第三十四話 Ripple fire at them 2
◇◇◇
リスドラゴン戦、第3フェーズ。
10本あった尻尾は残り8本となり、徐々に勝利が近づいて来た感じがするぞ――と言った所だった。
倒すたびに弱点を克服していく厄介な仕様で、"何かを食べている時は無防備" と "打撃が弱点" という2つの弱点が失くなったリスドラゴン。
……どうにかなると思っていた。
まだまだ弱点は残っているはずだし、今まで割と押せ押せムードでやって来れていたから。
しかし、甘かった。
【脳筋】ヒレステーキさんの重々しい一撃。【正義】のクリムゾンさんが繰り出す閃光のような連撃。
先程まできちんとダメージが通っていたそれらすべてが、弱点のないリスには無駄だった。
「……急に、こんなに硬いだなんて……っ!」
「殴ったオレの手のほうが痛いってのよぉ」
2人の魂のこもった攻撃が、歯牙にも掛けずに振り払われる。
それらすべてがノーダメージ。まるで効果は目に見えず、リスを止めるに至らない。
――――攻撃が、効かない。
それはその言葉の単純な意味以上に、ひたすら厄介なものだった。
「うぅ……これは深刻な状況ですよ……!」
今までは良かった。
多少なりとも攻撃が通っていたから、リスドラゴンは一部動作を防御に回す必要があったし、ダメージによる活動の阻害も起こり得た。
有効な攻撃が出来ていたがゆえの、攻め責めという戦法が取れていた。
だけど、今は違う。
腕を蹴ろうが背中を叩こうが、何をしてもノーリアクション。
どれだけの攻撃を食らっても決して怯まず、それゆえ "避ける" という動作も取る必要がなくなったリスドラゴンは――――自由に、それはもう思うがままに、彼らを引っ掻き踏み潰して蹂躙した。
……攻撃は最大の防御、という言葉がある。
今までは、まさしくそれを活かした状態だったんだろう。
こちらの攻撃が有効であるなら、それを食らうまいとするリスの回避行動があった。それは明確な隙となり、こちらに更なる攻めのキッカケを与えてくれた。
そこでリスにダメージがあれば、体勢は崩れるし攻撃はおろそかになる。そうなればそこを突く次の攻撃をくわえられて……そうして全体が良いように進んで行くものだ。
だから今は、どうしようもなく劣勢だった。
どんな攻撃も通らない。だからあいつには防御の必要がなくなって、その分自由な時間が生まれる。
何をされても効かないから、あいつには隙が生まれ得ない。隙がなければ攻められず、こちらは防戦一方となる。
技後硬直、姿勢の乱れ、力が入ったがゆえの直線的な動き。
それらすべてがノーダメージで、だからこそそれはすべてが隙。
その隙を突くリスの攻撃は、一つ一つが強くて重くてキツかった。
悪い流れは、悪い流れを呼ぶ。いい流れを作るチャンスすらも無いから、終始何もさせて貰えない。
そうして作られた悪循環は、いつしか抜け出せない泥沼となり……クリムゾンさんたちをつくづく劣勢にした。
「…………」
「む~?」
……当たり前の話だけど、ドラゴンってのはすげえ強い。
サイズは言わずもがなだし、持っているパワーもスピードも、そしてタフネスでさえ俺たちプレイヤーとは桁違いのスペックを持つレイドボス。それがドラゴンって存在だ。
…………だから、思う。
俺は馬鹿なのか、って。
相手はドラゴン。無敵のネズミ。何人でも束になってかかるべき、超弩級の大ボスだろ。
そんな相手を前にして、今後がどうとか何だと言って――何を出し惜しみしてんだよ。
自惚れはやめろ。驕りは捨てろ。慢心するなよ "一般プレイヤー" 。
俺みたいな存在は、あんなにヤバいドラゴンを前にして、今この時を生きてるだけで十分奇跡だろ。
だったらその奇跡を少しでも長引かせるために、出来る事を精一杯、全力でぶつけ続けるしかないだろうが。
「……チイカ」
「…………」
「お前はここに居ろ。おとなしくして、何もするんじゃないぞ」
