第二十八話 Re:behindにおけるトッププレイヤーの療育
「いいですか? あのシマリス型ドラゴンに食べられると、消えちゃうんです。わかりましたか? きちんと覚えていないと、大変な事になるんですからね!」
「わかった、わかったってのよ」
「まったく……君は本当に困ったヒトですよ」
筋肉の部位やトレーニング法などはしっかり記憶しているというのに、それ以外の事はてんで覚えられない僕の主、【脳筋】ヒレステーキ。
平素であってもそれは問題ですが、シマリス型ドラゴンが居るこの場では、なおさらな大問題です。
……召喚獣である僕なら一部を食べられても復元されますが、プレイヤーのキャラクターアバターであるヒレステーキの肉体は――あの【死灰】のマグリョウ氏の左腕のように、食べられたら二度と元には戻らないのですからね。
「って言ってもよぉ、タテコ? 何だかオレは、頭がぼーっとしちまってなぁ~」
「……ああ、そうですか……。そうですね、それも……ありましたね」
「何でだろうなぁ? 病気かぁ~? こうまで筋肉に包まれたオレが、風邪をひいたってのかぁ?」
「……マッチョでも風邪はひきますよ、多分」
言われてみれば確かに、ヒレステーキの補給を怠っていたようです。そのせいか、顔もすっかり青ざめて。
これはいけない。元から頭が残念な彼が、より一層に脳筋になってしまいます。
一刻も早く補給をさせましょう。
いつも通りに、今まで通りで。
「……ステーキ、"プロテイン" を」
「ん~……? ああ、そうだったなぁ……。飲まなきゃあ、駄目だなぁ……」
「そうですよ。今日は普段よりも激しく動いているのですから、こまめに摂取するべきです」
「そう、だなぁ~……筋肉のために、飲まなきゃあなぁ~……」
そう言ってストレージから小瓶を取り出し、ごくごくと飲み始めるヒレステーキ。
その "魔力のポーション" を飲んだ彼は、みるみる内に生気を取り戻します。
「おお……いい感じだっての。うん、ウンッ! いい調子だっ! 頭がすっきりしてきたぜッ!」
「……ええ、そうでしょう。良かったですね、ステーキ」
「おうッ! オレは良かった!」
「…………」
そうした返答の勢いのまま、その場でスクワットを始めるステーキ。
そんな彼を見守る僕の体は、普段よりも2.85倍ほど大きくて。
……これは、召喚時の触媒使用に起因する発現状態。
今日ヒレステーキが僕を喚んだ際に、いつものような『無触媒召喚』ではなく、大きい魔宝石を消費して召喚した事による、召喚獣の純粋なパワーアップです。
しかし、それによって、僕の『召喚維持コスト』が――――召喚士である彼の魔力が、普段よりもずっと素早く削られる事を忘れていましたね。
だから、ですか。
普段から【脳筋】であるステーキが、今日にあってはことさらに知性を失くしていたのは。
◇◇◇
数値が存在しないRe:behindにおいて、"残り魔力量の減少" という状態は "精神疲労による思考力の低下" という形で反映されます。
魔力という謎のエネルギーが一切可視化されていないから、そうした形で表現する他なかった、という所でしょう。
そしてそんな仕様が、【脳筋】ヒレステーキという男を生み出しました。
"タテコ" という名の、召喚士の『コール・サーヴァント』によって喚び出された召喚獣。
そんな存在である僕がこの世界で存続するためには、必ず『召喚維持コスト』がかかります。
それは1秒ごとに魔力が減少して行くという仕様であり、僕が居る限りステーキの魔力が減り続けるという仕組み。
つまり彼は、僕が隣に居る限り、常に "精神疲労と思考力の低下" の波に襲われ続けているのです。
そしてその『召喚維持コスト』という物は、召喚獣を形成するためのエネルギーでもあります。
召喚獣が何かの行動をする度に消費され、召喚獣がダメージを負っても消費され、激しく動いたらその分多く消費され。
