閑話 Re:behind開発者はかく語りき 「VR聖女の作り方」 3
◇◇◇
――――想像力を鍛えながら、剣と魔物のファンタジーへの理解を深めるフェーズ。
名作RPG『Wizardry』の強制プレイ。
"それをする事が、世のため人のためとなる" 。
そんなおべんちゃらを言ってのけた『なごみ』連中にいざなわれ、仮想で簡素な空間をあてがわれた採用試験の参加者たちは、腹は減らない眠くもならない空間で、時間の限り迷宮探索を続けた。
規定時間は、現実世界で1週間。
そう、たったの1週間だ。すぐに終わるさ。
……外で待つ奴にとってはな。
ほどこされた精神加速は、713倍。
その時点で判明していた、脳の耐久限界倍率いっぱいだ。
つまり彼らに科された『無限のダンジョン探索刑』は――――
――――体感懲役13年8ヶ月にも及ぶ。
――……『MURMUR -ささやき- 』
――……『CHANT - えいしょう - 』
――……『PRAY - いのり - 』
――……『INVOKE - ねんじろ - 』
これは先程も言ったように、『Wizardry』の世界に在る『カント寺院』の治療の呪文だ。
状態異常の治療や死者の蘇生を行う時に、必ず表示されるその文字列。
13年間プレイし続けた彼らは、一体どれだけ目にした事だろうな。
◇◇◇
「……さて、そんなこんなでとうとう最終行程だ。ちなみにこの時点での参加者は、700余名しか残っていなかったらしい。リタイヤ申告をしたり、頭が少しエラーを起こしてしまったりな」
「…………」
「そんな人権無視の道徳形成。その最終フェーズは――――『痛みの理解』。精神加速を行う仮想空間で、誰かの痛みを知る時間だ」
「…………痛み、ですか?」
「端的に言えば "PTSD" だな。深層心理をぶっこ抜く、脳幹直結の精神加速装置を使い、記憶の奥底まで探査しサルベージした物だ。受けた本人ですら忘れてしまっているような、根深く残る記憶だよ」
「…………」
「誰かに言われた冷たい言葉。その身に受けた暴力の苦痛。自分を責めた失態の記憶。それらをまるで現実かのように追体験する事で……そしてその時の被害者の気持ちを想像する事で、本当の意味で『人にやさしく』が出来るだろうと考えられての事だった」
「……それは……」
「……人生バラ色で過ごしてきた奴が、泥をすすって生きて来た人間に、心の底から同調出来るか? 恋愛をした事もないやつが、失恋をして傷つく奴に、どんな言葉をかけるって言うんだ。何かに苦しむ者を見た時、その辛さを知らない奴には、どうしたって親身になる事は出来ないんだ。何が辛いのかを知らないから、想像にだって限度があって、"わかった風" になるしか出来ない。それが偽善だとは言わないが……最善でも無いだろう?」
「……なるほど」
「だから『なごみ』は、誰かの記憶にある痛みを経験させるんだ。傷を負った者の気持ちを真に理解出来るのは、同じ傷を負った者だとしてな。"あなたの気持ちがよくわかるよ" という言葉は、嘘であったら刃物になるが、真実だったら何より柔らかい抱擁となる。そのための、他人の痛みを知る行程がこれだ」
「……はい、理解出来ます」
「そんな苦しく痛ましい時間は――――精神加速713倍で、3ヶ月。五感をリアルに刺激する、Re:behindと同タイプのダイブマシンを使用した上で…………体感175年と10ヶ月が科せられた」
「…………」
「……意外だな、驚かないのか?」
「……いえ……その…………初めに小立川管理局長が言った『16歳+189歳』という事の意味が、薄々わかって来ていたので…………」
「そりゃあ……聡明な事だな。流石と言わざるを得ない。全くもって、我が社の未来は明るいぜ」
「…………」
◇◇◇
――――『痛みの理解』をする空間。そこはRe:behindに実装された『地の底エリア』のプロトタイプであり、その頃からすでにしっかり『地獄』だったと聞いている。
『Wizardry』のフェーズと違って、参加者全員が同じ空間に送られた事が、余計に災いを呼んだとな。
真っ白い空間。広い運動場のような。
そこに向かった総勢700名のそれぞれが、各々違う幻覚を見せられた。
それは一つが10年程度の『辛い半生』で、事の起こりから終幕までの起承転結を正しい順序で追体験する『誰かの苦しみ』だった。
