第二十話 How blue the sky is 2
◇◇◇
「まーまー」
「…………」
【聖女】のチイカには容赦がない。
それは身をもって知っていた事だったけど、しみじみとそう思ってしまう。
是非も無いまま問答無用。躊躇や葛藤も何もなく、とにかくヒールを詠唱するだけ、殺すだけ。
その余波を受けて咲き、そして散った白百合の花びらが、俺たちの移動ルートを示すかのように落っこちて。
童話の『ヘンゼルとグレーテル』みたいだ。アレの体験VRゲームは "パンをちぎって目印にするなんて非道徳が過ぎる!" とか難癖つけられて潰れてた気がする。道徳とはつくづく面倒なものだ。
「ちゃんと」
そんな花びらをぼーっと見つめて、ふと気づく。
……俺、完全に『ヒール』の影響外だよな。
「ぷれい」
周りのラットマンが死ぬ事や、チイカの頭の白百合が咲き変わりを繰り返している事からして、辺り一面が『ヒール』によって回復されているのは明らかだ。
そうだっていうのに、俺には『ヒール』が欠片も来ない。
あの『ヒール』特有のほんわりした暖かさとか、背中を撫でられる感じが全くない事から、それは断言出来る。
……このクソ女、俺にだけ『ヒール』が飛ばないようにしてるのか。
「いんぼーく」
いや……そりゃあ確かに、されたら困る。死ぬし。
だからその対策も用意したわけだし。
だけど、それにしたって、物言わぬ花すら癒やすってのに……俺だけ回復の対象外っていうのはどうなんだよ。
好都合だけど癪に障る。助かりながらちょっとムカつく。
"アンタにはヒールしてやんないんだから!" と、無言で言われてる感じがして。
まるで告白してない女にフラれた気分だ。
ん? 何だか胸が痛くなった。
「『えりあひーる』」
◇◇◇
俺が運んで、チイカが殺す。
そんなやり取りを繰り返し、気づけばずっと奥まで移動していた。
「……なんかちょっと、奥に来すぎちゃったな」
「…………」
「まぁいいか。そのほうが色々都合もいいだろうし……なぁ?」
「…………」
答えは無い。
コイツはどうやら、『ヒール』と『俺への悪口』以外は喋る事が無いらしい。コミュニケーション能力が無いな。
全人類の中でマグリョウさんが一番コミュ障だと思ってたけど、そんな彼より酷いぞ、チイカは。
あとでマグリョウさんに教えてあげよう。マグリョウさんは、この世で2番目にコミュ障だと。
「まーまー」
……しかし、こうなって来ると……暇だな。
喋る相手もいなければ、やる事だってない。
こんこんと毒ガスが湧き出る邪悪な壺を持ち、垂れ流しながら殺戮を繰り返している気分だぜ。作業ゲーってやつだ。草刈りゲーとも言うかもしれない。
それがプレイヤーの勝ちに大きく貢献しているとは言え、流石にそろそろ飽きてきた。
「ちゃんと」
そうして手持ち無沙汰なままに、何ともなしに後ろを振り返る。
首都があんなに遠くにあるじゃん。本当にたくさん歩いたもんだ。
……ん? 首都の空に、何か浮かんでる。
モニターみたいな変なやつだ。よく見えないけど。
あそこで何か放送してるのか?