「…………」
「……何かやったら、その……ええと……なんか、駄目だからな。やめろよな」
「…………」
「マジでやめろよ、ほんと頼むぜ。お願いだからさ」
いい感じの言い方が思いつかないから具体的には言えないけど、とにかく余計な事をしないようにと頼む気持ちを言葉に込めて伝えながら、チイカを地面に優しく下ろす。
やろう。
俺の二つ名。そのスキル。
一度リスドラゴンを倒した事のある、強くない俺のありったけ。
それを今一度、あいつにぶつけてみるしかない。
「……【死灰の片腕】【金王の好敵手】」
今の俺にはこの他に、新たに手にした二つ名がある。【正義】のクリムゾンさんに関連する二つ名、【黒い正義】という物だ。
だけどその効果は、はっきり言って非常に使いづらく、扱いにくい。
その上俺がこれからするのは、このRe:behindという世界の中で自分だけが特別にプラスで加速するという、いわばキャラクター操作がすげえ大変になるムーブだ。
だから今は、ソレはしない。どうなるかわからないし、いきなり制御出来る自信もないから。
【黒い正義】という不安要素は排除して、あいつに一度効いたコレだけで戦うべきだろう。
勿体ぶるわけじゃなく、安定のための温存だ。
……出し惜しみはしない、だけど無理もしない。
自分に出来る事の中で、あいつに届く望みがある事だけを、命がけで精一杯。
…………クソリス野郎に、一発食らわせてやる。
「――――『一切れのケーキ』」
大した価値のない平凡な剣を握りしめながら、胸に手のひらを這わせて技能を発動させる。
するとそこから伝わる鼓動が、どくりと音を遅くした。
……加速完了。
視界に金色のラメが輝いて、心も少しだけ高揚をする。
「……よし。ちゃんと戻ってくるからここで待ってろよ、チイカ」
「…………あ……や……」
「行くぞっ!」
「――――あ……っ! サ、サクリファクトくんっ!?」
「俺がなんとか時間を稼ぎます! その間に回復とか、いい具合にしといてください!」
「駄目だっ! 危険だっ!!」
「危ないですよっ!」
「ぬふぅ~ん?」
ひとかたまりで警戒しつつ、ポーションを使用していたヒレステーキさんとタテコさん、そしてクリムゾンさんの3人が居る場所の横を走り抜ける。
とりあえずの今、俺に出来る事。
俺のすべてはまだ揃って居ないから、今ここに在るだけを全部、ぶつけるしかない。
◇◇◇
俺がするのは、あくまで時間稼ぎだ。
今すでに強く、これから更に強くなるリスを相手取るために必要なのは、俺みたいな "ちょこっと出来るヤツ" じゃない。
――――【竜殺しの七人】。
竜を殺すとされた人たち。そんな彼らの力が有効であるはずだし、絶対にそれが必要不可欠だ。
だから、俺は時間を稼ぐ。
まだまだこれから集まってくるであろう竜殺したちの、次の誰かが来るまでの時間稼ぎをするんだ。
片目でもいい。耳でもいい。手でも足でもいいだろう。
最悪毛の一本でもいいから、とにかくリスドラゴンに傷を負わせて、クリムゾンさんたちが体勢を立て直す時間を――そして援軍が到着するまでの時間を稼ぐ。
そのための全力。欲張りはしない。
たかがその程度に全部を使うのが、今この場での俺の策。
「――――ふっ!」
「ギッ!?」
まずは、初撃。
高速移動を始めた途端に俺を見失ったリスを見ながら考えた結果、それは顔面への攻撃が最善だと考えた。
狙うは、目か耳。あわよくば両方。
命を奪うには足りなくても、僅かなダメージ……そして行動の阻害になればいい。
「――っ!?」
「ギギィ!」
「あっ、いてっ! なん……っ!?」
しかし、それは叶わなかった。そんな事ですらも、させては貰えなかった。
地面を全速力で走り、リスの体を駆け上がって、見よう見まねで繰り出した俺の振り下ろすような蹴りは、咄嗟に体勢を変えたリスの頭に直撃する事となる。
「…………いってぇ……マジかよ」