長い時間をかける事で、きちんとその記憶に入り込み、徐々に体を蝕むようにじっくりコトコト体験させられたのさ。
襲い来る恐ろしい影。居ないのに居る感覚と、聞こえないのに聞こえる感覚。
そうして見えない誰かに傷つけられながら、それでも700人は懸命に寄り添った。
辛い気持ちを分け合って、互いに互いを支え合った。傷をなめ合う事を強要されたんだ。
……しかし。
それでも、救えない。
隣の者が、救えない。
今日初めて言葉を交わした、知り合ったばかりの隣人が、こうまで涙を流しているというのに。
どんな言葉をかけようが、どれだけ心を癒そうが……救えない。救いきれない。
それもそのはずだ。なにせ、癒やしたそばから新たな傷が絶え間なくつけられるんだ。
苦痛のアップデートが終わらないのだから、誰もが苦しいままで在り続けていた。
――――それは自分の悲しい経験。つまり新たな "PTSD" だ。
そうであるから、今見た知人が苦しむ姿が、それを救えない無力さが、仮想空間内で再現される。
連鎖反応。負の輪廻。悲しみのリサイクル。
今自分が悲しく思った出来事を、何度も何度も繰り返し体験させられる。
恐怖が恐怖を産み落とし、苦痛が苦痛を作り出す。
精神の拷問は終わりを見せず、まだだもっとだ と加速を続ける。
まさしくむき出しの心を業火で灼かれ続ける、無限地獄と言えるだろう。
◇◇◇
……俺は『なごみ』の職員じゃないから、詳しい事はわからない。
わからないが、知ってる "AI" が言っていた。
『精神だけが訪れる場所で、その精神が崩壊してしまうと、仮想空間から跡形もなく "消失" してしまう』と。
そして、こうも言っていた。
『生体から切り離された精神が消失すると、消失した精神を追いかけるようにして、現実にある生体までもが鼓動を止めてしまう』と。
……これまでの行程を乗り越えて来た、道徳的な500人。
その一人ひとりが、徐々に、しかし確実に精神を "消失" させ、『地獄』の底に沈んで行った。
誰かが消え行くのを見て絶望した者が、そいつに引っ張られるようにして後を追った。
"精神" を失くした生体が、生命活動を止めてしまう。
文字通り、順番に処刑をされて行ったんだ。
"死んでも文句は言わない" と自筆で書いた、"同意書" という "遺書" を握りしめたまま。
◇◇◇
……そうして、規定の時間が過ぎ去った。
誰もが消えた『地獄』には、一人の少女だけがぽつんと残っていた。
彼女の名前は『天津ヶ原 エミ』。
採用試験の受験番号は、最後尾の『1000番』を持つ、肉体年齢16歳。
救えなかった大勢の亡き骸が沈む白い部屋で、だらだらと血の涙を零しながら――それでも最後の最後まで、道徳的な微笑みを浮かべ続けていた少女。
……名前の通りに『笑み』を浮かべて、小柄な体を縮こまらせていた少女だ。
――――採用試験は終わりを迎えた。
合格者は、1000分の1名。
『なごみ』の総力を結集した、人工勇者――――いや。
人工聖女が誕生した。
◇◇◇
……さて、計画は成功だ。
しかしながら、彼女は少しおかしかった。
『地獄』でイカれたわけではないぞ。持った記憶――意識がおかしかったんだ。
それは不揃いな記憶を語る意識だった。
"私は京都から採用試験を受けに来たの" と語った口で、"私、北海道から来たんだ" と語る。
"途中の駅で、すべって転んじゃったんだ" と笑いながら話したかと思えば、"近かったから家から自動運転車でここまで来たんだよ" とうそぶいて。
その後も語られる、同日同時刻の同時多発的思い出話。
試験前日は晩ごはんに鍋をつついた。しかし、自分はパスタを口にした。されど、その晩は何も食べていない。
今年の年末は家族5人と過ごした。年末は彼氏と二人きりでゆっくり過ごしたし、友人グループで除夜の鐘を見に行ったし、故郷のおばあちゃんの家に泊まってテレビを見ていた。
誕生日は5月20日。だけど誕生日は12月9日だし、自分の誕生日は3月15日だ。
……到底一人では持ちきれないような経験談。
まるで人生を何百周もしたかのような、バリエーション豊かな思い出話。
そのどれもこれもが、ちぐはぐだけど真に迫った、現実味のある記憶だった。
矛盾をはらみながら、それでも真っ直ぐ事実を言っているようにしか見えなかった。
…………唯一の生き残りである彼女は、消えていった他の試験参加者たち、その生前の記憶を持っている?