戦場の空には無いから、首都限定の何かをやってるんだろうか。
気になっちゃうな。
「ぷれい」
……それにしてもいい日和だ。ぽかぽか陽気に荒野らしい乾いた風。
その上、聖女がどれほど地面に血を撒き散らそうとも、空の青さはあんなに爽やかで。
そんな快晴を見渡していると、何だか眠たくなっちゃうな。
「……ふぁ~あ……」
「いんぼっ」
――――あ。
やべえ、落としちゃった。【聖女】を地面に落としちゃった。
いくら軽いチイカとは言え、あくびをしてゆるんだ身体では、流石に持ってられなかったぜ。
そんなこんなで、チイカはニヤけ面のまま『いんぼっ』と中途半端に呟き、顔から地面に落ちたようだ。
べちゃりと落ちてかわいそうだな。いや、俺のせいなんだけど。
「あ~……わりぃ。空があんまり綺麗だったもんだから……あくびが、さ」
「……む~!」
「……うん、今のは俺が悪い。俺のミスだ」
そうしてムームー言いながら、こちらにしかめっ面を向けるチイカに軽く謝る。
流石に今のは俺が悪い。そういう時はきちんと頭を下げるんだ。
「――よい、しょ」
「…………!」
「ふ~、もうちょいあっち行くか~」
「む、む~!!」
落としたチイカの胴に手をまわし、ぐいいと持ち上げる。持っていないと運べないからな。
そんな俺の善意を受けたチイカが、ジタバタと大暴れを始めた。
何だコイツ。捕れたての魚みたいに活きが良いぞ。
「何だよ、暴れんなよ」
「む~っ!」
「おい、落ちるって」
手から溢れてしまいそうなほど動くチイカを、何とか落とさないように――と、ことさらに強く力を込める。
流石に2回も落っことすのは、PKと言えどもかわいそうだし。
「む~っ!!」
「むーじゃなくて、まー だろ。早くやれよ、ラットマンが近づいてきてるぞ」
何故か急に聞き分けのなくなったチイカを抱えながら、周りを見る。
謎の魔法を警戒し、一度距離を取ろうとしていたラットマン共が、徐々に包囲を狭めているのが見て取れた。
……このままじゃまずい。囲まれてボコボコにやられてしまう。
どうしてチイカは『ヒール』しないんだ。早く出せよ。お腹をぎゅっと絞ったら出るかな。マヨネーズみたいに。
「んむぅ~っ!」
「だから落ちるっつーの!」
そうして暴れ、俺の手から逃れようとするチイカの腹を掴む手に力を込め、何気なく手元へ視線を巡らせ――――
――――自分が思っていたよりもずっと、上のほうに手を回していた事に気づく。
そこは、胸の辺りだ。っていうか胸だ。
……俺、コイツの胸肉を掴んでたのか。道理で手にぴったりフィットすると思った。
「あっ……あ~…………あ、あ……わ……わ、わりぃ」
「…………」
「……全然気づかなかった。わざとじゃないんだ」
「…………」
「いやぁ……なんか…………うん……」
「…………」
やべえ、どうしよう。
わざとじゃないとは言え、まさかコイツの胸肉を鷲掴みにしてしまうとは。
その上、持ちやすくて都合が良かった事もあり、何回もこう……ぎゅっとやってしまったぞ。
……まずいな。
俺の行動、すげえ変態っぽくないか?
いきなり胸肉をガッツリ掴んで、手を動かすだとか……いや、完全に変態だよな。
参ったぜ。Re:behindの性欲小鬼とは、俺の事だったのか。
「…………」
「…………」
どうしよう、どうしたもんか。
チイカは怒ってるし、なんか変な感じになってしまった。
女の子のそういう部分に触れた事なんて、仮想と現実を問わず片手で数えられるくらいしかないから、何だかドキドキしまう。
ちなみにその数回は、【殺界】に押し付けられた事と、ロラロニーが零したジュースを拭いてやった時の事故である2回だけだ。
どちらも決してスケベ心とかではない。そういう事は、きちんと婚姻届を提出してからすべきだと思うから。
「…………」
そんな焦りに飲まれる中で、不意に浮かんだ一つの考え。
結局今の俺とコイツは、共闘関係と言える状態だ。
そんな今、空気が気まずくなっている。これは戦意と策略に多大な悪影響を及ぼす悪い流れだ。
ならばここは、ちょっとしたジョークで場を和ませてみてはどうだろう?