ずらされた。
されどもそれは、急所とも言える脳天への蹴りだ。
その上俺的に、それなりに全力を込めた渾身だったし、自分でも中々キレがあったと思える良いキックだったと思う。
だけど、それによって被害を受けたのは――――俺だけだ。
……信じられない。なにこれ。死ぬほど硬いじゃねーか。まるで鉄か大岩だ。
蹴りつけた足が付け根からびりりと痺れ、リスに当たった足の甲がじんじんと痛む。
「ギヂヂィッ!!」
偉そうに吠えやがって。
蹴った俺が足を押さえて、蹴られたリスが元気に動くとか、冗談みたいな状況だ。
リアクションが逆だろ、普通。
「クソッ! ふざけんなよっ!」
「ギッ!」
「食らえっ! ちゅーちゅー野郎っ!」
頭は駄目だった。それなら足だ。
狙いを変え、跳躍してリスの膝を狙った。今度は足裏で踏みつけるような蹴りつけだ。
そのついでとばかりに、手に持った剣で杭を打つように突きを入れてみた。
……急ごしらえにしては、やれてるほうだろう。
「……はぁっ!?」
「ヂッ!」
――――しかし。
鳴るのは "キン" という硬質な音。
生物に刃物を突き刺したとは到底思えないような、金属音だった。
……馬鹿じゃないのか。いくらなんでもおかしいだろ。刃を弾く皮膚ってもう意味がわからねぇ。
他のゲームだったら『防御力10万』とかのレベルじゃないのか、コレ。
「……ほんと、マジかよ」
「ヂィ~!」
「ぢー、じゃねぇよ……クソ」
効かない。ちっとも、だ。
ヒレステーキさんの重撃も、クリムゾンさんの疾撃も、俺の全力の加速攻撃ですらも。
これがドラゴン。
本当の竜。
『防御力低下』が無い、万全のシマリスドラゴンか。
「……どう勝つっていうんだよ、こんなの」
「ギヂヂィ~ッ!」
……今更だけど、『負けイベント』とか言わないよな?
◇◇◇
「――――だぁっ!」
「ヂヂッ!」
「……く、そっ!」
蹴った。殴った。斬った。突いた。
そしてすべてが無駄だった。
もしかして? なんて思って、首を締めようとしたりもした。
案の定一瞬で振り払われて、危うくばくりと食われる所だった。
……攻撃が効かない。それはシンプルにクソゲーで、とにかく心を折ってくるものだ。
その上あっちには復活不可の紛うことなき一撃死があるって言うんだから、それはもう最悪中の最悪だ。
「――――このっ!」
「ヂッ!」
二つ名と技能の合わせ技による、俺だけが使える精神加速のオーバーリミット。
その理外の速さでなんとか戦闘の体は成しているけれど、どう考えたって勝てる戦いではないのは明らかだ。
……だけど。
「こっちだ、ば~か!」
「ギヂッ!?」
「おせえっつーの!」
やれないけれど、やられもしない。
俺の速さにリスはついて来れていないから、こうした戦いっぽい時間を続ける事だけなら出来る。
「どこ見てんだよ、このウスノロっ!」
「ギ!? ヂィィ……」
稼げ、時間を。
クリムゾンさんたちが回復する時間。更なる竜殺しが到着するまでの時間。俺が何かを思いつくまでの時間。
今はとにかく、ごまかしながらこのまま過ごせ。そうする事が勝ちへと繋がるはずだから。
「……いやぁ、デカい図体は翻弄しやすくて助かるぜ」
「ヂヂィィ……ッ!」
口をわざとらしく半笑いにしながら、効かない蹴りや突きでちょっかいを掛け、様子を見る。
……白い毛と茶色い毛、あとは背中に黒い模様を作る毛がある。
それはどれも硬いのか? 白か、もしくは黒が柔らかかったりはしないか?
……ふさっと揺れる8本の尻尾。
それはあいつの残機で命。なら、それ自体をどうにかする事は出来ないか?
斬って落とすとか、引っこ抜くとか……そういう方法で、ルール外の方法で減らすとか。
……たまにあいつが見せる、顔を洗うような動作。その意味は何だ。
前足は4本指、後ろ足は5本指。それは何かに利用出来ないか? ヒゲは何本ある? 伸びた方向の法則は?