彼女と同じ年頃――――16歳前後の年若き女性たち。
そんな、共に地獄を見た仲間たちの一部、その意識を受け継いでおしゃべりをしている?
それは、そうとしか思えない事だった。
それは、今までに無い事だった。
――――調査がされた。
様々な質疑応答と脳波の測定をする事で、いくらか事実が見えてきた。
そして仮説が立てられた。
"精神体が消え行く時、同調した近くの者に何かを託すのではないか?" と。
"彼女が女性だから、親和性という意味で、女性の記憶だけが鮮明に残ったのではないか?" と。
前代未聞の事ではあったが、そうでないと説明がつかない話でもあった。
それを乗り移った幽霊と呼ぶのか、多重人格と呼ぶのか……それとも、全く新たな呼称を用いるのかは決まっていないが、とにかくそういう事になった。
彼女が『地獄』に居る間、ずっと微笑みを浮かべたまんま、近くの誰かを励まし続けていた、と聞く。
自分も辛いと言うにも関わらず、笑みを絶やさず誰かを慈しんでいた、と。
……これは俺と "AI" の推測だが。
彼女の周りの者は、彼女に包まれ、そして消えて行ったんじゃないかと思う。
優しい彼女に抱かれたままで、眠るようにして "消失" したのではないか、と。
それゆえ彼女に吸収されて、思い出を託して行ったのではないか……と、そう考えるんだ。
……それは俺と "AI" の勝手な予想で、裏付けのない与太話だ。
だけど、俺は――――そうだと考える。
そうであって欲しいと思う。
そうであるべきだと希う。
そうであったなら……少しは救いがあると思えるからな。
◇◇◇
そして『天津ヶ原 エミ』は、『Re:behind』の地に降り立つ事となる。
肉体年齢は16歳。しかし確かに189年間生きて来た。
その身に持った精神の数は、おおよそ500人分だ。
500の少女の意識を持ち、500の少女の思い出を持つ、無数の1人の女の子。
――――たった1人で500人。それが『天津ヶ原 エミ』。それが【聖女】のチイカさん。
もしも、彼女に優しくして欲しいと願うなら。
何をせずとも、500人分の母性で、愛情深く包まれる事だろう。
しかし、もしも彼女に特別扱いされる事を望むなら。
それこそ "自分だけ特別に『ヒールによる殺害』を回避して貰える" ような、そんな特別扱いをして貰いたいのなら。
そんな無茶を望む奴は、彼女の中にいる女性すべてに好かれる必要があるだろう。
そんな彼女の名は『チイカ』。
『千』を『チ』と読み、『以下』を『いか』と読む名前だ。
――――その名が持った本当の意味は、『千以下』。
"受験番号1000番以下全ての参加者たち、その全員の意思を継ぐ" として、本人が切望した『千以下の集合体』という意味の言葉。
そこから彼女がイマジネーションを発揮して作った名が、『チイカ』というプレイヤーネームだ。
……だから俺は言うんだよ。チイカさんと敬称つけてな。
流石に人の心がわからん俺でも、500人の女の子をまるごと呼び捨てにする勇気は無いんだ。
……それに、おおよそ年上だしな。
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・おまけ的Wiz要素として、「最終章 覚める夢」で【竜殺しの七人】がメインとなっていた回のサブタイトルが、ウィザードリィを題材にした小説タイトルのオマージュになっていました。
・【正義】の受難 →→→ 女王の受難
・【金王】と黄金の剣 →→→ トレボーと黄金の剣
・Re:behind戦記【脳筋】編 →→→ リルガミン戦記 【鳴動編】
・【殺界】のジサツシマス決死行 →→→ 風雲のズダイ・ツァ決死行
・【聖女】の哀歌が聞こえる →→→ サイレンの哀歌が聞こえる
・隣り合わせの【死灰】と青春 →→→ 隣り合わせの灰と青春
・【天球】よ、龍に届いているか →→→ 風よ。龍に届いているか
聖女についての話は次回で終わりです。
長くてすみません。
※ 1/17 20:00 ※
最終フェーズの残り人数を「500人」→「700人」に変更しました。至らない僕の計算違いで、ミスです。