そうして減った分を、減った分だけ召喚士から補填する……まるで召喚士のすねかじりと言った所でしょうか。
……とある事情で筋肉至上主義者であった彼。
そんな彼の隣に、常に居る事を求められたがゆえに、ダイブするたびに必ず喚ばれては、四六時中召喚を維持されていた僕という召喚獣。
他の召喚獣と違い、喋って動ける人型の召喚獣である "タテコ(僕)" の『召喚維持コスト』は、一般的な物と比べても高い物でした。
そんな大きなコストが常にかかってしまう事で、彼の思考力――知能は、元々の最大値である "中の下" と、"下の下の下" を行ったり来たりするばかりとなり…… "アオーッ" だの "オオ~!" だのと、とことん知性を失くしたかのような発言をするシーンが多く目撃されてしまって。
…………そうして彼は、『脳みそまでが筋肉』の男、【脳筋】ヒレステーキと呼ばれるようになったのです。
「――――フンッ! フンッ! 何だかすこぶるいい調子だぜッ! 頭もすっきりしてきたぞぉ!!」
「…………そうですね」
しかし、そうした真実を彼に伝える事は、僕には出来ません。
僕は彼にとっての『幼馴染』で、『旧知の間柄』。
そして――――『女の子にいじめられていた男』で、『ヒレステーキが筋肉で守ってあげる対象』。
そう願われたから、ここに居る。
それがこの僕。"タテコ" という、非実在人物なのですから。
「やっぱりオレの活力は、タンパク飲料 "プロテイン" よッ! アレを飲んだ時はいつも決まって、力がみなぎってみなぎってしょうがないっての!!」
「…………」
だから、僕には言えません。
"これはプロテインではなく、魔力のポーションですよ" とは、口が裂けても言ってはいけないんです。
彼には、"自分は魔法を使えない" "なぜならそもそも魔力が無いから" と思わせなくてはいけないんです。
だから、『召喚維持コスト』がかかる僕と一緒にモンスターと戦い、その後に摂取する物として―――― "魔力のポーション" を飲むようにさせました。
「――フンッ! フンッ!!」
【脳筋】ヒレステーキ。
彼は魔法を使えません。
僕とカニャニャック女史が……使わせません。
彼に1だけ取らせた魔法師という職業。
それの試し打ちをする場で、僕とカニャニャック女史がした事は。
『召喚維持コスト』で魔力が減ったタイミングで魔法を唱えさせ、魔法を不発させる事。
それによって僕たちは、ヒレステーキが "自分は魔法を扱えない存在だ" と認識するように謀りました。
それは全部が、彼のため。
彼自身に、彼が召喚士である事を、僕が召喚獣である事を、気づかせないため。
それに気づかせてしまっては、彼の治療にはなりえないのだから。
◇◇◇
「――フンッ! フンッ!! いいぞぉ! 筋肉がアツく、ドンドコ追い込まれていると感じるぜッ!! 筋繊維の悲鳴が、現実よりもリアルにわかるッ!! リアルに伝わるぞッ!! オオオオッ!!」
「……そうですか、それは何よりですね」
Dive Game Re:behindは、脳波と精神を自由に操るフルダイブ・システムで成り立っています。
それは、いわば脳への直接入出力。
ヒトの頭を自由に弄り、思想も思考も思惑も自由に操れるもの。在りもしない物を見せ、居もしない者を居させる技術。
人類の叡智と機械の神智を集結させたオーバード・テクノロジーであり、遺伝子と歴史への叛逆とも言われています。
そんな危険な物ですから、『反Dive Game団体』などが生まれる事も、映像配信のワイドショーでバッシングが度々行われる事も、当然といえば当然だったのかもしれません。
そんな人たちを黙らさせるために発案されたのが、フルダイブ・システムを生み出した医療機関と連携を取って執り行われる、『フルダイブ・システムの利用による新たな医療』という一つの大義名分。
その第一弾が、『心的外傷後ストレス障害の治療』――――今ここで行われている治療法でした。