ぢぃぢぃ耳触りに鳴く声はどうだ。そういう声って事は、喉は狭いのか? だけど俺はすっかり飲み込まれたし……発声器官はどうなってる? 鳴き声に意思は、知恵はあるか?
…………考えろ。観察しろ。見て気づけ、知って利用しろ。
くりっとした目玉。突き出た前歯。伸びたヒゲにピンと伸びた耳。
加速した時間の中で、一つ一つを間近でじっくり観察しろ。
変な所は無いか、怪しい部分は無いか……レイドボス足りうる、ギミック的な要素は無いか、と探りを入れるんだ。
「ヂィッ!」
「――うおっ! あぶねぇな!」
…………不意に突き出されたリスの手が、俺の脇腹ギリギリをかすめる。
あんな大きな爪が、ああまで鋭く突き出されたんじゃあ……一発でも食らったら終わりだな。
まぐれ当たりには気をつけよう。
「ヂヂィッ!!」
「当たるかよっ!」
右へ、右へと回り込みながらリスドラゴンを翻弄し、気になった箇所に攻撃を加えていく。
どこもかしこも硬くてうんざりするけれど、きっと何かあるはずだ。
探せ。違和感を、異質を、異常性を。
諦めるな。粘って縋って耐えて堪えて、突破口を見つけ出せ。
「ヂ、ヂッヂィ!」
「――――っ!?」
……諦めないと言えば、リスドラゴンも諦めないな。
素早く動く俺を捉えきれず、散々に空振りしまくってるってのに……いつまでも手を振り回して。
今のなんて、危うく掠りそうだったぞ。俺の右脇腹辺りにぶおんと風が通った。
「ヂ、ヂ、ヂィッ!」
「だから、当たるかっつー……」
――――悪寒。
背筋が凍えるように冷えた。
……わからない。なぜだ? どうして今ここでビビった?
俺は一体何を恐怖した?
その答えは単純、リスドラゴンの爪だ。鋭くて、疾くて、見るからにヤバいから。
じゃあ、なぜ? さっきから避けてるそれに、今このタイミングで唐突に怯えたのは……どうしてだ?
コイツの攻撃は当たらない。なぜなら俺は、加速しているから。誰より速い本気モードな状態だから。避けるのなんて余裕だろ。
じゃあ、何を恐れる? どうして怖がる?
嫌な気配は、何を見て感じた?
……今さっき俺の横を通過した、当たらない攻撃。リスの鉤爪。
右へ、右へと回り込む俺の…………右脇腹を通過した――リスの爪。
…………右?
右へ動く俺の、その先を通過した…………爪?
……右? 先? 俺の進む方向、その前に出た?
……待てよおい。
それって、とびきりヤバい気が――――
「ヂ、ヂ、ヂ、ヂィッ!」
「――――が……ぁっ!」
――――直撃。これ以上ないほどぴったりのタイミングで、俺の脇腹をえぐり取るように爪で引っかかれた。
ぼきぼきと骨が折れる感触、ぐちゃりという嫌な音。視界が弾けるように明滅した。
体が勢いよく飛ばされて、首が吹っ飛ぶかと思うほどの衝撃が来る。
……こいつ。
…………こいつ!
合わせて来やがった!