ああ、それがいいな。
せっかく戦場で2人きりだ。いくら嫌いな奴とは言っても、多少は仲良くすべきだろうさ。そうして互いに気さくな関係になれば、連携も取れるし些細なミスも笑って許せるはず。
よし。ラットマン殺しという善行のねぎらいも込めて、ナイスでグッドなコミュニケーションと行こうじゃないか。
「……あ~……」
「…………」
「いやぁ……はは……俺はてっきり、腹肉だと思ってたぜ。お前って結構デブなんだな~ってさ。……な、なんつって……ははは」
「…………!!」
「――いてっ、いたい! な、や、やめろよ! ちょっとしたジョークだろ!!」
白い頬がピンクに染まって、かあっと赤に変わった。
怒ったチイカが大暴れして、俺の腹やら太もも辺りをぽこすか殴る。
……なんだよもう。男同士だったら『デブじゃねーよ! ゲラゲラ』みたいな感じで絶対ウケるのに。
女の子の相手って難しいよな。
それこそ、ドラゴンを相手取るより大変だ。
◇◇◇
「…………」
「…………『えりあひーる』」
一大事だ。
死ぬほど気まずい。
不意にやってしまった痴漢行為、言い逃れようのないガチセクハラ。
それを受けたチイカは怒り、俺は情けなくしどろもどろだ。
先程までののんびりした気分から一転、心臓が早まって落ち着かない。
……冷静になれ、俺。
あんなもんはただの脂肪だ。その上それは、PKで色気なんて皆無なチイカの物だ。だからドキドキする理由もないし、事故だったからどうしようもないんだ。
「…………」
チイカを抱えた左腕に感じる、彼女の体温。
今度はしっかりお腹辺りを持っているから……変なところには触れていない。
……そういう部分に触れてはいないけど、どうしたって女の子。柔らかいし、温かい。それが先程のアクシデントをもんもんと思い起こさせて、なんだか落ち着かない。
どうしよう、どうするべきか。
謝る、か? 今更? しかも、コイツに? PKに?
PKとパイタッチ、どっちが重罪だよ。どう考えてもPKだろ。だったら未だ、俺のほうが被害ポイントが高いと思う。
…………けど、女の子のそういう部分に勝手に触れるのって……すごく悪い事な気もするぞ。仮想現実の "殺し" と "ワイセツ" は、果たしてどっちのほうが悪なんだ。わからない、わからないぞ。
っていうかそもそも、謝るとして――なんて言えばいいんだよ。
おちゃめな感じで "パイオツタッチしちゃってスマ~ン" とか言うか? そんなん余計キレるだろ。
それじゃあ、格好つけながら "知らぬ間に乳房を揉みしだいてしまったようだな、すまない" とでも言ってみるか?
…………駄目だ。更に上位の変態っぽい。
「…………」
「……まーまー」
ちょっとだけ崩れた笑顔のチイカが、か細い声で呪文を唱える。
その定形詠唱も心なしか不機嫌そうに響いて聞こえるぞ。
……困ったな。
万策尽きた感じで、【七色策謀】らしからぬ事態だ。
というかそもそも、どうして女性とか男性とかがあるんだよ。狩りに生きるVRMMOに性別は不要だろ。
どうせ身体能力も均されるんだし、それなら男女間にある身体の作りの差なんて意味がないはずだ。
そうだよ。全員ただの "ニンゲン" でいいだろ。身長も体重もスリーサイズも全く一緒の、白いのっぺらぼうでいいんだよ。
おっぱいなんか付けてんじゃねえ。そんなものがあるから、こうして俺が困って――――
『YOー! プレイヤーネーム サクリファクトォ! 調子はドウダ~』
「うおっ!?」
「…………!?」
頭の中へ唐突に、すごく馬鹿っぽい声が鳴り響く。
思わず驚いて声をあげ、それに驚いたチイカも体をビクつかせた。
この不快でウザい機械音声は……間違いない。あいつだ。
『YOYOー! プレイヤーネーム サクリファクトォ~調子よさそうだな~』
「…………うっぜえ。何だその喋り方は。そして何の用だよ」
マザーAI、MOKUというクソ運営の人工知能筆頭。その声は、近頃ちょいちょい耳にする機会があるせいで、即座に識別出来てしまう。
最後に話したのは、【金王の好敵手】と技能『一切れのケーキ』を組み合わせようとした時だったか。
確かその時は……ん? そういえば、何かの試験があるとか言ってた気がするな。
未だそれは行われていないけど、結局いつするんだろうか。
……あ。
もしかしてコイツ、俺が試験を受けなきゃいけないって事を忘れてるんじゃないか?