心的外傷後ストレス障害。PTSDとも、トラウマとも言うでしょう。
そんな心の大怪我は、忘れたくても忘れられず、消したくたって決して消えない、不可逆の痕。
それを治療するためには、長い時間と健気な介抱が必要とされていて、科学技術と医療技術が発展した昨今においても、時間か非合法薬物か非道徳な記憶改ざん以外の方法では、はっきりお手上げだとされていました。
そんな中で開発が立案された、仮想現実という『極限までリアルな世界』と、『キャラクターの向こうに本物の人間が居る世界』。
それはたかがゲームでありながら、ヒトの心身を外部の意思で補助する事を可能にする、新たな方向性を持つリハビリテーションの可能性も秘めていました。
「フンッ! フンッ!! オレは負けないッ!! 痛みに、苦しみに、負けないってのッ!! そうした先に、デカい筋肉があると信じているんだからよッ!!」
「……はい」
ヒトは、辛い過去から立ち直れる。
ええ、そうでしょう。
"明日は良い日だ" を毎日繰り返し、今日を振り返らずに生きてゆく。
そういうヒトも、居るのでしょう。
……しかし、誰も彼もがそう居られる訳では無いはずです。
手を差し伸べてくれる存在が居ないヒト。
歪なプライドが邪魔をして、誰かに甘える事が出来ないヒト。
忘れたくても忘れられず、自分で勝手に思い出し、自分で勝手に傷つくヒト。
植え付けられたマイナス思考で、身の回りのすべてを悪い方向に考えてしまうヒト。
辛い過去から立ち直れるヒトも居るかもしれませんが、そうでないヒトも必ずいます。
どれほどの月日が経とうとも消えない、辛い記憶。
それを毎夜毎晩、幾度何度でも思い返しては、その都度さめざめと涙を流すヒトだって、居るんです。
そんな繊細なヒトに必要な事。
それは、『心を持ち直す余裕』と、『寄り添ってくれるヒト』。
そして『それをする事が出来る時間』と『自分が立ち直るべき理由付け』。
そこに現れた、キャラクターの向こうに本物の人間がいる、という大前提がある、この世界。
それを受け、精神科学者たちの医療チームが導き出した、一つの新たな可能性。
その『新たな治療』を行うために、それを手助けするために、僕という存在が生み出されました。
「フンッ! フンッ!! もっと! もっとだッ!! オレはもっとムキムキになって、何にも負けないデカい男になって――――」
「…………」
「――――そうしてタテコォ! お前をいじめる女共から、今度こそ守ってやるからなぁ!!」
PTSDの新たな治療法。
それは、自分のトラウマを…………他の誰かに渡す事。
実在しない人間を作り出し、それに自分の辛い過去を、預かって貰う事。
そうして一度トラウマから逃げさせて、心を平穏に保っていられる安らかな時間を与え、いつしか自分の記憶と向き合うための猶予を作る事。
それが、フルダイブシステムの技術を編み出した医療業界の提唱する、新たな精神疾病の治療法。
その界隈から送り込まれたチームのリーダー、精神科学者のカニャニャック女史…… "小名林 加那子" さんが執刀する、心の手術。
ヒレステーキは、その第一号として選ばれた――――『PTSD疾病患者』です。
「筋肉だッ! 必要なのは、筋肉だッ!! めいっぱいの筋肉があれば、誰もがビビって目を逸らすッ!」
「……はい、そうですね。きっとそうでしょう」
「オレがそうまでデカくなったなら、そんなオレの隣に居るお前の事も、イジメようなんて気にはならないはずなんだってのよッ!!」
「…………はい」
「オレは……許さないんだッ! お前を散々にイジメた "女" って生き物を、一生許さないんだってのよ!!」
――――プレイヤーネーム ヒレステーキ。本名 "大成 洋"。
教育機関で女性にイジメられ続け、ある日とうとうハサミで反撃を行い……道徳的教育がされていなかったとして、両親が『なごみ行き』となった、悲しき暴行罪の前科者である、日本国民。