追うんじゃない。置くようにして爪を振った。
投げ渡される物を手でキャッチするように、バットでボールを打つように……右へ回る俺に合わせて、予めその行先に――俺が数秒後に行くであろう位置を予測して、そこに手を伸ばしていたんだ。
後出しじゃあ、俺を捉えられないから。
だからこれから俺が行くほうに先回りをして。
手招きするように待ち構えて、タイミングを合わせて引っ掻きやがった。
「……う、うぉぉ……ぐぅぅ……」
「ヂィ! ヂヂヂィ~ッ!」
……ちくしょう、マジかよ。
追いつけないなら、先回りすればいい。素早いならば、来るまで待てばいい。
そんな風に考えて、戦闘の中で徐々に適応して行くとか……そんなのもう、野生の生き物がやって良いことじゃないだろ。
ドラゴンと言えどもたかが動物ごときが、そんな利口をするなんて……そんなんずるいだろがよ。予測出来るわけがないだろうが。
「……や、べえ……」
…………最悪だ。体が動かない。
たった一発食らっただけで、全身バキバキのボロボロだ。
ああ、クソ。口惜しい。
どうして直感を受け入れなかった。悪い予感を噛み締めなかった。どうしてあそこで一旦退かなかったんだ。
俺の居た場所を引っ掻くんじゃなく、俺が行く場所を引っ掻いているのを見た時に――――右へ右へと回る俺の進行方向である右脇腹をかすめた時に、俺の体はきちんと警鐘を鳴らしてたってのに。
悔しい。やらかした。バカ丸出しだ。
加速したからって良い気になってた。これで一回リスを倒したから浮かれてたのかもしれない。
それでこうまで大ピンチになるなんて、恥ずかしいしダサいしすげえ格好悪いぜ、俺。
「ギヂィ! ヂヂヂィ!」
「……あ……う……く、っそ……!!」
激しくふっ飛ばされ、土と砂で口の中をいっぱいにしながら、なんとか動く首を上げる。
こちらに駆けてくるのは、目をギラギラさせて喜色満面のリスドラゴンだ。
その顔はきっと……ああ。
きっと鬱陶しい小バエを叩きのめした快感にまみれた笑顔なんだろう。
……ついでに、大好きな食事が出来る喜びも、噛み締めているのかもしれない。
「ヂヂィ~ッ!」
「…………」
「ギヂヂギギヂャァ~ッ!」
リスが迫る。土煙をあげて走り来る。狂ったような嬌声をあげて。
首を上げ続けているのも限界で、どさりと地面に頭を放り投げた。
……終わったっぽい。ああ、やらかした。
「…………やるしか……ないな」
「ギヂヂヂィ~ッ!」
「……ああ、やって……やるよぉ!」
重い腕を上げ、ストレージをまさぐる。
イメージをしながら手を動かせば、指先にポーションの感触があった。
……『治癒のポーション』じゃ間に合わない。起死回生のアイテムなんてのも無い。
なら、せめて。
この『爆発のポーション』で、リスと一緒に吹き飛んでやる。
「死なば、諸共……」
「ギヂヂヂャヂャァッ!!」
「死ねば俺も、ある意味助かって……」
「ギヂヂァァーッ!!」
「……何よりお前にくれてやる命なんて、一つもねぇんだよこの野郎っ!」
「ギヂィッ!」
「俺のついでにお前も死んどけっ! このボケネズミやろ――――」
そうして『爆発のポーション』を叩き割ろうとした、その瞬間。
誰かの手が、俺を撫でたような気がした。
「…………んぁ? ……おぉ?」
ほわ、と来た。
温かい何か。柔らかい何か。
そんな優しい何かが、体の芯をゆるりと包み込むような……そんな感触。
…………なんだ? どうした?
体がなんか変わったぞ。
そんでもってどうしてだろうか、死んじゃいけないって気になった。
それは、誰かが望んでいないって――ぼんやり、だけどしっかり聞こえて。
「……なん……だ? これ……」
「ギヂィ~ッ!」
「――――ッ! あぶねっ!」
俺に向かって伸びるリスの手を、反射で横に飛んで避ける。
……ほぼ無意識の回避行動。
本能的な死からの逃避。
助かった。死なずに済んだし、自爆をする前にどうにかなった。
……どうにかなった、けど。
どうして動けるんだ、俺。
もう死ぬギリギリだったはずなのに。
そして何で避けたんだ、俺。
リスと一緒に自爆する気満々だったのに。
「…………まさか、いや……マジかよ」
「ヂ!? ヂヂィ!!」
「うおっ!?」
体が軽い。痛みがない。活気が湧き出て力が満ちる。
戦う前に戻ったような、ダイブインしたてのような……いや、それより万全になったとすら思える感覚。
加速は続いてる。スキルは『一切れのケーキ』以外使ってない。
ついでに言えば、俺が最後に自分に『死人の荒い息遣い』を使ってから……ずいぶん時間が経ったように思える。
そして俺は不自然なほど元気いっぱいで、リスドラゴンの攻撃を回避するのも、それなりに余裕をもって出来るほどで。
……俺は、治った。
端的に言えば、体力が回復していた。
「…………」
……まさか。
これは。
もしかして――――
「……チイカ、お前か?」
「…………」
――――【聖女】の、『ヒール』か?
◇◇◇