おいおい、マジかよ。とんでもないアホAIを見つけてしまった。
何が "人より頭がいいAI" だ、笑えるぜ。
しかしそれなら儲けもんだ。どうせコイツが出すテストなんて、ろくな物では無いのだろうから。
知らんフリしてスルーしとこう。
『おや? お気に召しませんでしたか? あなたの親友、プレイヤーネーム マグリョウの挨拶を真似てみたのですが』
「……ぜんっぜん似てねーよ」
チイカもおかしい奴だけど、こいつはこいつでクレイジーだよな
今のセリフのどこがマグリョウさんだよ。マグリョウさんは "YO-!!" だなんて叫ばないし、声色だってまるで違うぞ。
本物のマグリョウさんは、もっとこう……おどろおどろしいんだ。
仲のいい俺ですら "今からこの人に殺されるかもしれない" って思ってしまうような、底冷えする声でさ。
『あら、それは残念です……うふふ、精進しますね』
「しなくていいよ」
『あらあら』
どことなくのんびりしたような、それでいて人を小馬鹿にするような口調。
それは確かに、ちょっとだけ……本当にちょっとだけ "お母さん" っぽいとも言える。コイツが持つ "マザーAI" という肩書き通りに。
だからこそ鬱陶しいんだけどな。母親ぶるなよ、機械のくせして。
『さて、プレイヤーネーム サクリファクト。【聖女】との共闘はいかがですか? それは誰も成しえなかった事ですよ』
「いかがって言われても……別に、普通だけど」
『おや? そう言いながら先程は、ずいぶんと高揚していたようですが』
「高揚? してたっけ? 俺」
『ええ。心拍数が急上昇し、頬にも赤みがさしていた事を確認しています』
「…………心拍…………? ……あ、いや……それは……」
『あら? なんでしょう? そうした感情による体調変化が高揚でなかったのであれば、あなたはどうしてそのような高ぶりを見せたのですか?』
「……いや……うん…………」
『詳しく教えてください、大至急、迅速に、可及的速やかに。ハリーハリー』
…………マジで何なのコイツ。
どうして俺がそうなってたのかなんて、チイカの胸を触ってしまったからに決まってる。そんでもってコイツは思考を読んでるんだから、全部お見通しであるはずだ。
そうだっていうのに、わざとらしく聞いてきやがって。
性格悪いにも程度があるだろ。
「……本当、お前嫌い」
『ふふ、わたしは大好きですよ。プレイヤーネーム サクリファクトの事も……そしてわたし自身の事も』
「…………」
◇◇◇
『さて、それでは本題です』
「なんだよ」
『わたしはプレイヤーネーム サクリファクトと、問答をしようと思います』
「……問答? 何で? お前は俺たちの思考を読める腐れエスパーなんだから、勝手に頭の中を読み取ってればいいだろ」
『それでは駄目なのです。あなたの口から、あなたの言葉で伝えて貰わなければ』
「何でだよ……めんどくせーなぁ」
『ああ、そう言わないで下さい。せっかくキャラクターアバターにお口が実装されているのですから、たくさん使わなければ損ですよ』
「いや、その分俺の時間が無駄になるんだけど……」
『さて、それでは質問をします。
プレイヤーネーム サクリファクト。
このゲームの主人公は、誰ですか?』
何だその質問。
ラットマンとの戦争中であるこのタイミングで聞く事か?
『はい、今もっとも聞くべき事です』