彼はそのイジメのトラウマと、両親を失ったトラウマから……女性を心底毛嫌いし、女性が出歩く外を恐れて、滅多な事では部屋から出ようとしませんでした。
どうしても外出しなくてはならない時には、『C・S・A・V・B』と呼ばれる防刃ベストを肌身離さず持ち歩いていた、人間恐怖症でした。
そんな彼を不憫に思った祖父が医師に相談し、様々な都合とタイミングが合致した結果に施される事となったのが、この極限までリアリティを突き詰めたDive Game Re:behindを利用した、新たな医療です。
そんな新時代の治療法を、『記憶拡張による再体験症状のすり替えと、過覚醒のコントロールによる心理的保護法』と言います。
◇◇◇
『記憶拡張による再体験症状のすり替えと、過覚醒のコントロールによる心理的保護法』。それは技術の進歩を利用した、未来のPTSD治療法。
とある病院内に置かれた特別コクーンでダイブさせ、召喚士の『コール・サーヴァント』で都合のいい存在を願わせ、意思を持つ非実在人間を喚び寄せる。
そうして生まれた僕たちは、ゆっくりじっくり時間をかけて、召喚主のリアル……ダイブ元の生体と旧知の間柄である、と思い込ませて。
そして、『自分が女性嫌いであるのは、幼馴染であるタテコが女性にイジメられていて、自分はそれを必死に守っていたから』と思い込ませる。
それによって生まれいづるのは、自身のトラウマにまつわる嫌な気持ちを、友人がそれに飲まれたと思い込む事によって増幅される、反骨心と庇護欲。
そしてそれは、そのまま『トラウマと戦う力』になる、という仮説から来たのが、その治療法でした。
自分のトラウマを別のモノに押し付けて、自分はそれを守ってあげようとする。
……そうして出来た心の余裕は、悩めるヒトの確かな拠り所でしょう。
それがある内に、ああして自身の心身を強くして、いつしかそのトラウマを受け止められる体勢が整うその日まで……毎日を明るく、明日に希望を持って生きさせるんです。
……見るヒトによっては、これを『正面からトラウマと戦う事を恐れた敗北者』だと感じるでしょう。
僕には……"積み重なった情報の演算回路" を与えられた召喚獣である僕には。
これが正しい事なのか、それとも間違っているのか。
その答えは、わかりません。
…………だけれど、僕は。
ヒレステーキの人生に祝福あれ、と願うAI制御の召喚獣は。
僕の主で友人なヒレステーキが、ああして明るく振る舞えているという事は、何より素晴らしい事だと思うんです。
◇◇◇
「――――フンッ! フンッ! オレに必要なのは、筋肉だッ! お前がイジメられないために必要なのは、圧倒的な筋肉なんだッ!! ウオオッ! 後1万回ッ!!」
「……やめてください。日が暮れます」
彼が求める『筋肉』は、彼なりの完璧な解決策。
それは身を護る鎧であり、他者を威嚇する武器でもあって。
弱い者イジメを自分と自分の友人から遠ざける、平和的な威嚇です。
そんな彼は、【脳筋】ヒレステーキ。
馬鹿で阿呆で無鉄砲なすっとんきょうで…………僕が世界で一番大事に思う、主で友人。
「オウッ! タテコォ! お前もやれよッ!! 気持ちがいいぜッ!?」
「……いえ、結構です。いつも言っているじゃないですか。僕はトレーニングをしても、筋肉が付きませんって」
僕は盾の召喚獣。主を守るもの。
現代日本に存在する『衝撃を察知して瞬時に刃物すら防ぐ弾性を持つ防刃ベスト』を元にして生まれた、脅威から召喚士を守る存在。
モンスターの牙も、ラットマンの剣も、シマリス型ドラゴンの針も。
そして――――主の心に傷を付ける『PTSDという刃』も。
そのすべてをヒレステーキの代わりに受け止めて、それによる苦痛を肩代わりする存在。
僕は "タテコ" 。非実在の幼馴染。肉体的かつ精神的な "壁役"。
ヒレステーキの体と心を守るために生まれた、『防刃ベストの召喚獣』で…………。
…………彼の従僕で、一番の友人です。