
それは先程までの直線的な動きではなく、俺の動きを予測した先回りの体当たりだった。
直撃はしていない。だけれどその速さとデカさ、そして俺の逃げ場を塗りつぶすような軌道に、回避も間に合わなかった。
大きくて重いリスに掠った俺の体は、紙くずかのようにふっ飛ばされる。
「がぁ……ッ」
「ギヂュルゥゥ……」
ゴロゴロぐるぐると回る視界。体の中身が駄目になった感覚。
キャラクターアバターがどこまでリアルに寄せられているのかは知らないけど、『内蔵』って概念があるとは聞いている。
だからきっと、それがどうにかなってしまったのだろう。
「ぐ……っ! ごほぁ……!」
赤黒い血が口から溢れる。
体が重くて目眩がする。
再度死ぬ寸前の状態だ。
「…………」
そんなブラックアウトの直前に、再び暖かいナニカの感触があった。
――――多分、いや確実に、チイカの『ヒール』が飛んで来ている。
体のだるさが解消され、傷んでいた自身の節々は落ち着きを見せ、ぼやけていた視界はすっきり澄み渡る。
「……うぐっ!」
……だけど、今回は "回復" ばかりじゃなかった。
頭が割れるように痛い。いい感じに治ったと思ったのも束の間、さっきより強い目眩が俺に襲いかかる。
"回復魔法の過剰投与" 、【聖女】の『殺すヒール』の影響がチラついて。
…………やりすぎだぜ、チイカ。初心者ヒーラーかよ。
◇◇◇
魔法には、詠唱がある。
それは魔法師が自身で作る、魔法の発現スイッチだ。
言葉を紡ぐ、リズムを刻む、定形文と応用文で魔力による影響を表現し、願う。
そしてそこに、決まった動作を付け加えたなら――――『こう言い、こうすれば魔法が出る』と思い込めるから、きちんと効果を発露させる事が出来る。
そういう話になると、きっと【聖女】の詠唱ってのは、『まーまー・ちゃんと・ぷれい・いんぼーく』と言う謎の呪文と合わせて、手を組む姿や微笑む顔までもがその内に含まれる物なんだろう。
「ギィィッ!」
「……クソ、こっちは頭がいてぇんだよっ」
頭を抑えながら、リスの連続引っ掻きをバックステップで何とか回避する。
そんな合間にチイカを見れば、微笑まず、手を地面に置いたまま、こちらをじっと無言のまま見つめていて。
…………調整、だろうか?
微笑めば、回復効果が出過ぎる。
手を組めば、癒やし過ぎる。
"回復魔法の詠唱に該当する言葉" を口に出してしまうと、『ヒール』が強くなりすぎて、俺が死んでしまうから。
だからああして【聖女】に似つかわしくない仏頂面のまま、気のないポーズでだんまりを決め込みつつ、『ヒール』をしているのかもしれない。
「…………」
殺さないように癒やす。
それは普通のヒーラーが普通にやってる事で、【聖女】にとっては普通ではない特別な行いだ。
それをしようとして、だけれどそれはチイカ自身が不慣れだから……上手い具合に体が治るだけで済んだり、かと思えば逆にこうして俺の頭が痛んだりするのかもしれない。
「……はは」
「ギヂュゥァアッ!!」
「……下手だなぁ」
……身勝手な優しさ。
『殺して救う』という、独りよがりの救い方。
それをするのを止めて、誰かの事を――俺の事を考えてする、『死なないヒール』。
…………【聖女】らしくなってきたじゃん。
下手だけど、ちゃんと優しさが伝わるって意味で。
「――――ッ! いってぇ」
「ギヂァッ!!」
頭が痛い。割れそうだ。チイカの『ヒール』が強すぎるんだろう。
そうしてフラつく俺に向かって、リスドラゴンの爪が迫る。
「ぐ……っ!」
「ギヂィ……」
一本が俺の腕ほどもある、黒い爪。
それが3本まとめて俺の頭に当たり、首が持って行かれそうになる。
……かえって丁度いいや、頭が冴えた。
吹き飛ばされながら感じた『ヒール』は、今度こそほどほどに体を癒してくれた。
「……ふぅ……今のは良かったな…………もうちょっと、回復が足りないけど」
「ギィ……?」
やりすぎたり、足りなかったり。
まるで本当に初心者ヒーラーかのような、不器用な癒し方だ。
「…………」
チイカ。イカれた血まみれ【聖女】。
お前が何を考えてるのか、俺にはさっぱりわからない。
……わからないけど、今のお前は『良い奴』だ。
自分だけで考えた優しさじゃあなくって、誰かの事を考えてする『ヒール』。
『ヒールで殺して終わらせる』なんていうエゴまみれの物じゃなく、相手の気持ちを汲み取った上でする救い。
……どうしてそういう風に変わったのかは知らないけど。
お前はやっぱり、優しいんだ。
それなら。
お前がそうなら。
俺もそうしよう。
お前はリビハで遊ぶMMOプレイヤーになった。
だから俺も、そういう相手として対応しよう。
「チイカ」
「…………」
「それでいい。俺はお前に『ヒール』で助けられてるぞ。それは一番にありがたい事なんだ」
「…………」
「下手でもいい、存分に失敗しろ。出来るまで何度もやり直せ。俺の体でそのやり方を覚えろ」
「…………」
「『癒やすヒール』の反復練習は、俺がいくらだって付き合ってやる」
いくら何でも相手が悪い。
何しろ相手はドラゴンで、リビハが終わる瀬戸際だ。
この局面は、練習だとかそんな呑気な事をしていい状況じゃない。
……だからそれが良い。
後がないぶっつけ本番だからこそ、わからん奴ともわかり合える。
予断を許さず成長しなきゃいけない場面だからこそ、互いに死ぬ気で頑張れるんだ。
全部を都合よく思えばこそ、きっと良い事が起こりうる。
ならば、俺もチイカも幸運なんだ。最高の舞台で、いい感じにパーティプレイを始められるんだから。
「遊ぼうぜ、チイカ。ギリギリいっぱいのクライマックスで、本気の『ヒール』練習だ」
「…………む~」
「心配しなくても、ヤバかったらこっちでどうにかするからさ。楽勝だぜ、お前のクソしょぼヒールなんかじゃあ、俺は絶対死なないし」
「…………」
「だから好きなだけ俺に『ヒール』しろ。他の誰でもない、俺だけに『ヒール』しろ。殺さないようにいい感じに出来るまで、俺がずっと付き合ってやる」
「…………」
「お前がどんな失敗をしようと、俺が全部受け止めてやる。だから思い通りにやれ。大丈夫だ」
「…………」
「……わかったか?」
答えは無い。
だけどきっと大丈夫だ。
チイカはわかってる。俺とぴったり合った、彼女の見えないはずの目が、理解している事を伝えて来てる。
……微細な感情変化も表現されるリビハの世界だ。
だったら、あの目から感じる知性と確かな意思も、きっと中の人の感情そのままであるはずだ。
「何も言わなくていいけど、とりあえずそういう事だから――――」
「…………うん」
「…………」
……いや、何だよ。
普通に喋れんのかよ、チイカって。
◇◇◇